クリアファイルのその中は

何気ない毎日は、何気なく良い。

うつるんです

2012-10-31 20:31:37 | 日記
ホラー映画・・・もっとも苦手とするジャンル。

それなのに映画の番宣CMは、いきなり容赦なく電波に乗り画面を占領する。

私はその瞬間息を止める。
なんだか同じ空気の中で呼吸すると≪うつる≫ような気がするのだ。

うつる=感染・・・!!!

きっとその時、それこそフジの写ルンですで写真を撮れば、心霊写真が写るんですよ、きっと。

そして悲鳴を上げている観客の恐怖が私にまで移るんです。

テレビの画面の暗い部分に、私の恐怖に怯えた顔が映るんです。

ああ~恐ろしい。


私の姉はホラー系が大好きで、姉は小さい頃は梅津かずおの漫画を笑いながら読んでいた。

今残っていればお宝なんだろうが、我が家にはソノシートの「へび少女」という朗読版梅津作品もあった。
もちろんそれには漫画本も付いていたので、視覚と聴覚にフルに使って「へび少女」の恐怖を体感していたのだ。

本人の意思とは裏腹に、姉と遊ぶときはそのレコードを聴いていた。
赤いソノシートがレコード盤の上でクルクル回り続けるのを、ただただジッと見る。
意識が螺旋状に麻痺していき、やがてスピーカーから聞こえてくる低く深い声が気にならなくなってくる。
一種の防衛本能だろうか。

そんなにも恐怖に怯えているくせに、子供ってわからないものだ。(自分のことだけれど)

私の友達が遊びに来た時、自ら進んでこのソノシートを回す。

「ウチに怖いレコードがあるんだよ」と、笑いながら。

そしてさも平気そうに振る舞い、怖がる友達に「怖いでしょう」と何故か自慢する。


「こんなのちっとも怖くない」と強がることがカッコいいとでも思っていたんだろうな。


でも実は平気なフリをする為に、後でありとあらゆる神様に祈り、知る限りのオマジナイを試みていたんである。

そして友達を怖がらせた罰に自分は怖い目にあうんだと脅迫観念に襲われていたのだ。


だから今でもホラーを観ると思うのだろう。

呪いが自分にうつるんですって。

バンパイアって言葉に誤魔化されるな!血を吸う鬼なんだよぉぉぉぉぉぉぉ

2012-10-24 22:56:00 | 日記
小さい頃、両親は夜遅くまで共働きで、私と姉は祖父母と留守番だった。

夜中に起きていても文句を言う者もいない。
深夜番組は見放題だった。


ある夜、姉と二人で吸血鬼の映画を観た。
モノクロのおどろおどろしい画像と音響に怯え、あの頃からホラーが苦手だ。

姉はと言えば、吸血鬼だろうが狼男だろうがキャッキャと
「バカみた~い」
と笑いながら観ていて、私が怖がるのも面白がっていた。


小さい頃に植えつけられた恐怖心は、いわゆるトラウマになって残る。

私にとって吸血鬼はまさに恐怖の中の恐怖なのだ。

なのに最近の映画と言いアメリカドラマといい、やたらと吸血鬼ものが多い。
しかも悔しい事に面白そうだ。

観たい。
怖い。
観たい。
怖い。

吸血鬼を美しく描こうが、
永遠の命ゆえの悲劇を表現しようが、
ヤツは怖ろしいモンスターなのだ。

とは言うものの、今まで何度か我慢して吸血鬼物を観たことがある。

その夜からしばらくはニンニクと十字架が枕元にある。
(迷信でもいい。とにかくお守りが無いと怖いんである)

今日は頼みのニンニクが無い。
「バンパイア・ダイアリー」は観るのをやめておこうっと。

石橋を叩いて渡る

2012-10-18 08:44:00 | 日記
私は≪思い立ったら即!≫というタイプだ。

一見、行動力のある人間に見られがちだが、本当は褒められる事ではない。
無鉄砲も程が過ぎると痛い目にあう。
その上反省もしないので懲りずに又軽率なことをする。

それでも一応私も石橋は叩いてみる。
♪コンコン♪と楽しげな音が鳴れば、橋の掛かっている川が三途の川でない限り、スキップして渡る。

ノンキというのか、世間知らずというのか・・・オメデタイ部類の人間なのだ。


私の友人に、物凄く慎重に行動する人がいる。
時間を掛けて綿密に調べ、ダメだと判断すると一歩を前に出ない。

だから彼女と一緒に行動する時は綿密な計画を立てなければいけない。
彼女が安心できる、しかも楽しそうに思えるような演出が必要となる。

無鉄砲な私が自制できるようになり、
慎重すぎる彼女はイージーゴーイングになる。

足して二で割るから丁度良い・・・
と思うところだが、実はそう上手くはいかない。

いざとなったら彼女はやっぱり動かない。

アヴィニヨンの橋の上でよろしく、輪になって踊ろうよ~と楽しげに誘っても
ゆずの栄光の架け橋を高らかに歌っても、
彼女はピクリとも動かない。

いや、動かないどころか、私がこれ以上軽挙妄動する前に、彼女は≪石橋を叩いて割る≫。

もう、渡れません。


老いては子に従え

2012-10-13 09:46:09 | 日記
奈良に引っ越す際、私の父が長男に囲碁盤をくれた。
日本産本榧(ほんかや)の碁盤に、ハマグリの碁石…相当な一品らしい。

当時長男は漫画「ヒカルの碁」の影響で囲碁に興味を持っていた。
しかし、実際打つとなると相手もいることで、勝負はネットでのみ行われていた。
この碁盤一式は6年間ずっと部屋の片隅に追いやられていたのだ。

昨日、急に長男が私に本を買ってきてくれた。
囲碁の入門本だ。

「いろいろ見たけど、これが1番分かりやすかった。」

齢50のボケ気味の母でも分かるだろうとのことだが、いつ私が囲碁をやりたいと言っただろう?

「だって母さん、囲碁盤が宝の持ち腐れって言ったじゃん。俺一人で打てないから母さんも覚えて。」


かなり理解力が衰退した母に過酷な注文。
しかも入門書まで自前で買ってくれたのにイヤとは言えない。

渋々ながらも本を読み、とりあえず息子と対局してみる。

深い・・・囲碁ってなんて深くて難解なゲームなんだろう。

ルールは分かっても最初の5手位でもう私の負けが決まってしまう。

     ギブアップ。

イマドキの子らしくすぐに「だせぇ」等と言う息子だが、私のトロい一手を黙って見ている。
マズイ所に打とうとすると、優しく解説もしてくれた。
辛抱強く私がまともに打てるのを待っているのだ。

へぇ~いつの間にそんな大人になったの?



碁盤を挟んで向かい合う息子が頼もしく思えた母だった。

思い立ったが何とやら

2012-10-10 00:57:22 | 日記
今日午前10時半、急に予定がキャンセルになった。

丁度その時、近鉄線のターミナル駅である大和西大寺駅に私はいた。

ここからは神戸~大阪、京都、三重、和歌山までそれぞれ乗り替え無しで動ける。


≪これってチャンスじゃない??≫

と、急に思い立ち、駅構内に置いてあった旅行チラシを手に取り思案を始める。

≪そうだ!家とは反対方面にとりあえず行ってみよう≫


思い立ったら吉日とばかりに奈良の南部方面の電車に飛び込む。

途中、伊勢神宮行きの特急電車を待ち合わせ時は、いっそ伊勢神宮まで行っちゃおうかな~とまで考えたほど行き当たりばったりの旅の始まり。


さすが古都・奈良だ。
どの駅のホームにも教科書や本などで目にしたことのある社寺仏閣や名所の案内看板がある。
どこで降りても見どころ満載。

そんな中で、ふと目についたのが「安倍文殊院」。
妙にその名前のゴロが心地よく、今日の行き先が決定した。

桜井という駅でとりあえず下車すると、ここから幾つか名所の候補に行けることが判明。

けっこうな田舎の駅なのに観光案内所があったので、そこで更に計画を練る。

「聖林寺」というお寺で特別拝観している十一面観音が観たくて、こちらを先に行くことにした。

1時間に1本のバス。
聖林寺を拝観した後、本来の目当ての文殊院までは歩きしかない。

社務者の方が「徒歩20分位」とのことなので指を差された方向に歩いてみた。

見知らぬ土地を、しかも何の下準備もないまま歩くので、行けども行けどもゴールが見えず、かなりの道のりのように思えた。


文殊院は思った以上に充実していて大満足であったが、時計を見るとまだ1時半。
「これはまだ他も行ける?」
と、桜井駅に戻りまたまた観光案内所へ。

一つ隣の駅の三輪山大神神社(おおみわじんじゃ)が近いので今度はJRに飛び乗る。

三輪山なんて奈良市内から考えると遠い山だけど、こうして行動してみると案外近いものだ。


こうして私の行き当たりばったり旅を終え帰宅。

ああ~なんて素敵な1日だったことでしょう。

今まで近所の(それでも世界遺産クラス)お寺ばかり巡っていたけれど、たまには遠出もいいもんで。

突拍子もなく始めた寺社巡りで、これまた急にご朱印が欲しくなり、各所で戴いてみた。

ご朱印集め・・・これからの楽しみがまた増えたな。