あなたなら、どうしたいだろうか?
食べたい。こんな落ち着かない状態ではだめ。行ってこよう。
そのとき、例えばトイレが、店外のグルメアベニューのはずれにしか無かったならどうだろう。
目の前に、トイレが遠くて歩くのも嫌ならどうぞついたて横のポータブルトイレをお使いください。と張り紙がしてあれば、他の人はめったに使っていないその「サービス」を利用したいと思うだろうか?
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たいてい毎日楽しみに覗くブログがあります。→それはこちらです。
奥深く、真夜中のどろりと淀んだ私の眼、脳では難解でただ文字をたどるばかりのこともあります・・・
そこに書かれた意図とはかけ離れているでしょうけれど、この言葉が胸に突き刺さりました。
同じようで同じではない。毎回違うことの意味を見いだせるのは、反復と差異に気づく感性、観察力、知識、統計力など . . . 本文を読む
母に最適なのを教えてもらおうとおもっている。
着物を広げて、ああだこうだいいながら、助言をもらい、当日を楽しみにする。
着たら写真ででも見てもらいたいものだ。
役に立った。恥ずかしくない装いで出られた。ありがとう。と話したい。
どんなに、楽しい刺激になることだろう。
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十分に大人であったけれど十分に若かった頃。
盆だか暮れだか連休の間のことだったと思う。
八百屋や肉屋が軒を並べる通りで、見知った顔に出会った。
「やあ!」
そんな感じで顔を見合わせた。
相手も自分をよく知っているらしいそぶりである。
(誰だっけ・・・?)
(同窓生?・・・いいやもっと身近・・・?)
実家の近くである。
通学に1時間半を要する学校であった。あちらこちらから集まっていた同窓生とこの場 . . . 本文を読む
恥知らずな暴君
at 2005 04/15 18:28 編集
『中枢性障害を持っていない老人でもそうだし、中枢になんらかの原因による損傷があり、心と体の自由が障害を受けている老人の場合は、いっそう早期に、かつ徹底した回復方法を取らなければ取り返しのつかないことになる。』
介護介助をかってでる家族が複数いるにも関わらず、それを排除し老老介護をしようとすることは、最も弱者の立場である本人を切り捨て . . . 本文を読む
ママが行ってしまい。会う事も声を聞くこともできなくなって1年が過ぎた。
間にひとを立てて話し合おうとしても拒否され、ママの気持ちを聞いてもくれず、今まだ、誰にもどうしようも無い。
つねったり殴ったり、ご飯を食べさせなかったり、ウンチまみれにしなければ、話など聞いてやらなくとも、気持ちなど察してやらなくとも、ママが許している限り、リハビリを知っていながら奪い取っていようと虐待にはならない。
ママの . . . 本文を読む
天気予報も見ずに自分の窮屈な都合だけで分けたアロエを植える予定を立てたが、窮屈な予定は衰えた体ではさばき切れない。
早起きの予定が寝坊で流れ、新しい用がなだれ込み、当初の予定より遅れ遅れて母の庭に向かうと、これでもかの雨。
あきれながら、それでも室内ガーデニングのつもりを頭の中で組み立てながらドライブを続けた。
アロエは2週間放置したと思い込んでいたが、ゴールデンウィーク中に訪ねたときに分け . . . 本文を読む
玄関先の狸。
おっとうの、腰痛も厭わず作業する姿を見て、うきうきとした気分になり、何の意味もない何の役にも立たないことごとをしていた私。
今回の帰省の撮影じゃないけど、このお気楽そうな狸が私に似てそうで。
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とうとうリハビリのひとつもせぬまま春になった。
農作業は時を逃さずせねばならず、曲がった腰では一気呵成にできぬ。
トラクターでの作業はひとの助けを借りると決めて、今年の田作りは始まった。
とはいえ田舎暮らしには何かと力仕事、体を使う作業がある。晴れれば予定の、雨にはその予定外のやっておかねばならぬ事々が、例えば机の上で処理を待つ事務仕事のように、際限無い。
リハビリする気もないおっとう、腰は秋から . . . 本文を読む
ママの庭の手入れをちょっとだけ手伝った。
3年放ってあった混み混みのアロエを、風通しが良くなるまで分け、今日のところは、陰に干しておいた。
根を出すぞーっという気分になってもらってから、次回は鉢に植えるつもりだが、里親募集をしなければならないほどになりそうだ。
庭は、茂りに茂った春である。
勝手にいつの間にか面積を大きくしたお茶の植え込みは、艶々の新芽を吹いている。
ママの庭を預かった娘は、既 . . . 本文を読む
あるお医者様に言われました。
病人の家族はこちらがどれだけ力を尽くしたかわかってくれる。もちろん手抜きも金儲けもわかって黙っている。やるだけの事を尽くし良くなるといつまでも家族は感謝を忘れないでくれる。
けれど、患者自身は大して感謝してないんだよ。
治療は辛いことが多い、一番大変なのは患者だ。そして良くなるときは、医療はほんの小さな手助けだけで、治ったのは本人の力なんだ。患者の体が自分で治ったこと . . . 本文を読む
ママと同じに、念のための挿管が長引き、「当然」言葉と飲み下しに問題を残した方がいた。
鼻からチューブを通し、直接胃に栄養を送り込む処置がなされ、その不快に引き抜こうとするため「当然」腕を縛られて毎日を暮らした。
そのままでは、「当然」飲み下しはよくならない。そして時間は過ぎる。
退院の時期が迫り、そのままではどうしようもないから、胃に穴を開けてチューブを通しそこから栄養を取ることになった。
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お前が生きよを読んで思い出したこと。
妹が、母の副作用に気づいて減らしてもらえぬ薬量を、隠してへらしたころのこと。
その後、廃薬するまでに、降圧剤によって脳血管内の血流が悪くなって起こる痴呆を少々起こすところまで至った。
この変化は、原因もわからない家族にはフリーズしてしまう恐ろしさであったし、プロの医療者では観察できない、できても問題視されない小さな変化だった。
妹は、
「おかあちゃん口も . . . 本文を読む
こんな記事をみた。
一人で部屋にいたら泣き出してしまいそうなとき、切りをつけるように必要なものを買いにでたまま、ぐるぐるとショッピングモールを歩き回った経験は無いだろうか。
小さなもの、どうにも使えなさそうだけど可愛いもの、自分でなく兄弟や恋人がもてばぴったりそうな小物やちょっとした普段着。。。思うままにうろつき買うことそのものが、そうして手に入れた何かより、意味があるとは思わないか。
これ . . . 本文を読む