小学校の敷地内にあって、佐倉市の文化遺産に指定されている。
脇には、塚の名がついた公園がある。
小塚だという。奥に学校の校舎が見える。
大塚。大きな木が立ち上がっている。
大塚の裾に石碑が半分埋もれている。月読尊と見える。
これは、幕末から明治にかけての当地出身の歌人、小島泰道というのの短歌を碑に表したのだそうだ。
「月読みの鏡を見ればおす国の民のしあわせしろしめすかな」
佐倉市がこれを文化遺産としている。そのいわれは、江戸期(それも初期ぐらいかな)青菅の領主に川口家というのが君臨していて、初代の川口宗勝から四代の当主の墳墓だったといわれる。
だけど、私は思うのだが、そんな時代、豪族の墓をこんな円墳みたいなものを作って葬ったのだろうか、大いに疑問に思うのである。
それよりずっと昔から古墳があったのではなかろうか。そこに川口の殿が墓を造ったのではないだろうか。
こんなにくっきりと大小の塚が残っているのだから、この辺り大昔からひとつのパワースポットだったかな。
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