クリアファイルのその中は

何気ない毎日は、何気なく良い。

チッチとサリーに憧れたけれども・・・私は170センチなので儚い夢だった

2012-08-23 20:39:01 | 日記
先日いきなり長男が彼女を連れて帰ってきた。

肩をぎゅっと抱き寄せて

「はい、彼女です」

と、私に紹介。
あまりにもふいだったのと、大胆に抱き寄せていたのを見て、言葉に詰まった。


本当は気の利いた言葉をかけたかったのに・・・

「こんばんは。ごめんね、変な息子で。」

等という、ワケのわからない事を言ってしまった。
けっこう焦っていたのかもしれない。

第一印象で「やぼったいお母さん」と思われやしなかったか?と不安になった。
やっぱり「素敵なお母さんね」と思われたい母心なり。

今度会う時はもう少しオシャレな会話をしようと秘かに決心する。

息子から彼女情報毎日少しずつキャッチし、気の利いた会話を考えて次回の再会を待つ。



が・・・

実は二人を見た瞬間、

「チッチとサリーみたいでいいわね」と思ったのだ。

178センチの息子に148センチの彼女、思い出すのはあの漫画しかない。

ああ、でも言わなくて良かった。
きっとこの話題が分かるのは昭和40年代生まれでもギリギリだろうから。


あれこれシミュレーションはしたけれど、
≪余計なことを言わない≫
これが一番オシャレでスマートな会話でしょう。




終戦記念日なので

2012-08-15 23:27:27 | 日記
ブログを始めてほぼ10年・・・
幾度となく書いています。
過去に何度も同じ日記を目にされた方々、シツコクてご免なさい。



≪戦火を生き抜いた市松人形≫



実家に赤い着物を着て、ややうつむき加減の市松人形がある。

小さい頃は寝室のたんすの上に置いてあり、毎晩上から見下ろす人形が怖くて眠れなかった。

母に「こわいよ」と言うと、

 「この人形は(母の)お父さんが戦前に買ってくれたのよ。
名古屋の空襲で家は無くなったけど、これは燃えずに残った人形だから、きっと皆を守ってくれるよ。」

そんな話を聞いても、幼かった私はどうしてもその人形が好きになれなかった。、
眠りにつけない夜などは、人形が動き出す妄想に駆られたりしたものだった。


今でも世界のあちこちで戦火が上がり、悲劇は繰り返し起きている。

ある雑誌で、無表情の女の子が人形をしっかり握り締めている写真を見て、昔聞いた母の話が蘇った。


 「名古屋が空襲された時、おばあちゃん達と押入れの中に入り【南無阿弥陀仏】ってず~っと唱えてたよ。 
 いつでも逃げられるようにリュックを用意してね、空襲警報のたびに持って走ったんだよ。」



大人になって、やっとあの人形を初めて真正面から見られるようになった。

唇の端を少し上げて微笑している。
髪の毛は少しザンバラになってはいるけれど、どこにも焦げ目等無い。

空襲の度にこの子をしっかり抱え、母は戦火の中を走り抜けたのだろう。


人形を守った母に応える様に、この子は私達を守っていてくれる。

今ではそんな風に思える。



お転婆娘って萌えるのね・・・

2012-08-07 20:05:39 | 日記
マイミクさんが「私は小さい頃おてんばだった」
と書かれたコメントを見て、ふと思った。
お転婆なんて言える年齢はいつ頃までなんだろう?
20歳もちょっと過ぎるともう使われないかもしれない。

小さい頃は「おしとやかに」なんて気にせず元気に行動する。
それが「おてんばさん」なんていう可愛らしい捉え方になる。

ちょっと色気の出てきた年頃には「しとやかさ」に気を付け始め、おてんばから卒業する。
おてんばと言われるなくなった頃から恥じらいやしとやかさを身に着けるってことなのかしら。

それにしても、小さな子とか若年層にむけて使われる言葉なのに漢字にすると≪お転婆≫になるのは何故?

検索サイト調べてたら諸説いろいろあるが、【しとやさかに欠ける活発な女の子】というのがその意味となっていた。

そして≪お転婆≫は当て字であることが分かったのだが、婆になったら活発に振る舞えない。
むしろ動きがどん臭くなる一方なのに。
なぜ婆に転じるなんていう当て字にしたのか。

つまり動きという点にリンクしたのじゃなく、
世間一般の見方で婆=【しとやかさに欠ける】という点だからなのか??

しとやかさに気を付ける年代になってお転婆から卒業した。
これは小さい子から見れば、より婆に近い年齢になった。
年齢的に婆に転じ始めたのに卒業とはこれ如何に。

うーん・・・考えれ考えるほど「婆」の当て字が謎だ。

眠れない夜に羊を数える代わりに考えてみようっと。






余談。

「お転婆」を検索していたら、とあるサイトにヒットした。
ニコニコ動画のサイト「ニコニコ大百科」。

>古くから定着している萌え要素の1つ。

ニコニコらしく、萌え要素の一つという解釈は笑える。

あゝ、でも確かにそう。
キャンディキャンディとか、ハイカラさんが通るとか・・・お転婆でおきゃんな女の子はモテる。

パンツがいつも半見えのなのに、優等生のイメージが付きまとうワカメちゃんよりも、
パンツがいつも丸見えで木登りなんかしている女の子の方が可愛い。(あくまでも私見)(笑)

そうだ、手紙を書こう

2012-08-03 21:17:50 | 日記
≪ペンフレンド募集≫

などという言葉はもう死語だ。
今は老若男女作るのは≪メル友≫か。
その≪メル友≫さえ、すでに過去の産物となりつつある。


昔は雑誌などに「文通コーナー」があり、全国津々浦々から投稿があった。
全国区の雑誌に自分の住所・氏名をしっかり載せて募集していたから、今思うと本当に平和だった。
あの頃は個人情報をわざわざ法律で守らなくたって、犯罪に発展することは無かったんだろう。

私も小・中学校の頃は何人かの人と文通をしていた。
いつの間にか音信不通になっていったが、イヤな思いをした記憶があまりない。

現在はソーシャルネットワークをいろいろ活用しているが、ネット上では人間関係が希薄ということが安心感を生むのか、
いわゆるマイミクだのマイフレだのの人数はペンフレンドの比ではない。
すぐにネット上の友達が出来てしまう。
そして簡単に仲間になれるように、あっさり別れもやってくる。
それはそれで上手く利用すればいいのだが・・・

やっぱり変な世界。


最近お邪魔しているブログの方は、おそらく私より少し年上の方かと思われるのだが、
その方のブログにコメントを残すと

≪むーさん、こんばんは(≪おはようございます≫)≫

と挨拶を書かれて返信コメントをくださる。

別段特別なことではないのだが、この挨拶が妙に新鮮でうれしい。
ふだん他のブログでは、宛名の後にいきなり「そうなのよ~」みたいに話が始まっている。
私もそのパターンで書いているし、多分これから先もこのスタイルだと思う。

当たり前の挨拶を抜くのが普通になっているネット上での会話。
「お手軽に使える」スタイルの良し悪しにとやかく言うつもりはないけれども、挨拶ひとつで
気持ちよくなれることを再認識している。


ちなみに私は未だにメールより手紙の方が好き。
季節の挨拶や、相手の様子を聞き、自分の近況を報告してやっと本題に入るという≪間≫。
長々と綴られる文章は、決して無駄な前書きじゃないのが良い。
メールではこれは出来ないものね。