ハチメンドウ

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自我と嗜好の共存。

2012年02月08日 | Weblog

 世の文化人は不器用な人が多い気がする。好きなものや嫌いなものを、コミュを経て共感することによって確固たるものにしようとする。他に自我を意識する人は無条件で共感することを嫌い、共感を拒絶して自我を主張したりもする。

確かに人は一人では生きていけないし、共感というのはコミュで必要不可欠だろう。逆に価値観の多様性は容認されてしかるべきだとも思う。別段おかしいことではないが、自らの嗜好にすら自我を保つために処世術を使わずにはいられないというのは中々に不自由な話だと思う。

そもそも自我と嗜好は……いや、今だって相反するものではないはずである。とある嗜好に100人中、99人が好き、1人が嫌いだとする。100人中99人の側だが、これは自らの確固たる自我でもって好きだ。100人中1人の側だが、それでも俺はこれが嫌いだ。どちらかではない、どちらの側であっても確固たる自我をもってこそ、だ。

別にコミュを経て得た嗜好が全て紛い物であるというつもりはないが、いずれ嗜好に対して「どのように好きだった、嫌いだったか」ではなく、「どのように好かれていた、嫌われていたか」を主成分に語らない自信があるだろうか。悪いかどうかはともかく、そこに自我や嗜好があるかは疑わしい。

自我と嗜好は共存できる、相性はむしろいいぐらいだ。別に難しい話ではない、どちらも真実は自分の中にある。そんな簡単なことに気づくこともなければ、できもしないのだから、やはり世の文化人は不器用なのだとしみじみ思う。

 


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