クリアファイルのその中は

何気ない毎日は、何気なく良い。

秋の夜長の楽しさよ

2012-09-29 17:46:07 | 日記
東大寺の西北に転害門(てがいもん)という古い門がある。
我が家から近鉄奈良駅に向かう、抜け道沿いにポツンを建っている。

奈良に越してきて以来、この門の名前が妙に気になっていた。
いつもこの辺りを通る時、心くすぐられていた。

昨日は近鉄奈良駅付近で仕事で、早く終わったら転害門に?等と思うくらい惹かれている。
(結局行けませんでしたが・・・)


≪害が転じる≫・・・なんだかそれだけでご利益がありそう。

ここは東大寺の一部。
しかも、東大寺に八幡のさまはこの門をくぐって東大寺に入られたそうな。

そんな有難い門なのに、観光スポットとしてイマイチ。
観光客は春日公園側から東大寺に向かうので、少し離れたこの門は遠いからだろうけれど。

第一、東大寺のHPでも扱いが物凄く小さく、なんだかザツな扱いに見えてしまう。


引っ越してくる前では、私も奈良の観光客だった。
ガイドブックに載っている古刹や名所を巡るのも、いわゆる≪有名どころ≫が中心。
確かにあの頃、転害門なんて存在は知らなかったと思う。

せっかく奈良の住人になったのだもの。
時間はたっぷりある。
急がず焦らず、こういった隠れた名所を訪ねて歩くチャンスがある。

な~んて幸せなことでしょう。

秋の夜長にHP巡りをし、「ここに行きたい、あそこにも行きたい」と楽しんでいる。

祇園精舎の鐘の音

2012-09-21 21:16:34 | 日記
子供の頃に観ていたNHK人形劇「八犬伝」。

そこで初めて辻村寿三郎という人形師を知った。

オドロオドロシイ人形なのに、子供心にも魅力を感じたのは、その人形の持つ「美しさ」だった。


ジュサブローの作る人形は、≪人間の醜い部分や弱い部分が引き立つ≫という印象だった。

人形は一つの表情しかない。
それなのに、怒らないはずの人形が怒りだし、泣かないはずの人形が涙する・・・そんな風に見えてくるのが不思議だ。



今日、京都の高島屋で開かれている「辻村寿三郎~平家物語縁起」を観てきた。




意外と小さな作品だったけれど、人形の持つパワーは圧巻だった。

HNKで大コケしてしまった「平清盛」ではあるが、先にこの人形展を日本中の人が観ていたら、今頃はNHKはウハウハものだったに違いない。
それほど人形たちに生のパワーがみなぎっていた。


絵画でも映画でも、「観る」ということをもっと楽しませるものは「想像力」だと思う。

一つの作品から自分ながらの想像力を働かせてその世界をもっと膨らませる作業は楽しいものだ。
私も今日は人形を見ながら、清盛をとりまく人々に勝手な物語を作って遊ぶという観覧を楽しんだ。

作り手であるジュサブローだって自分の想像力を駆使し、それを人形という作品に表現している。
観ている側がそこからイメージして、人形の世界観を感じ取る。

こんな風に作家と観覧者はお互いの想像力をぶつけあっているんだろうな。

これだから美術館巡りはやめられない。

だからと言って再婚する気も無い

2012-09-12 22:44:19 | 日記
先日出席した中学の同窓会で、離婚組の多いことに驚いてしまった。

一昔前までは、≪離婚≫すると恥ずかしいだの、子供がかわいそうだのと散々言われたものだが、
最近はその離婚率の高さから、離婚に対する暗いイメージは少なくなった。

我慢が足りないとか、わがままとか何かと言われるのは未だにあるが、離婚して不幸になる気はない。
幸せになろうと結婚したけれど、幸せになるための離婚も有りだもの。

で・・・思い出した。
私が高校生の時に初めてやった一人語りの話。




むかし 夫婦と言うもんは 背中合わせに生まれてきたと。

それだでお互い顔見れねぇ 見たくなっても顔見れねぇ これじゃあ寂しくて仕方ねぇ


そこで前と後ろが見えるよう、神様に頼みに行ったと

そしたらぽーんと音がして、片方はどっかへ飛んで行ったと


離れ離れになったはいいが 今度は悲しくて仕方ねぇ 

一人じゃ寂しくて生きていけねぇ

それでもう1度神様に頼みに行ったと


神様呆れて言うことに
「やれやれ勝手な人間だ。 それなら愛を与えるで 愛っちゅう力を与えるで 自分であちこち巡りいき、もう片方を見つけてこいや」

それだで夫婦っちゅうもんは、ほどよい相手と思うても 昔わかれた片割れと めぐり合えないその時は みんな別れていくんだと

赤色エレジー(悲歌)(避蚊でもマル)

2012-09-05 22:43:42 | 日記
まだまだ猛暑が続いている。

車に乗り込む時、ハンドルさえ握れない程熱が溜まっていたので、しばしドアを開けっ放しにしておいた。

頃合いを見て、しばらくしてから乗り込みいざ!出発。


5分位経ってからだろうか。
足の指の付け根が異常に痒くなってきた。

蚊だ。

1匹の蚊の羽音が狭い車の中で響いた。
先程ドアを開けていた時に侵入していたのだろう。

秋の蚊は俳句の季語になるくらいで、夏にかまれるより痒い。
シツコク痒い。

痒みの強い蚊の出現に秋を想う・・・

などと感傷に浸ることはない。
信号待ちで停止する度に左足でポンポン患部を蹴って痒みを誤魔化す。

蚊の羽音が気になるが、窓を開けようが手で追い払おうが、ヤツも必至だ。
こんなウマイ話は蚊にとってない。
逃げ場のない獲物(=私)が、どうぞ吸ってくださいとばかりに密室で座っているのだ。
続いて手の甲も餌食になった。

「まぁ良いか。せっかく血を分けてあげたのに、叩き潰すこともあるまい。」

と、仏の心で蚊を許す。

しかし・・・
家に着く頃には、ひじ、耳たぶも噛まれていた。

ヤツめ・・・よりによって痒い急所ばかりを噛みおって。


車から降りると、蚊も付いてきた。
まだ吸うつもりか?
耳元でぶ~~~んと飛ぶ蚊に、両手でパチンと叩いてみたら、見事命中。

仏の心はどこへやら。

潰した蚊と共に、吸われたであろう私の血も手に付いた。

あんなに一生懸命噛んでたったこれだけの血。
はかないものだ。

見逃してやれば良かったな、と、ちょっぴり後悔した夜だった。

故郷は遠きにありて思うもの

2012-09-01 22:04:20 | 日記
奈良生活6年。
なんとなく言葉も感化されてきたが、中途半端な関西弁を使うのはみっともない。
だったら標準語で通した方がいいと思っている。(出身は東京じゃないけれど・・)

買い物などをして話をすると、いつもなら「関東の方ですか?」と聞かれるのだが、
今回久しぶりにある言葉を聞いた。

【お国はどちらですか?】

最近めっきり聞かなくなった言葉だ。
(イマドキの子達は「は?日本だけどぉ?」って言いそう・・・)

でも私はこのフレーズがけっこう好きだ。

「出身はどちら?」と聞かれるよりもずっといい。
なんとなく他人行儀で、事務的に聞かれたような感じだ。

でも「お国」って言葉にはなんだか温かみがある。

「お国」という響きの中に山や海の故郷の風景が見えてくる。
「お国なまり」の方言も聞こえてくる。

そしてついつい聞かれもしないのに、「お国自慢」なんかをしてしまっても許されるような気がする。


とはいえ、私も誰かに出身地を聞く時は
「出身はどちら?」って聞くだろうな。

昭和の生まれであるけれども、平成の世に生きているからね。