サンズ・トーク

日本敗戦時の思い出

ふとしたことから、私の幼時、日本の敗戦後のことを思い出したのだ。
米英などとの太平洋戦争が1945年(昭和20年)ポツダム宣言を受諾して、敗戦が決まった。

我が家は、神奈川の平塚にいた。
父は、南支に戦争に駆り出されていた。
従って我が家は、母と私ら兄弟が3人。
住んでた家は、空襲に合い、焼夷弾を浴びて全焼、隣のうちに仮住まいしていた。
その時、私は10歳ぐらい、小学校5年だったと思う。

8月15日、うちの焼け跡に隣組のいる人が整列して、ラジオの敗戦の玉音放送を聞いた。
それからあと、日本は打ちのめされて、悲惨だった。

すべて疲弊して、どうしようもない状況。食料がなかった。
皇軍の軍隊が武装解除されて、次々復員してくると、食物はますます払底した。

緊急な不足を補うため、進駐軍からの援助がきた。
それが、今でも鮮明に記憶している 「ガリオア物資」 「エロア物資」 「ララ物資」 という食料支援だった。
各戸に米穀通帳があって、小麦粉、とうもろこし粉、脱脂粉乳などが配給されたと思う。

学校は、通学路には不発弾があるから、危険。
おかげで、半年ぐらい、学校には通学しなかった。
そのうち、父も、復員してきたのだった。

いまごろになって、こんな当時を思い出すのは、おかしいとおもわれるだろうが、終戦直後のガリオアなどの救援物資で、私たちは生き延びることができたのでした。

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