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Rock Climber 洋楽レビュー

Rock、HM/HR、Alternative、Jazz、ラーメン

シンプリーレッド

2007-09-02 22:40:38 | ブリティッシュロック

ピクチャー・ブック ピクチャー・ブック
価格:¥ 1,800(税込)
発売日:2006-01-25
Simply Red「PICTURE BOOK 」1985年UK

01. カム・トゥ・マイ・エイド      
02. サッド・オールド・レッド      
03. ルック・アット・ユー・ナウ      
04. ヘヴン      
05. ジェリコ      
06. マネーズ・トゥ・タイト      
07. ホールディング・バック・イヤーズ      
08. オープン・アップ・ザ・レッド・ボックス      
09. ノー・ダイレクション      
10. ピクチャー・ブック

イギリスのスーパー・ブルーアイドソウル・ユニット、シンプリーレッドのデビューアルバム。初期の彼らを代表するアルバムである。彼らといえば、この1stか4thの「Stars」という感じだが、ここはあえて1stをメインに紹介したい。

シンプリーレッドは世界で2800万枚うった91年のスーパーヒット「Stars」以前とそれ以降で大きく趣を異にする。ノスタルジックなブルーアイドソウルからスタートし、それをポップに昇華しようとした3rdまでの初期、と屋敷豪太を迎えてリズム隊を大きく充実させクラブサウンドなども取り入れた4th以降と。というよりも、ボーカルで曲も書くミック・ハックネルのワンマンユニットであり、彼の性分として「同じ所には留まらない、前進あるのみ」というタイプのアーティストであるために、シンプリーレッドは常に成長と変身を続けている。

今の彼らは、「Stars」が世界で2800万枚売れたことにより彼らは90年代のコンテンポラリーな、かつ国民的存在としての立場を確固たるものとし、今に至っている。「Stars」で確立した音をベースとしつつ、流行にも気をくばり、バランスよくコンテンポラリーな音楽を生み出し続けているのだ。

85年に本作でデビューした彼らは、彼らも含めてイギリスのポップシーンでもりあがった80’sブルーアイドソウルという潮流の中でシーンを衝撃デビューをはたした。たしか洋楽番組なんかでポールヤングとかユーリズミックスとかが流れまくっていた頃で、色々なタイプのブルーアイドソウルシンガーがいたわけだが、その中でも格別彼らは激渋で、オールドタイムなモータウン的ソウルやスモーキーロビンソン、マービンゲイなどの影響を感じさせる歌の力が圧倒的だった。なにしろ僕が始めて彼らを聴いたのはあの「If you don't know me by now」の大ヒットだったのだから。

そしてハンチング帽で赤毛で巻き毛のミックの肖像画のアルバムアートワークや、出身のマンチェスターの労働者階級の若者が直面する日常を描き出す歌世界が、ただ単に「白がうたうソウル」、という域を超えて60年代の映画の登場人物のような物語性をかんじさせるものだったことも初期の彼らの魅力であるのではないかと思う。

さらに彼には単なるうまいシンガーというに留まらないオリジナリティがあった。このファーストでもすでに見られるメロディセンスが他とは一線を画していた。されに彼はモータウン、フィラデルフィアソウル、レゲエ、ジャズを取り込んだ洗練された現在のコンテンポラリーな音を高めてゆくことになる。

正直2nd、3rdには良い曲もあるが退屈な曲もある、という感じになっていたが、4thの

「Stars」において、イギリスにおけるR&Bシーンを一変させてしまったネリー・フーパーのソウルⅡソウルで仕事をした屋敷豪太をドラム、プロデュースに迎えたことが、シンプリーレッドというユニットを生まれ変わらせることになった。「Stars」では、もともと歌いすぎない抑えた作りが魅力を引き出していた曲に、クラブサウンド的なゆったりしたグラウンドビートがスムーズなグルーブを生みだし、ミックの歌と伍す以上にシンプリーレッドの音としての特徴といえるまでになった。その後5th、6thとややレゲエに偏り気味であまり正直聞き込めなかったが、7thは、Stars以降のひとつの到達点として、プロデューサーチームAGM(ミック&GOTA&アンディ・ライト)とバンドとしてのひとつの結実をみた好きなアルバムとなった。

ミックの、理想の音を追求して、そのためならメンバーはどんどん入れ替え、コンテンポラリーなサウンドを果敢に取り込み、前進してゆくシンプリーレッド・サウンド、その中心をなすのはミックのボーカルの力量であることには間違いのだが、それはあくまでサウンドのための出過ぎない洗練されたポジションに収まっている。それが憎いまでの心地よさに繋がっているわけだが、やはり、どうしても、昔リズム隊が弱かったために圧倒的に目立っていたボーカルが全面的にフィーチャーされた「Holding Back Years」「If you don't know me by now」などのカバー曲の奥行きの深さ、赤毛でハンチングのイメージが、あのインパクトが忘れられないのは僕だけだろうか。

いずれにしてもほぼリアルタイムで聴いてきた者としては、新譜が出れば必ず気になる存在であり続けることには違いない。


ジーザス&メリーチェイン

2007-05-26 20:21:38 | ブリティッシュロック

サイコ・キャンディ サイコ・キャンディ
価格:¥ 1,800(税込)
発売日:2007-05-23
<ブリティッシュロック Vol.4>

Jesus&Mary Chain ジーザス&メリー・チェイン

「Psycho Candy (サイコキャンディ)」 (1985年 UK)

1.  ジャスト・ライク・ハニー
2.  ザ・リヴィング・エンド
3.  テイスト・ザ・フロア
4.  ザ・ハーデスト・ウォーク
5.  カット・デッド
6.  イン・ア・ホール
7.  テイスト・オブ・シンディ
8.  ネヴァー・アンダースタンド
9.  インサイド・ミー
10.  ソーイング・シーズ
11.  マイ・リトル・アンダーグラウンド
12.  ユー・トリップ・ミー・アップ
13.  サムシング・ローング
14.  イッツ・ソー・ハード

80年代の英ロックシーンは不毛だった。米国のMTVの影響で、英国勢はデュランデュラン、カルチャークラブを中心に米国のチャートを席巻して、60年代のビートルズ・ストーンズらの第一次に続く、第二次ブリティッシュインヴェイジョンを巻き起こしていた時代だった。78年ピストルズ解散以降、レゲエやブラックミュージックのリズムとエレクトロニクスを取り入れた自由な新しい動きが始まっていたが、それらはまとめてニューウェーブとよばれ、さらにYMOやクラフトワークに影響を受けたダンサブルなエレクトロポップにグラムロックリヴァイバル的なルックスが加わり、ビートルズ以来映像に力を入れていた英国勢が、映像不足のMTVで重宝されヘビーローテーションされた結果が時代の音になったのだ。85年には象徴的な世界的イベント”バンドエイド”がもりあがった、そういう時代だった。

この時代の英ロックバンドとしては、ニューロマンティックスのコマーシャル性、パンクから派生したハードコアパンクなどの反動として、ネオアコースティックと呼ばれる一派がインディレーベルを中心に生まれていた。

今でも残っている名前で言えばラフ・トレードなどのレーベルから出たアズテックカメラ、スクリッティ・ポリッティ、エブリシングバットザガール、そしてザ・スミスだ。しかし80年代という圧倒的なポップス勢の時代の中で、ロックの動きは細々としたもので、ザ・スミスが83年のデビュー以来4年連続で一位人気と新陳代謝の早い英国市場で、代わり映えのしない状況が続いていた。そんな状況になんとか一石を投じようと試みたのが、アラン・マッギーのクリエイション・レーベルであり、ジーザス&メリー・チェインだった。

アラン・マッギーと同じスコットランドはグラスゴー出身の彼らの音は、一聴した印象は、やはりバブル80年代を感じざるを得ない。特にディーーープなエコーのかかったボーカルはもろ80年代のニューロマ、はやりの音。メロディーも、10代の頃をなつかしく思い出す甘くイージーなポップスメロディー。懐かしのメロディー映像で肩パットはいりまくりのはずかし映像のバックで流れていそうな。。さわやかで、青春トレンディドラマとかタッチとか思い出してしまう感じ。しかし、このバンドのユニークネスは轟音フィードバック・ノイズギターと力の抜けたローファイボーカルスタイル。この2つの要素は、間違いなく後に影響を与えることになった発見となった。

この音のインパクトは音量を最大にするとわかってくる。というか当時のライブの逸話を聞いても、大大大音量で演ることを前提にした音と思った方が理解しやすい。ガンガンするほどのノイズの合間にユラユラと甘いメロディーが、夢の中の膜の向こう側から聞こえるような波にしばらく浸っていると、だんだん80年代だろうが21世紀だろうが関係なくなってくる。エコーやノイズが3次元的な奥行きを持ち始め、人それぞれのこの音に対するイメージをかき立てるようなサウンド的深みを持っている。エンジニアはジョン・ローダー。

しかし同時に感じられるのは、80年代は今と比べて音楽とのつきあい方がちがっていたのではないかということ。80年代後半のCMJ系ガレッジミュージックやグランジを経て現代人のロックとのつきあい方はより深く浸透し、ロックは音楽という以上に僕ら自身になった。多種多様な表現形態がインディやインターネット配信で、ガレージ系インディでも数万枚売るほど受け入れられる時代になって、ロックが僕らの心のひだまで映し出すほどに深く、文化として進化したのでは、と。ジザメリを今聴いて感じて逆説的に感じてしまうのは、すこしまだ英国においてロックがポーズであったり装飾品であった時代に、一歩踏み出すことになったきっかけの一枚だったと言えるのではないか、ということだ。

ドラムだったボビー・ギレスピーは次にくる80年代終わりのマンチェムーブメントで日の目を見るし、さらにその後の直径子孫のシューゲイザー達へとそのスタイルは流れ、92年には似たボーカルスタイル、ギターノイズという特徴をもつダイナソーJr.とブラーと3バンドでツアーを敢行、最近は映画ロストイントランスレーションで本アルバムの1曲目ジャストライクハニーが使用されて、さらにはシューゲイザー見直しの向きもある。アラン・マッギーの仕掛けたライブでの暴動でピストルズ以来の衝撃という妖げなインパクト攻撃が成功してシーンに一石を投じたが、このアルバム以降はそれ以上のインパクトを与えきれなかったかもしれない。が、たしかにジザメリをきっかけにして生まれた音が、ガレージパンク、グランジ、シューゲイザー、はてはポストロックまで今の時代の音の一要素として間違いなく受け継がれ、時代を切り開くアーティスト達のベースとして大きく花開きつつあると言えるかもしれない。


スピリチュアライズド 「宇宙遊泳」 

2007-05-13 13:44:40 | ブリティッシュロック

宇宙遊泳 宇宙遊泳
価格:¥ 2,548(税込)
発売日:1997-07-24
<ブリティッシュロック vol.3>

Spiritualized

「Ladies And Gentlemen We Are Floating In Space」(97年UK)

1.Ladies And Gentlemen We Are Floating Through Space
2.Come Together
3.I Think I'm In Love
4.All Of My Thoughts
5.Stay With Me
6.Electricity
7.Home Of The Brave
8.The Individual
9.Broken Heart
10.No God Only Religion
11.Cool Waves
12.Cop Shoot Cop...

 

スピリチュアライズドの3枚目「宇宙遊泳」である。

スピリチュアライズドは前身のバンド、スペースメン3を解散させたジェイソン・ピアースのワンマンバンド。スペースメン3は”スペース・ロック”をジャンルとして確立させた伝説的バンドで、過剰に強烈なリヴァーブのかかったギターやアナログシンセサイザー、反響と倍音の効果を駆使して聞き手を宇宙的な浮遊感にいざなう音響思考のロックであり、ドラッギーなサイケデリア感覚を音で再現しようとするものといえる。

  

後にシューゲイザー(靴ばかり見て演奏している人、という意味から出たUK90年代初頭に盛り上がった1ジャンル。ディストーションの過剰にかかったノイジーなギター音と呟くようなボーカルが特徴)の金字塔アルバム「ラブレス」を生むマイ・ブラッディ・ヴァレンタインがスペースメン3と対バンしてから音楽性を変えた話は有名だ。いってみればシューゲイザーの始祖的要素をもっていたとも言えるスペースメン3から続くスピリチュアライズドの97年の本作「宇宙遊泳」は、「OKコンピューター」をおさえて英メディアから97年のベストアルバムとされた彼らの金字塔的アルバムである。 

 

このアルバムの意味が持つモノは、今となってみるとより大きくなっている気がしている。

スペースメン3のスぺーシーさの核をなすファズ、ディレイ、トレモロギターの精度がPerfectに高められていることをベースとして、ここではゴスペル、ファンクさらにジャズ、ブルース、さらにはピアースがきいて育ったストゥージス、ダイナソーJr.、ソニックユースらUSガレッジの影響までがバラエティ豊かに取り込まれている。

 

1曲目はタイトル通りの浮遊感ただようイントロ的ナンバー、2曲目はUKサイケの定番類型的アンセム、3曲目はやはりマンチェスター以降という影響は免れないローゼス風ナンバー、以降8曲目までシューゲイザー風、マンチェ風な要素とサイケ要素が入り交じった曲が続き、出色の9曲目Broken Heartへ続く。このナンバーはバンドのキーボードメンバー、ケイト・ラドリー(ヴァーブのリチャード・アシュクロフトと結婚)との破局直後の気分を強く反映した曲。オーケストラを用いて相当やるせなくも美しい曲で、多彩な本アルバムに大きな深みをもたらしている。

  

本アルバムがスペースロック、90年代サイケデリア、シューゲイザーといったジャンルを超えた賞賛をあつめた理由のひとつは、ドラッグ的宇宙への旅の枠を超えて、自己の内的宇宙への旅としての方法論、という感覚が多分に感じられるためであろう。ここで鳴らされ再現されるトリップは、どう考えても逃避行という感じではなく、すくなくとも楽しそう、という感じでもない。むしろやるせなく、どこか切ない、しかし何か求め彷徨い、自己の内面をただよう宇宙旅行なのだ。バラエティ豊かでいながら、アルバムに一貫してピンと張った緊張感がみなぎっているのは、おそらくそのせいかもしれない。

  

おそらくジェイソン・ピアースという人は相当に真剣でまじめな人なのではないか。音響的追求にしても内的探求にしても、ほとんど一人でマネージするにはへヴィーな労作だ。

本作のもつ今日的意味のもうひとつと思われるのは、その音的要素である。スペースメン3でスペースロック、シューゲイザーに影響をあたえた後に、シューゲイザーバンドを尻目にノイズギター一辺倒から大きく進み、オーケストラからゴスペルをとりこみつつ、最も重要な『サイケデリア感覚』の表現を、ロックがいまだかつて持ち得なかった次元で表現しようと試み、そして実現してしまっているのである。

  

ピアースのめざすサイケデリアとは、人間を縛る重力から精神ごと解き放ち、既成概念からも解き放ち、新たな宇宙への旅へ誘おうとする極めて内省的で、現代的な旅路なのだ。

その方法論としての音は、ロックという既成的音世界からも自由であろうとして、模索を続け、ポストロックへと繋がる一つの流れとして、現代の真剣にロックと向き合うロックの担い手として、その試みは重要な意味を持っている、といえるのではないか。

  

どんなに突き詰めて取り組んでも、器用にいろいろな要素を取り入れたり、はたまた変幻してみても、ひとつのアーティストで出来うる歴史的仕事は結果的に限界があり、いくつもの意味を与えることはできない。が、このような取り組みが紡がれて、ロックという歴史の浅い音楽が刻々と進化しつづけている。シューゲイザーというジャンルがこのところ再評価され、サイケという一瞬6-70年代を思わせる言葉が今の時代の重要なファクターのうちのひとつになっているとすれば、そこに今という時代の我々自身を投影させる要因が宿っていると感じられる人々がそれなりにいるからであり、あらたな時代の我々の音、ロックがその周辺でひとつ蠢いていることは確からしい。


Ocean Colour Scene (オーシャンカラーシーン)

2007-03-21 23:25:42 | ブリティッシュロック

Moseley Shoals Moseley Shoals
価格:¥ 1,626(税込)
発売日:1996-04-11
<ブリティッシュロック vol.1>

オーシャンカラーシーンの2nd「Moseley Shoals」(1996年)を聞いた。

1.  ザ・リヴァーボート・ソング
2.  ザ・デイ・ウィ・コート・ザ・トレイン
3.  ザ・サークル
4.  ライニング・ユア・ポケッツ
5.  フリーティング・マインド
6.  40パスト・ミッドナイト
7.  ワン・フォー・ザ・ロード

8.  イッツ・マイ・シャドウ
9.  ポリスメン・アンド・パイレーツ
10.  ザ・ダウンストリーム
11.  ユーヴ・ガット・イット・バッド
12.  ゲット・アウェイ
13.  ロビン・フッド
14.  アイ・ウォナ・ステイ・アライヴ・ウィズ・ユー
15.  ハックルベリィ・グローヴ

1stは92年だったということもあり、マッドチェスターの影響を受けていたと言うことだが、この2ndはポールウェラーに見いだされただけ合って、伝統的なブリティッシュロックの影響が直接的に聞こえる。1曲目のリバーボートソングはストーンズmeetsポールウェラー、2曲目は完全にI'm the walrusポールウェラー風。3曲目は急に爽やかにThe who?4曲目からはやや落ち着いて、急にスタイルカウンシル風が入ったりするがカーティスメイフィールド系ソウルの渋め調子。アップテンポな曲は影響が露骨にでやすく、逆に渋い曲は出元が普遍性を持つために割とオリジナルな雰囲気がでる。

しかしこのバンドの良さはまずボーカルが歌えること。ブリティッシュにありがちな変な癖もなく、しっかり声も出ていてお坊ちゃん風シャウトになっていないこと。次に露骨に影響アーティストのフレーズは出てきてしまうがメロディが良いこと。この2点だけでも数あるメディア先行の凡百の英国ロックバンドから頭一つ抜けていることは確か。ただしアップテンポな曲でオリジナリティが出せていないところが多分壁だろう。
この2ndの時点での彼らの印象はまだ趣味の良い大人のためのBGM、といえば怒られるだろうか。このアルバムは売れたようだが、彼ら自身はまだまだだということは自分たちでわかっていることだろう。

この次の3rdアルバムで彼らは2ndの後半で見せたよりルーツ寄りの渋いソウルロックを中心に固めてきたことを考えても、そのあたりにオリジナリティを求めたことが想像されるが渋くなりすぎてしまうところからひと壁突き抜けることは簡単にはいかなそうだ。

思うに身体に染みこんで湧き出してくるほどの影響をうけた音楽の種類が多いほど、その人の体内で培養と化学変化がおこって元の音が細分化されて咀嚼された音として出てくるのだとおもわれるが、この2ndのように露骨に影響元がみえてしまうというのはこの点が浅かったということになるのか、それともあえて今の時代に伝統復古ということ自体をオリジナリティとしてコピー的な曲をつくるのだろうか。それであればもっと確信的にコピー曲作りを楽しんでしまえばよいが、そうでもなさそうなのでやっぱりオリジナリティを模索していたのかと思われる。

最新作ではポールウェラーとの競作もあるようだ。3rd以降の進化については別に改めてレビューしようと思う。