今月、ワタクシめでたく(おめでたく、が正しい?)誕生日を迎えました。
恒例になりつつある、友人との「映画鑑賞の日」を挙行するも、祝われる立場の私が「グッドシェパード」が見たい~と言うのに、却下され、彼女のリクエスト「幸せのレシピ」を見ることに・・・。
予告編を見るだけでおおかた予想がつくのだけれど、鼻っ柱の強い完璧主義者のシェフ、ケイト(キャサリンゼタジョーンズ)が、大らかでイタリア気質の料理人ニック(アーロンエッカート)に出会い、心を開いていく・・・そんなストーリー。
もともと、キャサリンゼタファンなので、この映画を見るのに異論は無かったが、基本は「エントラップメント」や「マスクオブゾロ」のお色気ムンムンなところとか、「シカゴ」の攻撃的な華やかさとかを期待するには、この映画、役不足な感が拭えず・・・。
何せ、タイトル「幸せのレシピ」つーのがイモ臭い。(詳細を知っても見るに差障り無い映画だと思うけど、どうしても知りたくない方は下の一区画はお読みになりません様。)
んが、実際見てみると、ゼタを見る為だけでなくても、私好みの映画でした。
妹の突然の死により、ヒロイン=ケイト(ゼタ)は、その妹の娘である姪の面倒を見ることになった。
が、その姪ゾーイーを引き取るまでは、自分の人生を自分で仕切って「完璧に」生きてきたのがケイト。
その完璧主義者ぶりは、職場の上司からセラピーを受ける様に指示されるくらい、度を越していた。
そこへ、ケイトの心の壁を打ち破るべく登場した料理人ニック。
この3人が、関わりを持ち始めることで、悲しみに閉ざしていたゾーイーの心も、ケイトの信じてきた「完璧な」人生も、ニックの知らず知らずのうちの「成功への恐れ」をも、氷解させた、という結末。
で、ここで注目したいのが、原題「No Reservations」。
この映画の中で、キーマンとして登場するセラピストの言葉に、「Life is unpredictable. (人生は予測不可能)」と言う台詞がある。
これこそが、私がこの映画から受け取ったメッセージ、そのもの。
人間、幸せになるためには・・・なんていうHow to (ハウツー)があるもの、と思い込んでしまう節があるけれど、そんなHow to = Recipe(レシピ)は存在しない。
(これが原題No Reservations=予約なしに繋がるのだと理解。)
ましてや、自分ではない「誰か」と関わることは、その予測を力ずくでひっくり返される可能性(と言うより危険性か?)をはらんでいる。
自分で予定だてる人生、それが本来の姿なのか?否、そうではない!
無理矢理にでもヒトと関わりあう人生、恋愛もそう、友情もそう、家族もそう。
だから、愉しい。だから、素敵。そう、それが人生なのだ。
使い古された言葉だけれど、C’est la vie!
この映画の中で姪ゾーイー役のアビゲイルブレスリンの演技は素晴らしかった。
それは子を持つ母親はもちろん、子を持たない私の扁平な胸まで締め付け、痛みすら感じるほど。
彼女の母親の墓前で「ママを忘れてしまうんじゃないか」と、恐怖するシーンがあるが、そこで私も絶句してしまった。
「愛するものを忘れてしまうかもしれない」そんな切羽詰った恐怖をひしひしと感じ、自分にも忘れたくない愛しい想い出があることに驚いた。
歳を重ねれば、誰しも抱くこの恐怖とこの子は戦っているんだ、と思うと、自然と涙が溢れた。
結論、この映画は和訳タイトルで損をしている。
「幸せのレシピ」なんて無い、のに、このタイトルだと「幸せになるためにはこうしたらいいのか~」なんていう、正反対な方向に思考が進んじゃうじゃないか!
ワーナーの責任者、出て来~い!(by 人生幸朗)
リメイクだからなんでしょうか・・・
シウもゾーイのセリフには心打たれました。
忘れたくない人と会えなくなってしまうと、
自分がその人を忘れてしまうのではないかという思いは
すごく辛いものです。
実際、将来、その人を忘れてしまった時には
そんな辛さも感じないはずなのですが
そういう将来の自分の姿が、今の自分には恐怖の元なのですよね。
小さな心にどんなに重いものを抱えているのかと
締め付けられる気分でした。
最近、子役の演技のすごさに、いつも感心します。
ペーパームーンのテイタムオニールを上回る子達が続々登場ですよね?
「子供と動物に勝るスターは居ない」と言われますが、まさにそれにハマってしまってます。
(ま、動物は別の話かもしれませんが。)