十六夜の SORA から 夢が降ってくる

いつも全快で 愛と笑い 届けます
 ☆You'll never walk alone☆
~ RYO,IWAI ~

What a beautiful day !

2011-04-30 01:34:59 | SORAからの贈り物☆日記☆

Good morning

穏やかな気持ちで朝を迎えるって、簡単な様で実に難しいけど

“朝陽が登ってきたぁぁぁ”と思いながら走る高速って、とっても気持ちが良いよね

目の前に広がる、まだまだ雪が残っている山々・・・

やっぱり自然って凄いなぁ



思うんだよね 最近

朝方涼しく感じるけど、日増しに昼間は暖かくなって来て、トラックの中は

長袖のTシャツから半袖に変わってさ

“空気が気持ち良い~”

とか、普通に思う事がどれだけ幸せな事なんだろうってさ


前にも書いたけど、“普通”って事に慣れてしまっていて、それが出来なくなって

初めて、その大切さや必要性を思いきり感じる・・・そんなもんだよね


昨日まではそこにあった“普通”の映像が、まったく違う物になってしまった

写真に写り込む私のちっぽけな事・・・

ここには見渡す限り町の輝きと人々の歓声があった訳で、今は風の音しか聞こえない

でも、今日も“頑張れ”ってSORAが応援してくれているんだから

Good afternoon で、行きましょう


確かに、自然の脅威からみたら人間なんてちっぽけな存在だなって思い知らされたけど

ミツバチ達が、巣を襲う自分の身体の10倍もあるスズメバチに、仲間の力を合わせ

勇猛果敢に戦う姿を見たら、“やってやれない事はない”って思うもんね


太陽が東から昇って西に沈む頃には

“今日も暖かな日差しで、一日中私を応援してくれてありがとう”

そんな気持ちで、アクセルを踏んでる帰り道・・・


東京のビル群に消えて行く太陽だって、やっぱり奇麗で暖かな光を放って

明日への希望と勇気を、ちっぽけな私に届けてくれる


What a beautiful day なんて素晴しい一日なんだろう

今日も“頑張りました~”って事で・・・



Good night

白龍と黒龍・・・SORAの戦い

2011-04-29 03:33:42 | SORAからの贈り物☆日記☆

SORAの色って、やっぱり東京だとグレーな感じかな・・・

毎日見上げる、私の大好きなSORAだけど、“青・白・黒・金・赤・・・

様々な色彩の光で、いつまでも見ていられるんだよな


子供の頃から、東京のSORAは見上げているけど、出張とかで日本全国に足を運んだ私には、

やっぱり空気の澄んだ地方のSORAの色が、眩しく輝いて見えるなぁ


宮城県亘理郡山元町の被災地で、地元の仲間ユウキとSORAを撮影したら、

そこには、何もかもを奪いさらわれた悲しき大地の上に、

大きな口を開いた“白龍”が、堂々と勇猛に浮かんでいた


『再びの地、復活を見守っているぞ』とでも、聞こえてきそう・・・


青空は、とてつもなく澄んでいて、穏やかで温かな光に満ち溢れている

必ずこのSORAが似合う、街が復活する事を心から期待しているんだよね


ふと、東京に帰って来て同じようにSORAを見上げる

いつものように、誰かの声を聞いた様な気がしたからかなぁ

そこには、太陽の射す光に向かって天空から舞い降りた“黒龍”が・・・

SORAの色も、ぜんぜん透き通っていないし、太陽の光もどこかグレーだし

黒龍は、とても早い速度で舞い降りたかと思うと、太陽を飲み込んで消えた

一瞬、辺りは暗くなり、太陽の光も薄黒い光を放つ

“東京のSORAには、自然のPowerが感じられないぞ”

どこか、怒りのMessageを感じてしまうが、本来龍は自然と人間との調和を図る化身

だからこそきっと、何かに気が付かないといけないのかもなぁ



白龍も、黒龍も、とてつもなく大きな力で私たちを守ってくれたり

自然界からの大切なMessageを、伝えてくれる偉大なる存在なんです


黒龍が去った後、SORAにはまた温かい太陽が現れた

やっぱり、透き通る様な青いSORAとは縁遠いけど、その光はとても希望を感じました



明日からGWが始まりますが、被災地の子供達にとって楽しい一週間にはならないかも・・・

一日も早く、この世界の子供達全てに、素晴らしいSORAが見上げられる日が来て欲しい


今日も私はSORAを見上げて、“ありがとう”

そして、“地球を、子供達の未来をお願いします”と願うのです


いつもより少し、優しい気持ちになった私・・・でした

 癒し ・・・ な、感じで行きます

2011-04-28 01:29:14 | SORAからの贈り物☆日記☆


むか~し むかし・・・

お菓子のおまけとか、くじ付きおかしの“当たり”なんて出たら

思いっきりテンション上がりませんでした?

私は1966年(昭和41年/丙午)生まれで、

その43年前1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒に関東大震災

更に21年前1945年(昭和20年)8月15日第二次世界大戦から終戦へ・・・

その翌々年の1947年(昭和22年)9月には、関東地方から東北地方

そう、この度の震災があった所を襲ったキャサリン台風があった

どれもこれも未曾有の危機に陥る程の被害に見舞われ、焼け野原になったり

水災害で全ての物を失ったり・・・本当に大変だったと思う


そうなんだよね 私が生まれる前の約40年間で、日本は大きく様変わりして

壊れた国土を何度も建直して、強く強くたくましく戦って来たんだ

今更だけど、日本人って凄いPower持っていて、世界一格好いいじゃん

高度成長期とか言われて、日本人の諸先輩達はとてつもなく頑張ってくれて

私が子供の頃は、お菓子についてるおまけに一喜一憂出来る平和な時代になっていた


原発に悩む地域の子供達が、毎日ニュースの中で苦しんでいるけど

絶対なんとかしてあげないといけないし、お菓子持って青いSORAの下を

思いっきり走らせてあげたい・・・なんて、皆思っているでしょ

だから、今日はちょっと癒しな日記です


子供の頃のおまけと言えば、キャラメルとかに付いた物とかガムに付いてる奴とか

そうそう、今も変わらない“チョコボール”の玩具の缶詰

金のエンジェルなら1枚 銀のエンジェルなら5枚送ると貰える


いやぁぁぁ 大人になってから初めて貰えたんだぁぁ


なんか最近では、ラムネを買うと何粒かに一粒顔が書いてあったり

口臭予防のミンティアとかの中にハートマークが入っていたり・・・

ちょっと趣向は変わって来たけど、子供達のテンションは今も昔も上るんだよね


カレー味のカールに入っていた、きっと・・・いや絶対プレミアムな奴です


大変な時代にまたまたなったけど、次代を担う子供たちを心から笑顔に出来る

そんな世の中に早くしたいね


友人の長谷川さん家のにゃんこ ちょっと足が短くて可愛いっす


関東大震災の後も終戦の後も、凄く頑張った日本人が沢山いて

今度は今の私たちが頑張る番です


“お~い しっかりやれよぉ”

平和って簡単に言えるけど、創る事はとても難しいね

でも、先輩達に出来たんだからきっと出来るさ

おまけや当たり貰ってテンション上がる、普通に平和な喜びのある世界


今日もSORAは、皆を応援しています

The strong power of God hand (素晴らしきSORA)

2011-04-27 02:30:07 | SORAからの贈り物☆日記☆

“いつも君はSORAを見上げているね”

まただ・・・

頭の中に誰かが優しく語り掛けてくる

“辛い時 幸せな気分の時 何かがあると君はSORAを見上げているんだ”

『・・・そうだよ 俺はSORAを見上げるのが好きなんだ』

自然と声が出た

子供の頃、両親が側に居なかったから、誰かに聞いて欲しい事があると

朝も、昼も、夜も関係なく、SORAを見上げていたと思うし

それは数十年経った今でも、変わる事無く繰り返されているんだ

“私に何か話したいのかな”

透き通る様な声の響きに、心がより一層穏やかになって行くのが解る

『自然は・・・地球は怒っているの?人間に』

暫く何も聞こえてこない時が流れて行く

“地球だって呼吸もすれば、喜怒哀楽を表現する時だってある”

きっと当たり前なんだろうけど・・・

“そうだよ 当たり前なんだ 君たちも病気にかかる事だってあるだろ”

そりゃそうさ 寝たり起きたり、ごはん食べたり働いたりって当たり前って事でしょ

“その通りさ 地球だって病気にかかったら、治すために医者を探す 原因を探す”

心の中の問いかけなのに、頭の中にははっきりとした温かいエネルギーが入ってくる

『俺達は地球にとってパラサイトなの?自然を壊す悪い奴ら?』

思わず口に出してしまったが、ずっと気になっていたし、自然との調和とか

共存共栄とかって、子供のころに道徳の時間に習ったし・・・

“そうかも知れないし違うかも知れない 良い奴悪い奴が居て初めて善悪が生まれる”

悪なんて必要ないと思うけど

“必要悪もあるのだよ 悪い部分があるから治そうとするし、それが成長と言うものだ”

でも、地球や自然が怒って仕舞えば、俺達人間なんて無力なだけの存在じゃないか

“ならば、共に生きる為に必要な知恵と知識をもって、心から地球を敬えば良い”

何億歳にもなる地球で、たった数千年前に産まれた俺達が、大切な地球を

病気にしてしまったり怒らせたりしてきたんだろ 今更・・・

“いいや 今からだ 今からだって遅くはない”

そうだよね 『そうなんだよね』

私は何かある度にSORAを見上げて話し掛ける

子供の頃からそんな癖があるんだ

だって、“明日は今日よりもっと素晴らしい一日になる”って

SORAが答えてくれるから・・・


こんな会話が有ったか無かったか・・・そんな気持ちになる写真をプレゼントします

ちょっと暗くて解り辛いかも知れないけど、とても素晴らしいSORAだった



インターネット検索で“神の手”と入れると、幾つかの写真が出てきますが、合成や

無理やりな物が多いのですが、この写真は人々を守る温かいSORAなんです

神様が居るとか居ないとか、そんな目線の物ではなく、心優しく人を想い

一生懸命生きる全ての生き物を包み込む、そんな力を持っています

私の撮った写真の中では、とてつもなくPowerが出ている写真です

弱っている心と身体、悩んだ時にこの写真を見て願って下さい

まだ5歳だった私が、屋根の上で膝を抱えて見たSORAにも同じ雲が居て

私はこれまで、どんな時も守られて来たのだから

私から・・・

いいえ SORAからの贈り物です


追憶・・・

昨日亡くなられた“田中実さん”(俳優)
ニュースで沢山報じられていましたが、彼が最後に自身のブログに書き残した
“空を見上げて考え続けたい”の日記を読んで、そこには自殺なんて考える
様な心境すら見えない、とても温かい文章が並んでいました
夕方のSORAの写真と共に・・・
心からご冥福を申し上げます

今を生きるあなたへ from SORA

2011-04-26 03:38:32 | SORAからの贈り物☆日記☆

今を生きるあなたへ 
       
        
沢山笑った

沢山泣いた

沢山考えた

沢山悩んだ

沢山 沢山


人は何の為に産まれて来て、何を見つける旅に出るのだろう

母なる大地から産まれ、育まれ、旅立ち、ゴールへと向かう

永い旅も、短い旅も、人それぞれの旅があり

ゴールに向かう目的も、想いも、速度も違う
 
きっと産まれてきた意味を探す旅の中で、愛し愛されながら

永遠とさえ思える時間も 一瞬としか思えない時間の中でも

沢山の笑顔

沢山の涙

沢山の学び
 
沢山の苦悩

沢山 沢山向き合って歩き続けるんだ

        
今を生きるあなたへ

明日への旅の準備は出来ていますか

しっかりと大地に足をつけて、歩き、駆け出す準備は出来ていますか

将来(みらい)に向って、宝探しをする勇気を持っていますか

壁にぶち当たった時、それを壊し乗り超える勇気を持っていますか

強い心も 弱い心も 迷う心も 怒りを静める心も

そして何より人を想う 優しい心も

どんな時もあなたはあなた自身を守っています

今を生きるあなたへ

頑張れ



この詩は、17歳から19歳までの殆どを病院生活で送った、私の書いた

病床での詩です

正直あの頃、毎日SORAを見上げて、こう思っていました

“なんで私だけが辛いんだろう”

繰り返される手術 毎日の点滴 確信の持てない“完治”への期待

そんな時、私を支えてくれた医師がいた

梨花ちゃんの時に書いた鬼の“中西先生”

自分だけが・・・何てことは絶対にない

同じように苦しんだり闘ったりしている人は、この世の中に沢山いる

それを教えてくれた

“今を生きるあなたへ”

今もあの頃も、私はあまり成長せず同じ様な気持ちで、皆にエールを送りたい

一緒に生きているんだから


西のSORAにね、雷電雲(RAYDEEN)が現れた

長い髪を颯爽と棚引かせ、悠々しい姿で私たちに教えてくれる


強い怒りの雨が降る・・・
その後には熱い太陽が皆を照らす
所詮、人間も自然の一つでしかないのだから
共に助け合い、新しい明日を創るが良い


本日夕方、突然1時間だけの嵐が関東を襲った

それはまるで怒りのエネルギーにも思える力で、建物や車を吹き飛ばした

それでもその後に広がるSORAには、雲一つない奇麗な夕焼けが世界を照らす

自然は私たちに問いかける 

それは怒りだけではなく、優しく心を温めたり 照らす光となって


そうだよ 自然はちゃんと教えてくれるんだ

だから皆で力を合わせて・・・


さぁ 明日も“がんばろう”
      

繋がる友情 時間の長さでは計り知れない物

2011-04-25 03:11:21 | SORAからの贈り物☆日記☆


昨日、丁度一か月ぶりに“友”に出会った

私のブログを遡ってもらうと、長野から仙台まで一緒に駆け抜けた友の紹介がある

洋ちゃんこと、林洋介君だ


お互い、約48時間を一睡もせずに、彼は4tトラック 私は2tトラックを駆って

1200キロを超える長距離を、休憩2回で走破したのです




走り終えた二人は、物資を一緒に運んだと言う一体感と、サポートの人を休ませ

互いに睡魔と闘いながら、全国の仲間から託された物資への責任を感じて

“絶対に寝るもんか 事故るもんか”と必死な2日間を過ごした事で、

一瞬の内に“友”になっていた


お互いゆっくり笑える時が来たら、いつか一緒に飲もう・・・

そんな話をして別れたな


被災地で、目の当たりにする悲惨の光景を見た時、始めて人の運転するトラックの

荷台で二人っきりになって、初めてまともに会話した

お互いに出た言葉は“辛いよね”だった

トラックの荷台から見上げるSORAは透き通るように澄んだ真っ青なSORAなのに

トラックから見渡す360°の地平線は全て、あの忌まわしい津波にさらわれた

幸せ色のまったく見えない灰色の世界だったから・・・


彼は29歳 私は44歳

何故だろう 歳の差なんてまったく感じなくて、同じ思いを遠い地平線に見ながら

“今、自分たちに何が出来るだろう”

揺れるトラックの荷台で、遠いSORAを見上げて考えた

彼は私に『東京の兄貴が出来た』と、満面の笑みで言う

私は彼に『こんな兄貴で良かったらいつでも喜んで!』とちゃかす


多分、あの二日間で会話をしたのも、一瞬の出来事だったと思う

でも、戦友?が東京に来ると昨日聞いて、一か月ぶりの再会だったのに

『兄貴 会いたかったです』

うーん 女性に言われる事がないからなんとも複雑だけど、洋ちゃんに言われて

滅茶苦茶嬉しくなってね


まだ頑張ってます 兄貴も? そりゃそうさ あはははは


なんだろう

凄く仲の良い兄弟に“一瞬で戻ってた”そんな気がしたんだ


不謹慎かも知れないけど、東日本大震災が私たちを、同じ目的に挑む戦友であり

“兄弟”

として繋いでくれた




どんな時も、下を向くだけではだめなんだ

上を向いて歩こう 必ず光明がSORAから降ってくるから・・・


私達も一瞬の出会いから友とか兄弟とか言える仲間になった

皆で戦えば、素敵な出来事や出会いや、素晴らしい結果が着いて来るんだ


そんな気持ちになった夜、SORAを見上げて思う

“明日もきっと良い一日になるぞ”

沈む夕日と、天狗の遠吠え by SORA

2011-04-23 00:20:15 | SORAからの贈り物☆日記☆


高速道路を東京へ・・・

精神的にも肉体的にも、既にいっぱいいっぱい


お風呂に入って天井見上げ、いつもより長めに湯船に浸かって、鼻歌は大きめに

その後は、珍しく家酒なんてのもいいかもな

なんか、今出来る最大級の贅沢な気がする

ソファに腰掛けて、でっかい溜息吐いて

“まじで疲れた~”

って言ってさ、ビール缶のプルトップをプシューって豪快に開けてさ


そんな事考えたら、アクセルに乗せている右脚が軽くなった


東北方面から東京へ向かう目線は、西に沈む夕日がとても眩しい

さっきまで疲れのせいで、悲鳴をあげていた身体も

“やばいなぁ”とずっと感じていた瞼の重みもすっかり覚めて

頭の中は、家に帰ってからの“自分の時間”に覚醒していく・・・


お風呂にビール?それが贅沢???

そうだよね、それが贅沢なくらい『幸せなんだよ』と思う人は、東北に沢山いるんだ


今自分が感じている違和感は、答えを探してもそれは果てしない訳で・・・

子供の頃から『相手の身になって考えてみる』なんて道徳心と

こんなに真剣に向き合う事なんて、45年も生きてきてなかなか経験できるもんじゃない


そんな事を考えていたら、後50キロで東京料金所の看板が

“ふぅ やっぱり疲れたなぁ”

もう一度西のSORAを見上げると、頭の中に低いけど温かい誰かの声が聞こえた

それはまるで、遠くで聞こえる雷のような 大きな鳥の羽ばたく風のような

言葉?なんて明確なものじゃないのに、何故かメッセージが頭の中に入ってくる


“皆の事を見守っているよ もう一度地球と人間が幸せになれるまで”


胸に広がる安堵感と、エネルギー満タンに感じる心と身体

見上げた西のSORAに、優しい目をした“天狗雲”



自然が織成す 太陽 雲 風 大地の息吹・・・

それを司る“天狗の力”が目の前いっぱいに広がった


SORAが今日も教えてくれた

明日からきっと、凄く元気な毎日が始まるよ

私にも 貴方にも 全ての日本人 すべての地球人 そして生きる者全部・・・

皆で元気になれる


さぁ、帰ってビールで自分に

“お疲れさん”

今日は2本、飲んじゃおうっと

突然ですが・・・ホッと一息 ポエムです

2011-04-22 01:54:14 | SORAからの贈り物☆日記☆


あまえんぼうの河童君 



雨が降ってきた

さっきまであんなに晴れていたのに

雷様のそばで、小鬼たちがさけんでる

“おーい 弱虫かっぱ 泣き虫かっぱ やくそくは守れよ”

村はずれの小高い丘にあるほこらの前に、ちょこんとすわった小さなかっぱ

お空を見上げて小さく小さくうなずいた

“やくそくだよ”

かっぱは小さくつぶやいた

ずっとずっとまっていたんだ

お母さんと なかよし なかよし 出来る日を

ずっとずっとまっていたんだ

良い子にしてたらすこしだけ いつもの年よりすこしだけ

早くにお母さんとあえるんだ

小さな村に流れる小川

たくさん雨が降ると、村のみんながこまってしまう 

こわい こわい 川になる

だからぼくがおるすばん

じっと良い子でおるすばん

“さみしくなって ぼうやがないたら 川は怒ってこわれちゃう

ぼうやが良い子で笑っていたら 村のみんなもお歌を歌う”

お母さんの子守唄 おやくそくの子守唄

だからずっと良い子でいたよ ずっとずっと 良い子でいたよ

でも がまんが出来なくなったら

もう一つだけおやくそく 雷様におやくそく

だいすきな きゅうりをお山のてっぺんに

あみかごいっぱいもっていく

雷様にもっていく

小さな小さなかっぱには

とってもたいへんなおしごと

“えっこら どっこい えっこら どっこい”

雨がたくさんふってきて 小川がこわれるそのまえに

“えっこら どっこい えっこら どっこい”おおしごと

ころんでも ないたらおわり おやくそく

ためいきついて おこってもおわり おやくそく

小さな小さなかっぱは 大きな大きなあみかごいっぱいのきゅうりを

“えっこら どっこい えっこら どっこい”おおしごと

おやくそく がんばったら おやくそく

お母さんが だっこをしに かえってくる

ずっと笑ってがんばったら

だっこをしに かえってくる

“いつもの年より がまんできなかったな”

たいこをたたきながら 雷様は大声で笑う

どんどこ どんどこ たいこをたたいて 笑う

“えっこら どっこい さあついた”

笑って笑ってがんばったかっぱは

きた道を いっしょうけんめいかけおりた

雨はやさしい雨になり

ほこらの前で りょうてをひろげた母さんが 

大きな大きなえがおで まっている

お母さんのむねにとびこんだ河童君

目にはおおつぶのなみだがいっぱい

“泣いたらだめよ 村のみんながこまっちゃう”

でも雨は少しずつやんできた

雷様のごほうびは がんばった がんばったごほうびは

お母さんのむねであまえる河童君にとどきました

お母さんの笑顔にも おおつぶのなみだがいっぱい

雷様のごほうびは お母さんにもとどきました

今夜はずっとあまえんぼう ずっとずっとあまえんぼう

小さな小さな河童君

大きな大きなお母さんのむねに

ぎゅっと しっかりだっこされて たくさんのお話しが

はじまりました


SORAからの贈り物

たまには 一呼吸 ゆっくり行きましょう

ありがとうをもう一度

2011-04-21 03:23:35 | SORAからの贈り物☆日記☆

昨日まで、梨花ちゃんの話を4編続けて読んで下さった方

ありがとう

私にとってとても意味深い体験記ですし、25年経った今でも心の残る

そして、温かくて寂しい・・・様々な感情になる出来事


東日本大震災から50日が経過した今でも、戦いは始まったばかりですから

私も“過ぎて行く時に身を任せ、なんとなく忘れてしまう”様な事は

“絶対にいけない”

そんな気持ちになって、梨花ちゃんの話を書きました

読まれる方の捕え方も十人十色だと思います

私は、梨花ちゃんの話を思い出す度に、『きっと何も出来ていなかったんだな』が、

頭を過ぎるのです


このブログのテーマは、“楽しい事を皆様に沢山届けたい”でスタートしました

でも、スタート時に最初に書いた“今の私に出来る事”も、あの日からずっと続いて

皆様にお届け出来ているのかなぁ・・・なんて思います


私の“想い”を込めた戦いは、まだまだ続いて行きます


前のブログでも書きましたが、私は小さい頃から少し人と違っていて、変な予言を

当ててしまったり、皆から不思議と言われる変わった能力?をちょっとだけ持っているみたい


その時にも書いたけど、関西大震災の10日前、私は友人たちに

『西のSORAがおかしい、沢山燃える町の火がみえる』

この言葉は後に私を苦しめて、結果震災の現場に走る自分を動かします



(この写真は、今年の1月16日に私が撮影した“北のSORA”)


(上の写真から1時間後の同じ場所での撮影)

私は、人の悩みや相談を受ける際、その人自身の中身を透視してみているみたいです

ただ、自然や環境に起こる事件や災害は、SORAが私に教えてくれるみたいです


上の写真2枚は、当時心からつらい思いをしている広島の心優しい女性からの相談を受けて、

その未来を見通す為に戻ってから直ぐ、その日の夕方にSORAを見上げたのです

何とも言えない違和感に襲われて、撮影した2枚なんですが・・・


一枚目の写真は吉報を伝えると言われる“金色の竜”なのだそうです

もう一枚は、雲の中に“大鷲と兎”が見え、自然の怒りを指しているのだそうです

(私の信頼する、とてつもなく凄い預言者の言葉です)

皆さんにとっても1枚目の写真は、とても素晴らしい写真だそうです

ただ、やはりこの撮影をした時に、私の予知は知り合いには伝えてしまった為、

関西大震災に続いて、結果辛い戦いのスタートでもありました


また、名古屋の仲間(素晴らしき伊藤まちゃ&あやの夫妻)からの応援を経て・・・



(被災地では燃料は、未だに足りないけど沢山持って行けたよ・・・あやのさん)

ここに、もう一度伝えたい

ありがとう



(あれから50日経ってもなかなか変わらない被災地で戦う自衛隊さん)

相変わらず快晴のSORAが悔しいけど、少しずつでも前進する為に

頑張っている自衛隊さんをみて、思わず“WAAAAAAOOOOO”と気勢を発してしまった


(凄くおっきいのに飼い主がいなくなって寂しく小さく見えたワンちゃん)

勝手に“わさお”って名付けたけど、一生懸命生きて飼い主をまつんだって

そんな顔で私たちに尻尾をふってくれた“すげー頑張っているワンちゃんだ”


私の会社名も、このブログに用いている通り   S O R A  です



最後の写真は、4月20日の“十六夜の月” このブログのタイトルだね


私の大好きな SORA

そしてわたしにとって、とても大切な十六夜の月


この写真は、私が皆様に送る“贈り物”です

とてもパワーが溢れていて、皆さんを元気に・・・そして守る力を持っています
(これも、先程の凄い預言者からお墨付きですよ)

私の戦いの帰りに見上げたSORAに浮かんだ“十六夜の月”

ありがとう

その言葉をこの写真に伝えてみて下さい

貴方の願いがきっと、手の届く距離にやってくると思いますよ


だって、力強く生きて行く皆さんが、大好きだから


ありがとう






梨花ちゃんと花束(ありがとう さよなら) Ⅳ

2011-04-19 23:33:04 | SORAからの贈り物☆日記☆


翌日の空は快晴・・・

まるで毒苺達の気持ちを表現しているかの様に



その日から私達と梨花ちゃんの距離は一気に縮まっていた

リハビリ室で、一緒に“頑張ろう”“痛いね”“終わったら遊ぼう”そんな

会話が自然体の中で飛び交った

冬に向かって私達と梨花ちゃんの目標は、早く良くなって一緒に遊びに行く事になっていた

でも、それぞれが自分の部屋に向かう夕方になると、何時も梨花ちゃんは寂しそうだった


季節は師走に向けて、窓の外にも病院内にもクリスマスの飾りが多くなってきていた


そんなある日のリハビリの帰り、病室に向かって私達と梨花ちゃんがナースステーション

の前を通りかかると、中西先生から私だけ呼び止められた

治療室には私と中西先生だけになった そこで私はとても難しい問題と直面した


『最近、梨花ちゃんがとても素直になってな、必死に義足と向き合っているんだ

でも一つ、お前に話しておきたい事がある』先生の顔はとても厳しい顔だった

『お前達は年を越す頃退院するだろう 今の毒苺はお前が最後から2番目でこの病院から

出て行く それはとても良いことだし、当たり前の事だ でも梨花ちゃんは未だ一年以上

退院の見込みはない みるみる元気になって義足も慣れてきたし明るくなった でもな』


ここから少しの間があって、沈黙の中私は次の言葉が良い話しでは無い事くらい分かった

『最近、学校の勉強をまったくしなくなった 足が無くなった事と、大好きなお前達が

もうすぐ居なくなる現実から逃げてしまって、5年生の勉強どころか簡単な足し算や

引き算も忘れてしまっている お母さんも苦しんでいるんだ 梨花の笑顔は毎日見たい、

でも総てから遅れていく現実が怖いのだそうだ お前達の存在がこれ以上大きくなる事は、

梨花ちゃんにもお前達にも色んな無理が出てくる 辛い事だし悲しい事だが、お前達も

現実をもっと見て知っておいて欲しい』


この後の話は殆ど覚えていない


私は部屋に戻って皆とこの話しをした 沢山悩んだし沢山言い合った 

出した結論は、先を思い切り考えるほど知恵がない私達には、今梨花ちゃんに何をして

あげられるのかと、これから先も、“ずっと一人では無い”と伝えられる事をしようだった


考え抜いた結果、翌日から2つの事をする事に決めた


一つは、友人の父親の会社に頼んで、通常より大きくてとても綺麗な絵のパズルを、

梨花ちゃんと一緒に少しずつ作る事

もう一つは、私達が大きなすごろくを作って、一緒に遊ぶこと

このすごろくは、サイコロを振ると、止まった目に“2+3だけ進む”とか

“7-4だけ下がる”とか、一緒に考えながら楽しむ事で、苦手になってしまった算数を

楽しみながら思い出してもらい、好きになって欲しいと願いを込めた

すごろくは、梨花ちゃんと始めた当時、彼女はサイコロを振ることに抵抗を持つほど、

計算に苦しんでよく泣いた

とても簡単な問題なのだと言う事が、却って抵抗感に変わっていたのだと思う

それでも一緒に楽しむ事で少しずつ、この壁を乗り越えていく梨花ちゃんがいた

その為に、沢山の動物や昔話、お菓子や果物・・・梨花ちゃんが大好きだと言っていた

色々な物が登場するすごろくになっていたから


一人退院、また一人退院と周りの環境が変わる中、パズルもすごろくも参加する人が変わ

って行ったけど、毒苺以外の部屋の仲間もどんどん増えて行った

退院した毒苺のメンバーも良く遊びに来ていたな


クリスマスを越えていよいよ私の退院が明日になった夜、すごろくとパズルを終えて

私も梨花ちゃんも会話の切欠の言葉を捜していた時、梨花ちゃんのお母さんが口を開いた

『梨花がね、お兄ちゃんが明日居なくなるってここ何日か夜ずっと泣いて居たのよ でもね

昨日の夜、笑って“お母さん、お兄ちゃんが次に梨花に逢いに来るまでに、もう誰にも手伝

って貰わないで一人でパズル完成させる”って言うのよ 本当に今日まで楽しかったって』

そっか~とか言って、作り笑いの私は急いで梨花ちゃんの部屋を出た

もう涙が止まらなかったからだ

梨花ちゃんの目にも、お母さんの目にも大粒の涙が浮かんでいたから


翌日の朝、退院の用意をしている時、退院出来る喜びと梨花ちゃんへの想いと

複雑な気持ちと戦っていた

その時、“お兄ちゃん”と聞こえて部屋の外を見ると、松葉杖を持たず“義足の足”で

立っている梨花ちゃんとお母さんが居た

彼女の手には花束が

『ありがとう いっぱいずごろくやっていっぱい勉強するね』

沢山の言葉は要らなかったし、必要ないと思った

だから私は頑張った笑顔で『さよなら』と言った

病院の出口には、他の不良入院患者の老若男女が、婦長さんや看護婦さんが、そして梨花

ちゃんの肩を支えて立つ中西先生が・・・

私はタクシーに乗っても顔を上げる事が出来なかった

『ありがとう お兄ちゃん』 

『ありがとうな 岩井』

梨花ちゃんの声と中西先生の声に顔を上げた私の顔は、100点満点の笑顔だった

・・・・・と、思う。

この後、正月を迎えた私はお年玉を持って病院を訪ねるのだけど、当然梨花ちゃんの部屋の

壁にはとても大きなパズルの絵が飾られていた


私が医療系の仕事や健康産業への道を歩んだのも、心理学やメンタル面を

人の心と身体のケアを行う技術に取り入れた切欠は、総てこの時の経験が基礎に

なっているし、スタート地点でもあった


今では思い出話でしかないかも知れない

4月の雨が降る夜空を見上げて、長いお話をしました

もっと細かく沢山書きたかったけど、いつかまた書くかも知れません

雨の降る夜に・・・



先述の様に、このお話は以前他のブログに書いたものですが、未曾有の危機に

立っている今の日本だったり、今何が出来るのか?をテーマに始めたこの度の

ブログに対して、人から“もう一度”と言われた切欠もあったけど

なんとなく凄く載せたい気持になったから・・・


未来の子供達の為にも、我々大人が皆で力を合わせて“何が出来る”と向き合い

共に考えて、共に生きて行こう

きっとまた素晴らしい“想い”や“願い”がね

SORAから降って来ます様に・・・