縄文人の反乱 日本を大事に

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

●何度か日記のことについて書いた 正直に話す

2012年07月28日 21時04分23秒 | 色んな情報
●何度か日記のことについて書いた 正直に話す
総数にすると1825件 全国に出している。
 
各月の日記
2011年8月 の一覧   30件
2011年9月 の一覧   35件
2011年10月の一覧   47件
2011年11月の一覧   79件
2011年12月の一覧   59件
2012年1月 の一覧   103件
2012年2月 の一覧   110件
2012年3月 の一覧   114件
2012年4月 の一覧   124件
2012年5月 の一覧   93件
2012年6月 の一覧   26件
2012年7月 の一覧   100件 07月28日現在
   三ヶ月ぶりの100本である。
 
まだ有るけれども 此の月だけの事を書く。
7月の終わり頃から兆候があった。
フリージャパン 今はアカウントが判らないから入れない。
マイ日本でもそうだった。
一部の人間が私のことが妬ましいようだった。
昨年の4月から録画くくらいの三ヶ月は私は日本ナンバーだんだと自負している。
データーを調べられれば日本のどのマスメディアでも私には勝てない。
日記の量でも一日五百は変えている。
その中にドレだけのデーターを入れているか。
世の中が落ち着き自身のことを流すのが少なくなってきた。
同時に私の流す量は鬱陶しい。
振りジャパンのある何人かは何度か忠告をシテきて管理者も決めて入れなくした。
あのサイトではあの頃 百人以上のファンが居た。
サイトナンバー通で有った。
マイ日本では何とか免れた。
データーを見て貰うと判るように少しずつ情報量を増やしている。
私自身も自身が出てきたのかな。
 
今ではホームページ探して一日多い時では500前後のページはチラッとでも目を通してくる。
何処かにあったのにとあとで探すのが大変なこともある。
不思議がっている人が多いけれども数と後は慣れだね。
勘が冴えてくると調子に乗る。
 
私の事を糞味噌にしているページはいくつでもあるのは知っている。
幾ら良いことを知っていいも良い方向に使わないとそれは腐っていくのではないかな。
工作員として入ってきた人も沢山いる。
ソロソロ どれが本物でどれが偽物だと判ってきているのにそこから抜け切れないかわいそうな僕ちゃん。
そう言いたくなるほどだよ。
 
 
2010年12月の一覧    62件
2011年1月 の一覧    59件
2011年2月 の一覧    35件
2011年3月 の一覧   113件
2011年4月 の一覧   187件
2011年5月 の一覧   246件
2011年6月 の一覧   110件
2011年7月 の一覧    93件
 
 
個人で短期間にこれだけするのは他人には負ける気がしない。
たまには自慢させて貰っていいかな。











●神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)●略称は皇紀(こうき)という。

2012年07月28日 19時49分32秒 | 色んな情報
●神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)●略称は皇紀(こうき)という。
★神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)http://p.tl/kvxr
初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(紀元)とする、日本の紀年法である。
略称は皇紀(こうき)という。外にも、皇暦(こうれき)、神武暦(じんむれき)、神武紀元(じんむきげん)、日紀(にっき)などともいう。年数の英字表記では、「Koki」や「Jimmu Era」などといい、皇紀2660年を「Koki 2660」「Jimmu Era 2660」などと表記する。
紀元節(現在の建国記念の日)廃止までは、単に「紀元」と言った場合には、神武天皇即位紀元(皇紀)を指していた。
西暦2012年は、皇紀2672年である。
★四大節(しだいせつ)http://p.tl/4zN9 祝日(四方節、紀元節、天長節、明治節)を四大節(しだいせつ)と呼んだ。
★元日(がんじつ)四方節 http://p.tl/A0q8 1月1日
★紀元節(きげんせつ)http://p.tl/-evu
『日本書紀』が伝える神武天皇の即位日として定めた祭日。1873年(明治6年)に、2月11日と定められた。
かつての祝祭日の中の四大節の一つ。
★天長節 http://p.tl/L12e
★明治節(めいじせつ)http://p.tl/6_g3
昭和前期の日本における祝祭日(休日)で、明治天皇の誕生日。四大節(紀元節、四方節、天長節、明治節)の一つ。毎年11月3日。

★カテゴリ「皇紀2600年」にあるページ http://p.tl/ayxu
★旗日【ハタビ】国民の祝日 祝日 祭日 祝祭日 日の丸 http://amba.to/Mcl4zW
★『●今上天皇(きんじょうてんのう)の誕生日』 http://amba.to/MclhD4
★『Youtube動画を削除しまくる『プレゼントキャスト』の正体。』 http://amba.to/MclhTD
★『古事記1300プロジェクト 秋津島の蜻蛉 @ツイコミュ中の人さんの日記 転載』 http://amba.to/Mclgiy
★『日本の祭りは神社神道の根幹から発している』 http://amba.to/MclkyN
★『神話を読もうと思いネットで見ていたら』 http://ameblo.jp/shibaracu/entry-11091788949.html
★●日本神話 http://p.tl/TW0N
★『●人類の隠された歴史』 http://amba.to/QsvLdB
★悠久の縄文の流れの中で http://p.tl/B_DX
★ヲシテ = ホツマツタヱ + ミカサフミ + フトマニ http://p.tl/PMsT
★『◆神代文字』 http://amba.to/QswFqt
★『●神代文字 ●祝詞』 http://amba.to/QswX0s
★はてなキーワード > 皇紀 http://p.tl/sF33
 皇紀(英語ではKokiと表記)とは神武天皇即位の年を元年と定めた紀元。
正式には「神武天皇即位紀元」という。皇紀元年は西暦紀元前660年にあたる。
2010年は皇紀2670年になる。
日本の歴史は皇紀により始まるゆえ、便宜上的は西暦より易く使えるが今はあまり使う人が見られない。
インドネシア独立宣言書にも使われている。
なお、神武天皇即位の年代は讖緯説にもとづいて決定された伝説上のものであり、紀元前600年代には日本は弥生時代である。
現在の通説では大和王権の成立は3世紀半ばから4世紀ごろとされている。
★皇紀2600年! http://p.tl/qv3X
★皇紀からの雑考 http://p.tl/4qxG
     ★●★皇紀対応表 http://p.tl/XoPu★●★
     ★●★年号一覧  http://p.tl/HjOP★●★
     ★●★19世紀 西暦・皇紀対照表 http://p.tl/_c28★●★
★インドネシア共和国独立宣言 皇紀2605年の表記 http://p.tl/HRSf
★皇紀 - nifty 大峰山 http://p.tl/gwa7
★今上天皇は第125代ですよ http://p.tl/ohzc
★皇紀を使って悪いか? http://p.tl/D_TA
★2011年 06 / 07 【皇紀問題】枝野長官「宇宙世紀以外は認めない」と強弁 http://p.tl/dSTz
★皇紀・年号・歴代天皇・歴代将軍 京都通百科事典 http://p.tl/4Q2E

★皇紀2600年奉祝曲(こうきにせんろっぴゃくねんほうしゅくきょく)http://p.tl/uKzI
西暦1940年に当たる日本の紀元2600年を祝うために作曲された数々の曲である。
主に欧米各国に委嘱した曲だが、日本国内において同様の目的で作曲された曲も含む。
★紀元二千六百年記念行事(きげんにせんろっぴゃくねんきねんぎょうじ)http://p.tl/C7s3
1940年(昭和15年)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事を指す。
★皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会 http://p.tl/NttC
1940年10月17日の神嘗祭の日に、神武天皇即位紀元2600年を記念するため、青山学院に2万人を集めて開かれた紀元二千六百年記念行事。
大会は宮城遥拝の国民儀礼でもって開始され、この日のために創作された天皇を賛美する「讃美歌」が歌われた。
★《大管弦楽のための日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲》http://p.tl/BHSH
(独語:Festmusik zur Feier des 2600jährigen Bestehens des Kaiserreichs Japan für großes Orchester)
作品84は、リヒャルト・シュトラウスが1940年に作曲した管弦楽曲。
しばしば《皇紀弐千六百年奉祝音楽》(Japanische Festmusik)などと略称される。
皇紀2600年奉祝曲の一つとして有名。イ長調。
★天皇紀(てんのうき)http://p.tl/h8ML
日本における歴史書の叙述形式のひとつ。
編年体の史書において在位天皇順に事績・事象を叙述してゆく形式である。
『天皇記』とは意味が異なる。
   天皇紀の形式で叙述された歴史書
・『日本書紀』
・『百錬抄』
★天皇記(てんのうき、すめらみことのふみ)http://p.tl/u-PB
620年(推古天皇28年)に聖徳太子と蘇我馬子が編纂したとされる歴史書である。
★皇紀2600年 http://p.tl/UXFP
★頑張れ産経新聞皇紀2672年(平成24年)1月27日 http://p.tl/OFI5
★頑張れ産経新聞皇紀2672年(平成24年)7月28日 http://p.tl/oSEg
★皇紀2672年(平成24年) 愛知県護國神社 弓始奉射会 http://p.tl/KLSn
★天皇陛下お出迎えお見送りは新しい伝統 皇紀2672年1月 第180通常国会召集 http://p.tl/ALwc
★皇紀二六七二年・皇居一般参賀【高画質】http://p.tl/davE
★皇居、儀装馬車運行、両陛下サプライズで会場に http://p.tl/6jln
★【ヴァージョンアップ版】世界最強の天皇陛下【宇宙最強】http://p.tl/RM_b

●縁起●演義

2012年07月28日 14時51分17秒 | 色んな情報
●縁起●演義
★縁起(えんぎ)http://p.tl/rm2B
1.仏教の縁起。下記で詳述。
2.一般には、良いこと、悪いことの起こるきざし・前兆の意味で用いられ、「縁起を担ぐ」、「縁起が良い」、「縁起が悪い」などと言う。このような意味から、「縁起直し」、「縁起物」などという風俗や習慣がうかがわれる。
3.寺社縁起。故事来歴の意味に用いて、神社仏閣の沿革(由緒)や、そこに現れる功徳利益などの伝説を指す。
--------------------------------------------------------------------------------
仏教における縁起(えんぎ、サンスクリット:pratiitya-samutpaada、パーリ語:paTicca-samuppaada)は、仏教の根幹をなす思想の一つで、世界の一切は直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って生滅変化しているという考え方を指す。
縁起の語は「因縁生起」(いんねんしょうき)の略で、「因」は結果を生じさせる直接の原因、「縁」はそれを助ける外的な条件のことである。
★験を担ぐ(げんをかつぐ)「縁起を担ぐ」http://p.tl/v_gy
ある物事に対して、以前に良い結果が出た行為を繰り返し行うことで吉兆をおしはかること。
また、良い前兆であるとか悪い前兆であるとかを気にすること。
縁起を気にする事。げんかつぎ。
●語源・由来
本来は「縁起を担ぐ」であったが、江戸時代に流行った逆さ言葉で縁起を「ぎえん」と言うようになり、それが徐々に「げん」に変化したとする説が一般的である。「験」には「仏教の修行を積んだ効果」や「効き目」などの意味がある。
●げんかつぎの内容
げんかつぎに何をするかは人それぞれであるから、実に多種多様である。他人から見れば何の効果もなさそうに思える行為でも、当人が「これはげんかつぎだ」と思って行っている行為ならばそれはげんかつぎであると言える。
★験を担ぐ(げんをかつぐ)の意味・語源・由来を解説
【意味】げんを担ぐとは、以前に良い結果が出た行為と同じことをして、前途の吉兆をおしはかること。げんかつぎ。
【げんを担ぐの語源・由来】
本来は「縁起をかつぐ」で、「縁起」が反転し音韻変化したとする説が有力とされる。
この「げん」は、「げんがいい」や「げんなおし」などとも使われる。
「験」には、「仏道修行を積んだ効果」の意味や「効き目」「効果」などの意味があり、「縁起」を意味する「げん」と関係があるとも考えられている。
ただし、「効果」などを意味する「験」は平安期、「縁起」を意味する「げん」は近世以降と時代が離れており、「縁起」を意味する方は、やくざ用語から出た言葉とされていることから、直接関係する訳でもなさそうである。
★験担ぎ【ゲンカツギ】コトバンク
ちょっとした物事に対して、よい前兆だとか悪い前兆であるとかを気にすること。験を担ぐこと。「―で豚カツを食べる」
★信貴山縁起(しぎさんえんぎ)http://p.tl/mGzI
平安時代末期の絵巻物で、2006年現在、日本の国宝に指定されている。
『源氏物語絵巻』、『鳥獣人物戯画』、『伴大納言絵詞』と並ぶ四大絵巻物の1つと称される。
朝護孫子寺が所蔵(原本は奈良国立博物館に寄託されており、霊宝館では複製を展示)。
「信貴山縁起絵巻」とも称する。
後述のごとく、表題は寺社縁起絵に属するものであるが、内容は高僧絵伝の範疇に入る。

★『『真説・リョーマ伝』縁起』(しんせつ・リョーマでん えんぎ)http://p.tl/WYKF
2010年に宝島社から発行された『『このミステリーがすごい!』大賞STORIES』に掲載された海堂尊の短編小説。
★縁起(えんぎ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .http://p.tl/Gnc4
大別して三つの意味がある。
(1)仏教の中心思想の「縁起」。
(2)神社仏閣などのいわゆる「いわれ」。
(3)縁起がよい、縁起を担ぐ、などの「縁起」は日常的な迷信、ジンクスなどの類を含む。
ここでは(1)と(2)を説明する。
 
(1)サンスクリット語のプラティートゥヤ・サムウトパーダprattya-samutpdaの訳語。仏教のもっとも重要な中心思想とされる。最初期は、われわれの現実を直視して、存在の一つ一つがつねに関係しているあり方を問う考えに基づき、たとえば老死は生まれることに縁(よ)っておこり、あるいは苦は煩悩(ぼんのう)におぼれる愛に縁り、または人間の根元的な無知(無明(むみょう))に縁っておこり、逆に煩悩の滅から苦が滅するなどと説かれ、やがてこの系列化が進められて、無明から老死に至る計12の項を数える縁起説がたてられた(十二縁起、十二支(し)または十二因縁(いんねん))。それが各項(支)を省いて、「これあればかれあり、これ生ずればかれ生ず、これなければかれなし、これ滅すればかれ滅す」ともいわれる。ただし初期の諸経典には、その他の雑多な縁起説も混在している。
 
部派仏教では、その最大の説一切有部(せついっさいうぶ)において、業(ごう)の説が加わり、この十二支をわれわれの過去、未来、現在の三世にまたがるものとしてそれぞれに配分し、時間的な生起を中心に縁起説を解して、三世両重因果説をたてた。そのほか、六因、四縁、五果を数え、因と縁との結合から果(か)の生起するあり方を細かく考察する。
 
部派の諸説に異論を唱えて大乗仏教運動がおこり、とくにその最初に登場した『般若経(はんにゃきょう)』群の一切皆空(いっさいかいくう)説が名高い。この説はナーガールジュナ(龍樹(りゅうじゅ)、2~3世紀の人)によって、縁起説と密接に結び付けられて深化しかつ拡大し、縁起―無自性(むじしょう)―空(くう)として確立した。すなわち、いっさいのものはそれぞれ他のものを縁としてわれわれの前に現象しており、しかも各々が相互に依存しあっていて、その相依関係も相互肯定的や相互否定的(矛盾的)その他があり、こうしていかなるもの・ことも自性を有する存在(実体)ではない、いいかえれば空であり、しかも、そのあり方もいちおうの仮のものとして認められるにすぎないとし、そのことの悟りを中道とよんでいる。
 
そのあと、中期大乗仏教の一つに、あらゆる諸現象はわれわれの心の働きにほかならないとする唯識(ゆいしき)説があり、ここでは、その心による認識、心そのものについての詳しい分析を果たす過程のなかに縁起説を取り入れる。すなわち、外界との縁起の関係のうえに活動する心に眼耳鼻舌身意の六識をあげ、それを統括する自我意識を末那識(まなしき)といい、さらにそれをも包んでいっさいをしまい込んでおく阿頼耶識(あらやしき)をたてる。一方、この識から縁起の関係を通じて、いかにしていっさいが現象するか、また悟りに導かれるかが詳しく検討されている。
 
中期大乗仏教の他の一つは、われわれのうちに悟りを開く素質のあるべきことを考えて、如来蔵(にょらいぞう)または仏性をたて、それは本来清浄なる心(自性清浄心(じしょうしょうじょうしん))に基づくとする。これを如来蔵縁起とよんで、法性(ほっしょう)、真如(しんにょ)などの説を展開した。
 
中国仏教では、ナーガールジュナの説を発展させ体系化した三論の真俗二諦(たい)の縁起説、天台の空(くう)―仮(け)―中(ちゅう)の三諦に基づく縁起説、いっさいのものが相互に交錯し流入しあって、一即多、多即一である現象面を重重無尽と称して、これを法界(ほっかい)縁起とよんだ華厳(けごん)の説などが知られる。また密教では、地水火風空識の六大に縁っていっさいが展開するという六大縁起説を基盤とする。
 
(2)わが国における寺社の霊験(れいげん)や由来沿革を説明したもの(因縁によって宇宙の事象が生起するという仏教語による)。歴史的縁起と物語的縁起があり、あくまで中心は唱導を目的とした後者である。前者は奈良期に諸大寺から撰上(せんじょう)された『伽藍縁起并流記資財帳(がらんえんぎならびにるきしざいちょう)』のごとく、開創縁起およびその後の変遷と国家提出用の財産目録にすぎない。これに対して庶民浄土教の流行する中世に入る12世紀末前後から、寺社霊験を語る後者が、念仏聖(ひじり)や絵解き僧の唱導活動によって全国に拡大される。内容は庶民啓蒙(けいもう)のための誇張された物語的霊験譚(れいげんたん)で、換言すれば叙事伝説といえる。この伝説的寺社由来譚も古くからみえて、『日本書紀』欽明(きんめい)天皇14年条や『扶桑(ふそう)略記』同13年条、同書同32年条などがある。中世に入る前後から、字の読めない庶民受容を容易にするため絵を伴う縁起が多くつくられ、絵解き芸能も盛んになる。説話文学との関係も密になる。このころは寺社の宣伝と庶民の信仰が呼応した絵巻縁起の最盛期である。『石山寺(いしやまでら)縁起』『北野天神縁起』『當麻曼荼羅(たいままんだら)縁起』『春日権現験記絵(かすがごんげんけんきえ)』『信貴山(しぎさん)縁起』などが代表作品としてあげられよう。『粉河寺(こかわでら)縁起』なども勧進(かんじん)僧によって書かれ、勧進の目的で制作された証(あかし)であることを示す。『一遍聖絵(いっぺんひじりえ)』『融通念仏(ゆうずうねんぶつ)縁起』その他の宗祖伝記絵も各宗派の宣伝の道具として、絵解きとともに用いられたものであろう。浄土を説く『春日曼荼羅縁起』に類するものも多い。
[ 執筆者:三枝充悳・渡邊昭五 ]
★チベット老僧の教え[空と縁起とは]http://p.tl/4Ejb
★インド思想史略説 http://p.tl/kK9d
5. 縁起     http://p.tl/ylcv
 世界が無常であることを明らかにすることによって、この世の苦しみを説明する一方で、苦しみを滅するために、苦しみを生み出す原因が何であるかを追究することも行われた。いわゆる「縁起説」である。1)
 「縁起」ということばは、現在では、もっぱら「縁起がよい、悪い」というように「ものごとの起こる前ぶれ、前兆」の意味で用いられている。しかし、もともとはそのような意味ではなかった。
 「縁起」とは「よって起こること」で、具体的には「苦しみは、なんらかの原因・条件(因縁)によって起こり、その原因・条件(因縁)がなくなれば、苦しみもなくなる」ということである。
 「縁起説」は、苦しみを生み出す因果の系列をさかのぼって、苦しみの根源をさぐりあて、それを滅することにより苦しみを解消することをめざすものである。
これは後に整備され、因果系列の項目が十二にまとめられる(十二縁起)。十二縁起説では「根源的な無知」が苦しみの根本的な原因とされ、「悟り」と対置される。しかし、最古層の経典では、一定の因果系列は現れてこない。対論する相手に応じて、さまざまに説かれるが、もっとも多くとりあげられるのは欲望である。
★縁起(えんぎ)の意味・語源・由来を解説
【意味】縁起とは、吉凶の前兆。因縁により、あらゆるものが生ずること。
【縁起の語源・由来】
縁起は、サンスクリット語「pratitya-samupada」の漢訳で仏教用語である。
本来「精神的な働きを含む一切のものは、種々の原因や縁によって生起する」という意味で、仏教の中心思想のひとつであった。
「縁起を担ぐ」という表現は、「御幣を担ぐ」が変化したものである。


★演義(えんぎ)http://p.tl/V9Wm
主に明清の中国で発展した白話小説の一種。
「演義」という語は本来「物事を筋道立てて分かりやすく説明する」という意である。すでに西晋に頃には使用されていた語で、潘岳の「征西賦」に用例がある。
宋元以後、都市の盛り場での娯楽として説話が流行したが、その一ジャンルとして歴史物語である「講史」があった。その後、説話をベースにした白話小説が成立すると、歴史をテーマにした作品に「演義」という題名がつけられるようになった。これは歴史を白話により分かりやすく物語ったという意である。しかし、これらの演義小説は、筋を面白おかしくするため、しばしば創作要素が加えられている。基本的に章回小説であり、「第~回」などのように回数が打たれ、それぞれに題目と正名がつけられている。
★えん‐ぎ【演義】大辞泉
1 物事の道理や意味をわかりやすくくだいて説明すること。
2 中国で、歴史上の事実をおもしろく脚色し、俗語をまじえて平易に述べた小説。演義小説。「三国志―」
★主な演義作品   『三国志演義』『封神演義』『隋唐演義』『楊家将演義』以上その他有り
★『三国志演義』(さんごくしえんぎ)http://p.tl/dumX
中国の明代に書かれた、後漢末・三国時代を舞台とする時代小説・通俗歴史小説である。
四大奇書の一つに数えられる。
著者は定説をみず、施耐庵あるいは羅貫中の手によるものと伝えられている。
★『封神演義』(ほうしんえんぎ)http://p.tl/3Ijm
中国明代に成立した神怪小説。『商周演義』、『封神伝』、『封神榜』、『封神榜演義』ともいう。史実の商周易姓革命を舞台に、仙人や道士、妖怪が人界と仙界を二分して大戦争を繰り広げるスケールの大きい作品である。
文学作品としての評価は高くないが、中国大衆の宗教文化・民間信仰に大きな影響を与えたとされる]。
著者(編者)は一般に許仲琳とされることが多いが、定説はない。
★『隋唐演義』(ずいとうえんぎ)http://p.tl/-rwb
清初の褚人獲によって作られた通俗歴史小説。20巻100回。
『隋唐志伝』『隋煬帝艶史』『隋史遺文』などをもとに唐・宋の伝奇小説や筆記、民間の伝承文芸から材料を集めて作られた。
隋の文帝が陳を滅亡させたところから始まり、安史の乱の後、唐の玄宗が長安に戻るところで終わる。
雑多で思想的統一性のなさが指摘されるが、隋末反乱の場面で描かれる秦瓊・単雄信・程咬金・羅成といった瓦崗寨の人物が個性的に描かれている。
日本では、安能務、田中芳樹によるリライト本が出版されている。
★『楊家将演義』(ようかしょうえんぎ )http://p.tl/Z94p
北宋の楊一族の活躍と悲劇を描いた中国明代の古典文学。単に『楊家将』(繁体字: 楊家將; 簡体字: 杨家将; ピン音: ang Jia Jiang)とも呼ばれる。中国の河北省など北方地域には、楊一族にまつわる伝説が民間故事として多数伝わっている。

中国では京劇やテレビドラマで定番となっており、老人から子供まで幅広く知られている。日本ではあまり知られていなかったが、1990年代にNHK BS-2で『三国演義』や『則天武后』が放送された時期に『楊家将』のドラマも放送されたことがある。

田中芳樹が「中国歴史ロマンシリーズ」の3作目として1997年頃に徳間書店から日本語訳を刊行する予定を立てていたが、現在(2009年1月)でも出版されていない。また、北方謙三が小説『楊家将』を執筆したが、これは訳書でなく、内容的にはほぼ北方のオリジナルになっている。結局、現在まで日本語訳書籍は出版されていない。

しかし、ウェブ上で有志の翻訳などが掲示されており、日本語で読めないわけでもない。



●ほう‐げん〔ホフ‐〕【法眼】

2012年07月28日 14時02分32秒 | 色んな情報
●ほう‐げん〔ホフ‐〕【法眼】
★ほう‐げん〔ホフ‐〕【法眼】大辞泉
1 仏語。五眼の一。諸法を見る智慧の眼。菩薩(ぼさつ)のもつ、衆生を済度するための諸事象の真相を知るという眼。
2 《「法眼和尚位」の略》法印に次ぐ僧位。僧綱(そうごう)の僧都(そうず)に相当。
3 中世以後、僧に準じて医師・絵師・仏師・連歌師などに与えられた称号。
★ほうげん[ほふ―]【法眼】大辞林
[1] 0〔専門〕 仏 五眼の一。諸法を観察する智慧(ちえ)のまなこ。菩薩は、これによって、諸法の真相を知り、衆生(しゆじよう)を救う。
[2] 「法眼和尚位(かしようい)」の略。僧位の第二で、法印と法橋(ほつきよう)のあいだ。僧綱の僧都(そうず)に相当する位。
[3] 中世・近世、僧侶に準じて、仏師・絵師・連歌師・医師などに与えられた称号。
★ほう‐げん〔ハフ‐〕【法源】
法の淵源(えんげん)。成文法・慣習法などの法の存在形式、神意・民意などの法の存在根拠、神・国家・君主・人民などの法を制定する力など。一般には、裁判などの根拠となりうる法形式をさす。
★ほう‐げん〔ハフ‐〕【法言】
手本となる言葉。従うべき言葉。
「揚子(ようし)法言」の略。
★ほういん[ほふ―] 01 【法印】大辞林
〔専門〕 仏
[1] 仏教を他の教派から区別する標識となる根本的な教義。小乗仏教では三法印、大乗仏教では諸法実相の一法印がよく説かれる。
[2] 僧位の最高位で、法眼(ほうげん)・法橋(ほつきよう)の上。「法印大和尚位(だいかしようい)」の略。僧綱の僧正に相当する位。
[3] 中世・近世、僧侶に準じて仏師・絵師・連歌師・医師などに与えられた称号。
[4] 山伏や祈祷師(きとうし)の俗称。
★ほういん0 【宝印】大辞林
〔専門〕 仏
[1] 宝珠・宝塔などに刻まれた仏を象徴する文字や真言。
[2] 「牛王(ごおう)宝印」の略。
★ほういん[はうゐん] 0 【芳韻】大辞林
他人を敬ってその詩をいう語。
★ほっきょう[―けう] 0 【法橋】大辞林
〔補説〕 「ほうきょう」とも
[1] 僧位の第三で、法印・法眼(ほうげん)に次ぐ。「法橋上人位」の略。僧綱の律師に相当する位。法の橋。
[2] 中世・近世、僧侶に準じて仏師・絵師・連歌師・医師などに与えられた称号。法の橋。
★ほっきょう[ほくきやう] 0 【北京】大辞林
(奈良を南京と呼ぶのに対して)京都のこと。
―には我禅上人入宋(につそう)して〔出典: 正統記(嵯峨)〕

★弁護『士』というけど、弁護『師』とは言わない。http://p.tl/qDQ5
★棟方志功と椿館 - 素朴だけれど 奥深く - http://p.tl/zOEx
★『棟方志功・幻の肉筆画展』参観 http://p.tl/ZXDY
★「連歌」を説明文に含む言葉 - 国語辞書の検索結果 http://p.tl/3nA9
★ぼたんか‐しょうはく〔ボタンクワセウハク〕【牡丹花肖柏】:「デジタル大辞泉」
[1443~1527]室町中期の連歌師・歌人。公家の中院通淳(なかのいんみちあつ)の子。別号、夢庵・弄花軒。和歌を飛鳥井雅親(あすかいまさちか)に学び、連歌を宗祇(そうぎ)に師事して古今伝授を受けた。宗祇・宗長と吟じた「水無瀬三吟百韻」は有名。家集「春夢草」、著「伊勢物語肖聞抄」など。
★ほんか‐どり【本歌取り】:「デジタル大辞泉」
和歌・連歌などで、古歌の語句・趣向などを取り入れて作歌すること。新古今時代に盛んに行われた。藤原定家が「苦しくも降り来る雨か三輪(みわ)の崎狭野(さの)の渡りに家もあらなくに」〈万・二六五〉を本歌として「駒とめて袖うちはらふかげもなしさののわたりの雪の夕暮れ」〈新古今・冬〉と詠んだ類。
★ほん‐か【本歌】:「デジタル大辞泉」
1 古歌をもとに和歌・連歌を作った場合の、そのもとの歌。もとうた。
2 本式の和歌。狂歌・俳諧などに対していう。
「あまり―で退屈いたす時はなぐさみがてら俳諧歌をいたしますが」〈滑・浮世風呂・三〉※ほんかどり【本歌取り】
和歌・連歌などで、古歌の語句・趣向などを取り入れて作歌すること。新古今時代に盛んに行われた。藤原定家が「苦しくも降り来る雨か三輪(みわ)の崎狭野(さの)の渡りに家もあらなくに」〈万・二六五〉を本歌として「駒とめて袖うちはらふかげもなしさののわたりの雪の夕暮れ」〈新古今・冬〉と詠んだ類。
★ぼんとうあん【梵灯庵】:「デジタル大辞泉」
[1349~?]室町前期の連歌師。俗名、朝山師綱(もろつな)。和歌を冷泉為秀に、連歌を二条良基に学ぶ。足利義満に仕えたが出家。筑紫・奥州などを流浪し晩年帰洛した。著作に「長短抄」「梵灯庵主返答書」など。
★「僧綱」を説明文に含む言葉 - 国語辞書の検索結果    全18件
★しほう‐ごし〔シハウ‐〕【四方×輿】
手輿(たごし)の一。輿に屋形をつけ、四方を吹き放しのままですだれを垂らしたもの。上皇・摂関・大臣以下、公卿・僧綱(そうごう)などの遠出のときに用いた。僧の用いた輿の破風(はふ)は雨眉(あままゆ)形、俗人のものは庵(いおり)形であった。よほうごし。
★し‐ほう〔‐ハウ〕【四方】http://p.tl/rlMk
1 四つの方角。東西南北の方角。
2 周囲。「―から救いの手がさしのべられた」「五里―」
3 諸地方。諸国。天下。「―を治める」
4 正方形の各辺。「一センチ―」
5 四角。かくがた。
6 四すみにくり形の穴のある、物をのせる台。
7 近世、正方形の指物(さしもの)。
   類語 ⇒八方(はっぽう) 四方八方(しほうはっぽう)
 
★ほう‐いん〔ホフ‐〕【法印】
1 仏語。仏教を外道から区別し、仏教が真実であることを示す標識。三法印など。
2 《「法印大和尚位」の略》僧位の最上位。僧綱(そうごう)の僧正に相当。この下に法眼(ほうげん)・法橋(ほっきょう)があった。
3 中世以降、僧に準じて医師・絵師・儒者・仏師・連歌師などに対して与えられた称号。
4 山伏や祈祷師(きとうし)の異称。
★さ‐かん【佐官】
1 軍人の階級で、大佐・中佐・少佐の総称。将官の下、尉官の上。
2 僧官の一。記録などをつかさどる。僧綱(そうごう)の録事。
★りっ‐し【律師】
1 戒律に通じた僧。
2 僧綱(そうごう)の一。僧正・僧都(そうず)に次ぐ僧官。正・権の二階に分かれ、五位に準じた。
★そう‐ず【僧都】
僧綱(そうごう)の一。僧正に次ぐ地位で、のちに大僧都・権大僧都・少僧都・権少僧都の4階級に分かれた。
★ほう‐む【法務】
1 (ハフ‐) 司法関係の事務。「―局」
2 (ホフ‐) ①仏法に関する事務。また、法会に関する事務。 ②僧綱所の長官。また、大寺で寺務を統括する僧職。
★ほっ‐きょう【法橋】
1 《「法橋上人位」の略》僧位の第三位。法眼に次ぐ。僧綱の律師に相当し、五位に準ぜられた。
2 中世以後、医師・仏師・絵師・連歌師などに僧位に準じて与えられた称号。
★だい‐そうじょう【大僧正】
僧綱(そうごう)の最高位。僧正の上位。
★だい‐そうず【大僧都】
僧綱の一で、僧都の最上位。文武天皇2年(698)道昭が初めて任じられた。
★ぼん‐そう【凡僧】
1 《「ぼんぞう」とも》僧綱(そうごう)に次ぐ、あるいは僧綱に任ぜられていない、法師位の僧。
2 凡庸な僧。
★そう‐ごう〔‐ガウ〕【僧綱】
1 僧尼を統率し諸寺を管理する官職。僧正・僧都(そうず)・律師が置かれた。
2 僧官と僧位の総称。僧正・僧都・律師と、法印・法眼(ほうげん)・法橋(ほっきょう)。
3 「僧綱領(そうごうえり)」「僧綱頸(そうごうくび)」の略。
★そうごうえり【僧綱領】
後頭部が隠れるように、法衣(ほうえ)の後ろ首に三角形の板を用いて、えりを隠して着ること。また、その着方。そうごうくび。
★そうごうくび【僧綱頸/僧綱領】
「僧綱領(そうごうえり)」に同じ。
★そうごうしょ【僧綱所】
僧綱が参集して執務する役所。初め、奈良時代に薬師寺に設けられた。
 
★う‐しき【有職】
僧職で、已講(いこう)・内供(ないぐ)・阿闍梨(あじゃり)の三つの総称。僧綱(そうごう)に次ぐ地位とされる。有職三綱(さんごう)。有職正三綱。
★ほう‐げん【法眼】
1 仏語。五眼の一。諸法を見る智慧の眼。菩薩(ぼさつ)のもつ、衆生を済度するための諸事象の真相を知るという眼。
2 《「法眼和尚位」の略》法印に次ぐ僧位。僧綱(そうごう)の僧都(そうず)に相当。...
★そうごう‐しょ【僧綱所】
僧綱が参集して執務する役所。初め、奈良時代に薬師寺に設けられた。
★いん‐やく【印鑰/印鎰】
1 印判。印(いん)。
2 印判と鍵(かぎ)。
 1.官府の長官の印と諸司・城門・蔵などの鍵。
 2.天台座主(ざす)の職印と延暦寺宝蔵の鍵。また、僧綱(そうごう)の職印と僧綱所の鍵など。
★こう‐い【綱位】
僧綱(そうごう)の位。古くは僧正・僧都(そうず)・律師。のちに法印・法眼・法橋(ほっきょう)が加えられた。
★そう‐じょう【僧正】
僧綱(そうごう)の最高位。初めは一人であったが、のちに大僧正・僧正・権(ごん)僧正の3階級に分かれ、員数も十余人に増えた。
★じょう‐こう【上綱】
《「じょうごう」とも》僧綱(そうごう)のうち、上位の者。

●風情(ふぜい)この言葉の意味が

2012年07月28日 11時40分53秒 | 色んな情報
●風情(ふぜい)この言葉の意味が
★風情(ふぜい)http://p.tl/aoIu
日本古来存在する美意識の1つ。
一般的に、長い時間を経て大自然によりもたらされる物体の劣化や、本来あるべき日本の四季が造り出す、儚いもの、質素なもの、空虚なものの中にある美しさや趣や情緒を見つけ、心で感じるということ。
またそれを感じ、心を平常に、時には揺さぶらせ豊かにするということ。
しかしながら「風情」とは個々人の生い立ちや教養や美意識の問題でもあり、一概にこれであると定義することはできない曖昧な言葉である。
また近年、典型例を挙げれば日本人が紳士の国イギリスに憧れを抱く如く、世界的ジャポニスムの流れによって「風情」に憧れを抱き日本を好きになる外国人も少なくない。
★感情(かんじょう)(情緒から転送)http://p.tl/qR4B
ものごとや人間等々に対して抱く気持ちのこと。喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖などがある(感情の一覧)。
★感情の一覧 http://p.tl/3BLh
様々なことに感じて抱く気持ちを一覧にしたものである。
・安心、不安
・感謝
・驚愕、興奮、好奇心、性的好奇心
・冷静、焦燥 (焦り)
・不思議 (困惑)
・幸福、幸運
・リラックス、緊張
・名誉、責任
・尊敬
・親近感 (親しみ)
・憧憬 (憧れ)
・欲望 (意欲)
・恐怖
・勇気
・快、快感 (善行・徳に関して)
・後悔
・満足、不満
・無念
・嫌悪
・恥
・軽蔑
・嫉妬
・罪悪感
・期待
・優越感、劣等感
・怨み
・苦しみ
・悲しみ、切なさ
・怒り
・諦念 (諦め)
・絶望
・憎悪(愛憎)
・愛しさ
・空虚
・優雅さ
★虚空(こくう)(空虚から転送)http://p.tl/3DKe
漢字文化圏における小数の単位(命数)の一つである。
「虚空」とは、空、平面、空間などに何もない状態を指す言葉で、そこから非常に小さい数の名前に宛てられたものである。
虚空以降の小数の命数は書物によって異同があり、空虚としているものもあれば、虚・空という2つの位としているものもある。
上の位は六徳、下の位は清浄(「清」「浄」の2つの位に分けている場合は「清」)である。
虚空が差し示す位は 10-20(1垓分の1)である。虚・空の2つに分けている場合は、虚が 10-20、空が 10-21 となる。
ただし、実際にこの名称が用いられることはほとんどない。
★劣化(れっか)http://p.tl/hL4i
物理的変化などにより品質や性能が損なわれたり、技術革新でより優れた製品が出現することにより、性能が相対的に低下する現象である。
★美意識(びいしき)http://p.tl/Rwwg
人が美しいと感じる心の働き。
美しいと感じる対象は個体差が大きく、時代、地域、社会、集団、環境などによっても大きく異なる。
例えば、整然と並ぶものに美を感じるものもいれば、ランダムに並ぶさまに美を感じるものもいる。
左右対称を美しいと感じるものもいれば非対称に美を見出すものもいる。
無調を心地よいと感じるか否かなども美意識に関連している場合がある。
西欧では華美な装飾や対称の美しさを核とした人工の美をその美意識の中心においているが、日本人の美意識はむしろ自然と対立せず、寺社、庭園に見るように、自然に溶け込むこと、朽ちては再生するプロセスそのものへの馴染み、死をも敵対するものとしては捉えず、侘(わび)、寂(さび)に見るように朽ち果てゆくものへの素朴な同調などが基調になっている。
粋は江戸時代後期の文化文政期の町人の間に生まれた美意識である。建築において、コンクリート打ち放しを美しいと感じるか否かなどは、近年問いかけられたテーマである。世阿弥が「秘すれば花」と表現したが、日本人には全体的調和を重んじ自己主張を抑制し隠蔽することによって却って受け手の想像力を刺激し、日本人特有の奥深い表現を成しえるといった側面があるように、その国特有の文化、生活、歴史観などに大きく左右される部分が多い。
あるいは、住んでいる環境・自然から受ける影響も大きいと考えられる。
自然と対峙するか、自然と調和するかによって美意識は大きく異なる。


★[洋画] 「昨日・今日・明日」(コメディー)http://p.tl/Iu_x
子供の頃の風情や人並み スカートの長さも良い。
★夜店 露天 駄菓子 香具師 縁日 http://p.tl/ZRzd
... 見るほど美しき風情なり。
★口上【コウジョウ】【傾く(かぶく)】東西声(とうざいごえ)http://p.tl/Ba9d
善きにつけ悪しきにつけ昔の日本古来から有る風情と刃傷などがぎっしり詰まったはなしである。

●日本の古典●日本の歴史

2012年07月28日 11時00分10秒 | 色んな情報
●日本の古典●日本の歴史
ピン芸の様なチョン すなわち半島人の芸などはゲイとはいえない。
わざとにカタカナにした。
芸とはその裏に色んな物を包含したものの上に立って出来上がったものである。
このまま 大陸人に侵略されアメリカ初めシロン坊に何されてもこの土地で何万年も
息を吸い この土地が生み出した美味しい水を飲んでいる以上は日本は終わらない。
なんと素晴らしい土地で空であるのか。
何万年も住んで来たこの土地を大事にしたい。
杜に 森に 守りに 盛り溢れたニホン。
 
 
 
★古典(こてん)http://p.tl/xCnh
古い書物、形式。また、長く時代を超えて規範とすべきもの。
古典の定義は、分野によって、厳密に決まっているものも、曖昧なものもある。
曖昧な場合、その基準は衆知、あるいは(自称)識者の決するところによるため、価値観や世代の違いに影響されやすい。
自然科学ではしばしば、かつては正しいと思われたが、今は厳密には正しくないことがわかっていて近似としてのみ有用なもの、という意味合いを持つ。
・「古典」概念の生成と発展
近代以降における日本(日本語)の「古典」という概念は古代中国に源流を持つ漢語の「古典」と古代ヨーロッパに源流を持つ「クラシック」という、由来も示している範囲も異なってはいるものの、類似した性格を持った二つの言葉・概念を融合させたものである。
古代中国における「古典」とは、もともとは単なる古い書物を意味するのではなくそこに書かれている「礼」(儀式の手順・方式)を意味する言葉であった。早い時期の使用例としては春秋左伝の注や後漢書儒子伝のものなどがある。
やがて四書五経など中国古代の聖人たちの著作を示す言葉になり、時代とともにその指し示す範囲が広がってきた。
日本における「古典」という語の早い時期の用例としては「太平記」のものがあり、そこでは中国の古典を指している。
その後も日本での「古典」とは中国における「古典」と同じ「四書五経」をはじめとする古代中国の聖賢たちの書物を指す言葉として使われており、日本国内で日本人によって著された作品を指すことは無かった。
源氏物語などはすでに平安時代末期には歌作において「源氏見ざる歌詠み遺恨の事なり」などとして現代的な意味での古典に類する地位を与えられていたが、これら日本の作品が「古典」と称されることは無かった。
江戸時代に生じた日本の歴史と伝統を重んじた国学では、古事記など日本の伝統の尊重という観点から重要視すべき書物を指すときには、「古典」という漢語を避けてもっぱら「ふるきふみ」や「ふることぶみ」などといった和語的な表現を使用しており、明治時代以降はこれらの「日本の古典」に対してしばしば「国典」という表現を使用している。
英語の「クラシック」及び西欧諸語における「クラシック」と同じ意味の言葉は、もともとすべてラテン語に由来している。もともとは「クラス」(階級)を意味した言葉がさまざまな言語において普遍的に見られる意味の転化により「最上の階級」を意味する言葉になったと考えられている。
早い時期の使用例としては130年ころ、ラテン語の著作で古典ギリシャ時代の賢人たちの著作をさして用いられている。その後も「クラシック」という語は主として古代ギリシャ・ローマ時代の作品に対して用いられてきており、明治時代の英和辞典でも「主としてギリシャ・ローマ時代に名著に用い、それ以外のものに使うこともある。」とされている。
明治時代以降の日本語における「古典」とは、上記のような中国語の「古典」と欧米語の「クラシック」という、そもそもの由来も指し示す範囲も異なるものの、類似した性格を持った二つの言葉・概念を融合させたものである。

★『後漢書』(ごかんじょ)http://p.tl/Okik
中国後漢朝について書かれた歴史書。二十四史の一つ。本紀十巻、列伝八十巻、志三十巻の全百二十巻からなる紀伝体。
成立は5世紀南北朝時代の南朝宋の時代で編者は范曄(はんよう、398年 - 445年)。

★四書五経(ししょごきょう)http://p.tl/bCDi
儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経の総称。
ただしこのうち『大学』『中庸』はもともと『礼記』の一章を独立させたものである。

★『太平記』(たいへいき)http://p.tl/yHwz
日本の古典文学作品の一つである。
全40巻で、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで(1318年 (文保2年) - 1368年(貞治6年)頃までの約50年間)を書く軍記物語。
今川家本、古活字本、西源院本などの諸種がある。
「太平」とは平和を祈願する意味で付けられていると考えられており、怨霊鎮魂的な意義も指摘されている。
第二次世界大戦後、「太平記」を称する小説やテレビドラマが多く作られたため、混同を避けるために『古典太平記』と呼ばれることもある。
★建武の新政(けんむのしんせい)http://p.tl/EyfA
鎌倉幕府滅亡後の1333年(元弘3年/正慶2年)6月に後醍醐天皇が「親政」(天皇が自ら行う政治)を開始した事により成立した政権及びその新政策(「新政」)である。
建武の中興とも表現される。
名は、翌1334年に定められた「建武」の元号に由来する。近年の歴史学では「建武政権」という表現も多い。
後醍醐天皇は天皇親政によって朝廷の政治を復権しようとしたが、武士層を中心とする不満を招き、1336年(建武3年)に河内源氏の有力者であった足利尊氏が離反したことにより、政権は崩壊した。
★観応の擾乱(かんのうのじょうらん)http://p.tl/0VEd
南北朝時代の1350年から1352年の観応年間に頂点に達した足利政権(室町幕府)の内訌。
この擾乱の中で一時的に生じた南北朝の統一である正平一統についても併せて解説する。
★日本における南北朝時代(なんぼくちょうじだい)http://p.tl/b1r2
日本の歴史で、皇室が南北2つに分裂した時代である。
★軍記物語(ぐんきものがたり)
鎌倉時代から室町時代にかけて書かれた歴史上の合戦を題材とした文芸であり、軍記とはいえ、事実を忠実に記した書物ではなく、武勇伝や恋愛などを後世に伝えるための物語(フィクション)である。
誇張はしているものの、合戦時の時代背景を探る書物として有用である。軍記物、戦記物語ともいう。
語り物としての要素があり、『平家物語』のように琵琶法師などによって語られる作品もある。
★浄瑠璃(じょうるり)(語り物から転送)http://p.tl/LwqV
三味線を伴奏楽器として太夫が詞章(ししょう)を語る劇場音楽、音曲である。
詞章が単なる歌ではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含むものであるために、語り口が叙事的な力強さを持つ。
このため浄瑠璃を口演することは「歌う」ではなく「語る」と言い、浄瑠璃系統の音曲をまとめて語り物(かたりもの)と呼ぶのが一般的である。
代表的な流派には、義太夫節・常磐津節・清元節などがある。
このうち、義太夫節にのせた操り人形で物語を語る伝統芸能が人形浄瑠璃(文楽)である。
なお地方によっては、単に「浄瑠璃」というと、その最も代表的な流派である義太夫節のことを指す場合がある。
そのせいもあってか、「浄瑠璃とは義太夫節のことである」といった説明がなされることもあるが、これは明らかな誤りである。
★琵琶法師(びわほうし)http://p.tl/-9Vc
平安時代から見られた、琵琶を街中で弾く盲目の僧である。琵琶を弾くことを職業とした盲目僧の芸人で、平安時代中期におこった。
★芸人(げいにん)http://p.tl/L7Ig
なんらかの技芸や芸能の道に通じている人、または身に備わった技芸や芸能をもって職業とする人のことを指す。
また、分野に関わらず、特に優れた技術を持っている場合に、その技術を褒め称える意味において芸人と呼ぶことがある。
近年はテレビ番組などの影響により、芸人という職そのものが「お笑いタレント」のみであるという間違った使われ方が多い。
かつては俳優や舞踊家を、さらに昔は碁打ちや将棋指しを芸人と呼ぶ場合もあったが、現代においてはあまり使われなくなってきている。
江戸時代には、芸人は芸を披露することで関所を手形なしで通ることができた。
   関連項目
・芸妓(芸者)
・芸能人
・役者
・お笑いタレント
・舞台芸術
・大道芸
・ストリートパフォーマンス
・ストリートミュージシャン
・旅芸人
★ピン芸人(ピンげいにん)http://p.tl/27ym
グループやコンビを組まずに一人で活動するお笑い芸人のことである。漫談家や一人コントを演じるコメディアンなども含まれる。
ただし、もともとグループやコンビを結成することが少ない落語家や講談師、奇術師などはこの範疇には含まないことが多い。(今のテレビのものは本当の河原乞食に成るのではないか 芸人ではないから)
★武勇伝(ぶゆうでん)
本来は立志伝中の人物に関する勇ましいエピソードのこと。
一般人の間でも仲間内で使ったりすることがある。
(昔の真田十勇士などをそう云うのではなかろうか)
★戦闘(せんとう、プロエリウム)(合戦から転送)http://p.tl/0srE 外国のことばかり
相互に敵対する二つの勢力による暴力の相互作用である。戦斗、戰闘とも。
戦闘が行われている場所を戦場(せんじょう)、戦地といい、歴史的に戦闘(合戦など)が行われた場所は古戦場(こせんじょう)と呼ぶことがある。
歴史的な慣習によって、「―の戦い」、「―の合戦」、「―の会戦」という用語も用いられる。
ここでは戦闘一般に関する軍事学の研究を概説する。


★日本の合戦 http://p.tl/5U8m
日本の合戦一覧は、日本史上でおこった武力を以って行った主要な争いの一覧である。概ね、「役」は戦争、「戦い」や「合戦」は一つの場所で短期間行った争いのこと、「乱」や「変」は国内で行われた内戦に当たる争い、「寇」は海外からの侵略と取られた場合に付けられる。
また、暴動やテロなどの武力を伴った衝突などは「事件」と呼ばれる。
なおこの項目では主に公的な団体(国家、武装勢力、宗教団体、政治団体など)が絡む出来事、或いは多数の市民・民衆が集合的に暴行・脅迫・破壊などの暴力的な大規模な活動を行った事例について羅列する。
★日本史の出来事一覧(にほんしのできごといちらん)http://p.tl/ARMY
日本の歴史上のおもな出来事を年代順に記述する。
小学校学習指導要領に定める、「社会科」で取り上げるべき人物については、下線を引いた。
★日本の歴史(にほんのれきし)、日本史(にほんし)http://p.tl/qsNu
日本または日本列島における歴史、国史(National History)のこと。本項では日本の歴史を概観する。
各時代の詳細は、各時代区分項目(各節の冒頭のリンク先)を参照されたい。
また、政治史・文化史の面からすると、一連の事象を「明治時代」以降についてのみ元号で一括して時代区分することは、学術的に根拠が乏しい。
★関が原の合戦 http://p.tl/Phsg
★応仁の乱 http://p.tl/WBGa