りりあんのめーぷるしろっぷ

季節感あふれる身辺雑記。

スペースシャトルとテレジンの子どもたち

2005-07-27 | Weblog
延期になっていたスペースシャトル「ディスカバリー号」打ち上げの生映像を見ながら、この文章を書いています。いまのところ順調ですが、あと30分ほどたって地球周回軌道に乗ってはじめて成功といえるのだそうです。このまま順調にミッションを終えて、乗組員のみなさんが無事に帰還されますように。

前回打ち上げられたスペースシャトル「コロンビア号」が発進直後に爆発した瞬間の映像は、テレビ画面で見ていても震えがくるほど衝撃的でした。
「コロンビア号」にはイスラエル人初の宇宙飛行士イラン・ラモン大佐が乗り組んでいました。ホロコーストを生き抜かれたご両親をもつラモン大佐は、一枚の絵を持っていたそうです。その絵は、チェコのテレジン強制収容所の少年たちが、ナチスに隠れて発行していた雑誌『ヴェデム』(チェコ語で、私たちは導くという意味)に掲載されたものでした。テレジンの少年たちは星に向かって飛んでいくロケットをシンボルマークにしていました。そのシンボルマークには、少年たちを乗せたロケットが希望の星へ飛んでいくという意味が託されていたそうです。

「憎しみや、数多くの悪意によって
 一般社会から引き裂かれた僕たちは、
 自分の心を憎しみや悪意で固めたりしません。
 隣人への愛と、人種差別、宗教差別、民族差別への反対が、
 現在も、将来も、僕たちのまず最初の法律になります」
 (林幸子著『テレジンの子どもたちから』収録。「僕たちの自治会の発足宣言」  より)

ロンドン、エジプトと爆破テロが頻発しているこの時期だからこそ、1942年にチェコの少年が書き記した言葉をじっくり噛みしめたいと思います。

7月30日午後10:10~11:00にNHK BS1で
「子どもたちはペンをとった~テレジン強制収容所」が放送される予定です。去年、ハイビジョンで放送された番組の再放送(時間が本放送より短いので、再編集版なのでしょうか)ですが、少年たちが書き綴った文章を竜也さんが心に沁みる声で朗読しています。
そういえば、去年、なるべく多くの人に見て欲しい番組だから、地上波で再放送してくださいと放送局にお願いのメールを送ったのを思い出しました。今回の再放送、少しでも多くの方々に見ていただきたいと思っています。


もう一人の詩人

2005-07-09 | Weblog
この二年ばかり、若い男性が主人公の小説を読むと、いつのまにか竜也さんの容姿におきかえて読んでしまい、読み終えたあとで、この作品を映像化するのは無理だろうとか、この場面は映像にするときれいだろうな、などと想像をふくらませることが多い――これって、かなり不純な小説の読み方だなぁ・・・と思わなくもないけど。

で、このあいだ若き詩人を主人公にした小説を読みました。『一月物語』(by平野啓一郎)という小説ですが、時代設定は明治30年。場所は奈良県十津川村往仙岳の山中。25歳の詩人、井原真折(いはらまさき)が揚羽蝶に誘われて山道を踏み迷い、毒蛇にくるぶしを噛まれて倒れるところから物語は始まります。
真折はこんな青年です。
「容(かんばせ)は頗る美しい。が、その深い眼窩には、赭みがかった銅版に、鋭利な針で幾重にも線を刻んだような翳が差している」
内面に鬱屈をかかえたこの美しい青年の出で立ちは、こんなふうです。
「白薩摩に小倉の袴、流石に高下駄は草鞋に穿き替えているが・・・」(明治の書生風ですね。個人的に好みなんです)。
蛇毒に倒れた真折は老僧に助けられ、傷が癒えるまで世俗から隔絶した山寺に逗留することになるのですが、この現実とも幻とも分かちがたい幽境で、彼は運命の女に出会うのです。
この愛は真折が命を賭けることでしか成就しない愛、しかも成就した瞬間に失われる愛でした。

「卒塔婆小町」の詩人と微妙に重なりあう井原真折の幻想的な物語は描写も妖しく美しく、運命の女との出会い(撫子と身毒丸の行水場面の逆バージョン)から、真折が高熱に浮かされながらも情熱に突き動かされて運命の愛に殉ずる終盤へと、物語のどの流れも頭の中で自然に映像になって浮かんできます。

「弱法師」を演じている最中に、「卒塔婆小町」の詩人も演じてみたいと言った竜也さん。井原真折も演じていただけないかと妄想しています。こちらの詩人は映像のほうで。wowowが見ごたえのある質の高いドラマ作りをしている「ドラマw」なんかで、どうでしょうか。 


『七月七日に』とりとめもなく・・・

2005-07-07 | Weblog
今日はいわずと知れた七夕ですが、個人的には、私のDa入会一周年記念日でもございます。ぼろな記憶力のせいで、しまった!と思うことが多々あるので、覚えやすい日に入会したというわけです。生まれて初めてのファンクラブということで、入会前にはさんざん悩んだのが嘘のように、今は時折更新されるギャラリーやメッセージを目一杯楽しませていただいています。

天の川に引き離された牽牛星と織姫星が7月7日の夜、年に一度の逢瀬を楽しむという伝説は中国起源だったでしょうか。
一説によると、古代マヤの人びとは、天の川のことを死者が冥界へと旅をする道と考えていたそうです。古代マヤといえば、昨日の西日本新聞に「笛奏でたマヤ王家の子」という見出しの記事が載っていました。「ホンジュラスにあるマヤ文明コパン遺跡で、6世紀後半ごろの王家の関係者とみられる子どもの人骨が豪華な副葬品とともに発見された」そうです。人骨は推定12歳くらいの少年で、出土した副葬品は、土製の3連のたて笛や貝製の楽器類、翡翠の胸飾りなど。古代マヤの王子はどんな調べを奏でていたんでしょうね。
翌日のやはり西日本新聞には「彗星に衝突体命中」の見出しがありました。映画「ディープ・インパクト」は私も映画館で観ました。彗星が地球に衝突した瞬間の映像は迫力がありました。6500万年前の同じ現象でティサノザウルス・レックスを筆頭とする恐竜が絶滅したという説もありましたね。恐竜絶滅の原因をもたらした彗星は、中米のユカタン半島に衝突し、その時にできたクレーターの跡があるというのですが、クレーターの調査による証明はまだのようです。

今日の記事のタイトルに拝借した『七月七日に』は、私が大好きだった大島弓子さんの漫画のタイトルです。この漫画を読んだのは大昔のことなので、細かいストーリーは忘れてしまいましたが、女性にしては何故か体格のいいお母さんと血のつながらない娘の話でした。まだ幼い娘を残して、両親が事故死したあと、どこからともなく現れて、今日から私があなたの母親になりますと宣言した現在のお母さんは、じつは娘の父親に、秘かに思いを寄せていた青年で、愛する人の娘がなんとか一人で生きていけるようになるまで彼女を守り育てると、7月7日に本来の青年の姿に戻って、娘の前から姿を消す――こんな話だったと思います。何より心に残ったのは最後のシーン。それまで着ていた着物と割烹着をぬいで、白いシャツに黒のズボン(身毒丸スタイルです)に着替えた青年が縁側に膝をついているとっても美しいカットでした。私のなかでは、「デビルマン」の最後のカット(白い翼をつけた堕天使ルシファー)に匹敵します。
とりとめのない話はこのへんにして、Da更新手続きでもしてきます。