「評論家」という最悪最低な職業の、更にその真似事

事象を己自身の価値判断で論じることはとても恥ずかしい事である。
ましてや一文にもならないのに書くなんてただのバカ

イントレランス。

2013-03-23 11:12:59 | 私見
 人と論議を交すのは楽しい。時に「なんでわかってくれないんだ」といらっとする事もあったとしても、同時に自分の器の小ささも見えてくる物であるし、頑固だと思っていた相手の目線は自分よりも遙かな高みにあるのだと知った時には自然と頭が下がる。
 人は限りある時の中で意志の決定を迫られる。その選択の末にあるのが相手の思考であり立脚点であるのならば、まずは落着いて話を聞くのも重要かとは思える。完璧にとはいかないにしても、その人がなぜそう考えるのか、その背景を知る事は、その人が歩んできた貴重な時間を知りうる事だから。

 しかし、それと「批判をするな」という話は全くの別問題である。
 どうしたって解り合えない事はある。解り合えない事を「無理矢理判れ」と言うのは相手の人生や経験を否定する事にもなりかねない。
 どんな人であろうとも、悲しみや苦しみを乗り越えての今日があるんだと思う。その悲しみや苦しみは人から「そんなことで」と言われ評価される類のものでは無いとも思う。いろんな人がいて、いろんな感じ方があるからこそ、そんな人たちが織りなす人の世は素敵なのだと思う。

 で、だ。
 どこまで話題になっているのかは判りかねるのだけど。
 前振りをちょっと長めにさせて貰う失礼をば。
 一世をある程度は風靡した漫画家……、わたし個人は漫画家という素敵な職を捨て、ただのヒョーロンカの一匹になりはてた人としか思えないのだが、まあ漫画も描けるヒョーロンカの小林よしのり氏。この御仁の目指す方向と、わたしがだらだらと書いている事は実の所あまり変わらないのだけど(安倍政権に懐疑的、原発は段階的に縮小しなければならない、TPP参加はメリットよりも禍の方が大きいだろうという予想)。
 だがしかし。小林氏が入る陣営はご当人の意志とは真逆に、さらにご当人が得意とする「悪」の手法により、知ではなく情で集まるので。論理的帰結よりも感情的な爆発が起き、結果目的と手段が逆転して手段こそが目的になり、最後がぐだぐだというか、結局災禍の根っこを残したままで運動が集結する、あるいはもっと厄介な連中(デモや抗議活動で自分の存在が実体よりも大きくなったと錯覚するような輩)が生み出されるので、小林氏が入る事は一利くらいはあるけど百害がある、とわたしは思っている。

 で、やっと本題。
 小林氏本人が入る事でも困るんだけど、さらにその部下。アシスタントである時浦兼氏がねぇ。

 おぞましい差別発言繰り返し、差別ではないと言い張る小林よしのりスタッフ時浦兼

 品が無いとか別段言いたい訳じゃない。
 安倍政権に対して警戒感を持つのは大事だろう。健康状態を含めて安部氏の政治家としての資質を問うのもありかと思う。

 しかし問題は、このツイートを読む事で一体誰が「安部氏の健康状態は政治家としてリスキーだ。早く政権を交代させた方が良い」と思うかと。
 いやあ、体を張ったギャグにしても見事に滑ってます。
 というか、むしろ時浦氏は安倍政権の存続を望んでいるんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろ。本当に反安部、反ネオリベ、というかアメリカ警戒の政治観なんだろうか。
 彼らが目的と手段を倒置したままで批判すれば批判するほど「敵の敵は味方」のような本多勝一理論もよろしく安倍政権へ人心は収束するのではなかろうか。
 今の日本の政治評価は民主党大躍進の辺り、あるいはそれよりも前から「あれよりはまし」という極めて消極的な判定方法であり、健康に難があってもTPPが「一部の国民」にとって災禍になっても「あれよりはマシ」で評価されるのではなかろうか。たとえTPPが「一部の国民」の災禍から次第に毒が全身を駆け巡るように回って体の半分を失う外科手術が必要になったとしても。
 「あれ」が復活するくらいなら、と。

 そのような意志に対して時浦氏の「下痢ピー」連呼はドン・キホーテが風車に向かう以上の愚かな行為として見えはしないか。
 かの陣営はオウムに狙われオウムと戦ったと言うが、その戦いから何を学んだのか、自らを悪とさえ言う小林氏には感じられない。
 つまり強大な陣営に対抗できるセルフプロデュースが全く感じられない。
 少なくともオウムは「知性」を柱とするセルフプロデュースで日本国に対峙した。日本国民は、一部とは言えその演出の前にころっとやられた。オウムに否定的な立場の者でさえオウムの幹部連中が何を言いだすのか着目していた。
 国家の敵ではあったが、その手法については再発を防ぐために、もっと分析しても良いのではと思われる。
 自らを「知性」でプロデュースをした上で、一般の個人が抱えていた日本国や日本国のシステムに不自由や不満をくすぶらせていた心理を顕在化させ意識さえ、さらには上祐という存在がそれらの不満に言語としてアウトプットしたことで人心の掌握を成し遂げたのだと思う。
 拒絶と承認に基準を設け、日本国や日本国の住人やシステムから認められない矮小な自己を一瞬で否定し、「本当の自分」なるオウムには承認される自分となる。
 敵がやった事とは言えまことにうまい手ではある。

 しかしだ。
 実はこの手法は週刊少年ジャンプやコロコロコミックで連載していた小林氏はむしろ得意としている分野でもあるはずなのだ。
 読者からイラストや茶魔語などを募集し、それを漫画で取上げラジオのDJのようなライブ感を演出する。
 よしりん先生に認められた子供がファンになり漫画を応援するのは無論必然。この手法はゴー宣でも多用されてはいたが、しかし小林氏は「キン肉マン」や「とっても! ラッキーマン」の域までは昇華しきれて無かったのかもしれない。
 それを端的に現わしているのが今回の時浦氏の件なのでは無かろうか。
 その手法をつぶさに分析し、どうしたら作品が売れるのかを検証続けており、そして知が多少でもある者ならば、時浦氏が「ネトウヨ」と断罪する一派にさえ多少でも人心が集うのかはわかるはず。
 彼らはオウムの幹部にならんとするもの、あるいはオウムに認められたいと欲する追っかけの心理よろしく満たされない自分を承認しない世の中を否定したいはずなのだ。
 自分を不遇の位置に置いているのが日本国というシステムではなく「在日」や「生保受給者」と評されるカテゴリーへと変化しているだけで。

 そういう状況を鑑みれば、安部首相に対してうんこだ、下痢だと騒ぎ立てるのはオウンゴール以外の意味は無い。

 しかし。
 時浦氏はおそらく自らを省みることはないだろうと思う。
 彼にはすでに罵倒を行う論理的な目的などないからだ。
 己の罵倒がわからない世間に対して、さらに罵倒を使って物申しているのである。
 つまり、時浦氏もまた世間に承認されたいのである。
 世に警句を出し続けている賢人として認めて欲しいと叫び続けているのである。
 不憫なことでもある。
 世は不寛容な者に対しては冷酷なまでに不寛容で応える。
 時浦氏の寛恕を得るにはその間口はあまりに狭く、さらにその承認を得られたとしても受けられる恩恵はあまりに小さい、と世間では思われているのだろう。

 ところで昨日思い出してTogetterの記事を探していた。
 こちらも漫画家……? と疑問符を付けざるを得ない、さかもと未明氏がやらかしたJALでの一件について、なにやら力説をしている人がいたことを思い出したので。

 さかもと未明女史、飛行機赤ちゃん大泣き事件で警察に自首をする。ちょこっと擁護した水野誠一氏を叩くママ軍団が怖い。言葉狩りは止めましょう。
 
 非常に時浦氏に似てる人だなあ、とつくづく思った。
 多分ご当人は自分こそが賢人であり、世の間違った事象を糺したい意欲に駆られ多数のまとめをつくり、多数の警句を発しているのだろうけど、人は彼の話に耳を貸そうとしない。
 彼は考える。集団で迫ってくる団体やネトウヨ層には自分の発言の真意はわからない、と。
 世の人には不寛容を貫き、自らを省みることはない。
 しかし世の人には認められたい。

 自らの変化は望まず、世には変化を求めようとする時。
 もしかしたら人は限りない孤独の牢獄に閉じ込められるのかも知れない。
 当人にとってそれが牢獄に見えているかは別の問題だが。

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