中年男のエレジー 郷愁

yahooブログとの交差点にしたいと開設しました。ヤフーブログ終了により、アメーバとライブドアから発信を始めました。

岐阜県池田町の芝桜

2022年04月15日 23時59分16秒 | 日記

霞間ケ渓(カマガタニ)の芝桜 岐阜県池田町

 

道の駅 池田温泉

 

霞渓寺の鐘楼

 

霞渓寺

岐阜方面の遠景

霞間ケ渓花畑

岐阜方面

芝桜

 

小寺展望台の桜

いび茶の茶畑

道標

禅蔵寺

石段

本堂

 

 

道の駅 さんさん谷汲

 

谷汲緑地公園

抹茶味のソフトクリームは最高です

道の駅 織部の里もとす

地元産のお茶

本日の写真です。             アフタヌーン珈琲
 
 午前中に自宅を出発しましたが、岐阜県池田町にある霞間ケ渓の芝桜を鑑賞後に池田温泉で入浴した後の冷えたビールを目標にしていたものの、揖斐川沿いの山々にはまだ桜の花が残されており、谷汲方面まで車を走らせました。
 
 芝桜の開花はこれからでしたが、眩しい光に新緑が輝き、開花を終えた桜の新芽の緑と一部に残る桜のピンク色が混ざり、山腹に残る桜を眺めていると時間の経過も忘れてしまいました。
 
 道の駅池田温泉でカセットガス沸かした湯で昼食と珈琲をとり、霞間ケ渓の芝桜を鑑賞後に道の駅さんさん谷汲へ移動し、五平餅とみたらし団子にソフトクリームを食し、最後の道の駅織部の里もとすで買い物後に自分で入れた珈琲を飲んでから自宅へ戻りました。
 
                                            4月10日の一言
 
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小雨の桜の下をウォーキングへ

2022年04月03日 23時17分12秒 | 日記

稲沢市平和支所近くの桜 本日の午後

今週のコークオン

本日目標達成しました

愛西市相ノ川の桜 本日の午後

悠々と泳ぐカワウ

塩田グランド横の噴水

 

稲沢市平和支所前

平和町農村環境改善センター前

須ヶ谷川桜づつみ

麦畑と桜

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動画です

庁舎前水路の桜

最近では珍しくなったレンゲソウ

この周辺は在来種のタンポポが群生していました

手に持つ1本は外来種の西洋タンポポです

道端には菜の花

二級河川 日光川

日光川桜づつみはまだツボミ状態です

咲き始めた桜の花とツボミ

休憩スポット

満開の桜

日光川堤からの遠景

本日の写真です。
 
 本日は曇り空で午前中から小雨が降る一日となり、平生なら出歩きませんが、コカコーラのコークオンの週間ウォーキングが最終日で、ノルマの3万5千歩まで8千歩足りないため、小雨の中を愛西市と稲沢市の桜並木を歩くことにしました。
 
 一週間前にもここを訪れていますが、相ノ川の桜は満開となっており、本日は最下流にあたる塩田グランド付近の桜を鑑賞後に稲沢市平和町の桜ネックレスを北上し、帰路は日光側沿いの堤防を下りましたが、こちらは開花が始まったばかりでほとんどがツボミ状態でした。
 
 日光川の堤防には、奈良八重桜や佐野桜など十種類以上の桜が植えられており、これから一週間は桜の開花が続きそうです。
 
 さて、明日は朝から患者さんを名古屋市の中村日赤まで送迎することになっており、自分自身も2日前に日赤への紹介状をかかりつけ医からもらっているため、自分の予約を先に済ませたい心境ですが、明日だけでなく明後日にも患者さんを日赤まで搬送する予約をもらっています。
 
 人を病院まで送迎するボランティアですが、自分自身は病院どころか注射も苦手で、最も行きたくない場所でありながら、昨年からは他人だけでなく自分も通院治療する立場になっており、今月から始まる上高地のボランティアに向けて一抹の不安材料でもあります。
 
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出会いと再会の四国遍路 第2日目

2022年03月23日 22時38分21秒 | 日記

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道の駅 うたづ臨海公園

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前日出会ったМさんご夫婦と朝の記念撮影

 平成16年から一言を記してきましたが、ブログを通じて連絡を取り合って沖縄で対面したメンバーも存在しますが、フェースブックは個人名を公開して発信しており、今回の四国遍路ではМさんのコメント欄で交信しながら出会うことができました。
 
 フェースブックの使い方も利用方法も知りませんでしたが、Мさんとメッセンジャーを利用して情報交換できるようになり、お互いの名刺交換もしたため、私が四国八十八か所を巡拝する間は立ち寄れる居場所が宇和島市に増えました。
 
 さて、四国2日目(20日)は、7時前にМさんと別れて朝マック後に第76番から逆打ちで愛媛県を目指しました。

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本日最初のお寺 第76番金倉寺

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善通寺 五重塔

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四国フォト 善通寺の広瀬さんと再会

 善通寺の専属写真館主広瀬さんとは、平成13年に20人の仲間とマイクロバスで訪れて以来のお付き合いとなりましたが、昨年末のお遍路でお会いできず、娘さんから奥様が闘病中と聞いていたので立ち寄りました。
 
 この日も不在で娘さんからお母さんが亡くなられた話を聞きましたが、娘さんが連絡されたと思われ、駐車場の車に戻ってくる私を待っておられ、家族と一緒に写真を撮ってくださる話となり、奥様の昔話や現在の食生活など雑談に花を咲かせることになりました。
 
 お客さんを乗せた運転手役の場合は雑談もしておれませんが、家内と妹の気まま遍路のため旧交を温める時間がとれました。元気で再会したい私の立ち寄り場所にもなっていますが、お遍路の道中に立ち寄れる居場所は貴重な存在です。

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第74番甲山寺

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出釈迦寺から見る捨身ヶ嶽禅定

 2年前のお遍路では、奥の院の捨身ヶ嶽禅定までピストン輸送されていたお寺の車に相棒リマも乗せてもらった思い出ある場所で、この上に相棒が居るような錯覚すら覚えてしまうのが出釈迦寺でもあります。

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ワンちゃんのお遍路さん

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白衣と輪袈裟姿です

 第70番本山寺の境内で、白衣と輪袈裟をはめた2匹の愛犬お遍路と遭遇し、2年前に旅立った相棒リマにも白衣用の布が購入してあったものの、完成せぬままになっていたことを家内が話し、我々の相棒との思い出話をうなづいて聞いていただいたご夫婦に感謝の一言となりました。元気で長生きしてもらいたいものです。

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第70番本山寺 五重塔

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名古屋の伊藤萬蔵さん寄進の花台

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お雛様を公開中でした

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工事中の67番大興寺本堂

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66番雲辺寺からの遠景

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別格14番椿堂

 四国2日目の最終のお寺は別格20霊場の椿堂です。ここも避けて通れないお寺です。
 
2013年11月07日の一言
 
 今から12年前にご接待でいただいた椿の木が見事な花を咲かせたものの翌年に枯らしてしまい、その後に再度いただいた椿の木の1本は自宅に植えたものの、また枯らしてしまう可能性からもう1本の椿は町内の真言宗の弘盛寺へ持参したところ、境内を整備して椿堂のツバキとして立派に保存されてきました。
 
 ご住職は信者の方々への読経中でしたが、椿をいただいた奥様に御礼と椿の現況を伝えてお寺を後にしました。
 
3月20日の一言
 
 さて、この日は四国中央市の天然温泉三島乃湯に立ち寄り、西条市の道の駅「小松オアシス」を車中泊の場所と決め、車中でカセットガスコンロを使用して夕食を摂り、今回の車中泊では初めてとなる持参した赤ワインで乾杯としました。
 
 ここの車中泊でも翌日に新しい出会いが実現しました。
 
                                   3月23日の一言
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出会いと再会の四国遍路 第1日目

2022年03月22日 23時32分41秒 | 遍路

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道の駅みろく 香川県さぬき市
 
 18日夜10時半に愛知県の自宅を出発し、翌日午前3時過ぎに道の駅に到着し、目的地の大窪寺まで30分ほどかかるため、6時に目覚ましをセットし、それぞれの座席で足元から寝袋をかぶって仮眠のみの車中泊となりました。
 運転席での仮眠は初めてでしたが、暖かくて朝まで熟睡できました。
 

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四国八十八ヶ所 第88番大窪寺

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    巡拝を終えたお遍路さんが置いていった金剛杖です
 

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     常楽寺 第86番志度寺の前です
 
 第75番善通寺前管長の樫原禅澄さんのお寺自性院常楽寺を立ち寄りましたが、この日は治療のため外出しておられて不在なため、ご家族に挨拶後に近況をお聞きして持参したお土産を渡して退散しました。
 

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 傘みくじの木
 
 今回の四国遍路は第60番横峰寺から結願寺となる第88番大窪寺を巡拝する予定で、先週18日の夜から愛媛県西条市まで移動する予定でしたが、フェースブックの道の駅de車中泊のメンバーが第65番から巡拝する書き込みを発見し、同じような場所を巡拝するものの、追いつけないため88番大窪寺から逆打ちして何処かで出会えることを目指しました。

 「私も明日から3日間で満願を目指します。60番からスタートし、香川県の2か所で車中泊の予定です」とコメント欄に発信すると、「僕らは2日間で残りの24カ寺をお参りするつもりなので途中でお会いするかも知れませんねェ」と返信があり、出会うためには逆打ちしかないため香川県道の駅みろくで3時間仮眠後に大窪寺から巡拝を始めました。

 途中でそれぞれの現在地をフェースブックのコメント欄から報告しながら巡拝すると、午後4時頃に「今78番に向かっています!」の書き込みがあり、「78番で待っています」と返信して、家族を参拝に送り出して駐車場で待っていると、背後から「もしかして、大鹿さんですか」と声がかかりました。

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宇和島市のMさんと出会いました

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 フェースブック「道の駅de車中泊」のメンバーであるMさんの記事を見るだけでなく、どうせなら出会いたいと思い、絶対会うためにはMさんと必ず遭遇するはずの逆打ちを選択したものの、車で移動中にすれ違えば遭うことはなく、「今78番に向かっています!」の発信を見た時は午後4時過ぎになっていました。
3月19日の一言
車中泊の四国遍路で奇跡的な出会いへ | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)  
           1日目の遍路は添付した上の記事をご覧ください。     
 
 78番郷照寺でしばし談笑後に記念写真を撮り、我家は次の77番道隆寺に参拝し、四国健康村で入浴を済ませて、この日の車中泊の地「道の駅うたづ海浜公園」へ到着すると、駐車場が半分以上閉鎖されており、車を停めるスペースを探す余裕もなく満杯の車中泊となりました。
 
                                    3月22日の一言
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今年もサクランボとアンズが開花しました

2022年03月17日 23時28分15秒 | 日記

我家のサクランボ 右手前はアンズ

左サクランボ 中アンズ 右朴の木

サクランボ

花弁

事務所前のアンズ

つぼみです

上部は開花し始めています

アンズの花

手前サクランボ 右事務所奥のアンズ

こちらはまだツボミ状態です

本日の写真です。
 
 昨日に引き続いて福祉有償運送の一日となりましたが、家内は車イス利用の患者さん専属で名古屋市まで同行しており、私は市内の患者さん3人を搬送したものの、診察が終わった後で薬局に寄りたいと言われ、刻々と次の約束した時間が迫り、ついには時間が超過してしまいました。
 
 このあたりの判断によってはスムーズな連携となりますが、患者さんだけでなく相手のあることだけに成り行き任せで対応するしかなく、待たされる人の存在を考えると、待たされる人以上の時間に追われるストレスを実感させられます。
 
 さて、我家の庭にも春が到来し、一週間おくれでサクランボの花が咲き、アンズのツボミも木の上部から開花を始めています。週末には満開になっている可能性が高いものの、週末の3連休は四国遍路へ出かけているため帰宅後には散りかけているかも知れません。
 
 その四国遍路ですが、出発することは決めているものの、持参する納め札や白衣など準備を何もしておらず、車に積み込むだけのこととは言え、巡拝する前の心の準備ができておらず、愛媛県から香川県に向けて訪れる知人やお土産も明日と明後日に調達する必要があります。
 
 あわただしい旅立ちになりそうです。
                                      3月16日の一言
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移動販売の「えがしら堂」の団子を追いかけて

2022年03月11日 00時00分22秒 | 日記

あま市の大治ピアゴ店

えがしら堂

いちご大福やまんじゅう

おはぎや桜餅

移動販売のえがしら堂です

本日の写真です。          8日までピアゴ大治店へ出店中
 
 先週訪れたピアゴ佐屋店に出店していた「えがしら堂」を紹介しましたが、本日は昨年10月に長野県松本市の道の駅で出会った「えがしら堂」の店員さんが「信州田舎大福」の看板で出店中のピアゴ大治店を訪れました。
 
2021年 10月10日 私が13日に発信したブログです。

 昨年から多くの団子屋さんの五平餅や団子をブログで紹介していますが、何度も訪れようと思うお店は美味しいのは勿論ですが、何よりも店員さんの人柄の良さが前提で、この「えがしら堂」のWさんも話し出したら人の良さが判ります。

 Wさんは仲間からナベちゃんと呼ばれているそうですが、苗字は何だか思いますか?

あべ川餅

おはぎ

 店頭では、最初におはぎと桜餅を食べ、お土産にピーナッツ味やくるみ餅などのセットと、おはぎのセットを持ち帰りましたが、五平餅やみたらし団子だけでなく、大福餅や甘いまんじゅうも大好物のため、本日は夕食のごはんは抜きにしないと健康面では問題です。
 
 さて、Wさんのえがしら堂は、来週8日まで大治ピアゴ店へ出店し、その後は多治見市から岡谷市へ移動し、4月の花見シーズンは長野県の高遠城址公園へ出店し、その後は松本市の道の駅今井恵の里で秋まで営業するそうです。見かけたら声をかけて下さい。
 

過去に訪れた団子屋さん一覧 ↓↓

 昨年8月から地元だけでなく、奥三河や木曽路から信州の団子屋さんを訪れてきましたが、何回も行きたいと思うお店は限られており、今回の「えがしら堂」については団子の美味しさだけでなく、明らかに販売する店員さんの人柄によるものですね。

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木曽三川公園のチューリップ

2022年02月20日 23時27分39秒 | 日記

これは春としか思えませんが…

木曽三川公園 岐阜県海津市

木曽三川タワー

見事なチューリップが咲き誇ります。

国営木曽三川公園

本日の写真です。
 
 本日の午前中は町内会の仕事があったため、午後に家族で外出する予定を立てていたところ、遠方から知人が訪れると連絡が入り、知人と別れてから帰宅すると鉛色の空から小雨が降り注いでいましたが、このままでは家に篭ったままの週末になるため行き先未定のまま車を発車させました。
 
 県をまたぐ往来を自粛するよう発信されていますが、私の住む地域より東部の名古屋市へ向かうことは新型コロナの危険性が高いため、真っ黒の雲に覆われた県境の木曽三川を目指すと、小雨がミゾレに変わり、ミゾレが小雪となりましたが、そのおかげで人と接することなくウォーキングができました。

2020年 6月06日

 

 2年前に旅立った相棒リマが居た頃には一緒に散策できる居場所にしていましたが、2年間も素通りで通過していたことを帰宅後のブログから確認しました。

2018年02月14日の写真

 本日は春と勘違いしそうな美しいチューリップを鑑賞できましたが、4年前にも木曽三川公園にはチューリップが植えられており、相棒の写真は多く残っていたものの、本日のような立派なチューリップは残されておらず、公園全体にチューリップが咲き誇る春が楽しみに思われます。
 
 公園散策後は治水神社を訪れ、更に多度大社前の団子を食してから自宅へ戻りました。
 
                                     2月20日の一言

 

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伊良湖岬 伊勢湾フェリー

2022年02月15日 23時16分10秒 | 日記

伊勢湾フェリー知多丸 13日鳥羽からの第一便

伊良湖岬

海上自衛隊の艦船

ゆっくりと進みます

伊勢湾ですが…

海上保安庁の船舶 13日早朝

鳥羽行き第一便 伊勢丸

 

 
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動画です

鳥羽行き第7便 12日午後4時32分

12日午後4時33分

13日 鳥羽からの第一便

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動画です↓

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13日午前9時03分

午前9時02分

夕暮れに行き交う船舶 12日午後4時55分

伊良湖灯台 12日(土)と13日(日)の写真です。

 
 12日の夕暮れの伊良湖岬と恋路が浜を散策し、翌日早朝の日の出に期待していたものの、曇り空のため期待した日の出は眺められませんでしたが、朝一番に出航するフェリーと到着したフェリーを眺めて旅情気分に浸ることができました。また、私の車にエサをねだって集まってきた猫たちにも心が癒されました。
 
 こんなにゆっくりと旅先にとどまっていたことは珍しく、朝7時前から午後5時まで休みなく参拝する四国遍路や、山の陰になり夕暮れの早い上高地では体験できない2日間となりました。
 

 かつての若かりし頃には、伊勢から伊勢湾フェリーで伊良湖へ渡り、名鉄海上観光船で知多半島の河和港から名鉄電車で帰宅したことや、名鉄フェリーを利用して渥美半島と知多半島を日帰りで観光した経験や、観光バスを利用して渥美半島の東海七福神を巡ったことなど、最近の急ぎ旅とは違ってゆっくりと廻っていたことが懐かしく想い起こされてきました。
 
 高校時代の先輩たちに誘われるままに渥美半島を訪れ、真っ黒な泥だらけになって獲ったアサリや、メロンを現地の農家の人と交渉して安く購入した思い出など、これまですっかりと忘れてしまっていた体験や、この歳になったからこそまだまだ楽しめる環境が渥美半島にあることを実感させられました。
 
 東三河と渥美半島にはまだまだ訪れる楽しみが残されています。
 
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伊良湖岬から渥美半島をのんびりと

2022年02月13日 23時05分18秒 | 日記

伊良湖岬 午前7時09分 

 

海上保安庁 とばぎり

フェリー乗り場

鳥羽行き 伊勢丸

 

伊良湖岬 駐車場

別れられなくなりました

恋路ヶ浜 駐車場

恋人の聖地の鐘

椰子の実の記念植樹

四国と共通する植生

日出の石門近くの海岸

日出の石門

石門の中

水浸しの撮影です

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迫力の動画

片浜十三里

伊良湖から浜名湖まで続いています

連れて帰りたい心境です

菜の花ガーデン

菜の花が延々と続きます

道の駅 あかばねロコステーション

昼食 うどんと団子

赤羽根漁港

道の駅 田原めっくんはうす

団子屋 せんりき

たん平 1本130円

本日の写真です。
 
 昨日から伊良湖岬を目指した大きな目的は伊良湖岬に沈む夕陽と、日出の石門に上る日の出を鑑賞することにあり、昨日は恋路ヶ浜と灯台で夕陽が沈むを見ることができましたが、本日早朝の天候は快晴ではなく、太陽が雲に隠れて日出を見ることができませんでした。
 
 しかし、伊良湖岬を出航するフェリーを眺め、駐車場でエサをねだって離れない猫を相手にのんびりした時間をすごし、移動後の日出の石門で荒波が膝まで濡らし、スマホで撮影中に全身に波をかぶり、何十年ぶりとなる海水を口にするなど久しく忘れていた懐かしい思い出ができました。
 
 日出の石門の日の出はまたの機会に挑戦するとしますが、2日間に撮りだめた写真も多いため、明日以降に順次紹介していきます。    
                                     2月13日の一言
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京都から節分のお札と福豆が届けられて

2022年02月04日 22時30分33秒 | 日記

京都大原から届いた福豆

宝泉院住職のご挨拶

御札

 毎年の事とは言え、忘れられることなく届けていただけることに感謝しかありませんが、今年も京都から節分の御札と福豆が送られてきました。そして、何かお返しをと思いながらも返礼もせぬまま月日が経過し、昨年からはコロナ禍もあって京都までが遠く感じてしまいます。

 多くのお寺とのご縁がありますが、宝泉院は一番古くからお付き合いが続き、かつてはお盆と大晦日だけでなく、春や秋のイベントにも訪れていましたが、最近は京都を通り越えて四国遍路に走り、方向の違う高野山へ走って京都を訪れる機会が減りました。

 若い頃の私にとって京都は新婚旅行の目的地にした憧れの地でもありました。京都で多くの人と知り合い、その人を訪ねながら京都へ足を運びましたが、それらの多くの人たちが鬼籍に入り、今では個人的に尋ねられるお寺は宝泉院の住職だけとなりました。

 これまで添えられていた挨拶文は流し読みで深く考えなかったものの、年金受給者となり老化を切実にかんずるようになり、住職の挨拶分から自身の健康を考え、身と心から悠久の世界に存在する自覚も覚えるようになってきました。

 この節分会の手紙が一年でも永く届けていただけるように、ご住職の健康も祈らずにはおれません。

弘盛寺の御札と福豆

家族分の御札

福豆

本日の写真です。
 
 弘盛寺は私の住む町内にある真言宗のお寺ですが、毎月21日に開催されている「阿息観」に参加し、唯一本堂で瞑想にふけられる居場所となっており、我家の宗派である浄土宗よりも真言宗が身近に感ずるのはこのお寺のおかげでもあります。
 
 かつては家内の在所のある旧祖父江町の古刹へ節分の祈願に訪れていましたが、やはり毎月訪れるお寺は身近な存在となり、数年前から家内が家族全員(9人分)の祈願をお願いするようになり、今年は1月末に節分会が開催されました。
 
 このお寺の境内には、四国別格14番椿堂の奥様からいただいてきたツバキの幼木が植えられており、この木を眺めると今から1200年前の空海までつながっているような錯覚も体験でき、私の死後も成長している姿を想像すると生きる糧にもなってきました。
 
 コロナ禍で外出が難しい世情の中にあり、我家に届けられたお札と福豆がこんなに有難いと思えるようになったもの、やっぱり歳の影響ですね。
 
                                       2月4日の一言
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タンスから江戸時代の寛永通宝がでて

2022年01月29日 22時56分19秒 | 日記

寛永通宝の

旧い紙幣も

15枚ほどあります

嘉慶通宝

寛永通宝

同じ寛永通宝でも大きさが違います

寛永通宝の裏側 元や文の文字が入っています

文久永宝

二銭硬貨

五十銭硬貨

さて、どうしようか…

それよりも誰の残した古銭か

とりあえずここに入れました

一緒に出てきた刻印

私の父親の篆刻です

父親が昭和38年に残した古銭の日本画

本日の写真です。
 
 母親がタンスの中から古銭を見つけて持ってきました。このお金の由縁が話題となり、父親が使用した日本画の刻印が一緒にあったため、私は父親が集めた古銭と思いましたが、父親は絵を描くにあたって名古屋の東海銀行本店の中で旧い貨幣を見せてもらって描いたと母が言い、絵画には我家の古銭とは違う貨幣が描かれているため、どうやら江戸時代から先祖の残した貨幣と思われます。
 
 大量に残されていた寛永通宝は江戸時代の寛永13年(1636年)から鋳造され、明治初年まで通用したとあることから、私より3代前となる曾祖母の親かそれ以前の先祖が残した古銭と思われ、曾祖母は貯金はしても使うことを知らず、昭和30年頃に家が2軒建てられる貯金通帳が長期間放置したため無効になっていた話もありました。
 
 さて、何所へ売りに行こうかと話が盛り上がる家族を制して、このお金はこのまま後世に残すことにしましたが、数年前に事務所を息子に明け渡した引っ越しで、昭和時代の集めていた紙幣が行方不明になっており、隠してあるヘソクリについても私が死ねば存在すら判りません。
 
 両親を失った父親の幼少期や、60歳を越えてから乳母車に野菜や花を積んで行商に出て、3人の孫を育てた曾祖母の苦難の時代を考えると、この古銭を大切に保管して子孫に語り継いでもらいたいと思います。
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源義朝が湯殿で暗殺された場所に立って

2022年01月26日 23時32分51秒 | 日記

野間大坊大御堂寺の源義朝公御廟に眠る人々のお墓
 
大御堂寺から300メートル歩くと密蔵院へ

知多四国第52番 鶴林山密蔵院

大師堂

大師堂内

新発見

蜜蔵院の沿革

境内奥の山

100メートル

200メートル

300メートル

目的の松

はりつけ松の説明

のどかな風景ですが…

先週土曜日の写真です。
 
 今から900年前の話となりますが、平治2年(1160年)に源義朝(源頼朝の父)は入浴中に随行していた鎌田政家の舅、長田忠致・景致父子に平家からの恩賞目当てで暗殺され、随行していた義朝の乳兄弟と呼ばれた鎌田政家も暗殺前日に影致によって殺害されています。
 
 鎌田政家の妻は長田忠致の娘と言いますから、忠致は娘の夫を殺害し、政家が仕えていた主君義朝を暗殺し、その首を大御堂寺の横にある池で洗い、平家の恩賞をもらうために首を持って上京したと伝わっています。知多半島から京都まで移動した時間を考えると、持参した首の状態や検分した平家の武士の当時の顔がよみがえってきます。
 
 下克上と言われる戦国の時代にあって、親子や兄弟が殺しあうのは当り前の世情かもしれませんが、平家のために娘婿を殺した長田親子は暗殺した義朝の息子である源頼朝の下で働き、頼朝のために恩賞もあげますが、この野間の地で頼朝によって磔にされ、その松が枯れてはいるものの蜜蔵院の裏山に残されていることはリアルですね。
 
 さて、今から400年前には本能寺の変で織田信長が暗殺された後に、後継を争う柴田勝家と豊臣秀吉の間で争いが起こり、柴田勝家側についた信長の三男信孝も、秀吉と次男信雄によって本日添付した蜜蔵院で自刃しています。
 
 知多半島は知多八十八ヶ所の巡礼の地になっていますが、かつてはそのお寺で暗殺が行われ、その後当事者が裏山で磔の刑に処され、織田信長の三男はその家来だった秀吉と自分の兄弟によって蜜蔵院で自害していた歴史が目を閉じると浮かび上がってきそうです。
 

2018年 2月19日 私の記した一言です。

 お寺で人が殺されたり、人々が普通に生活する場所で切腹する残酷な歴史が数百年前は普通に行われており、私の住む津島市に近い七宝町にある「桂の六地蔵」についても、天正12年(1584年)6月に起こった蟹江城合戦で敗走し,秋竹で切腹した武士の遺骨を引き取った僧が,その冥福を祈って刀剣とともに葬って建立されたと言われています。

 この蟹江合戦についても、織田信長が本能寺で倒れた後に豊臣秀吉と徳川家康との間で小牧・長久手の戦い以降に起こっており、蟹江城合戦では秀吉軍と家康・織田信雄(信長の次男)連合軍の闘いですから、信長や秀吉の出身地である愛知県の尾張地方でも残酷な殺し合いが行われていたことが判り、三男の信孝を秀吉と一緒になって切腹させた次男信雄も、徳川と連合を組んで戦っていることを考えると、小汚い秀吉や家康に対して兄弟が多い織田信長の子供たちが団結して信長の意思を継承して欲しかったと思うのは私だけとは思えません。

 我家の住む土地から4キロしか離れていない場所で生まれた信長や、歩いて2時間の距離に生まれた秀吉の声が聞こえそうな年齢まで歳を重ねたことも実感するようになりました。今から1200年前の空海の声が聞きたいと四国の僻地を訪れているだけに、400年前の信長や秀吉の声が聞こえそうに思えても不思議ではありませんね。

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横井庄一さんグアムで発見され半世紀が経過

2022年01月24日 22時26分45秒 | 日記

本日の夕暮れ 午後5時37分

本日の朝日新聞朝刊

本日の朝日新聞夕刊

 
 本日は横井庄一さんがグアム島で発見されて50年目にあたり、朝日新聞朝刊に掲載された天声人語の中で私の名前を見た知人から複数の電話が入り、午後にも東京や全国各地の方々からの問い合わせが届きました。
 
 記念館が休館になって2年が経過しており、その間にテレビや新聞で報道されると、直接電話連絡ができない人々は、ネット検索から私の事務所や自宅の電話番号を探して、全国各地から問い合わせや、中には名古屋に来て現地から電話をかけてくる人も存在します。
 
 私の寿命があと何年あるかは判りませんが、我家で小学校5年生まで「大鹿庄一」として生活していた横井さんの幼少期と、横井さんが私に語った言葉を思い出しながら、残された人生の中で横井さんの記録を残していきたいと思っています。
                                        1月24日の一言
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自宅で、木曽路一番の美味しい五平餅を焼いて

2022年01月19日 23時29分28秒 | 日記

自宅で五平餅を焼きました。

21年11月29日

中山道上松宿 中村の五平餅

                 長野県木曽郡上松町大字小川 (,寝覚) 2443-1

           電話 0264-52-2183 10時~17時(時期により異なる) 定休日 不定休 

3個分入っていました。

同封されていたタレ

クルミ、胡麻、落花生、砂糖、しょうゆ、みりん

作り方のレシピ

真空パックに数ヶ所穴を開けてレンジします。

電子レンジで1分から2分加熱します。

ずいぶんと柔らかくなりました。

出来立てのような感触です。

タレを付けます。

タレの残り

少し焦げ目が付くまで焼きます。

2本同時に焼きます。

まもなく出来上がります。

本日の写真です。
 冗談やお世辞抜きで真空パックのお土産とは思えない美味しさです。

 ↓↓ 過去の五平餅や団子の記事一覧です。↓↓クリックしてご覧下さい。

 昨年夏から訪れた奥三河や木曽路の五平餅の中で、私の身勝手な評価で最高点をつけた旧中仙道上松宿にある「中村」で、11月末に購入して持ち帰った真空パックの五平餅でしたが、店内で食べた味と遜色ない柔らかい焼きあがりになりました。

 かつて、お土産の五平餅を自宅で焼いたことがあり、餅の一部が煎餅のように固くなった記憶がありましたが、レシピにあった電子レンジで温めたためか、近くの街角のスーパーで売られる五平餅よりも柔らかく、自分好みに焼いたため香ばしくなりました。

 もっとも、購入してから時間は経過していたものの、餅は真空パックで保存され、タレも容器にテープを巻いて密封してあったため、餅さえ店と同じ食感になれば、タレは本職の自家製のため美味しくて当たり前なのかもしれません。

近くのスーパーで売られている普通の五平餅より美味しいことは間違いがありません。

 

                                   1月19日の一言

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海部元総理大臣の訃報を聞いて 時間は戻りません

2022年01月18日 01時02分55秒 | 日記

私が戴いた書

現在は三男の接骨院に掲げてあります。

平成元年(1989年)9月発行のふるさとアサヒ第10号

                            私が編集発行していたミニコミ紙です。

昭和51年文部大臣就任祝賀パーティの1枚

                           津島青年会議所のメンバーと

平成2年1月のふるさとアサヒ第13号

年頭の挨拶分

 現職の総理大臣のあいさつ文を貰いにいきましたが、地元の有力者に依頼すると「総理大臣の挨拶文なんかもらえない」との返答で、「あんたで貰えるものなら貰ってきたら」と「若造のお前扱い」の冷たい反応しかなく、恐れを知らない私は直接訪れ、当時秘書であった田中志典氏(元犬山市長、元愛知県議)の計らいで年頭のあいさつ文と写真をいただきました。

懐かしい顔です

思い入れのある長文の挨拶文を戴きました。

議員時代 箱根のホテルで夕食に招いていただきました。

 私は平成11年に仕事を辞めて市議会議員に転出しましたが、立候補した初めての選挙中に我家の事務所前で海部さんに応援演説をしてもらいました。
 
 地元の人たちには私と同時期に県会議員に当選した井桁さんの縁で海部さんの応援をいただいたと思われているものの、実際には私の立候補を心配する稲沢市の先輩たちが海部さんの地元事務所(稲沢市)まで連れていっていただき、海部事務所の指導を仰ぐようになりました。
 
 「靴を3足履きつぶす覚悟で地元を歩け」と、海部さんの弟で秘書の尚樹氏に激を飛ばされて選挙運動をスタートさせましたが、それをさかのぼること10年前に地元で発行していた「ふるさとアサヒ」の挨拶文を、当時一宮市にあった海部さんの事務所を訪れて依頼しており、この挨拶文をミニコミ紙へ掲載したことで海部系と思われ、ミニコミ紙の複数の配布場所から置くことを断られました。
 
 さて、議員になってからも色々と海部さんのお世話になりましたが、しばらくして行われた市長選挙で海部陣営の推した候補者を私が応援しなかったため、津島市の海部陣営の政治関係者から締め出され、海部事務所を訪れることは無くなりましたが、元々が津島市の海部陣営の関係者とは無縁だっただけに無念な思い出となりました。
 
 海部さんの訃報を現実のものとして、受けた恩は多いものの、何一つとして恩返しができないままに現在に至った後悔は大きく、私にとっての海部さんは国会議員でありながら、政治上のつながりではなく、私のためなら何でもやると言われたランカ堂写真店の高橋さんとの写真つながりの延長で、高橋さんは海部さんのご尊父とも親交のある津島市で一番の海部ファンでもありました。
 
 私と海部さんをつないでくれたのは、決して政治的な打算や計算ではなく、その間をつないでくれた私の恩人や先輩が存在していたことから、引退された直後にでも当方から訪れて何かしら微力でも恩返しなり御礼ができておれば良かったと思いますが…
 
 知人は勿論ですが、恩人や先輩の訃報が身体に堪えるようになり、元気に散歩に連れられていく愛犬を見ても相棒の姿を探していることがあり、何時でも会えるとの感覚を改め今を大切にして生活していきたいと思います。
                                         1月16日の一言 
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