「評論家」という最悪最低な職業の、更にその真似事

事象を己自身の価値判断で論じることはとても恥ずかしい事である。
ましてや一文にもならないのに書くなんてただのバカ

イントレランス。

2013-03-23 11:12:59 | 私見
 人と論議を交すのは楽しい。時に「なんでわかってくれないんだ」といらっとする事もあったとしても、同時に自分の器の小ささも見えてくる物であるし、頑固だと思っていた相手の目線は自分よりも遙かな高みにあるのだと知った時には自然と頭が下がる。
 人は限りある時の中で意志の決定を迫られる。その選択の末にあるのが相手の思考であり立脚点であるのならば、まずは落着いて話を聞くのも重要かとは思える。完璧にとはいかないにしても、その人がなぜそう考えるのか、その背景を知る事は、その人が歩んできた貴重な時間を知りうる事だから。

 しかし、それと「批判をするな」という話は全くの別問題である。
 どうしたって解り合えない事はある。解り合えない事を「無理矢理判れ」と言うのは相手の人生や経験を否定する事にもなりかねない。
 どんな人であろうとも、悲しみや苦しみを乗り越えての今日があるんだと思う。その悲しみや苦しみは人から「そんなことで」と言われ評価される類のものでは無いとも思う。いろんな人がいて、いろんな感じ方があるからこそ、そんな人たちが織りなす人の世は素敵なのだと思う。

 で、だ。
 どこまで話題になっているのかは判りかねるのだけど。
 前振りをちょっと長めにさせて貰う失礼をば。
 一世をある程度は風靡した漫画家……、わたし個人は漫画家という素敵な職を捨て、ただのヒョーロンカの一匹になりはてた人としか思えないのだが、まあ漫画も描けるヒョーロンカの小林よしのり氏。この御仁の目指す方向と、わたしがだらだらと書いている事は実の所あまり変わらないのだけど(安倍政権に懐疑的、原発は段階的に縮小しなければならない、TPP参加はメリットよりも禍の方が大きいだろうという予想)。
 だがしかし。小林氏が入る陣営はご当人の意志とは真逆に、さらにご当人が得意とする「悪」の手法により、知ではなく情で集まるので。論理的帰結よりも感情的な爆発が起き、結果目的と手段が逆転して手段こそが目的になり、最後がぐだぐだというか、結局災禍の根っこを残したままで運動が集結する、あるいはもっと厄介な連中(デモや抗議活動で自分の存在が実体よりも大きくなったと錯覚するような輩)が生み出されるので、小林氏が入る事は一利くらいはあるけど百害がある、とわたしは思っている。

 で、やっと本題。
 小林氏本人が入る事でも困るんだけど、さらにその部下。アシスタントである時浦兼氏がねぇ。

 おぞましい差別発言繰り返し、差別ではないと言い張る小林よしのりスタッフ時浦兼

 品が無いとか別段言いたい訳じゃない。
 安倍政権に対して警戒感を持つのは大事だろう。健康状態を含めて安部氏の政治家としての資質を問うのもありかと思う。

 しかし問題は、このツイートを読む事で一体誰が「安部氏の健康状態は政治家としてリスキーだ。早く政権を交代させた方が良い」と思うかと。
 いやあ、体を張ったギャグにしても見事に滑ってます。
 というか、むしろ時浦氏は安倍政権の存続を望んでいるんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろ。本当に反安部、反ネオリベ、というかアメリカ警戒の政治観なんだろうか。
 彼らが目的と手段を倒置したままで批判すれば批判するほど「敵の敵は味方」のような本多勝一理論もよろしく安倍政権へ人心は収束するのではなかろうか。
 今の日本の政治評価は民主党大躍進の辺り、あるいはそれよりも前から「あれよりはまし」という極めて消極的な判定方法であり、健康に難があってもTPPが「一部の国民」にとって災禍になっても「あれよりはマシ」で評価されるのではなかろうか。たとえTPPが「一部の国民」の災禍から次第に毒が全身を駆け巡るように回って体の半分を失う外科手術が必要になったとしても。
 「あれ」が復活するくらいなら、と。

 そのような意志に対して時浦氏の「下痢ピー」連呼はドン・キホーテが風車に向かう以上の愚かな行為として見えはしないか。
 かの陣営はオウムに狙われオウムと戦ったと言うが、その戦いから何を学んだのか、自らを悪とさえ言う小林氏には感じられない。
 つまり強大な陣営に対抗できるセルフプロデュースが全く感じられない。
 少なくともオウムは「知性」を柱とするセルフプロデュースで日本国に対峙した。日本国民は、一部とは言えその演出の前にころっとやられた。オウムに否定的な立場の者でさえオウムの幹部連中が何を言いだすのか着目していた。
 国家の敵ではあったが、その手法については再発を防ぐために、もっと分析しても良いのではと思われる。
 自らを「知性」でプロデュースをした上で、一般の個人が抱えていた日本国や日本国のシステムに不自由や不満をくすぶらせていた心理を顕在化させ意識さえ、さらには上祐という存在がそれらの不満に言語としてアウトプットしたことで人心の掌握を成し遂げたのだと思う。
 拒絶と承認に基準を設け、日本国や日本国の住人やシステムから認められない矮小な自己を一瞬で否定し、「本当の自分」なるオウムには承認される自分となる。
 敵がやった事とは言えまことにうまい手ではある。

 しかしだ。
 実はこの手法は週刊少年ジャンプやコロコロコミックで連載していた小林氏はむしろ得意としている分野でもあるはずなのだ。
 読者からイラストや茶魔語などを募集し、それを漫画で取上げラジオのDJのようなライブ感を演出する。
 よしりん先生に認められた子供がファンになり漫画を応援するのは無論必然。この手法はゴー宣でも多用されてはいたが、しかし小林氏は「キン肉マン」や「とっても! ラッキーマン」の域までは昇華しきれて無かったのかもしれない。
 それを端的に現わしているのが今回の時浦氏の件なのでは無かろうか。
 その手法をつぶさに分析し、どうしたら作品が売れるのかを検証続けており、そして知が多少でもある者ならば、時浦氏が「ネトウヨ」と断罪する一派にさえ多少でも人心が集うのかはわかるはず。
 彼らはオウムの幹部にならんとするもの、あるいはオウムに認められたいと欲する追っかけの心理よろしく満たされない自分を承認しない世の中を否定したいはずなのだ。
 自分を不遇の位置に置いているのが日本国というシステムではなく「在日」や「生保受給者」と評されるカテゴリーへと変化しているだけで。

 そういう状況を鑑みれば、安部首相に対してうんこだ、下痢だと騒ぎ立てるのはオウンゴール以外の意味は無い。

 しかし。
 時浦氏はおそらく自らを省みることはないだろうと思う。
 彼にはすでに罵倒を行う論理的な目的などないからだ。
 己の罵倒がわからない世間に対して、さらに罵倒を使って物申しているのである。
 つまり、時浦氏もまた世間に承認されたいのである。
 世に警句を出し続けている賢人として認めて欲しいと叫び続けているのである。
 不憫なことでもある。
 世は不寛容な者に対しては冷酷なまでに不寛容で応える。
 時浦氏の寛恕を得るにはその間口はあまりに狭く、さらにその承認を得られたとしても受けられる恩恵はあまりに小さい、と世間では思われているのだろう。

 ところで昨日思い出してTogetterの記事を探していた。
 こちらも漫画家……? と疑問符を付けざるを得ない、さかもと未明氏がやらかしたJALでの一件について、なにやら力説をしている人がいたことを思い出したので。

 さかもと未明女史、飛行機赤ちゃん大泣き事件で警察に自首をする。ちょこっと擁護した水野誠一氏を叩くママ軍団が怖い。言葉狩りは止めましょう。
 
 非常に時浦氏に似てる人だなあ、とつくづく思った。
 多分ご当人は自分こそが賢人であり、世の間違った事象を糺したい意欲に駆られ多数のまとめをつくり、多数の警句を発しているのだろうけど、人は彼の話に耳を貸そうとしない。
 彼は考える。集団で迫ってくる団体やネトウヨ層には自分の発言の真意はわからない、と。
 世の人には不寛容を貫き、自らを省みることはない。
 しかし世の人には認められたい。

 自らの変化は望まず、世には変化を求めようとする時。
 もしかしたら人は限りない孤独の牢獄に閉じ込められるのかも知れない。
 当人にとってそれが牢獄に見えているかは別の問題だが。

とは言えアグネスを好きになれるはずもなく

2013-03-14 12:42:25 | 私見
 さきほど「アグネス消滅して欲しい」と願う心について書かせて頂きました、が。
 んでも、こういう記事↓を見ると「消えろ!」と言いたい気持ちも判らないでもない。
 非喫煙者がたばこ吸いを蛇蝎のごとく嫌うのと同じ程度に、というか「どの口がそれを言う」という意味で。

 アグネス・チャンに講演を頼むと100万円? 一方有森裕子は無料 過去には雑誌とトラブルも!?


 でもですね。
 わたし自身がアグネスを嫌う理由はもちょっとちがうエリアにおいてです。

 児童ポルノ法改正が本国会提出に調整中
(アグネスちゃんこ鍋)

 わたし個人は児童ポルノの被害者がこの世から一人でもなくなるのだったら、児童ポルノ規制には賛同します。それが単純所持であってもです。

 ですけどね。
 単純所持規制が目的になっているのなら本末転倒だと思います。
 しかもそれが表現規制にまで行ってしまうのなら、「自分が嫌いな物をこの世から抹消するため」に「性的被害者を利用してる」としか、わたしの目には映りません。

 しかも、こういう規制をしたってですね。
 金や権力を一定以上に持ってる人は、ばれないように、発覚しないように、地位にダメージを受けないように、例えば東南アジアで親から、児童を買うんですよね。
 あるいは。
 地位も力もなくとも、「話したら君の親が苦しむよ」と卑怯な口止めをして反撃できない子供を襲う者を。

 アグネスは止めることができません。
 それどころか、そういう被害に遭っている子を救うことよりも、漫画やアニメの規制に夢中のような感じを受けます。

 なぜなんでしょう?

 アグネスの理屈では「それらの不適切な刺激がなくなれば、この世から性犯罪が全て消え去る」という感じなのだろうと推察されますが、何をか言わん。
 悪人がそうそう正義の味方の思い通りに動くはずないじゃないですか。
 本当の悪人は絶対、絶対、自分が反撃を受けないように周到に準備をしてから実行します。
 つまり、アグネスが狩ろうとして張る網にかかるのは、悪人ではなくただの普通の人しか掛かりません。

 ましてや。
 表現規制推進派の筆頭たる日本ユニセフ協会の中の人物の、その夫が女子高生に手を出したという有様で。
 取り締まりを強化する側の人間に、権力を持ち、性的搾取をしようとしてる人間がいる場合。

 アグネスが訴える事に、なんの意味があるのでしょう。


 アグネスにはもっともっと、実際に性的被害に遭ってしまった声なき声を聴いて欲しい、と切に願ってやみません。
 わたしは奇縁の末、幾人かの性的被害にあってしまった女性たちの、その声なき声を聴く機会を得てます。

 親が悲しむから言えない。
 こんなに親が悲しむことをしてしまったなんて、わたしさえ生まれてこなければ。

 そういう声なき声を、アグネスは一度でも聞いたことがあるのでしょうか。
 あってなお、その声をもっと聴きやすいものにするための環境や心を救済するための施設人員の設定を早急にするのではなくアニメやゲームや漫画にしか目が行かないのなら。その心は病んでいるとしか、わたしには思えません。体面に凝り固まり己が権力を振り回したい人物にしか思えません。

 そういう意味で、わたしはアグネスが嫌いです。
 はっきりと申します。一切妥協することなく嫌いです。
 警察の取り締まりの下なら撮影可能っていう児童ポルノもどきが蔓延してる事に一切目を瞑るがごとく、そちらは無視して「単純所持」と言うアグネスが嫌いです。

 ただ。消えて欲しい、存在がなくなって欲しいと思ったことは有りません。
 わたしは、アグネスではありませんので。


 最後に。
 性的な被害に遭われる子がどうか、どうかいませんように。
 そんな世になりますように。
 大人が、大人として、自分を自制できる世でありますように。
 子供が大人に守られ大人を信じられる、そんな世でありますように。

消滅(デスアピア)を望む心。

2013-03-14 08:08:08 | 私見
 自分は週刊少年サンデーばかり読み続けていた口なのですが、ここ数年は週刊ではなくゲッサンにシフトしておりました。
 理由は少年サンデーが少年ジャンプに近くなったから、と思えたから。余所から人を集めて雑誌の柱を作る、という手法はむしろ少年マガジンの常套手段ですが。それも成功を収めたようなので結構な話なんですが、なーんか、ちょっと読みたい物が足りないというかゲッサンの方があらゆる漫画誌の中でも抜きんでているのでどうせお金を出すならそっちの方が、になってしまったというか。

 そんな中。

 少年サンデー15号に掲載された「月光条例」がヤバいと話題 #weekly_sunday

 どうヤバイかは読む人次第。
 藤田和日郎先生の作品を長く読んでいる人には相当の衝撃がある、だろう事は予想されます、というかさっき「うしとら」ファンの妻にこの回の話をちらっと話したら戦慄してましたもん。「ゆるさん」と「またやったか」の間の複雑な感情で。

 ただ、この話を表現規制条例と絡めて話をすることにはちょっと「ん?」という感じが。
 そういう意図「もあるかも」、と言う気はします。
 ただ、藤田先生はもっと広い目線で「自分が見たくないものは見たくない権利、を越えて、見たくないものは存在するな」という社会の意志に対して物申してる気はします。

 表現規制もそのひとつに入るでしょう。
 有識者と言われる人達に「これは是、これは悪」と判断される事に作者はともかく、その物語に登場する人物は抗うことはできません。否と言われることも耐えられないかもしれませんが、「お前は是」と言われることだって、わたしだったら耐えられない。「勝手に量るな、決めるな、断定するな」と抗議したい。
 いくら物語の人物。架空の存在だと言っても。
 せっかくこの世に生まれたのに、人間界の是非判定にかかり「お前は世間を悪くする存在だ」と断定され。
 詰られ消えていくキャラクターたちに、もし。もし人格が存在しているとすれば。
 不遇を嘆く声が聞こえるのかもしれません。キャラに息を吹き込む作業をされてる作家にしてみれば。

 これは別に創作物に限った話ではありません。Togetterにも書きました藤田和日郎先生はかつて「うしおととら」にて、人間に故郷を奪われ追い出された末に凶悪になってしまった、本当は心優しい鎌鼬と、その鎌鼬に対し「事故があったからと撤去されたジャングルジム」の話を出して周りの人間、世間にとっては無用、危険と言われてもその人にとっては宝物を一方的に奪われ、蹂躙される悲しみを知るからこそ刺されようとする主人公の話を描いてます。

 これ。今の福島と重なる気もしてしまいます。

 そしてわたしは何も表現規制に反対したいから月光条例を持ち出したいわけじゃありません。
 表現規制を反対する側の人の中にだって、「アグネスの書くものは読みたくない」を超えて「アグネス存在するな」になっている方もいらっしゃるのでは。
 それは同じ立場の背中合わせと思います。
 権力が手中に入れば同じ長さで反対方向のベクトルに振れるだけの。

 誰しもが「自分が見たくない物を消滅(デスアピア)させたい世の中」、なのかもしれません。
 もっとも、大多数の方はそこまで執着はしないのですが、一旦その存在が鼻につくと消えてくれないと居心地が悪い。
 そんなものかと愚考します。

 最初に断っておきますが、わたしは非喫煙者です。
 肺が弱いのでたばこの煙はちょっと苦手です。
 ついでに言えば、喫煙される方が何時間前に何本吸ったかまで話す時の呼吸の匂いでわかるほどです。

 で。
 こちらをご覧ください↓

 福音館書店『たくさんのふしぎ』2010年2月号への抗議(子どもの受動喫煙について)

 言いたいこともわからないでもないのです。
 わたしはそれが気にならないだけなのだろうと思っております。
 喫煙者を忌避するまでになるのには、それなりの理由もあったんだろうとは思われます。
 それでも、悪の陣営にいる者としては「正義の味方」臭を感じてしまいます。
 非常に申し訳ない事ですが。

 ですが、特に非喫煙者、というか煙害で嫌な目に遭ってる方は同調するのでしょう。
 しかし、しかしですね。
 この本は終始パイプを咥えてる老人とその子供が穏やかに会話しております。
 このキャラクターを断罪し、死刑にし、あるいは嗜好やら性格やら人格やらまで改変させてしまうのは、月光条例にでてくる巨大な力と何が違うのか。

 嫌な物は見たくないを超えてしまった程の心情も、多少なら想像できるという点でわかるんですけど。
 それでもこの抗議が通った時、これを見た子供はどう育つか。
 喫煙者を抹殺しつくした後の世界が完成したのならともかく。
 その子は喫煙者にどう向き合うか。
 悪い想像が働くのは考えすぎでしょうか。

 消滅(デスアピア)を望む心。

 かつてドラえもんに「独裁者ボタン」と言う道具が出てくる回がありました。
 気に入らない人がいればボタン一つで消してしまえると言う道具で、最後にのび太は世界中の人間を消してしまいます。

 しかしです。
 本当に恐ろしいのは一種類の思想しか許されない世界が完成してしまった時のような気がします。
 その世界ではいつ自分が異端にならないか、常に怯えていないといけません。
 そう、いじめが存在する学校で、いじめられないために大多数の側につき、排除対象と決められた人物を集団で排除しないといけない、それをしない者はまた異端になる、という感じの。

 月光条例からちょっと離れてしまいましたが、異端として、無用として、有害物として。
 レッテルを張られ退場を余儀なくされる物語の主人公の断末魔が、聞こえるような話でした。

 ……そしてわれら人間の中にも。
 そういう目に遭ってる人もいる事実が、なお心を暗くさせます。

商品開発についての私見。

2013-03-13 20:49:13 | 私見
 本題に入る前にTBSって言えばもうひとつ、忘れられない話があったことを思い出しました。
 TBSの番組に「噂の東京マガジン」ってのがあり、その番組の企画に「平成の常識 やってTRY!」ってのがあるのですが。
 つまりそこら辺を歩いているお嬢さんたちに料理を作って貰うとかの方向で常識力を試し、できなければ笑う、って感じのあれですが。
 そのコーナーをたまたま見ていた時のメニューが「麻婆春雨」と来たんで椅子から転げ落ちそうになりました。過去の職務上、あらゆるメニューは一通り作れるわたしですが(※レシピがないと作れないものが圧倒的なのはもちろんです)、にしてもさすがに「麻婆春雨」だけは過去に作った事がありません。なぜならば……。
 番組が進み、一通りお嬢さんたちの手際を笑ったあとでいよいよ本職の調理師が登場し見本の麻婆春雨を作る段に。そこで出演者の誰だったかが遂に「聞いちゃダメなこと」を聞きました。つまり。

 「麻婆春雨って、一般的な中華料理ですか?」

 調理人は静かに答えました。

 「商品名ですね」

 噂の東京マガジンのスタッフ、ならびに出演者の全てが、麻婆春雨は一般的なメニューでは無く、永谷園が作ったオリジナルメニュー、加工食品の商品だと初めて知った瞬間でした。つーか、むしろ手料理とかする家庭こそ知らないメニューの筆頭でしょうに。常識がないってのはどっちの方だと。
 ちなみに、麻婆茄子ってメニューもありますが、あれは正しくは魚香茄子(ユイシャンチェーズ)。麻おばさん(麻婆)がナスやら春雨を料理したって話はあまり聞きませんな、TBS様。

 さてさて、しかし。
 一般的な中華料理と思われるまでの商品を開発された開発陣には脱帽です。その内トマト鍋やカレー鍋なんかも「やってTRY!」で作り方を聞く回が出るかも知れません。

 で、開発と言えば今日、こんな話がTogetterでまとめられてました。

 ちきりんさんのホッテントリへの反応と岩崎夏海氏の警告

 で、くだんのちきりん氏が書かれてる記事はこちら。

 自分の強みを活かすというアホらしい発想

 ↑読むと「なるほど」と手を打つのかも知れないですが、この記事にはいくつかの穴があります。

 まず1点目。
 ちきりん氏は「こう書けばわかるかな」と2つの例を出していますが、その例が具体的に何を指すのか明示してません。後者に関しては多分アップルだとは思うんですけど、それにしてもアップルの何を持って成功としてるのか、その成功は読んだ人のイメージに任せてます。i-MacなのかGUIなのかi-podなのかi-phoneなのかそれともi-padなのか。

 これ、結構話の組み立てとしてうまいですね。
 もしかしたらわたしが「アップルの事ですね」と思っている事さえ「はずれ」と言われる可能性だってあります。しかも「わからないの?」と更に具体的な名を出さずのままで。
 つまり「それは違うのでは」と論評したくてもその根拠の梯子を外される可能性があり得る訳で。少なくとも「ダメな会社批判」をするのならば印象操作ではなく具体的な例を使ってどこがダメで比して優秀な会社のどこが良いのかくらいは説明して欲しい所です。

 2点目。
 ちきりん氏の説明はたったひとつの特異な例をもって全体を語っている、可能性があります。成功例で出しているのがアップルを指しているのだとしたら。
 例えばMac対Windows。例えばネットスケープとIE。世界標準なんのそので日本国内では大ブームになってしまったi-modeなんかもありますね。

 世界が熱狂するような商品を外部から優秀な人材を集めて作ったとしても、それが世界を席巻できるかどうかは他にも色々なファクターが入り込みます。入り込むはずです。特にマイクロソフト対アップルの歴史を見てる人は切実に思うでしょう。

 しかもです。
 一例を持って全てを語れるのであるのならば、例えば今や世界企業になってしまったユニクロはかつて野菜を売ろうとした事があります。
 柳井社長としてはまさに「消費者が熱狂するほど欲しがるものを、世界中から他者の技術を集めてでも開発!」だったのではないでしょうか。

 ユニクロ野菜の失敗

 別にユニクロが野菜を売るなんて、と今更言いたい訳じゃありません。しかし極度に「消費者視線」を意識した商品ばかりを考えた時、それを扱えるだけの資質をどう補うのか。目標が高ければ高いほど欠落している資質を埋めなければいけないエリアが広がります。
 結果、ユニクロはより高い顧客ニーズ(高品質の衣料を、より安価に買えるというサービス→新しいタイプの衣料を纏う事での感動を与える)に舵を切り直し成功を収めました。
 そう、つまりちきりん氏がダメ出ししてる「自社の持つ圧倒的に優れた技術を活かして、商品開発!」の分野で、です。
 ただし、うまく成功してる人は自社が優れている分野に、更にプラスで「よそ者、若者、馬鹿者」の三者を加えて違う価値観で測る事を厭わない気はしますね。
 食品の商品開発の分野で成功例の1番に上がるのはそれまで三番手、四番手の位置にいたアサヒビールを一躍トップに駆け上がらせた「アサヒスーパードライ」ですが、対するキリンビールが出した「一番絞り」を作ったのは入社間も無い社員とお聞きします。

 自分が得意とする分野でありながら、それでも更にその価値を0として見られるよそ者や若者、さらに馬鹿者の目から見ても「欲しい」と思わせる商品が作れるか否か。

 ちょっと前の話ではキングジムの「ポメラ」なんかがそんな感じでしたね。発売するかどうかの役員会議でたったひとりの役員が「金を出しても買う」と言ったので「世の中にはこれを必要とする人が一定数いるはず」と発売が決まった、と。

 写真と動画で“見る”「ポメラ」の開発秘話

 そもそも(仮に成功例をアップル社としてるのなら)アップルだって熱狂的に売れる分野の畑があったとしても、自社が蓄積した技術力とはまったく畑違いのエリアに種を播いた訳じゃない事は、ここでわたしが書かなくてもおそらく皆さん知ってるはず。
 長いことウィンドウズ陣営と戦い続け、ウィンドウズと自社の相違を測った結果に見出した耕作地、それを少しずつ、少しずつ開拓し続けていった結果が、今実っている果実園なのではないか、とわたしは思う所存です。

 ・・・にしたって、その果実を安売りする韓国サムスン陣営との戦いになっている事を、ちきりん氏はどう説明するのやら。

TBSは怖い会社だよ。(耳は多少は貸すけど)

2013-03-13 11:42:33 | 私見
 安愚楽牧場と海江田民主党代表、そして楽天やもっと上の電通の話など書いてみたいと思っていたのですけど、こんな記事がポストセブンにあったので。内心「ポストセブンかー」と自身でも思うんだけど。

 TBSバラエティ出演女性「おかげで婚約破棄された」と涙の抗議

 うん。まあ、この抗議してる人の方が正しいのだろうね。何しろあのTBSだから。
 何しろ、というにはそれなりの理由がある。
 TBSと言えばでっち上げ証言を作り上げ不二家を追い詰めるだけ追い詰めたトンデモ会社だから。
 しかもこの件は未だに「証言はあった」「適正に調査した」と言い切ってるところがある意味すごい。

※不二家事件
 賞味期限が切れた材料を使っていたことが発覚した不二家に対し、TBS放送「みのもんたの朝ズバ!」が「複数から証言を得た」という説明の元、賞味期限切れのチョコレートを回収し、それを溶かし再利用してるという放映を行い、みのもんたからは企業倫理を激しく問われるという一連のキャンペーンが張られた件。
 しかし、そもそもアルミ箔に包まれているチョコレートの包装を剥ぐ人件費、LOOKチョコのようにチョコレート以外のものが混じっている商品からどのようにしてチョコレートを取り出すか工程が不明な点、さらに証言の工場はチョコレートではなくクッキーを作っているという矛盾を放置したままTBSは弾劾キャンペーンを張った。

 ……という経緯がありんす。
 つまり、TBSの立ち位置としては中途半端どころか矛盾有りまくりの話だとしても、それを根拠にして相手の企業活動を「今すぐ止めろ!」と言える、わけで。↓

 みの「廃業」発言で 不二家TBS提訴の可能性

 だから多分、というか十中八九、この女性が訴えている事は正しいとわたしは確信してます。
 どうもグルーポンのように、誘う時は相手にもメリットがあるように話して、いざ番組撮りになると二重脚本を渡される、って感じですねえ。

 TBSに関してはもう一つ、忘れられない二重脚本の件があります。今を遡る事、5年前。

 「アッコにおまかせ」の初音ミク特集があまりにもひどくて大騒ぎに

 この時、たまたまクリプトンの方の発言をリアルに見ていたのですが。
 その落ち込み方と言ったら半端な物ではなく。
 なんというか。
 TBSって仮にも深夜アニメとか流してる放送局、だと思っていたんですけど。
 あれって、半ばユーザーを軽蔑しながらながしていたのかな、とげんなりしたもんです。
 だから「けいおん!」とか見たことないんです、わたし。
 悔しくも「ソードアートオンライン」だけは観てしまいましたが。原作、好きなもんで。

 あ、ええと、ちょっと待ってください。
 今回のこの記事は「だから売国TBSは消えろ!」とかそんな意図では書いてません。
 むしろ逆です。
 「こんな局なんだから、流してるのは全部ウソくらいで観ておけよ」という事で。
 件の女性もお気の毒ですが、自分の彼女の言い分よりもTBSの番組を信じてしまうような彼氏は、あまり人としてどうかとは思われます。
 もっとも、彼氏にしてみればTBSの番組に協力するような彼女は、になるのかもしれませんが、その辺りはちょっと難しい所。

 ちなみに、このブログの最初の方に書いてますけど東日本大震災の時、取材クルーがガソリンスタンド待ちの行列に割り込むという現地からの指摘に対してTBSとフジテレビに中継して異議を申し立てたら、TBSの方は即時に社内調査を掛けたそうで。
 フジは知りません。(売国テレビ、と言いたい主旨はないですけど、震災特番の取材の際にお行儀が悪いのは多々報告が上がってましたね)

 まあ、テレビは良くも悪くも娯楽のためなら平気で人をだますし、カタルシスを満たすためなら企業のひとつを平気で潰そうとする(雪印乳業がいい例)。
 力を持ちすぎた2ちゃんねる、みたいなものと思っておけばいいのでは。