「評論家」という最悪最低な職業の、更にその真似事

事象を己自身の価値判断で論じることはとても恥ずかしい事である。
ましてや一文にもならないのに書くなんてただのバカ

遺言

2011-03-31 07:41:19 | 
数字だけがただ記号のように羅列されていく
しかしそれはその数だけあった人生が
ひとつの終焉を迎えたという意味であり
その周りにはその数字に倍する
悲しみが、嘆きが、怒りがあることを
いま僕らは受け止めなければならない

それは多分遺言だと思う
その人達が得られたたくさんの幸せ
ならば僕らはそれを奪われた方達に代わって
その人達が安堵できるように
せめてどうか安らかにと
それだけを心に刻んで

その方達が残した、残したかった大切な「何か」を
守り再び興さねばならない

おろおろとしているなんて無意味だ
心の中に堅くたくさんの遺言を握りしめ
ただ前を見て
前だけを見て戦う

あなたたちが心配する事はなにもありません
どうかやすらかに

天に向かい 心を刻む

プロムナードからプロムナードモデラートに

2011-03-31 07:07:45 | ↓これより以下「旧プロムナード」記事↓
震災直後からツイッターを見ていると流言飛語に悪質、あるいは無自覚なデマゴーク、そして煽動のような言葉の波を垣間見る事が多かったです。

逆に多くの人を励まし前を見る勇気を与える言葉、自分の言に責任を担保するために一睡もしないでパソコンの前に張り付いている方、被災地救援に向かう人の想いなども流れてきました。

同じ人間なのになぜこうも「言葉」というものの扱いが違うのでしょうか。

いずれ総括しなければいけない時期が必ず来るのは事実です。
その時には論理的かつ建設的に批判を行えばいいと思います。

しかし今は違うと思うんです。
今までは社会を批判すれば社会に参加できると錯覚できた時代だったかも知れません。
が、震災以降は日本という国の上に住んでいる全ての人は当事者です。
傍観者でいられる余裕は、震災以降吹っ飛んでしまったと思います。

いま、多くの「人の心」が被災地を救うために、あるいは自分の周りの人だけでも守ろうと、動いています。
自分のできる事をそれぞれが果たさねばならない時がやってきてしまったとも言えるでしょう。
それは、本来「当たり前」だったはずなのかも知れません。
批判だけしていれば良いなんて時代はもう終焉を迎えたのです。
批判しても結局それは自分自身の不如意を嘆くだけの行為なのですから。

だから、今。
わたしはわたしのできる事を、日々の生活もそうですが、書き綴る文ももっと前を向いて歩くための物へと変えざるを得ないという判断に至りました。

批判的なプロムナード(そぞろ歩き)はやめます。
本当はアレグロにしようかと思ったのですがアレグロで歩くのは社会人としての顔にとどめてネットでは見落としてしまいそうな何かを見つけるためにもゆったりと、モデラートで歩こうと思いました。

以降、プロムナードモデラートを宜しくお願い致します。

産経と朝日を対比すると

2011-03-29 07:23:41 | 雑感
今回はどうでも良い話。しかもちゃんと検証もしていない印象的な話です。
オンラインのニュースで飛び込んでくるリード、そして記事を眺めていると産経はつまるところ菅政権が昨日していないからという結論に帰結して、朝日は原発が被災を拡大しているという結論をとりわけ強調している傾向があるようにみられる気がします。

肝要なのはどちらも被災地をどうやったら救えるのかとか、今何が必要なのかとかそういう方面では全く提言の「て」の字も書いていないというか書けない点では一致している気がします。

そして表紙みただけでげんなりとしたのは週刊金曜日。
この未曾有の震災で表紙が「原発震災」とかなんの冗談かと思う。
あんたんとこは弱者を救済するための雑誌じゃなかったんかーい、とハリセンで国外まで吹っ飛ばしたくなるレベル。
いや、中身は違うのかも知れないけどさ。
普通、被災者の事にいの一番で心痛めて欲しいもんだねえ。
原発が一大事だとしても。

という与太話を書いてみたくなったので書いてみました。
お目汚し失礼しました。

ツイッターの功罪。

2011-03-27 15:54:47 | 雑感
震災前にツイッターを始めた理由は朝日のサイトWEBRONZAでホメオパシー肯定論が掲載されていたと聞いた事でサイトを見たけど、議論がツイッターでなければ見る事ができなかった事から、だった。
そんなに使える物では無いと思っていたけど、その予想とは大きく外れ、ツイッターは情報の交換として極めて有用なツールである事を知った。

その最大の理由は自分がフォローした人の、そのまたフォローした人の情報が自分の元へと届くために非常に広範囲に、しかも瞬時に情報が拡散する点にあるのだろう。

そして、この大災害を迎えたことでそれは極めて顕著になった。
良くも悪くも情報が速い。
そしてあっという間に拡散する。
自分が思索するきっかけになるような発想がフォローした人のさらにその先から飛び込んでくる。その人をフォローすればさらに新たな見地が開ける。

だがその一方で誤情報もとんでもない速度でしかも広範囲に拡散する。
津波警報が出された時、わたしは安否確認を求める声よりも「逃げて」を連呼していた。
わたしの経験では地震は結果ではなく始まりだから。
しかし場所が違えば地震は災害の結果で認識されている。(つまり経験がないから津波が来る事を予測できない)

そして事実として津波が襲ってきた。
その時は既にこちらも広範囲に拡大した津波警報に含まれていたのでPCでの意見交換は諦めざるを得ず、そしてまさに当家も津波に襲われた訳だから「人の事を言っている場合か」だったのだが。

ただそんな中でもどうしても看過したく無かったのは「避難場所に言ったら強姦された」と「阪神淡路の話を元に」ツイートする人、そしてそのリツイートが飛び回っていた事であろうか。
その時はわたしがフォローしていた人は少なかったのでどの程度出回っていた話なのかは判らないが、逆にいえばわたしの数少ないフォローでも出回っているのを見続けていたという事にもなる。

実はこの強姦の話、事後に調べて見るとかなり出所があやふやな話なのである。

[日記]阪神淡路大震災の混乱に乗じた強姦はあったのかしらという話

いや、仮に百歩譲ってだ。
百歩譲ってこの話が本当だったとしても今まさに津波に飲み込まれるかも知れないという瞬間に書くべき話だったろうか?
「阪神淡路の一番の被災は人災」
これらのツイートを見て、避難することに逡巡する人はいなかったのだろうか。
本当はひとつひとつツッコミのツイートを入れたいと思った。
少なくとも元記事まで追ってその先に危険な情報を流すなと書いておきたかった。

情報の伝達を恐らく光速のレベルまで飛躍的に高めたツイッターではあるが、その分リテラシーには高いレベルで要求されるかも知れない。
だから、わたしは極力前向きで何も考えていないようなツイートに留めたいのだが・・・。

自分も、誤情報を流している可能性も正直自分が否定できないのだよなあ。
情報は内容と別に印象という物がはっきりとあるし、公式RTではなく部分的に断片化された非公式RTではどんな形で出回るのか想像もつかない。
ので、一日一回はホームで「@関連」を見るのを日課にしている。
そして現在、わたしをフォローして下さっている方とそのフォロワー数で考えれば、それは杞憂だと言う事を思い知るだけだが。(←一応、自嘲ギャグのつもりですけど

本当の想定外。

2011-03-27 07:17:37 | 雑感
放射能の拡散を不安視して帰国者が出る国には核兵器が存在するというこのブラックジョークのような現実を、わたしはどうやって考えれば良いのだろう?

東京にある各国大使館の人間などが西の方へと避難しているらしい。
場合によっては母国へ帰参しているとも伝えられている。

おかしいじゃないか。
福島第一発電所の事故は、確かにこう次々と悪化しているようなニュースが出てくれば不安になるのは人の情として当然ではあるが、考えて頂きたい。
別に福島上空で核兵器が炸裂した訳ではないと言う事を。

何を突飛な、と言われようともこれは歴然とした事実である。
他国を脅すのに核兵器の存在をちらつかせる外交、あるいはそれに対抗するための核の傘を持ち出したと言っても、所詮それは予定調和を期待するだけの物であり、現実に起こった事象には完全に想定外になってしまうと言うことを。

所詮、核兵器なんて天災の前ではがらくただ、と震災前のログに書き残していることを、我ながらどう考えて良い物か、さすがに頭が痛くもなるが、本当にその「まさか」が起きてしまえばご覧の通りだ。
人間の作る業の中でもとりわけ兵器に部類されるものなどガラクタだと思い、その中でも核兵器は使いどころもないガラクタの中のガラクタだと思っていたけど、まさか保有国まで使った後の事をみじんも考えていなかったとは。

これこそ、本当にわたしが今回判った「想定外」でした。
そして各国もまた同じでしょう。

それでも核保有します?
その分、自国の災害対策費用として積み立てておく方が有益な使い方だとは思いませんか?