光のかけ橋

心と癒しの世界

聖フランチェスコ

2008-03-21 20:01:59 | Weblog
バーソロミューと呼ばれる高い次元の叡智のエネルギーが語ったものみたいで、
大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージに書かれています。
そこにはこう記されていました。

聖フランチェスコは自分達と同じ情欲や金銭欲な持ち
自分達と同じように酒や女や快楽を持っていたと言われます。
自分が求めていた喜びが、思ったほど得られないと気づいたフランチェスコは、
ますます激しく快楽的生き方に走ったと言われます。
自分の罪深い行いをして欲望を極限まで探し求めたみたいです。
そして、自分の意識を克服しなければならない障害について見つめるようになりました。

フランチェスコは意識の深いレベルで、死の現実と対決することを決心したのです。
非常に重い病気を選び、ほとんど死にかけていた状態だったそうです。
その病床の中で、心の境界線が少しずつ狂い高熱の状態のなかで、ある悟りを得たといいます。

善であることと神の愛が同じであると信じようとしていたところその二つは同じ事ではないと理解しました。
善い人でなくても神への愛を持たない人もいます。
フランチェスコは神への愛は神を愛したい思いによって決定されると言うことを理解したそうです。
自分の間違いに気づいたフランチェスコは、その人生にとってこの上もなく重要なものであったと言われます。

高熱の中で、フランチェスコは、どうしたら神を愛する事ができるのだろうか。
神を愛することなくして、生きていく事はできない、
どうしたら愛せるか解らないとジレンマに陥ったみたいです。
そして、これは非常に喜ばしい意識状態だった。
何日も苦しみが続き熱も上がり、不安が増し絶望が募りました。

ついにある朝に、もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。
その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。
その鳥の歌声のパワーによって、フランチェスコは悟ったのです。

フランチェスコが悟ったのは神を愛する唯一の方法は、
神の声を全ての中に聴く事だと言います。
死にゆく者の泣き声の中に、きちがいの叫びの中に、らい病の絶望の中に、
恋人達の抱擁の中で、これこそが神を愛する道だと思ったそうです。
これらの音と神の声を分けるものは何もない

この音こそが神の声そのものだとフランチェスコは悟りました。
それまで、自分を混乱におとしめた世界と自分との分離はもはや存在しないと理解し一人旅にでたそうです。
神は全ての中に存在すると言う真理を悟っているフランチェスコは
多くの人々には変わり者に見えたそうです。

兄弟である風や空について語り鳥や動物や虫などに語りかけ、多くの人々は彼を見てきちがいだと思ったそうです。
フランチェスコは、人生の多くの時間をただ一つの事を祈るためについやしたのです。
最愛の人の人生を完全に再体験できるように・・・・十字架にかけられたキリストでした。

肉体的な苦痛であるばかりか混乱した社会において聖痕を身にまとうことは非常に辛い事である事も知っていました。
それにも関らず毎日祈り私にもあのう苦痛を味わせてください。

フランチェスコは神々しさをまわりに示したいのではなくて、自分の心とキリストの心が最終的に一つになる事を祈ったみたいです。
自分達と何も違わない普通の体を持った男が昼も夜も祈りつづけ断食をして、泣き叫んび待ち続けたそうです。

そして、とうとうついに、ある日、山の上で、聖痕と呼ばれるものが体に現れました。
大いなる広大無辺なエネルギーが山から動いて行き、それが近づいてきた時、
その大いなる光が体中に入ったら自分は再び同じではありえないと疑いなく理解しました。
気ちがいになるか目が見えなくなるか耳は聞こえなくなるかもしれない、体か焼きただれて二度と動けなくなるかもしれない。
そして、大いなるパワーがやってきて、交信がなされたそうです。

大いなる声が(私の心に完全に入る意思があるか)と尋ねて、フランチェスコはありますと答えたそうです。
フランチェスコはその瞬間が全て根底から変容されうるものだと、暗闇や苦痛、そして光と自由の世界に変容される事を知っていました。
それでもフランチェスコはいいます。
(私はあなたのものです。あなたなしでは生きていけません。あなたのしたいようにしてください.......。)

フランチェスコの臨終を迎える時に仲間の修道士達が悲しみました。
あなたが居なくなると寂しくてなりません。
するとフランチェスコはこう答えたそうです。
あなた方はまだ学んでないのですね。

すべては一つ生も死も一つです。神が風の中にいるのなら死の中にもいない事はない、
この空間が満たされているのならあなたが空になる事があるでしょうか?
あなたが全ての一部なのなら何を失うなどどうしてありますか?

フランチェスコが亡くなった後、修道士の親しかった者数人がその意味を理解し始めたみたいです。
風の音を聞くと、フランチェスコを思い出し風の音とフランチェスコは同じ事だと気づきました。
暖かい陽射しあびると、フランチェスコを思いだし太陽とフランチェスコは同じだと思いました。
フランチェスコの死によって、深遠なる教えが果たされました。
その教えは自分の苦しみが何を訴えようとも決して自分の愛するものからへだてられるものはない。
ただひたすら愛してください。愛の中にあってはあなたから奪われるものはない。

※人間は自分とは肉体の事だと思っている、想念の持つパワーを信じていないと言うことだそうです。
いつも考えている事が、自分が受け取る事だとフランチェスコは教えてくれているみたいです。
フランチェスコが聖痕を呼び寄せる事ができたのなら自分達も内なるパワーを使って、大いなる光を呼び寄せる事は可能だと言うのです。
フランチェスコが細胞組織の重い物質エネルギーを変容させる事ができるのだったら自分達も創造できるそうです。
最も強力なものの一つはあなたの心だそうです。







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