笑顔でいたいから~母のつぶやき~

いつも笑顔でいたいから~元気でわんぱくで、でも少々問題ありの子供たち。自分自身も子供たちもみんな笑顔でいたいから~

小さな幸せ

2005年04月19日 | 
  自分を大切に

自分を大切にする人は 人を大切にします

自分を粗末にする人は 人を粗末にします

自分を愛する人は 人を愛することができます

自分が嫌いな人は 人にグチばかりこぼします

自分を好きな人は 自分を伸ばします



小さな幸せ ほんとうの幸せ

この世の中には二つのタイプの人間がいます

その一つは
 大きな幸せの中にいながら
  その中の小さな不幸せのみを見つめて
   いつもブツブツいいながら
    不幸せに生きている人

もう一つは
 大きな不幸せの中にいながら
  その中の小さな幸せだけを見つめて
   いつも幸せに生きている人



オドロキⅡ

2005年04月19日 | 発達障害
昨日書いた記事が,なくなっている・・・
なんで~??

さて、
もんすけは、まだ年長さんふだが
4月から進研ゼミのチャレンジ一年生を始めた。

その辺のいきさつはこちら の「オドロキ」(4月18日)という記事をのぞいてください。

もんすけは、数字に強い。
足し算・引き算はマスターし、今は九九に夢中。

だから、さんすうは大丈夫だろうと思っていた。
ところが、違った。

もんすけは、さんすうの問題は読まずに、絵を見て自分で問題を勝手に想像して答えている。
まずは、問題文を声にだして、読もう。

すると、今度は、問題文の意味がわからない。理解できない。
そっか~~、と思った。

もんすけは,記憶力がいい。
一度解いた問題はパターン化して覚えてしまうから、数字や動物などの名前が変わっても
同じ文章なら、すらすら解ける。

普通は問題の意味を理解して(読解)解くのだろうが、もんすけは違うと思う。
文章をパターン化して覚えてしまうのだろう。
だから、ちょっと表現が変わると、分からない。
また、パターン化して記憶する。

文章を理解する能力がないぶん、記憶力がいいのかもしれない。

やっぱり神様は平等なのだ・・・とか思う。

そして、ひらがな。

もんすけは、カタカナは全部かけるのに、ひらがなが書けない。
くるっとまわるところが、難しい。
たとえば、「ま・す・は・ほ・あ」などなど・・・
だから、自分の名前を書くのに、「もんすけ」と書けずに「もんスけ」となる。
数字の「8・9」もどうしても、うまく書けなかった。

最初は面倒くさがりだから、カタカナのほうが簡単で横着しているのかと思った。
でも、どうも違うようだ。
一生懸命、練習しているのに、ほかの字にくらべて明らかに上達しない。
ひらがながうまく書けない=疲れる=カタカナで書く。

もんすけは自分で気付き始めている。字が上手に書けない事。
もんぺーみたいに、さらさら書けないこと、気付いている。
障害があるってしらなかったら、もんすけのこんな気持ちにも頑張りにも気付くことはなく
もんすけを傷つけてばかりだっただろう。

これも、LD(学習障害)なのかな?とか思ったり。

でも、コラショのおかげで、一生懸命書くようになった。
コラショパワーってすごい。
もう、おしまいにしよう、と言っても練習している。

ほんとに少しづつ、ちょっとずつ上達している。
たかが、ひらがなを書けるようになるのが、こんなに大変なんだ・・・

最近は、なぞって書くのは、それなりに書けるようになってきた。

そして、昨日、数字の「8・9」とひらがなの「み」がちゃんと書けていた!!
「み」は何度も何度書き直していた。
もん母ともんぺーは、バカみたいに、喜んだ。
もんすけも恥ずかしそうにしながら、とても嬉しそうだった。
(でも、今日はまた、うまく書けなかったけどね。一進一退だ。)

チャレンジ一年生のおかげで、色んなことが分かった。
細かいことだけれど、入学してからでは、本人も先生も大変だっただろう。

もんすけは、何かを書くときには、ひらがなとカタカナが入り乱れるかもしれない。
カタカナばかりで書くかもしれない。
そんなことを、先生に分かっていてもらうだけでも、違うと思う。

学校でなんとかやっていくためには、こういう細かいことって大事なのかもしれない。
本人には無理させないように気をつけながら、観察していこう。

話しはかわるが

子どもって、誉められるとやる気をだすっていうけれど
誉めてほしいから、頑張るのではなく
喜ぶお母さんの顔が見たくて 頑張るのかもしれない。

お母さんが喜んでくれるのが、嬉しくて、誉めてもらおうと頑張るのかもしれない。

昨日の恥ずかしそうな、嬉しそうなもんすけの顔を見ていてそう思った。

「子供ってどんなときでも、親に喜んでもらおうと、努力して頑張るものなんだよ。」
母に言われたことがある。

私はそんな子供ではなかったと思うのだが
母はそう思っていたのだろうか・・・
無意識のうちに、私も母を喜ばそうと頑張っていたのかもしれない。

どんな小さなことでも、心から喜んであげられるお母さんになりたい。

そう思った。