寛永通宝の
本日の写真です。
母親がタンスの中から古銭を見つけて持ってきました。このお金の由縁が話題となり、父親が使用した日本画の刻印が一緒にあったため、私は父親が集めた古銭と思いましたが、父親は絵を描くにあたって名古屋の東海銀行本店の中で旧い貨幣を見せてもらって描いたと母が言い、絵画には我家の古銭とは違う貨幣が描かれているため、どうやら江戸時代から先祖の残した貨幣と思われます。
大量に残されていた寛永通宝は江戸時代の寛永13年(1636年)から鋳造され、明治初年まで通用したとあることから、私より3代前となる曾祖母の親かそれ以前の先祖が残した古銭と思われ、曾祖母は貯金はしても使うことを知らず、昭和30年頃に家が2軒建てられる貯金通帳が長期間放置したため無効になっていた話もありました。
さて、何所へ売りに行こうかと話が盛り上がる家族を制して、このお金はこのまま後世に残すことにしましたが、数年前に事務所を息子に明け渡した引っ越しで、昭和時代の集めていた紙幣が行方不明になっており、隠してあるヘソクリについても私が死ねば存在すら判りません。
両親を失った父親の幼少期や、60歳を越えてから乳母車に野菜や花を積んで行商に出て、3人の孫を育てた曾祖母の苦難の時代を考えると、この古銭を大切に保管して子孫に語り継いでもらいたいと思います。