「よばい」を「夜這い」だと思っていた人(私がそうでした)、そりゃヤバイっすよ。
平安の御代、男が女のもとへ夜な夜な通ったという「通い婚」という風習があったそうな。いかにも親の目を盗んで忍び込んだように思われています。だから、「よばい」はすなわち「夜這い」で、男は「ほふく前進」しながら、こっそり忍び入ったんだろう・・・と、フツーは思うわけです。
でも、本当の意味は違っていました。
当時、女(すなわち娘)は母親の厳重な管理下に置かれ、ヨソの者に名を明かすことは決してしなかったそうです(ホンマかいな?)。で、心通わす男女の仲がネンゴロになった証(あかし)に、お互いの名前を教え合うのだといいます。名前を知り、お互いにその名を呼び合う、そこで初めて二人の関係が親密になるというわけ。
その「呼び合う(ふ)」が連用形になり「呼び合い(ひ)」となり、短縮されて「呼ばい」となったもの、というのが語源の解説でした。「夜這い」なんて、ぜ~んぜん関係なかった。ほふく前進して逢いに来たなんてのは、よからぬ妄想というもの。
「通い婚」が認められても、しばらくは「お試し期間」らしく、ようやく正式に(?)夫婦になったとき、女は母の住む「母屋(おもや)」から独立した別宅(同じ敷地内だったらしいけど)の「妻屋(つまや)」へ移り、夫はそっちへ通うようになる。もはや、誰はばかることなく「呼ばふ」ことになる、という寸法です。
「母屋」ですが、中世までは家長は母だったんですね。いわゆる母系家族の証として、こういう言い方をしていたんでしょうか。「父屋」とは言わないもんネ。「おもや」の「おも」は、韓国語の「オムニ(お母さん)」とも通じていそうな気がします。
「蜻蛉日記」の作者、「道綱の母」なども、後世に本名を残していません。ことほどさように、女の名前は口外されなかったわけです。名を「呼ばふ」ことの親密さが、これからも分かろうというものです。
平安の御代、男が女のもとへ夜な夜な通ったという「通い婚」という風習があったそうな。いかにも親の目を盗んで忍び込んだように思われています。だから、「よばい」はすなわち「夜這い」で、男は「ほふく前進」しながら、こっそり忍び入ったんだろう・・・と、フツーは思うわけです。
でも、本当の意味は違っていました。
当時、女(すなわち娘)は母親の厳重な管理下に置かれ、ヨソの者に名を明かすことは決してしなかったそうです(ホンマかいな?)。で、心通わす男女の仲がネンゴロになった証(あかし)に、お互いの名前を教え合うのだといいます。名前を知り、お互いにその名を呼び合う、そこで初めて二人の関係が親密になるというわけ。
その「呼び合う(ふ)」が連用形になり「呼び合い(ひ)」となり、短縮されて「呼ばい」となったもの、というのが語源の解説でした。「夜這い」なんて、ぜ~んぜん関係なかった。ほふく前進して逢いに来たなんてのは、よからぬ妄想というもの。
「通い婚」が認められても、しばらくは「お試し期間」らしく、ようやく正式に(?)夫婦になったとき、女は母の住む「母屋(おもや)」から独立した別宅(同じ敷地内だったらしいけど)の「妻屋(つまや)」へ移り、夫はそっちへ通うようになる。もはや、誰はばかることなく「呼ばふ」ことになる、という寸法です。
「母屋」ですが、中世までは家長は母だったんですね。いわゆる母系家族の証として、こういう言い方をしていたんでしょうか。「父屋」とは言わないもんネ。「おもや」の「おも」は、韓国語の「オムニ(お母さん)」とも通じていそうな気がします。
「蜻蛉日記」の作者、「道綱の母」なども、後世に本名を残していません。ことほどさように、女の名前は口外されなかったわけです。名を「呼ばふ」ことの親密さが、これからも分かろうというものです。
夜、這って逢いに行く、というのが、いかにも「絵になる」姿のため、当て字として伝わったんじゃないでしょうか。狼の遠吠えみたいで、呼び合う姿はあまり色っぽいとはいえませんから。
でも、これが、夜の暗がりの下で、「山」、「川」のように、互いの名前を呼び合って相手を確認したとすれば、逢瀬の「呼ばふ」姿も、けっこう趣きがあるではありませんか。(^^)
夜這いという言葉を大学で研究した結果として同じ話を授業でしていた