「評論家」という最悪最低な職業の、更にその真似事

事象を己自身の価値判断で論じることはとても恥ずかしい事である。
ましてや一文にもならないのに書くなんてただのバカ

茂木健一郎の京大批判への批判。

2011-03-10 03:38:45 | 疑似科学への反論
茂木健一郎氏がカンニングに対する京大の方針に反対をあちこちの場で表明している。

京都大学等におけるカンニング事件について

そんなこと、言い出すなら殊更衆目にさらされる映画「フェイスブック」の試写会の場で一席打たなくても直接京大に抗議に行けばいいのに。
衆目に晒されれば晒されるほど居た堪れなくなるのはこの子やこの子の親御さんじゃないの?

というか。
京大がここまであせったのは、可能性として
1)個人がやった
2)集団で不正行為を役割分担してやった
3)集団がこの不正行為を事業(情報の売買目的)でやった

という少なくとも3つ以上の可能性を考えたからではないだろうか。
責任が生じる人間は、一番楽観的な視線で物事を考えることは許されない。
普通は一番最悪のケースを想定して考える。

大学の自治権は確かに、なあ。
青臭い学生の頃にはその考えを大事に思ったりも(いや、多少の疑問は思いつつ、ですよ。自分も自治会だったので、あれが社会的に見たら非常識なのはよく知っているつもりです)したのですけどね。
ただ何しろ京大の映像で自治会のたて看板が写ったことに意義を申したてている人が知恵袋の中にもいたし。
それ以上に「自治の精神」なんて、今の学生には重いんじゃないかな。

まあ、こういう話をしようとして書いたログではないので本題に戻しますが。

わたしの言いたいことは二点。
学生を守りたいのなら擁護するような発言は、とくに有名人はよしたほうがいいと思う。
茂木氏も、そして辻仁成氏も。
当人を守ろうとするのなら自然に収束させた方が良いのは、たぶん、当人が一番望んでいると思う。

そして、責任の無い外野が、自分の思う理想を通すためにこの事件を利用するのは、もっと止めた方がいいと思う。

今回の件を機に、「入試を含めて大学を改革すべき」というのは唾棄すべき輩にしか見えないな。
そんなに学歴社会変更だの入試一発の結果で人生がどうこうと思っているんだったら普段から言えって言うの。
しかも、そういう人に限って高学歴=人生の勝者への道、という設定が頭の中にあるとしか思えない。

こちとら、叩き上げの職人の価値観しかないような馬鹿からしてみれば「てやんでぃ」だよ、まったく。
というか、ソニーも松下もホンダも皆、叩き上げの職人の工場から生まれた会社なのに、なぜ根っこを否定するのか、この阿呆日本人どもが。
だから国際的競争で遅れを取るようになったんじゃないかと思う。

学歴、つまり入試まで一生懸命こつこつと努力できる人間は、叩き上げるのに向いている、という価値観が昔にはあったんだろうけど(あと、学歴という人間関係が一番重要なんだけど)、いまではより効率的な学習法を学んだ方が勝ち、みたいな点もあるだろうから、こんな批判も出て来るのかもしれないけど。

まあ、有名でもなんでもない人がブログで書いたくらいなら世論にも影響はないからいいかもしれないけど、それなりに人の耳目を惹く人は、書く前にしゃべる前にもっと慎重な姿勢があったほうがいいと思う。

脳科学かなんだか知らないけど、頭を鍛えるのは頭を使うため、でしょ?
最悪の結果を考えない。
自分の行動の結果が物事へどんな影響があるかを創造もしない。
何よりも今、世間から忘れて欲しいと願っているはずの人のことを考えもできない。
頭を本当に使うべき所で使っているようには見えない行動をとる。

で、自説を滔々と語るために事件を使う。
そんな人は、だいっきらいです。