縄文人の反乱 日本を大事に

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

●縁起●演義

2012年07月28日 14時51分17秒 | 色んな情報
●縁起●演義
★縁起(えんぎ)http://p.tl/rm2B
1.仏教の縁起。下記で詳述。
2.一般には、良いこと、悪いことの起こるきざし・前兆の意味で用いられ、「縁起を担ぐ」、「縁起が良い」、「縁起が悪い」などと言う。このような意味から、「縁起直し」、「縁起物」などという風俗や習慣がうかがわれる。
3.寺社縁起。故事来歴の意味に用いて、神社仏閣の沿革(由緒)や、そこに現れる功徳利益などの伝説を指す。
--------------------------------------------------------------------------------
仏教における縁起(えんぎ、サンスクリット:pratiitya-samutpaada、パーリ語:paTicca-samuppaada)は、仏教の根幹をなす思想の一つで、世界の一切は直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って生滅変化しているという考え方を指す。
縁起の語は「因縁生起」(いんねんしょうき)の略で、「因」は結果を生じさせる直接の原因、「縁」はそれを助ける外的な条件のことである。
★験を担ぐ(げんをかつぐ)「縁起を担ぐ」http://p.tl/v_gy
ある物事に対して、以前に良い結果が出た行為を繰り返し行うことで吉兆をおしはかること。
また、良い前兆であるとか悪い前兆であるとかを気にすること。
縁起を気にする事。げんかつぎ。
●語源・由来
本来は「縁起を担ぐ」であったが、江戸時代に流行った逆さ言葉で縁起を「ぎえん」と言うようになり、それが徐々に「げん」に変化したとする説が一般的である。「験」には「仏教の修行を積んだ効果」や「効き目」などの意味がある。
●げんかつぎの内容
げんかつぎに何をするかは人それぞれであるから、実に多種多様である。他人から見れば何の効果もなさそうに思える行為でも、当人が「これはげんかつぎだ」と思って行っている行為ならばそれはげんかつぎであると言える。
★験を担ぐ(げんをかつぐ)の意味・語源・由来を解説
【意味】げんを担ぐとは、以前に良い結果が出た行為と同じことをして、前途の吉兆をおしはかること。げんかつぎ。
【げんを担ぐの語源・由来】
本来は「縁起をかつぐ」で、「縁起」が反転し音韻変化したとする説が有力とされる。
この「げん」は、「げんがいい」や「げんなおし」などとも使われる。
「験」には、「仏道修行を積んだ効果」の意味や「効き目」「効果」などの意味があり、「縁起」を意味する「げん」と関係があるとも考えられている。
ただし、「効果」などを意味する「験」は平安期、「縁起」を意味する「げん」は近世以降と時代が離れており、「縁起」を意味する方は、やくざ用語から出た言葉とされていることから、直接関係する訳でもなさそうである。
★験担ぎ【ゲンカツギ】コトバンク
ちょっとした物事に対して、よい前兆だとか悪い前兆であるとかを気にすること。験を担ぐこと。「―で豚カツを食べる」
★信貴山縁起(しぎさんえんぎ)http://p.tl/mGzI
平安時代末期の絵巻物で、2006年現在、日本の国宝に指定されている。
『源氏物語絵巻』、『鳥獣人物戯画』、『伴大納言絵詞』と並ぶ四大絵巻物の1つと称される。
朝護孫子寺が所蔵(原本は奈良国立博物館に寄託されており、霊宝館では複製を展示)。
「信貴山縁起絵巻」とも称する。
後述のごとく、表題は寺社縁起絵に属するものであるが、内容は高僧絵伝の範疇に入る。

★『『真説・リョーマ伝』縁起』(しんせつ・リョーマでん えんぎ)http://p.tl/WYKF
2010年に宝島社から発行された『『このミステリーがすごい!』大賞STORIES』に掲載された海堂尊の短編小説。
★縁起(えんぎ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .http://p.tl/Gnc4
大別して三つの意味がある。
(1)仏教の中心思想の「縁起」。
(2)神社仏閣などのいわゆる「いわれ」。
(3)縁起がよい、縁起を担ぐ、などの「縁起」は日常的な迷信、ジンクスなどの類を含む。
ここでは(1)と(2)を説明する。
 
(1)サンスクリット語のプラティートゥヤ・サムウトパーダprattya-samutpdaの訳語。仏教のもっとも重要な中心思想とされる。最初期は、われわれの現実を直視して、存在の一つ一つがつねに関係しているあり方を問う考えに基づき、たとえば老死は生まれることに縁(よ)っておこり、あるいは苦は煩悩(ぼんのう)におぼれる愛に縁り、または人間の根元的な無知(無明(むみょう))に縁っておこり、逆に煩悩の滅から苦が滅するなどと説かれ、やがてこの系列化が進められて、無明から老死に至る計12の項を数える縁起説がたてられた(十二縁起、十二支(し)または十二因縁(いんねん))。それが各項(支)を省いて、「これあればかれあり、これ生ずればかれ生ず、これなければかれなし、これ滅すればかれ滅す」ともいわれる。ただし初期の諸経典には、その他の雑多な縁起説も混在している。
 
部派仏教では、その最大の説一切有部(せついっさいうぶ)において、業(ごう)の説が加わり、この十二支をわれわれの過去、未来、現在の三世にまたがるものとしてそれぞれに配分し、時間的な生起を中心に縁起説を解して、三世両重因果説をたてた。そのほか、六因、四縁、五果を数え、因と縁との結合から果(か)の生起するあり方を細かく考察する。
 
部派の諸説に異論を唱えて大乗仏教運動がおこり、とくにその最初に登場した『般若経(はんにゃきょう)』群の一切皆空(いっさいかいくう)説が名高い。この説はナーガールジュナ(龍樹(りゅうじゅ)、2~3世紀の人)によって、縁起説と密接に結び付けられて深化しかつ拡大し、縁起―無自性(むじしょう)―空(くう)として確立した。すなわち、いっさいのものはそれぞれ他のものを縁としてわれわれの前に現象しており、しかも各々が相互に依存しあっていて、その相依関係も相互肯定的や相互否定的(矛盾的)その他があり、こうしていかなるもの・ことも自性を有する存在(実体)ではない、いいかえれば空であり、しかも、そのあり方もいちおうの仮のものとして認められるにすぎないとし、そのことの悟りを中道とよんでいる。
 
そのあと、中期大乗仏教の一つに、あらゆる諸現象はわれわれの心の働きにほかならないとする唯識(ゆいしき)説があり、ここでは、その心による認識、心そのものについての詳しい分析を果たす過程のなかに縁起説を取り入れる。すなわち、外界との縁起の関係のうえに活動する心に眼耳鼻舌身意の六識をあげ、それを統括する自我意識を末那識(まなしき)といい、さらにそれをも包んでいっさいをしまい込んでおく阿頼耶識(あらやしき)をたてる。一方、この識から縁起の関係を通じて、いかにしていっさいが現象するか、また悟りに導かれるかが詳しく検討されている。
 
中期大乗仏教の他の一つは、われわれのうちに悟りを開く素質のあるべきことを考えて、如来蔵(にょらいぞう)または仏性をたて、それは本来清浄なる心(自性清浄心(じしょうしょうじょうしん))に基づくとする。これを如来蔵縁起とよんで、法性(ほっしょう)、真如(しんにょ)などの説を展開した。
 
中国仏教では、ナーガールジュナの説を発展させ体系化した三論の真俗二諦(たい)の縁起説、天台の空(くう)―仮(け)―中(ちゅう)の三諦に基づく縁起説、いっさいのものが相互に交錯し流入しあって、一即多、多即一である現象面を重重無尽と称して、これを法界(ほっかい)縁起とよんだ華厳(けごん)の説などが知られる。また密教では、地水火風空識の六大に縁っていっさいが展開するという六大縁起説を基盤とする。
 
(2)わが国における寺社の霊験(れいげん)や由来沿革を説明したもの(因縁によって宇宙の事象が生起するという仏教語による)。歴史的縁起と物語的縁起があり、あくまで中心は唱導を目的とした後者である。前者は奈良期に諸大寺から撰上(せんじょう)された『伽藍縁起并流記資財帳(がらんえんぎならびにるきしざいちょう)』のごとく、開創縁起およびその後の変遷と国家提出用の財産目録にすぎない。これに対して庶民浄土教の流行する中世に入る12世紀末前後から、寺社霊験を語る後者が、念仏聖(ひじり)や絵解き僧の唱導活動によって全国に拡大される。内容は庶民啓蒙(けいもう)のための誇張された物語的霊験譚(れいげんたん)で、換言すれば叙事伝説といえる。この伝説的寺社由来譚も古くからみえて、『日本書紀』欽明(きんめい)天皇14年条や『扶桑(ふそう)略記』同13年条、同書同32年条などがある。中世に入る前後から、字の読めない庶民受容を容易にするため絵を伴う縁起が多くつくられ、絵解き芸能も盛んになる。説話文学との関係も密になる。このころは寺社の宣伝と庶民の信仰が呼応した絵巻縁起の最盛期である。『石山寺(いしやまでら)縁起』『北野天神縁起』『當麻曼荼羅(たいままんだら)縁起』『春日権現験記絵(かすがごんげんけんきえ)』『信貴山(しぎさん)縁起』などが代表作品としてあげられよう。『粉河寺(こかわでら)縁起』なども勧進(かんじん)僧によって書かれ、勧進の目的で制作された証(あかし)であることを示す。『一遍聖絵(いっぺんひじりえ)』『融通念仏(ゆうずうねんぶつ)縁起』その他の宗祖伝記絵も各宗派の宣伝の道具として、絵解きとともに用いられたものであろう。浄土を説く『春日曼荼羅縁起』に類するものも多い。
[ 執筆者:三枝充悳・渡邊昭五 ]
★チベット老僧の教え[空と縁起とは]http://p.tl/4Ejb
★インド思想史略説 http://p.tl/kK9d
5. 縁起     http://p.tl/ylcv
 世界が無常であることを明らかにすることによって、この世の苦しみを説明する一方で、苦しみを滅するために、苦しみを生み出す原因が何であるかを追究することも行われた。いわゆる「縁起説」である。1)
 「縁起」ということばは、現在では、もっぱら「縁起がよい、悪い」というように「ものごとの起こる前ぶれ、前兆」の意味で用いられている。しかし、もともとはそのような意味ではなかった。
 「縁起」とは「よって起こること」で、具体的には「苦しみは、なんらかの原因・条件(因縁)によって起こり、その原因・条件(因縁)がなくなれば、苦しみもなくなる」ということである。
 「縁起説」は、苦しみを生み出す因果の系列をさかのぼって、苦しみの根源をさぐりあて、それを滅することにより苦しみを解消することをめざすものである。
これは後に整備され、因果系列の項目が十二にまとめられる(十二縁起)。十二縁起説では「根源的な無知」が苦しみの根本的な原因とされ、「悟り」と対置される。しかし、最古層の経典では、一定の因果系列は現れてこない。対論する相手に応じて、さまざまに説かれるが、もっとも多くとりあげられるのは欲望である。
★縁起(えんぎ)の意味・語源・由来を解説
【意味】縁起とは、吉凶の前兆。因縁により、あらゆるものが生ずること。
【縁起の語源・由来】
縁起は、サンスクリット語「pratitya-samupada」の漢訳で仏教用語である。
本来「精神的な働きを含む一切のものは、種々の原因や縁によって生起する」という意味で、仏教の中心思想のひとつであった。
「縁起を担ぐ」という表現は、「御幣を担ぐ」が変化したものである。


★演義(えんぎ)http://p.tl/V9Wm
主に明清の中国で発展した白話小説の一種。
「演義」という語は本来「物事を筋道立てて分かりやすく説明する」という意である。すでに西晋に頃には使用されていた語で、潘岳の「征西賦」に用例がある。
宋元以後、都市の盛り場での娯楽として説話が流行したが、その一ジャンルとして歴史物語である「講史」があった。その後、説話をベースにした白話小説が成立すると、歴史をテーマにした作品に「演義」という題名がつけられるようになった。これは歴史を白話により分かりやすく物語ったという意である。しかし、これらの演義小説は、筋を面白おかしくするため、しばしば創作要素が加えられている。基本的に章回小説であり、「第~回」などのように回数が打たれ、それぞれに題目と正名がつけられている。
★えん‐ぎ【演義】大辞泉
1 物事の道理や意味をわかりやすくくだいて説明すること。
2 中国で、歴史上の事実をおもしろく脚色し、俗語をまじえて平易に述べた小説。演義小説。「三国志―」
★主な演義作品   『三国志演義』『封神演義』『隋唐演義』『楊家将演義』以上その他有り
★『三国志演義』(さんごくしえんぎ)http://p.tl/dumX
中国の明代に書かれた、後漢末・三国時代を舞台とする時代小説・通俗歴史小説である。
四大奇書の一つに数えられる。
著者は定説をみず、施耐庵あるいは羅貫中の手によるものと伝えられている。
★『封神演義』(ほうしんえんぎ)http://p.tl/3Ijm
中国明代に成立した神怪小説。『商周演義』、『封神伝』、『封神榜』、『封神榜演義』ともいう。史実の商周易姓革命を舞台に、仙人や道士、妖怪が人界と仙界を二分して大戦争を繰り広げるスケールの大きい作品である。
文学作品としての評価は高くないが、中国大衆の宗教文化・民間信仰に大きな影響を与えたとされる]。
著者(編者)は一般に許仲琳とされることが多いが、定説はない。
★『隋唐演義』(ずいとうえんぎ)http://p.tl/-rwb
清初の褚人獲によって作られた通俗歴史小説。20巻100回。
『隋唐志伝』『隋煬帝艶史』『隋史遺文』などをもとに唐・宋の伝奇小説や筆記、民間の伝承文芸から材料を集めて作られた。
隋の文帝が陳を滅亡させたところから始まり、安史の乱の後、唐の玄宗が長安に戻るところで終わる。
雑多で思想的統一性のなさが指摘されるが、隋末反乱の場面で描かれる秦瓊・単雄信・程咬金・羅成といった瓦崗寨の人物が個性的に描かれている。
日本では、安能務、田中芳樹によるリライト本が出版されている。
★『楊家将演義』(ようかしょうえんぎ )http://p.tl/Z94p
北宋の楊一族の活躍と悲劇を描いた中国明代の古典文学。単に『楊家将』(繁体字: 楊家將; 簡体字: 杨家将; ピン音: ang Jia Jiang)とも呼ばれる。中国の河北省など北方地域には、楊一族にまつわる伝説が民間故事として多数伝わっている。

中国では京劇やテレビドラマで定番となっており、老人から子供まで幅広く知られている。日本ではあまり知られていなかったが、1990年代にNHK BS-2で『三国演義』や『則天武后』が放送された時期に『楊家将』のドラマも放送されたことがある。

田中芳樹が「中国歴史ロマンシリーズ」の3作目として1997年頃に徳間書店から日本語訳を刊行する予定を立てていたが、現在(2009年1月)でも出版されていない。また、北方謙三が小説『楊家将』を執筆したが、これは訳書でなく、内容的にはほぼ北方のオリジナルになっている。結局、現在まで日本語訳書籍は出版されていない。

しかし、ウェブ上で有志の翻訳などが掲示されており、日本語で読めないわけでもない。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿