「多木浜洋館」は 多木化学の創業者で 自らを「肥料王」と称した「多木久米次郎」が
来賓を迎えるために大正の中頃に着工 昭和8年に完成した贅を尽した洋館である
屋根・外壁に銅板を張りめぐらせていることから「あかがね御殿」と呼ばれるようになった
「あかがね御殿」の川向に生まれ育って66年 毎日目にしていたので何も思わなかったが
他から来た人たちは「西洋のお化け屋敷」・・・と見ていたようだ
西隣には「肥料主」と刻まれた石碑がある
かつては「多木久米次郎」の銅像があったが 戦時中の金属提出で取り払われた
また「肥料主」の石碑は 元は「肥料王」と刻んでいたが 戦前でもあり
チョットまずいのでは・・・であとで「王」にチョンを付け「主」にしたとか
「あかがね御殿」の西側には「住吉神社」がある
境内には松が横に傾き腕枕のように見えることから「手枕(たまくら)の松」
という名前がつけられた名松があるが 初代は大正末に枯れ 現在は3代目
来賓を迎えるために大正の中頃に着工 昭和8年に完成した贅を尽した洋館である
屋根・外壁に銅板を張りめぐらせていることから「あかがね御殿」と呼ばれるようになった
「あかがね御殿」の川向に生まれ育って66年 毎日目にしていたので何も思わなかったが
他から来た人たちは「西洋のお化け屋敷」・・・と見ていたようだ
西隣には「肥料主」と刻まれた石碑がある
かつては「多木久米次郎」の銅像があったが 戦時中の金属提出で取り払われた
また「肥料主」の石碑は 元は「肥料王」と刻んでいたが 戦前でもあり
チョットまずいのでは・・・であとで「王」にチョンを付け「主」にしたとか
「あかがね御殿」の西側には「住吉神社」がある
境内には松が横に傾き腕枕のように見えることから「手枕(たまくら)の松」
という名前がつけられた名松があるが 初代は大正末に枯れ 現在は3代目