りりあんのめーぷるしろっぷ

季節感あふれる身辺雑記。

もう一人の詩人

2005-07-09 | Weblog
この二年ばかり、若い男性が主人公の小説を読むと、いつのまにか竜也さんの容姿におきかえて読んでしまい、読み終えたあとで、この作品を映像化するのは無理だろうとか、この場面は映像にするときれいだろうな、などと想像をふくらませることが多い――これって、かなり不純な小説の読み方だなぁ・・・と思わなくもないけど。

で、このあいだ若き詩人を主人公にした小説を読みました。『一月物語』(by平野啓一郎)という小説ですが、時代設定は明治30年。場所は奈良県十津川村往仙岳の山中。25歳の詩人、井原真折(いはらまさき)が揚羽蝶に誘われて山道を踏み迷い、毒蛇にくるぶしを噛まれて倒れるところから物語は始まります。
真折はこんな青年です。
「容(かんばせ)は頗る美しい。が、その深い眼窩には、赭みがかった銅版に、鋭利な針で幾重にも線を刻んだような翳が差している」
内面に鬱屈をかかえたこの美しい青年の出で立ちは、こんなふうです。
「白薩摩に小倉の袴、流石に高下駄は草鞋に穿き替えているが・・・」(明治の書生風ですね。個人的に好みなんです)。
蛇毒に倒れた真折は老僧に助けられ、傷が癒えるまで世俗から隔絶した山寺に逗留することになるのですが、この現実とも幻とも分かちがたい幽境で、彼は運命の女に出会うのです。
この愛は真折が命を賭けることでしか成就しない愛、しかも成就した瞬間に失われる愛でした。

「卒塔婆小町」の詩人と微妙に重なりあう井原真折の幻想的な物語は描写も妖しく美しく、運命の女との出会い(撫子と身毒丸の行水場面の逆バージョン)から、真折が高熱に浮かされながらも情熱に突き動かされて運命の愛に殉ずる終盤へと、物語のどの流れも頭の中で自然に映像になって浮かんできます。

「弱法師」を演じている最中に、「卒塔婆小町」の詩人も演じてみたいと言った竜也さん。井原真折も演じていただけないかと妄想しています。こちらの詩人は映像のほうで。wowowが見ごたえのある質の高いドラマ作りをしている「ドラマw」なんかで、どうでしょうか。