ナナと一緒に

母の残してくれたもの…それはねこのナナ。
愛猫ナナに癒され一緒に頑張る日々の記録

病気

2007-07-25 | 病気

私はプロフィールにも書いてあるのですが
多発性硬化症(MSとも言います)と言う神経難病です

この病気になり私は現在唯一の予防薬とされている
インターフェロンベーター皮下注射を月・水・金と打っている
本来は2日に1回自己注射なのですが私の場合は指先に麻痺の後遺症が残っているため
週3回で訪問看護婦さんに打ってもらってます。

この注射に関してはもう2001年2月から私は自己注射を開始しているが
それでも毎年再発をして入退院を繰り返してしまっている

この注射がまれに効かずにかえって再発を引き起こすという副作用もあり
何度か実は私もこれが疑われ再発の度に中止になったりしている。

・・・が結局は今も打ち続けている。

一概に難病だけに何が原因と断定できないだけに
「この注射を打っていたから今回の再発程度で済んだんだ」
そう再発する度に医師に言われ結局は私もそう思っているのが今の私だ。
大きな病院の教授やお医者様がそう言うなら間違いはないだろうと。。。

まあ、何よりも外来担当の主治医のO先生を私は全面的に信頼しているので
この病気になった時から入院中も教授が何と言おうと
基本はこのO先生との話し合いで何事も決めている。
(入院担当の主治医はやりにくいだろうなといつも思う)

しかし正直なところはこの注射に関しては
自分自身本当に身体に合っているか疑問に思うことも。。。

何故なら私はこの注射を始めてから毎年のように再発。
その度に麻痺が出て後遺症が残る
それでも歩くまでは回復し、車も普通に運転していた。
2年前はとうとう入院中に再発が止まらなくなり終いには生死を彷徨う程までも・・・

幸い免疫吸着療法と言う治療が効いたため私は今もここでPCを打っているが
代償は車椅子生活だった

まあそう言ってもおそらく人が思うよりも私は悲観的なほうではなく元気
奇跡を祈るではないが私はまた歩けると信じ今もいるからかもwww
それに今の私は多少の不幸は乗り切るかも。。。
だって今の不幸は人生最大級でこれ以上の不幸はない気もするから

そうそう、それで何故こんな事を日記に書いているかと言うと実はこの記事がきっかけ

インターフェロンベータ投薬後、多発性硬化症の7人悪化(読売新聞) 記事はここ 

興味のある記事である。
ただこれを読み色々思うのが私はこのままでいいの?って。
でも今更この注射をやめる度胸も私にはない気もするし・・・
それは前回の入院時も主治医と散々話した事だ。

私の場合は良いとも悪いとも正直注射に関しては言えないらしく
「ただ、おそらく、注射をしているからこの程度の後遺症で済んでいるのでは。。。」
と言う見解が多いのである

しかしね~2005年4月6日頃まで私は自分で歩き運転もしていた。
それがたった3,4日で左麻痺→全身麻痺→呼吸器となったのだから
この時の先生たちの慌てようは半端じゃなかった。
無論この時すぐにインターフェロンは中止。再開はずっと後になる。

溜息

何が言いたいかって?何だろうね。
自分の身体なので最終的な決断はいつだって自分自身で決めてきたのですが
こう言ったなんとも複雑な気持ちはいつだって母が聞いてくれ一緒に話し合ってきたんです

いつだって私の身体は半分母の身体と同じだった

「ねえお母さん。私の声が聞こえてる?
免疫抑制剤使用の事もそうだけどさ、この病気に使われる治療はほとんど経験してきて
私ってモルモットみたいってよく嘆いてたけどやっぱりそうかな?

でもさ、自分に納得いく治療を自分で今まで後悔したくなく突き進んでいつだって着たけど
最近ちょっと躊躇する自分います。

2年前私はお母さんが止めるのに自分から実験台になってもいいとグロブリン療法にチャレンジしたよね。
でも結果は呼吸器になった。
そして車椅子生活になりそこからの毎日はお母さんとの二人三脚。
そして挙句はお母さんの身体はボロボロで。。。

私のあのときの判断が間違ってて、もしあのときにお母さんの言う通りにしてたら
もしかしたら違う人生が待ってたかな? お母さんも今ここにいたのかな?
最近の私は決断力が弱ってます。。。



 


 



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