ママが手術のとき、ぞろっとそろった家族からの血液を輸血に使えないと言われたので、輸血用の血液ぐらい一族郎党で何とかなると思えなくなりました。
ママも輸血を受け、他の誰かの血液をもらったのだから、他の誰かのため、私の血液を使ってもらいましょう。
ところで、私がいつも寄る献血ルームの近くに美味しいお蕎麦屋があります。
献血前に、遅い昼食としてそこでお蕎麦を食べるのを楽しみにしています。
4月17日 . . . 本文を読む
ここによると、歩くことを習熟するのに300万歩歩かねばならないというではないか。。。
赤ん坊はまだ少しも歩けない。そのこがいずれ立った後、最初の一歩の為にどれだけの練習をしたことだろう。そして最初の一歩の後、誰が見ていようが見ていまいがよろめき躓き倒れることを繰り返し歩みを重ね続けたことだろう。
そのとき母は、家の中では、家事の都合をよそにその足元を安全に保ち、背中にまで目をつけてその自由な歩み . . . 本文を読む
よっぽどおべんきょずきだったのか、それともご両親がしっかりしてらしたのか、いくつかの学部を修了したのち更に一念発起して、医学部を出て医師になり、その後ほんの一年二年ずつつまみ食いのような研修、就職のあと、開業なさっている先生がいらっしゃるという。
ほんの一年、二年の経験????を全て看板に掲げ、何でもこいで「営業」をなさっているという。
けれど一般人はそんなことはしらない。評判はよいそうで。ああ . . . 本文を読む
植え替えの日曜は晴れ。そして月曜は雨。火曜の朝にも天からの水あり。
それでもまだ根の無い芽はどんな様子か気にもなり、忙しく朝飛び出してゆく妹の手がちょっとだけ軽かろうと、今夕は寄り道をして庭の様子を覗いてみた。
遅くなり、もう薄暗くなってからであったが、たっぷりと水をやりながら様子を見ると、蕾たちは水のあとからむくむくと膨れてくるような風情だ。
夕闇に目を凝らすとうっそうと茂ったととも言えるよ . . . 本文を読む
父に用があって電話をした。直接電話をかけるな自分を通せというその息子の傲慢な子供の使いに従う気は無く、その留守にかけた。
母が電話をとった。
もう一年、電話をかけてもつないでもらえず。会いに行っても戸も開けず、会わせず。
母の呆け待ち、忘れ待ちで、母の記憶から娘の記憶を失わせようとしているかのような仕打ちになすすべも無く過ぎた月日だった。
弱い声に懐かしく、胸もつぶれそうになって、
「お母 . . . 本文を読む
ママの庭の手入れに1日を費やした。
いくらも進まない手入れだが、ママを懐かしむママの花友達が助言をくれた。
通りかかったその手を濡れた土で汚して、古い土の再生のやり方を教えてくれた。
古いプランターから土ごと抜き取ってみると、固い土の中からプランターの内壁に押し付けられて歪みながら新芽が力強く伸びだそうとしていた。
庭の木は、枯れ果て植わるものの無くなった鉢の底穴から、新たな領土をつかむかのよう . . . 本文を読む
おっさんのおっかあとおっとうに会いに車で出かけた。
米袋を抱えあげて腰をへちゃげ折ったおっとうを、温泉に浸けにいくのも目的のひとつだ。
おっとうの腰はのばせばちゃんと伸びる。ただひと月ばかし安静にしていてすっかり筋肉が弱った。さんざん筋肉はつきにくいからしんどいからと腰を曲げて歩くなとおっさんがいったにも関わらず、おっとうは腰を曲げて歩く。口だけ合わせてそうだ筋肉だと言うばかりだ。自転車にすがって . . . 本文を読む
その日の読み合わせは、今では原因が明らかになった脚気によって突然命を失うのを、最大の負担を峻烈に取り除き、命を救おうという処方についてであった。
脚気についてこのような話を聞いた。(同様のものをもうひとつ)
(脚気について少し)
もちろん、現在はこのような目的で使われるはずも無く、使われることも無い処方である。
病で命が失われるのでなく、病に負けたとき命は失われる。
当時は原因はわからず、 . . . 本文を読む
ありがとうの向こうに(その4・金太郎飴)にトラックバックをつけたもの
駅の階段をあがるご婦人がいらした。
手すりにすがり、小さな手押し車を杖代わりに、三段ごとに片手で持ち上げ持ち上げ・・・
果敢な挑戦!
手押し車を預かり腕を支えに貸すことを申し出たが、きっぱりと断られた。
駅の長い階段である。
私だけでなく、何人かが手助けを申し出ていたが、ご婦人は息をつきながら、体を引きずり上げるよう . . . 本文を読む
普段の介護の中での心のケア(介護・福祉きまぐれ通信) を読み、あらためて思い出した。
介護と心遣いについて。
ママが倒れ、まだトイレ介助を彼女の希望に反してできなかったとき。そのころトイレ介助ができないのは、単に看護につくプロたちのスケジュールでは無理なだけで、彼女の体調がベッドから起きられないのとは違うと知らなかったから、母の希望に沿うことができなかったのだが、その間当然のように . . . 本文を読む
今年もタンカンの季節がやってきました。
休みを取りすぎて、ちっとも会えないままになっており、ちゃんと注文もしていなかったけれど例年のことと一箱だけ確保していてくれました。
ティダの実(太陽の実)
丸く濃いオレンジ色でむっちりと重く、甘い。
一箱だけなので、おすそ分けも大変!
その最初の3つを、暮れからまだ会っていない近所のうんと年上の友達に持って行くきました。
大きな手術の後で、命と引き換え . . . 本文を読む
今日は置き薬屋さんが訪問。
あっという間の半年で、大慌ての玄関掃除。
置き薬は使った分だけの支払いなので、めったに市販薬を使わない我が家には、心苦しい・・・すばらしいサービスだ。
出張の折には、いつも使いの漢方エキス剤と一緒に、下痢止めとか腹痛止めとかを封を切らずに持っていく。
たいていは使わないまま帰ってくる。
使用期限が来る前に、置き薬屋さんがやってきて、新しい薬に取り替えてくれる。
一度、 . . . 本文を読む
20℃55%①日本には村八分という文化があり、完全に社会から追放するという文化がないために、追放、復権というリハ本来の文化がない。 だから、本人自身の社会参加がなくても、本人自身の友人と黙って引き離されても、本人自身の趣味をテレビを眺めるだけに限定されても、普通に当たり前に暮らさせているのだと、家族は簡単に思い込めるのか・・・
②ハンセン病のように障害者に対して隔離という考え方があり、昔から家族 . . . 本文を読む
お正月なら、もしかしたらね。
同居人は始発の地下鉄で出かけた。
そして、最終の地下鉄で帰ってきた。
くたくたになって冷えた体で、ちょっとハイになったような声で、
ママに声は届けたよ。でも姿は見えなかった。
一日中部屋の前にいて、ママに声をかけたよ。
お風呂に入ってご飯を食べてそして、ママのいる部屋の扉の前にいたよ。
でも、とうとう部屋の扉は閉ざされたまま、暖房の窓は一度も空気を入れ替えられず . . . 本文を読む
タイトルは名前(その4)、この記事を読んで、これは適切なリハビリの記述であると感じた。
命の危険が無くなり傷が落ち着いたら速やかに、社会復帰。完全ではなくとも対象は「保護」から開放されている。一刻も早くという配慮がなされている。
並行して、十分な見守りがあり、手厚すぎないことに配慮しつつ介助がされている。
生餌が用意されており、奪いつくされることのない程度のついばみ易い餌が用意され、ここでも奪われ . . . 本文を読む