縄文人の反乱 日本を大事に

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●福島菊次郎●戦後の善人か悪人か●「殺されるな 殺すな」。六十-七十年代の

2012年07月17日 20時46分28秒 | 色んな情報
●福島菊次郎●戦後の善人か悪人か●「殺されるな 殺すな」。六十-七十年代の
学生運動や市民運動が主題???
★福島 菊次郎(ふくしま きくじろう、1921年3月15日 - )http://p.tl/BBuE
日本の、写真家、ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
山口県下松市生まれ。戦後、民生委員などの社会事業を通じて作家活動をはじめ、広島市に投下された原爆の被災者の10年におよぶ困窮生活を活写した作品『ピカドン ある原爆被災者の記録』が、日本写真評論家賞特別賞を受賞(1960年)。
この年、離婚して子どもを連れ上京しプロ写真家となる。
土門拳、木村伊兵衛が審査員を務める「カメラ(CAMERA)」の月例コンテストに応募していたこともある。
原爆、政治・軍事問題、学生運動、公害・福祉問題などをライフワークとし、「ピカドン」など17回の個展を開き12冊の写真集がある。
中近東、アラブ、ソビエト連邦などに長期にわたる取材もこなした。
作品は、『中央公論』、『文藝春秋』、『朝日ジャーナル』などの総合雑誌グラビアで約3300点が発表されている。
また、「写真で見る戦争責任展」などの写真展を全国510会場で開催した。
1982年、自給自足の生活を目指し瀬戸内海の無人島に入植したが、高齢に伴う病気のため、現在、山口県柳井市在住
★反骨の報道写真家・福島菊次郎さん(90歳)のこと http://p.tl/XRpD
★福島菊次郎フォト・ジャーナリスト● 反骨89歳 飄々たる「遺言」の日々 http://p.tl/qxO7
★福島菊次郎(86歳) 伝説の報道写真家の生き様 http://p.tl/hWBb
★映画『ニッポンの嘘 ~報道写真家 福島菊次郎90歳~』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=aputK-Irwzw
 
★伝説の写真家・福島菊次郎 | 記憶と記録 http://p.tl/MHzt
★将来を想うハンガーストライキ/福島菊次郎さん 2011.9.16  http://p.tl/elsz
★ヒロシマの嘘 by 福島菊次郎 http://p.tl/V8In
★山本宗補HP:老いの風景:福島菊次郎 http://p.tl/ITxw
★福島菊次郎さん「私の取材機材」 http://p.tl/VZaI
★ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳 http://p.tl/tZV7
★戦後の日本を見つめ続けた反骨の報道写真家・福島菊次郎のドキュメンタリー映画 http://p.tl/v1vC
★福島菊次郎さん「写らなかった戦後」http://p.tl/7Ksl
★ニッポンの嘘・福島菊次郎 http://amba.to/Q3Zuio
★福島菊次郎さん「原爆と人間の記録」http://p.tl/lZ5q
★ふたりのすごい男・福島菊次郎とヴィダル・サスーン http://p.tl/xrSy
★福島菊次郎『遺言part3』http://p.tl/20An
★『ニッポンの嘘 ~報道写真家 福島菊次郎90歳~』http://p.tl/7iqI
★抵抗の涯てに ~写真家・福島菊次郎の“遺言” - 毎日放送 http://p.tl/fCPI
★将来を想うハンガーストライキ/福島菊次郎さん 2011 9 16 http://p.tl/WIAp
★山本宗補 フォトジャーナリスト。ブログはhttp://p.tl/1zoa フリーの仲間10数人とJVJA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)としても活動。愛犬の柴犬ロクと散歩する福島菊次郎さん。http://p.tl/cGvg
★反骨の報道写真家・福島菊次郎の“遺言”http://p.tl/LQin
★福島菊次郎さんの彫金アクセサリー http://p.tl/92GG
★福島菊次郎の「遺作集」http://p.tl/vTvG
★投稿転載:福島菊次郎さんの『写らなかった戦後2 菊次郎の海』などについて http://p.tl/cp_g
★いっかんし反軍 福島菊次郎翁! http://p.tl/DmyZ
★『カメラを武器として』報道写真家・福島菊次郎 上(信濃毎日新聞2007年3月5日掲載)人生方向づけた「戦争」 山本宗補 http://p.tl/j3si
★『カメラを武器として』報道写真家・福島菊次郎 中(信濃毎日新聞2007年3月6日掲載)自ら権力に挑んだ闘い 山本宗補 http://p.tl/QTCO
★『カメラを武器として』報道写真家・福島菊次郎  下(信濃毎日新聞2007年3月7日掲載)抵抗の一粒の種を蒔く 山本宗補 http://p.tl/a1_k
★反骨の写真家・福島菊次郎さん90歳「被災福島 最後の照準 http://p.tl/uEOC
★映画『ニッポンの嘘 ~報道写真家 福島菊次郎90歳~』この夏はこの夏は一級品のドキュメンタリーが目白押し! http://p.tl/oSMt
★ヒロシマからフクシマへ。映画「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳」http://p.tl/nYDt
★「ヒロシマ」撮った90歳、最後の仕事は「フクシマ」 http://t.asahi.com/4uhk
★福島菊次郎 http://p.tl/x_fC
なにが「殺すな。殺されるな」ですか。浅間山荘を始め,彼ら学生運動家がどれだけ人間を殺してるのか。連合赤軍がどれだけダッカ空港で人を殺しているか。
この写真家のような人を反骨写真家と呼んで賞賛するのはとんでもない間違いです。

●八重山教科書問題

2012年07月17日 12時09分16秒 | 色んな情報
●八重山教科書問題
★八重山教科書問題(やえやまきょうかしょもんだい)http://p.tl/n8yV
沖縄県の八重山地区の教科書採択を巡る一連の騒動のことである。
★沖縄タイムス | 八重山教科書 http://p.tl/BYXH
★【安藤慶太が斬る】八重山教科書問題は一国二制度への一里塚か http://p.tl/YXmK
★八重山教科書裁判、傍聴記 http://p.tl/0Upc
★八重山教科書採択問題 http://p.tl/oJ7h
★八重山教科書採択問題 http://p.tl/McIi
★【主張】八重山教科書採択 有償は制度を崩壊させる http://p.tl/pmPZ
★八重山教科書問題も報告 日教組教研集会 http://p.tl/xfci
★沖縄に内なる民主主義はあるか:八重山教科書問題はなにが問題だったか http://p.tl/HHZH
★教科書の採択権は誰にあるのか ~沖縄・八重山地区教科書問題 http://p.tl/z05o
★八重山教科書訴訟、続・タイムスを恫喝した男 http://p.tl/EUOA
★八重山教科書:突然の「有償」に絶句 http://p.tl/C55E
★八重山教科書問題は文科省の法改正にまで発展【コラム】http://p.tl/hvgP
★なぜ裁判を起こしたのか・八重山教科書問題 http://p.tl/kOJg
★竹富島の反乱!八重山教科書問題 - 狼魔人日記 http://p.tl/o4BN
★「親として見過ごせない」 八重山教科書問題で提訴 http://p.tl/IZHO
★八重山教科書:採択協の会議録公開 http://p.tl/M12d
★無償供与めぐり仮処分申請 育鵬社版、教科書問題 沖縄・八重山地方 http://p.tl/A269

★【八木秀次】八重山教科書採択問題のその後[桜H24/7/12]
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=0B9kj7YJyNU#!
★八重山教科書 国が混乱招いた
http://www.youtube.com/watch?v=BxM96Ry5HFA

●伊雑宮(いざわのみや、正式名:伊雜宮)●「天照大神の遙宮(とおのみや)」

2012年07月17日 07時33分02秒 | 色んな情報
●伊雑宮(いざわのみや、正式名:伊雜宮)●「天照大神の遙宮(とおのみや)」
★伊雑宮(いざわのみや、正式名:伊雜宮)http://p.tl/pQDO
三重県志摩市磯部町上之郷にある神社。
式内社(大社)で、志摩国一宮。
皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮の一社。
度会郡大紀町にある瀧原宮とともに、内宮から遠く離れた場所で天照大神の魂を祀ることから「天照大神の遙宮(とおのみや)」と呼ばれる。
★延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)(式内社から転送)http://p.tl/Y1MR
延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」とされていた全国の神社一覧である。
延喜式神名帳に記載された神社、および現代におけるその論社を「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。
★皇大神宮(こうたいじんぐう)http://p.tl/Kxof
三重県伊勢市にある神社で、伊勢の神宮のふたつの正宮のうちのひとつである。
一般には内宮(ないくう)と呼ばれる。式内社。門前町は宇治。
★伊勢神宮(いせじんぐう)http://p.tl/nr-X
三重県伊勢市にある神社。神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は地名の付かない「神宮」(じんぐう)である。
他の神宮と区別する場合には「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて俗に「お伊勢さん」「大神宮さん」とも言う。
日前神宮、國懸神宮とともに神階が授与されたことのない神宮の一つで、古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の一つとされた。
明治時代から戦前までの近代社格制度においては社格の対象外とされた。
★日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)http://p.tl/gtu2
和歌山県和歌山市に鎮座する神社である。一つの境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社があり、総称して日前宮(にちぜんぐう)あるいは名草宮とも呼ばれる。入口から向かって左に日前神宮、右に國懸神宮がある。
両社とも式内社(名神大)・紀伊国一宮で、旧社格は官幣大社。
毎年、正月三が日は約30万人の参拝者がある。
和歌山市内にある当社と竈山神社(旧官幣大社)、伊太祁曽神社(旧官幣中社)に参詣することを「三社参り」と言い、古くよりこの三社に参詣する人が多い。この三社を結ぶ形で和歌山電鐵貴志川線が走っている。最寄駅は和歌山電鐵貴志川線日前宮駅。
★竈山神社(かまやまじんじゃ)http://p.tl/-VKe
和歌山県和歌山市内に鎮座する神社である。
式内社で、旧社格は官幣大社。釜山神社と表記されることもあった。
神武天皇の長兄である彦五瀬命を祀る。本殿の裏に彦五瀬命のものとされる墓がある。
★伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)http://p.tl/6tJI
和歌山県和歌山市にある神社である。旧称山東宮。
五十猛命(いたけるのみこと、別名 大屋毘古神)を主祭神とし、左脇宮に妹神の大屋都比賣命(おおやつひめのみこと)、右脇宮に同じく妹神の都麻津比賣命(つまつひめのみこと)を配祀する。
いずれもスサノオの子であり、木の神として信仰される神である。
★三社参り(さんしゃまいり)http://p.tl/iiFt
三つの神社を詣でることをいう。三社参りは地域に根付いた風習として一般的に行われている地域もある。
★宇佐神宮(うさじんぐう)http://p.tl/LmSZ
大分県宇佐市にある神社である。
全国四万四千社と言われる八幡宮の総本宮である。
式内社、旧官幣大社。正式名は宇佐神宮だが、宇佐八幡あるいは宇佐八幡宮とも通称される。
同じ官幣大社の石清水八幡宮、筥崎宮、または筥崎宮に代えて、格下の鶴岡八幡宮(国幣中社)とともに日本三大八幡宮のひとつに数えられる。
★八幡宮(はちまんぐう)http://p.tl/8Boo
八幡神を祭神として祀る神社で、日本各地にある。
八幡神社、八幡社、八幡さまとも呼ばれ、総本宮は宇佐神宮である。
近代社格制度においては宇佐神宮、石清水八幡宮、筥崎宮、鹿児島神宮の四社が官幣大社の社格に列し、特に宇佐神宮、石清水八幡宮、筥崎宮(※または筥崎宮に代えて、鶴岡八幡宮)の三社が日本三大八幡宮とされる。
大分八幡宮、千栗八幡宮、藤崎八旛宮、鹿児島神宮、新田神社の五社は九州五所別宮や宇佐八幡宮五所別、石清水五所別宮、八幡五所別宮などとも呼ばれ、承平天慶の乱の平定を願い宇佐神宮、石清水八幡宮から勧請した。
★石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)http://p.tl/Zq2c
京都府八幡市にある神社。旧称は男山八幡宮。
二十二社(上七社)の一社で、伊勢神宮とともに二所宗廟の一社。
旧社格は官幣大社で、現在は別表神社。
伊勢神宮・賀茂神社(上賀茂神社と下鴨神社)とともに日本三社の一社であるほか、宇佐神宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社。
★賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)http://p.tl/-75p
京都市北区にある神社。
通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。
式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
ユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。
★賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)http://p.tl/OeVJ
京都市左京区にある神社。
通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)。
式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
ユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。
★筥崎宮(はこざきぐう)http://p.tl/3mJi
福岡県福岡市東区箱崎にある神社。筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう)とも呼ばれる。式内社(名神大)で、旧社格は官幣大社。
★鶴岡八幡宮(つるがおか はちまんぐう)http://p.tl/Lo6H
神奈川県鎌倉市にある神社。相模国一宮。
旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
別称として鎌倉八幡宮とも呼ばれる。宇佐神宮・石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮の一社。
武家源氏、鎌倉武士の守護神。境内は国の史跡に指定されている。

★伊雑宮 - 伊勢神宮 http://p.tl/wKeC
天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)
★皇大神宮別宮 伊雑宮 http://p.tl/W81Y
皇大神宮(内宮)の別宮にあたる宮。
★いま蘇る幣立神宮 ⑭伊雑宮の謎 http://p.tl/nCdB
伊勢神宮の奥宮といわれている伊雑宮は不思議な神社です。
イザワ→イザヤと同じで、ユダヤの紋であるダビテ紋が神社の紋と同じです。
★謎すぎるぞ、伊雑宮! http://p.tl/vBpx
伊雑宮とは、イザワノミヤ、と読みますが、イゾウノミヤとも呼ばれます。
★日本三大御田植祭(重要無形民俗文化財) 伊雑宮 
白真名鶴(しろまなづる)の伝説がその起源と伝えられる伊雑宮御田植祭(いざわのみやおたうえまつり)
★伊雑宮 パワースポット http://p.tl/sgx3
★伊雑宮にて。 : おひさまありがとうございます http://p.tl/5iuM
★志摩国一之宮 伊雑宮(いざわのみや)http://p.tl/snav
歴史は古く、本当の伊勢神宮はここだという説もあり(先代旧事本紀)
★古殿地を見ることが出来る神宮別宮 伊雑宮(*1)http://p.tl/Rjru
★内宮の遥拝宮 伊雑宮は、志摩国一ノ宮であり  http://p.tl/lN7C
★伊雑宮(いざわのみや) - 神宮会館 http://p.tl/yh_g
★伊雑宮(いざわのみや) 志摩国一之宮、皇大神宮(伊勢の神宮・内宮)別宮御祭神 http://p.tl/qwzU
★伊勢神宮・伊雑宮の御田植祭-日本三大御田植祭、裸男たちの勇壮な竹取神事 - 伊勢志摩経済新聞 http://p.tl/1C4D
★伊雑(いざわ)宮 - 伊勢志摩きらり千選 http://p.tl/GoSv
★志摩市観光協会>観光名所>磯部>伊雑宮>磯部神社 http://p.tl/SYDQ
★伊雑宮偽書事件顛末記 (1)九鬼氏の神領横領と神領返還闘争 http://p.tl/bwZN

●私の中での名作たち

2012年07月17日 07時33分02秒 | 色んな情報
●私の中での名作たち
子供の時にウドン屋をしていた。
家の壁が土壁が落ちて酷いのでその上に大きな看板を貼っていた。
それに一週間おきに新しい映画のチラシを貼りに来た。
何枚かの無料のチケットを置いていった。
お客さんにも配ったけれど祖母と私が行くものであった。
当時は越前大野では初め二館があった。
その内 3軒目が出来た。
お陰で家の家の壁は余計に見易くなった。
一週間に二度から三度は 祖母と私は映画館通いであった。
結構色んな映画を見たものである。
 
下の三作は上映時期に私は見ていないのではと思う。
特に君の名は なんてのは見られても年だから見られるわけは無いのに。
 
名もなく 貧しく 美しく で手話を知り身近には見たこともなかったし。
道夫と秋子が客車の窓越しに思いのたけを伝え合うシーンは素晴らしい。
 
喜びも 悲しみも 幾歳月 は点々と赴任していくその中の歳月の色んな背景や風景の変化が人の苦労が判らないのに心にしみていく。
3つの映画は日本人として日本人らしいものが心にしみるのでは無いだろうか。
 
 
★名もなく貧しく美しく http://p.tl/ZKml あらすじ http://p.tl/WJbr
道夫と秋子が客車の窓越しに思いのたけを伝え合うシーンは、日本映画屈指の美しいラブシーン。
★喜びも悲しみも幾歳月 http://p.tl/pzzX ストーリー http://p.tl/2fz1 http://p.tl/IeOo
★新・喜びも悲しみも幾歳月 http://p.tl/HbFZ

★君の名はと http://p.tl/7oXO
★君の名は: 二木紘三のうた物語 http://p.tl/mRQg
★君の名は / 織井茂子
http://www.youtube.com/watch?v=4Md_l8i29mM

★喜びも悲しみも幾歳月-若山彰.mpg
http://www.youtube.com/watch?v=xJjWPfmoF78&feature=related
★喜びも悲しみも幾歳月  鮫島有美子
http://www.youtube.com/watch?v=U5pj60jC_i4


★『名もなく貧しく美しく』 : ゆうゆうゆうぜん歩録 http://p.tl/AkRX
★2011年5月 9日 (月)これが日本の名作映画だ![名もなく貧しく美しく ] http://p.tl/KVOB
★映画「名もなく貧しく美しく」を観て http://p.tl/byMj

●鬼(おに)●陰陽道(おんみょうどう)

2012年07月17日 07時28分14秒 | 色んな情報
●鬼(おに)●陰陽道(おんみょうどう)
★鬼(おに) [ 日本大百科全書(小学館) ] http://p.tl/fuu5
人間生活を脅かす醜悪怪力の想像上の妖怪(ようかい)。
今日の私たちが空想に描いている地獄の赤鬼青鬼などの共通像は、額に角(つの)をもち、口には牙(きば)、腰に虎(とら)の皮の褌(ふんどし)をまとって非常に荒々しい性格とされているが、これは古来からの姿ではなく、仏教や陰陽道(おんみょうどう)の悪鬼夜叉(あっきやしゃ)や羅刹(らせつ)などの影響で、徐々に変化してきたものである。
『往生要集(おうじょうようしゅう)』の思想普及で、地獄の鬼も絵解きとともに画像化された。
民間信仰の風神や雷神なども、同じイメージにとらえられている場合が多い。
「鬼」の字義には、本来は死者の魂の意味があり、語源的にも十巻本『和名抄(わみょうしょう)』には、「……或説云於邇者隠者之訛也、鬼物隠而不欲顕形故以称也」(或(ある)説ニ云フ於邇(おに)ハ隠(おん)者ノ訛(なまり)ナリ。
鬼物ハ隠レテ形ヲ顕(あらわ)スコトヲ欲セザルノ故ヲ以(もっ)テノ称ナリ)とあって、隠れて人間にみえない精霊と考えられていたから、とする説もある。
時代的にも種々の観念で把握されている。
『日本書紀』神代・景行の条では、皇威に従わぬ種族を、邪鬼(あしきもの)、邪神(あしきかみ)、姦(かだま)しき鬼と記しているし、欽明(きんめい)天皇条では人にたたる幽鬼になっている。
『万葉集』では鬼を醜(しこ)と訓ずる歌もあり、モノ(物の怪(もののけ)、悪霊)とする意もある。
『出雲国風土記(いずものくにふどき)』大原郡条の一つ目の鬼は、佃(たつく)る農夫を食べてしまうという、他界の畏怖(いふ)すべき超人者に考えられている。
上代文学に表れたこれらの性格を総合してみると、恐るべき他界者の意義を中心に、(1)異形醜悪、(2)超人超能力者、(3)邪神、(4)亡者、(5)異族など、およそ後世の広い意味のすべてを胚胎(はいたい)していることになる。
里の住人が、人跡未踏の奥山の世界を恐れ、その不思議な現象に鬼の超人性を感じたのが、中世以降の仏教思想の庶民化とともに一般に普及した。
これが今日に固定した鬼のイメージであろう。この他界にあるモノを調伏(ちょうぶく)するために、聖(ひじり)や修験者(しゅげんじゃ)たちが、山に登り修法を勤めたのが古代後期である。
山伏(やまぶし)の祖たる役行者(えんのぎょうじゃ)の鬼退治伝説が語られ、その崇(あが)められた像には前鬼後鬼(ぜんきごき)が伴われるようになった。
平安期以降では、節分や修正会(しゅしょうえ)の結願に追儺(ついな)が、「鬼やらい」として行われた。
『蜻蛉日記(かげろうにっき)』に、「儺(な)やらふ儺やらふ」と騒いでいる情景が描かれている。
児童遊戯の「鬼ごっこ」は、鬼やらいの作法の模倣の伝承である。
災厄をもたらす鬼の目を豆でつぶすという俗信もあるが、幸福をもたらす鬼の例も少なくない。
民間に訪れるまれ人神にも鬼のイメージが重なってくるようになる。
神戸市長田(ながた)神社や京都吉田神社の追儺式など、おどけた鬼や善玉の鬼も多い。春の民俗儀礼における秋田のナマハゲや岩手のスネカなど、小正月(こしょうがつ)に訪れる鬼は、子供たちには恐れられるが、すべてその年の実りのための神霊の具象化である。
それらの鬼が神事芸の舞台にも登場して、郷社祭礼の主人公を務めている場合もある。
福井県鯖江(さばえ)市の親子鬼は、自分で豆もまくし、姫路神社では鬼が厄払いをする。
能登地方の寺々では、山ではなく海から鬼が訪れて鎮魂をすると信仰している所が多い。
これらの善玉の鬼は精霊としてのそれを考えたものである。
また、現世に恨みを残して無残な死を遂げた御霊(ごりょう)を鬼とみる地方もあり、これを鎮める供養(くよう)の民俗行事もある。
鬼は疫病神としても恐れられた。平安京で行われた道饗祭(みちあえのまつり)や四角四境祭(しかくしきょうさい)は、それら鬼の侵入を防ぐ行事で、農村の境で塞(さい)の神によって外からくる疫病を防いだ民俗信仰が陰陽道と習合したものである。
この種の災厄を、御霊の祟(たた)りとし鬼の所業と定めたのは陰陽道である。
その影響もあって、中世の能楽の世界でも怨霊(おんりょう)や冥土(めいど)の鬼に定義づけられたものが多い。
今日の悪玉としての鬼のイメージの完成は、多くの英雄叙事伝説のなかから固定してきたといえよう。
治安の乱れで横行した山賊とか、奥山に土着してしまった山窩(さんか)なども、姿の見えぬ一般人には混同されて、山塞(さんさい)に立てこもる鬼とか化け物(天狗(てんぐ)などもその一類)として、種々の話題を提供する。
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が鈴鹿(すずか)山の鬼女と闘った伝説をはじめ、渡辺綱(つな)が退治した羅生門(らしょうもん)の鬼、大江山で退治される酒呑童子(しゅてんどうじ)も、婦人をかどわかしたり金品を襲う山賊である。
謡曲『田村』『羅生門』『大江山』に脚色され、中世ごろから人口に膾炙(かいしゃ)した鬼たちであろうが、すでに山奥に住むこれら悪玉のイメージは『今昔物語集』などの説話の世界でも語られていた。
謡曲『紅葉狩(もみじがり)』は信州戸隠(とがくし)山の鬼女であるし、『鉄輪(かなわ)』の後シテ京女の生霊も『葵上(あおいのうえ)』『道成寺』に同じく嫉妬(しっと)のあまり鬼女と化している。
これらの伝説の芸能化による主人公ばかりでなく、昔話の世界にも同じイメージの鬼は多い。
『宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)』で爺(じじい)の瘤(こぶ)を預かるのは、昔話「瘤取爺」の類型。
伝説と同じく昔話でも鬼退治はその主人公の偉業礼賛の重要なモチーフで、「桃太郎」「一寸法師」など、だれでも知っている民話のなかに、日本人の代表的な鬼の固定観念を定めた。しかし昔話にも恐ろしい鬼ばかりでなく幸福をもたらす類もある。
山姥(やまうば)や天狗なども、鬼に同じく善悪両様に考えねばならぬ場合が多く、その点でも他界の精霊と邪神の性格を、民俗信仰の世界に投影して、鬼の歴史を吟味すべきであろう。
[ 執筆者:渡邊昭五 ]

★陰陽道(おんみょうどう)http://p.tl/Iz2E
陰陽寮で教えられていた天文道、暦道といったものの一つ。
これら道の呼称は大学寮における儒学を教える明経道、律令を教える明法道等と同じ。
「おんようどう」「いんようどう」とも。
古代の中国で生まれた自然哲学思想、陰陽五行説を起源として日本で独自の発展を遂げた自然科学と呪術の体系である。
陰陽道に携わる者を陰陽師とよんでいたが、後には陰陽寮に属し六壬神課を使って占いをし、除災のために御払いをするもの全てが陰陽師とよばれるようになった。
陰陽師集団を陰陽道と呼ぶことがある。
★陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)http://p.tl/cNz3
古代日本の律令制下に於いて中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行の思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指すが、それら官人が後には本来の律令規定を超えて占術や呪術、祭祀を司るようになったために陰陽寮に属する者全てを指すようになり、更には中世以降の民間において個人的に占術等を行う非官人の者をも指すようになり、声聞師と重ねられることもあって「声聞師」と呼ばれる場合もあった。
現代においては民間で私的祈祷や占術を行う者と定義付けられており、中には神職の一種のように見られる者も存在する。
なお、本来は「おんようじ」と訓んだが現代は専ら「おんみょうじ」と訓まれ、これは「おんようじ」が連声化して「おんみょうじ」となった(「陰」は中国語中古音で「qim」、中世日本語音で「wom」なので、連声化するとま行の音になる)ものとされ、また「おんみょうじ」と先頭を強調する発音が定着しているが、かつては「おんみやうぢ」と2音目に揚音があったと言われている。
★陰陽寮(おんようりょう、おんようのつかさ、おんみょうりょう)http://p.tl/Hdgx
日本の律令制において中務省に属する機関のひとつ。占い・天文・時・暦の編纂を担当する部署。「うらのつかさ」とも。
四等官制が敷かれ、陰陽頭(おんようのかみ)を始めとする幹部職と、陰陽道に基づく呪術を行う方技(技術系官僚)としての各博士及び陰陽師、その他庶務職が置かれた。
 
★天文道(てんもんどう)http://p.tl/aMYZ
天文現象の異常(天文異変/天変現象)を観測・記録し、その地上への影響について研究する古代の学問。陰陽寮で教えられていたものの一つ。
今日で言う天文学に相当するが、内容的には占星術の色合いが強く、科学とは程遠いものであった。
博士には陰陽師を養成する陰陽博士、天文観測に基づく占星術を行使・教授する天文博士、暦の編纂・作成を教授する暦博士、漏刻(水時計)を管理して時報を司る漏刻博士が置かれ、陰陽、天文、暦3博士の下では学生(がくしょう)、得業生(とくごうしょう)が学ぶ。

★陰陽博士(おんみょうはかせ)http://p.tl/wWk7
律令制で陰陽寮に設置された教官の1つ。陰陽師を教育することを掌った。
定員1名(ただし実数には異説あり)。正七位下相当。

★天文博士(てんもんはかせ)http://p.tl/U3CR
律令制の陰陽寮に設置された教官で天文道のことを担当する。
正七位下相当。定員は1名であるが、後に権官も設けられた。

★暦博士(れきはかせ)http://p.tl/YGuc
日本の律令制における官職の1つ。
中務省陰陽寮に属して、毎年の造暦(暦の作成)と改暦、日食の予測、暦生の教育にあたった。
定員1名(後に権官1名追加)・従七位上相当(ただし、後世では五位以上が慣例となる)。
和訓は「こよみのはかせ」。唐名は司暦・司暦正保。

★漏刻博士(ろうこくはかせ)http://p.tl/2Mtn
日本律令制において陰陽寮に置かれた博士。和訓は「ときつかさ」。
唐名は司辰・契壷司。定員2名で時には権官が置かれた。
従七位下相当であるが、五位・六位が任じられた例もある(『職源鈔』)。
仕丁から選抜された守辰丁(20名)を率いて漏刻を警備するとともに、時刻を計り、定時に守辰丁に命じて陰陽寮内に設置された鐘を撃たせた。
天皇の行幸の際には漏刻博士1名と守辰丁12名が漏刻とともに随従する義務があった。
もっとも、漏刻の技術は比較的早くに途絶えたとされ、院政期には賀茂氏・安倍氏の一員やその推挙する門人のための官職となる。
菅野季親・季長は漏刻ではなく、年筮の達人として漏刻博士となったとされる。
なお、大宰府・陸奥国(後に出羽国を追加)にも漏刻は設置されたが、博士は置かれずに守辰丁が管理していたとされている。

★暦道(れきどう)http://p.tl/B8_J
古代日本における暦を作成するための学問(暦学)のことである。
陰陽寮で教えられていたものの一つ。
『日本書紀』には、欽明天皇の時代に百済の暦博士が来日した記事が記されているが、本格的な暦学の伝来は推古天皇12年(602年)の百済僧・観勒の来日による。
従って日本の暦道の起源はここに求められる。

★具注暦(ぐちゅうれき)http://p.tl/iJ1A
日本の朝廷の陰陽寮が作成し頒布していた暦である。
吉凶判断のための様々な暦注が記載されていたことから、注が具さ(つぶさ)に記入されているということで、このように呼ばれる。
巻暦の体裁で、漢字のみで記される。基本的には上段に日付・干支・納音・十二直などの基本的な項目・暦注が記載され、中段には二十四節気・七十二候などが、下段にはその他の暦注が記載され、半年分で1巻とされた(従って上下2巻で1年分となる)。
現存する最古の具注暦のうち、紙に書かれたものは正倉院文書の天平18年(746年)暦である。
奈良時代から、具注暦に日記を書く習慣が生まれた。平安時代には日記を書くために余白部分が拡大されるようになる。
藤原道長の日記が書き込まれた具注暦は『御堂関白記』と呼ばれ、国宝となっている。
鎌倉時代後期を過ぎると仮名暦の登場によって衰退するが、それでも公式の暦として重んじられた。
江戸時代には、実用よりも公家や大名の「ステータスシンボル」として作られることが多くなった。
明治改暦による太陽暦への移行によって仮名暦ともども廃絶した。

★御堂関白記(みどうかんぱくき)http://p.tl/QGRv
平安時代の貴族の摂政太政大臣・藤原道長が著した日記。
『法成寺摂政記』『法成寺入道左大臣記』『御堂御記』『入道殿御日記』『御堂御暦』などとも称される。