「評論家」という最悪最低な職業の、更にその真似事

事象を己自身の価値判断で論じることはとても恥ずかしい事である。
ましてや一文にもならないのに書くなんてただのバカ

とんちゃんの想い出

2011-02-15 14:36:59 | 雑感
こう毎日、右にも左にも喧嘩をふっかけるようなブログやら掲示板の書き込みをしていると、自分って阿呆だなあ、としみじみと思います。
ただ、どうしてもツッコミ入れたくて仕方が無くて、ツッコミ入れないと精神衛生的には気味が悪くて、で相手のブログに書くとコメント削除とか出入り禁止になることも多いし、おそらくニュース畑でも断トツの不掲載率やらコメント修正率ではないかとさえ思うわたしなのですが。

なんのためにやっているんでしょうね?
こんなもの書いたって、金にもならないって言う上に、人を不快にさせてまで。
賢い人だったら絶対政治系のブログなんてつくらないだろうなー、とか思っています。

そんな時に、あまり昔の事なんて思い出さないというか、思い出したくもない自分でも思い出す友人がいました。
あだなはとんちゃん。
品行方正で真面目な人で、いつも学生服の襟ホックを留めている男子でしたけど。
この彼って言うのが、まあ・・・。

「昨日、街宣車がうるさくてさあ」
とか言いだして。
「うるせえ、って喧嘩しちゃったよ」
とか始まります。
別にとんちゃん、喧嘩自慢をしている訳ではありませんでした。
本気でうるさいと思い、本気で抗議して、相手が聞く耳持たなかったからと相手が10名以上いたのに喧嘩してきた、という高校生でした。

かと思えばデモ行進の人とも路上で大口論になったとかで。

いつもはらはらしながら聞いていたのですけど。
なんだかなあ。
とんちゃん、最近自分もとんちゃんの気持ちが分かるようになってきた気がします。
自分の事を棚に上げて、社会が悪い、政治が悪い、マスコミが悪い、国民が悪いとシュプレヒコールする人を見たら、やっぱ、腹立ちますよねw

いやあ、思うのは勝手なんだけど。
批判するのは構わないんだけど。
でもさあ、心のどこかで「評論家みたいな事をしている自分」を恥じないって言うのは、やっぱりどうかな、と思うかもです。

というか、情弱とかマスゴミに操られている国民って指されるまじめに働く市井の人の方が、よっぽど話を聞いてためになるとしか思えませんし実際にそうですし。

違うと言われるのなら、自分は情弱のままでいいです。
どうせ、いつかは死ぬ訳ですし、自分がどう生きたかというあり方に政治とか社会とか、無縁ではないけど過大なほどの価値もないような気もします。
足下さえ見て自分の位置を決められるのであれば、どこにいても道には迷わないような気もします。
そういう智を、持ち合わせたいし、持つために努力したいとも思います。

まあ、自分なんざ半分耳を塞いで(ゲンダイとか週刊金曜日みたいなオ●ニーメディアはちょっとイカ臭くてね)いる訳ですから、智も揃わない訳ですが。

賢者は馬鹿の与太話の中からでもしっかりと聞くべき智を見極められる訳で、半人前以下の自分は、日々反省しかありません。

とんちゃん、不作法の友だけど、遠い空の下で貴方が元気であることをいつも考えてますよ、と結ばせて頂きます。


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