午後六時半頃に起きた時、喉は痛み頭痛がし体もだるく、喉は今もまだ痛んでいる。
冷房の室温設定は二十五度であり、リビングの中では冷房装置から一番離れた処に寝ていたのである。勿論、これへの抗議に対する妖怪による返答は「うるさいっ」であった。
斯様な冷房による就寝中の風邪引きと言うものは、この夏でも年中のことなのであるが、今回は特に程度が厳しいものがあったのである。
そして、、暑さ湿気攻撃で不快な環境になった為、嫌々冷房を付けたところ、今度はその冷気を風邪気味の私に送り付けてくるのであった。どんなに言っても止めることはなかった。午後八時半頃のことである。
なぜ斯様な些事を私如きが記すか?
正月・GW・お盆休み・クリスマス・年末・三連休。 これらの時期に妖怪(とその夫)は『必ず』大騒動を起すのであるが、、これらの中でも一番大きな程度の騒ぎを夫婦が起すのが「お盆休み」の時期なのである。
ある年のお盆休みの時など、、余りに妖怪らが凄まじい騒動を起すのでここでの者らの手に余り、長期休暇に入っていた幹部がわざわざ休暇を打ち切り、まだ休みが三日以上も残っているにも拘らず、急遽仙台に帰って来た程なのである。
つまり、、この状態で行くならば、これから先お盆休みへと凄まじい騒動になって行くのは間違いないことであり、私如きなりに酷く憂鬱なのである。
そして、、
この妖怪の悠長さ、その悠長さを惹起する出入りの若者のノンビリさ、またそのノンビリさを作り出している団体現幹部の有様を見ていると、、
所詮連れ出し圧力とは言っても、それは菅原の馬鹿を一時でも宥める為のものに過ぎず、真剣さには欠けたものなのではないか? という疑念を団体サイドの人達に尋ねたくなるのである。
そして更に、、
詳しいこと、真相はさらさらに私なぞには解らないことであるのだが、もしこの疑念が正しいとするならば、最早私自身が実力行使に踏み切るしか他に道はなし、とのある種追い詰められた想いを禁じ得なくなって来るのである。