「評論家」という最悪最低な職業の、更にその真似事

事象を己自身の価値判断で論じることはとても恥ずかしい事である。
ましてや一文にもならないのに書くなんてただのバカ

石原元東京都知事のぐらぐらさを、改めて考える

2013-03-12 06:39:13 | 私見
 今を遡ること2年前の3月11日の昼、12時。
 石原慎太郎氏が四期目の都知事立候補を表明したらその約3時間後に巨大な震災が日本を襲った。
 石原氏と言えばその前年、チリ津波で東北には大津波警報が、東京には津波注意報が発令されたのにも関わらず東京マラソンを強行し、マスコミからその点を指摘されたら「くだらねえ」と言い放った人物である。

 もし、本当に天が罰を下すために震災を起こしたのだとしたら、それは石原氏が言うように「民主党政権を誕生させてしまった国民に対する罰」なんだろうか。わたしは違うと思う。

 まあ、ここまでは刺身のツマである。
 石原氏が言いたいなら言えば良いだけだし、それを聞いたわたし達がどう評価をするかは個々の判断だと思う。

 わたしが遺憾に思うのは、その後である。
 石原氏はなぜか花見の自粛を出した。

 なんで?

 話をちょっと横に振るけど、石原氏と言えば憲法改憲論者である。自国は自国の民、強いては軍隊で守るべきという考えの人である。
 そこ事について、わたしにはどうこう思う事は無い。
 それは為政者を選んだ国民の総意だと思うし、決定されたら粛々と従うつもりでもある。

 しかし。
 その決定を下した為政者には、国民を戦地に送り出し、無辜の市民に相手を殺傷させ、あるいは戦死させ、残された家族を遺族にする「覚悟」がいる、とわたしには思う。

 そういう立場の人がね。
 自粛自粛、って童貞の感傷じゃあるまいし、なーにいってやがんだ、と。

 つか、民に寄生しすぎじゃね?(←規制の誤変換じゃありません、念のため)

 天災を食らっても、国土が戦地と化しても、為政者は民の命を数字に捉えて経済や国家を運営しなければならない。たとえ、鬼となっても。
 そんな覚悟もなく感傷的に「自粛しましょう」なんて、軽率に言っていいもんじゃない。
 そんな覚悟なら政治家になんてなるべきじゃない。

 と、わたしは思うのですが。

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