その時、義父は満州で抑留され、シベリアへ送られるとき、列車から飛び降りて難を逃れ、妻子を連れて帰還できたのだ。
義父の、このときの脱出が成功していなかったら、私の、妻との暮らしはなかっただろう。
この銀杯は、戦争により外地で困難に逢った引揚者の労苦をねぎらうために、先月、政府から贈られたものである。
引き揚げ当時、妻は5~6才、本当に辛酸を舐めた父母はいま既に亡く、そのときの記憶をおぼろげに胸に刻んでいる妻は、今月古稀を迎える。
我々の親の世代は、大なり小なり、戦争のおかげで生活に、人生にさまざまな犠牲を蒙ったのである。
でも、私と妻は、親を、誇り高くしのぶことができる。
お花は、そのいきさつとは全然関係がなくて、別のところからいただいたものなのだ。
何も因果関係のない美しい花は、本当は銀杯を受けるべき父母に天から授かった褒章なのである。
4月5日、義父の3回目の命日を迎える。
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