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猫の同居人のつぶやき

猫との日常をつぶやいています。

おっとうの腰

2006年05月07日 | 認知症と障害と医療と家族と
とうとうリハビリのひとつもせぬまま春になった。
農作業は時を逃さずせねばならず、曲がった腰では一気呵成にできぬ。
トラクターでの作業はひとの助けを借りると決めて、今年の田作りは始まった。
とはいえ田舎暮らしには何かと力仕事、体を使う作業がある。晴れれば予定の、雨にはその予定外のやっておかねばならぬ事々が、例えば机の上で処理を待つ事務仕事のように、際限無い。
リハビリする気もないおっとう、腰は秋からの農閑期でろくに伸びもせず、役にもたたぬ炎症止めと湿布を延々続けてもう10ヶ月。都会暮らしの私には、このまま腰を曲げて暮らし、そのせいでふりかかる負担、弊害を知らぬまま年のせいにして背負っていくのかと、眉根を寄せる思いだった。
けれどおっとうは、しっかりレインスーツを着込んで出かけてゆき、何の補修か、小雨降る中鋸を引いている。腹にも、背にも、腰にも、長年慣れた作業が負荷になり、さりげないリハビリになっている。
やっただけの成果、実りがあることは、体が知っている。農作物の否応無い成長にせき立てられて、これからの農繁期を過ごす内におっとうの腰は伸びてゆくことだろう。



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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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住み続ける (The社会福祉マン!)
2006-05-14 18:53:21
田舎に住み続ける。田舎でなくとも自分の「家」に住み続けることが、その人の尊厳、その人らしさなのだろうと最近は思うようになりました。ただ、それを傍らで(我々も含め)いる者がどうするかということが、ここからでる複雑なところへ行ってしまうのかもしれません。
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コメントをありがとう (sabatoranoneko)
2006-05-14 20:05:30
同感です。

私は恐れています。

親の老後を見るために自分の便宜で引き取ってしまい、親の古屋を住めないようにしてしまったり、人手に渡してしまった後、体に染み付いた生活のリズムや慣れ親しんだ動線を失い、衰えた体と頭がいやおう無しに老いだけを感じなくてはならなくなることを。

やがて認知症がすすみ、体の覚えている住処に帰ろうとしても、帰る場所が無く、何度も何度もなじみの場所へ戻ろうとして終わりのない徘徊を繰り返すことを。
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