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Rock Climber 洋楽レビュー

Rock、HM/HR、Alternative、Jazz、ラーメン

サラ・マクラクラン「サーフェイシング」

2010-08-21 17:50:59 | インポート
Surfacing [ENHANCED CD] Surfacing [ENHANCED CD]
価格:¥ 930(税込)
発売日:1997-08-22

「Surfacing」 Sarah McLachlan1997 US
 
「サーフェイシング」サラ・マクラクラン
 
1. Building A Mystery
2. I Love You
3. Sweet Surrender
4. Adia
5. Do What You Have To Do
6. Witness
7. Angel
8. Black & White
9. Full Of Grace
10. Last Dance
 
  
10年以上前ですが、ヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』をリメイクした1998年の「シティ・オブ・エンジェル」のサントラ収録の「Angel」でサラ・マクラクランを知りました。
 
ショーン・ペンの『I am Sam』のビートルズカバーアルバムでも「Black bird」を歌ってました。
   
 
サラ・マクラクランはとても美しい人です。
 
そしてその歌声はとても大きく、ゆったりと、包み込むように広がります。
 
それでいて繊細に、時に耳元でつぶやくように歌います。
 
 
聞けば誰しも、声や音の特徴に気持ちを奪われてしまうでしょう。
 
 
が、ふと気が付けばどの曲もとてもドラマティックで流麗なメロディラインがすばらしい粒だった曲がそろっており、才色兼備とのこのことかという感じです。
 
そしてデザインを志したこともあってか、何かにつけてとてもセンスの良さが光ります。
自己プロデュースというかミュージックビデオもアートワークも当然曲も。
  
そういえばこの前のバンクーバー五輪の開会式で歌っていましたね。↓

カナダを代表する歌姫です。
 
   
影響を公言する同じカナダ出身のアヴリル・ラヴィーンや、彼女が主催する女性だけのコンサート「リリスフェア」に賛同するメアリー・J.ブライジ、シェリル・クロウ、エリカ・バドゥ、ノラ・ジョーンズらとは音楽性は全く異なっているようにも思えます。
 
 
しかし彼女のたおやかで、優しさに満ち満ちた大きな歌には、それを支えるだけの内面の強さがあることを思わずにはいられません。
 
すべてを受け入れて、優しい歌に変えてしまう力は、彼女のしなやかな心の力。
 
そこが同性のアーティストからも圧倒的な共感を呼び、コンサートを成功に導き、世界的な人気を博す理由なのでしょう。
 
女性は強く美しい、です。 
 
年を取るごとに美しくなっているような気もします。
 
 
アルバム・トータル・セールスは3000万枚を超えるカナダを代表する世界的なアーティストですが、いまいち日本で知名度が低いような気がしますが、聞かないでいるのはとてももったいない。
 
とても暑いこの季節、癒されます。
 
ロックファンにも十分訴える普遍的な魅力を持ったアーティストの出世作にして1000万枚以上を売り上げた本作は紛れもなく傑作です。

"Angel"

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バンクーバー五輪開会式の曲はコレ
 
"One Dream"

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「RCAブルースの古典」1971年日本ビクター

2007-11-03 13:28:44 | インポート

RCAブルースの古典 RCAブルースの古典
価格:¥ 3,360(税込)
発売日:2004-08-25
「RCAブルースの古典」1971年日本ビクター モノラル録音

  

[DISC1]

■初期のカントリー・ブルース 1. ビッグ・ロード・ブルース(トミー・ジョンスン) 2. キャンド・ヒート・ブルース(トミー・ジョンスン) 3. トラブル・ハーテッド・ブルース(イシュマン・ブレイシー) 4. ダーク・ナイト・ブルース(ブラインド・ウィリー・マクテル) 5. ラヴィング・トーキング・ブルース(ブラインド・ウィリー・マクテル) 6. ドレイマン・ブルース(クリフォード・ギブスン) 7. シー・ロールズ・イット・スロー(クリフォード・ギブスン) 8. パナマ・リミテッド(ブッカ・ホワイト)

  

■メンフィス・ブルース 9. アイム・ワイルド・アバウト・マイ・ラヴィング(ジム・ジャクスン) 10. ドライ・ランド・ブルース(ファリー・ルイス) 11. テイント・ノーバディズ・ビジネス,パート2(フランク・ストークス) 12. フランク・ストークスの夢(フランク・ストークス) 13. ザ・ガール・アイ・ラヴ(スリーピー・ジョン・エステス) 14. プア・ジョン・ブルース(スリーピー・ジョン・エステス) 15. ローヤー・クラーク・ブルース(スリーピー・ジョン・エステス) 16. ア・ハード・ピル・トゥ・スウォロー(サン・ボンズ) 17. ドント・ウォント・ノー・ウーマン(メンフィス・ミニーとキャンザス・ジョー)

  

■ジャグ・バンド 18. メンフィス・ジャグ・ブルース(メンフィス・ジャグ・バンド) 19. ゴーイング・バック・トゥ・メンフィス(メンフィス・ジャグ・バンド) 20. ジャグ・バンド・ワルツ(メンフィス・ジャグ・バンド) 21. ヴァイオラ・リー・ブルース(キャノンズ・ジャグ・ストンパーズ) 22. ゴーイング・トゥ・ジャーマニー(キャノンズ・ジャグ・ストンパーズ) 23. ウォーク・ライト・イン(キャノンズ・ジャグ・ストンパーズ) 24. ザ・スパズム(ダディ・ストーヴパイプとミシシッピー・サラ) 25. ゴナ・ヒット・ザ・ハイウェイ(ウォッシュボード・サム)

  

[DISC2]

■30年代のミシシッピー・ブルース 1. ウィスキー・ヘッド・ウーマン(トミー・マックレナン) 2. ディーズ・マイ・ブルース(同) 3. ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー(ビッグ・ジョー・ウィリアムス) 4. ハイウェイ49(ビッグ・ジョー・ウィリアムス) 5. ピーチ・オーチャード・ママ(ビッグ・ジョー・ウィリアムス) 6. キャットフィッシュ・ブルース(ロバート・ペットウェイ) 7. テイク・ア・リトル・ウォーク・ウィズ・ミー(ロバート・ロックウッド)

  

■ピアノ・ブルース 8. ロックス・イン・マイ・ベッド(リロイ・カー) 9. シックス・コールド・フィート・イン・ザ・グラウンド(リロイ・カー) 10. デヴィルズ・サン・イン・ロウ(ピーティ・ウィートストロー) 11. ピート・ウィートストロー(ピーティ・ウィートストロー) 12. ヴィックスバーグ・ブルース・パート3(リトル・ブラザー・モンゴメリー) 13. ワリード・ライフ・ブルース(ビッグ・メイシオ) 14. デトロイト・ジャンプ(ビッグ・メイシオ) 15. ハード・ワーキング・マン・ブルース(ジョー・プラムとアンディ・ボーイ)

  

■シティ・ブルース 16. フレンドレス・ブルース(ビッグ・ビル・ブルーンジー) 17. サザン・ブルース((ビッグ・ビル・ブルーンジー) 18. キングフィッシュ・ブルース(タンパ・レッド) 19. タフ・ラック(ロバート・リー・マッコイ) 20. グッド・モーニング・スクールガール(サニー・ボーイ・ウィリアムスン) 21. エレヴェイター・ウーマン(サニー・ボーイ・ウィリアムスン) 22. アーリー・イン・ザ・モーニング(サニー・ボーイ・ウィリアムスン) 23. キー・トゥ・ザ・ハイウェイ(ジャズ・ジラム) 24. ザッツ・オール・ライト(アーサー・クルーダップ

  

Big Joe Williams  http://www.youtube.com/watch?v=DmrjrVOjrP4

Bukka White  http://www.youtube.com/watch?v=bsMpHHSLSlc http://www.youtube.com/watch?v=N0jRX69mxcE

   

今回はブルーズ、それも戦前ブルースへの回帰の旅を。 すべてのロック、ブラックミュージック、ジャズの源にあるとも言えるブルースについて、触れないわけにはいかない。

   

本アルバムはほとんどが第二次世界大戦前の録音もので、レコード録音のはじまった1920年代から収録されている。日本のブルース普及に大きな功績を果たしたレコードとまで言われる名盤だ。 メジャーどころのサンハウス、レッドベリー、ロバートジョンソンなどは含まれておらず、彼ら以前、もしくはよりローカルで比較的マイナーなブルースマンの演奏も収録されており、よりリアルに戦前のブルースが感じられる。

   

やはりシティブルースが確立されてゆき本来の姿から変容していく戦後のブルースよりも、戦前の荒々しいブルースに本来の姿を生々しく見ることが出来、新鮮な驚きと発見に満ちている。上に挙げた大物を含めブルースは戦前ものを 一度は耳にされることをおすすめしたい。

   

カートコバーンらオルタナ系のアーティストに比較的引用されるレッドベリー、クラプトンらによるブルース回帰でリスペクトの対象とされるロバートジョンソンやマディ・ウォータース、オルタナ系のホワイトストライプスやジョンスぺからベン・ハーパー、ケブ・モー、ノラジョーンズ、デイブ・マシューズ、ジョン・メイヤーまで、現代のアーティストのブルース回帰にはブルース原姿の深みに対するリスペクトがある。

    

イギリスのロックの源流であるブルースロック、ジョンメイオールやフリートウッドマック、ヤードバーズ、クリームからジミヘン、ツェッペリン、トラフィック、フリー、アメリカでもポールバターフィールドからオールマンブラザース、レイナードスキナードなどなど今となってはルーツロックと呼ばれるようになったロックやジャズ、ブラックミュージックの源流にあるもの、その本質は何なのか、このレコードを通して感じられるものはすくなくない。

   

かつてクラプトンはジミ・ヘンドリックスを目にしたとき、「我々に足りないものはこれだ」と言ったという。 白人としてのブルースロックを暗中模索する英国人の彼らが感じたものは何だったのだろうか。

   

ブルースというものに対しては、イメージ先行で、結構知られていないことも多い気がする。 例えば、ここに収録されているブルースマンも結構監獄に入った経験をもつものも当たり前のように何人かいるし監獄の中で見いだされて、レコード会社の行脚のあげく発掘され、わずかばかりの報酬で記録、録音される。 ブルースにはアメリカやイギリスをはじめとした人身売買、奴隷制度の暗い過去の遺産として絞り出された苦渋と慚愧と屈辱と解放と安らぎと血と涙と汗とに満ちた、社会の、歴史の鏡の音楽でもある。 ここで少しブルースとその背景についておさらいしておこう。 簡単にはまとまらないので、箇条書きにしてみる。

    

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・奴隷船は天井裏のような狭いスペースに黒人を横にすし詰めに並べ運搬するもので、衛生状態は最悪、40日から70日の航海中に奴隷たちの15%が病気などにより死亡した。

・運搬され生き残った奴隷はアメリカのみならず例えばイギリスのリバプールのような世界各国の各港にある奴隷市場で売りに出された。

この時、ほとんどの家族はバラバラに売りに出され、部族ごとに集まって反乱を起こすことのないよう部族もまたバラバラにされた。

   

・黒人奴隷たちは言語も異なるよう部族も引き裂かれ、顔を合わせて働いても互いにコミュニケーションをとることも困難になり、なおかつ白人たちに英語を学ぶことも禁じられ、生きるために無言で笑いながら仕事の命令に従うことしかできない状態だった。

そんな境遇に黒人を追い込んでおいて白人たちは、黒人という種族を言葉(英語)も発しなければ、家畜か何かのように勘違いし始め、白人によって支配されなければ生きられない劣等な種族と見なすようになった。

   

・使役のような労働環境下において、異なる部族間でも、ある程度通じる身振り手振りによるコミュニケーションと、アフリカ人である彼らの体内に染みついたリズムからそのまま出てきただけのかけ声の繰り返し、それらは「ワークソング」もしくは「フィールド・ハラー」とよばれた。ハラーという言葉はうめくとかうなる、という意味。

・白人たちは奴隷に英語を教えようとしなかったが、19世紀にはいりキリスト教の布教体制が変わる。教会は黒人に対して積極的に布教を行うため全国各地でキャンプ・ミーティングと呼ばれる大規模な宗教集会を開催。教会は奴隷制度を「聖書の中には奴隷についての記述がありそれは奴隷制を否定しているわけではない」と正当化していた。

   

・キリスト教布教を通じて英語と黒人霊歌を自分たちのものにし、ワークソングから一歩進めた音楽の才能を発揮するようになる。 やがてキリスト教の礼拝はすべて禁止されても、すでにそこに自分たちだけの神の世界と救済を見いだし始めた黒人奴隷の反発を招きかえって水面下でそれらは根付くことになる。黒人霊歌の歌詞の裏にもう一つの、黒人救済のメッセージを秘めるダブル・ミーニングの歌詞を込めるようになり(Amazing Graceなども)、さらにアフリカから彼らが持ち込んだ複雑なハーモニーとコール&レスポンスという歌の掛け合い形式が加えられブルースの原型となってゆく。

  

・1863年南北戦争で北軍が勝利をおさめたことで奴隷制度は廃止。1865年、奴隷解放なるもそれは名目だけ、黒人農民の75%は小作農化、北軍が南部から完全撤退してしまうと状況は解放前よりも悪化、逆に露骨に差別はすすみ、南部では差別が法制化され、正当化されてゆく。 ・それでも奴隷ではなくなった彼らには仕事を終えた後につかの間、個別の自由時間ができ、「神」についてではなく「自分」について歌う機会が生まれ、おりからの差別の強まりに対し、個人のための新しい音楽「ブルース」が生まれてゆく。

  

・南部最深部ミシシッピーのデルタ地域、最も貧しくきつい地域から生まれたデルタ・ブルースは、その閉鎖的ブラック・コミュニティの中で生まれ、通信販売のギターによって、家のポーチや週末のパーティでの楽しみとしてその形を整えていった。アフリカから持ち込まれた弦楽器はバンジョーであり、ギターはかれらにとってアメリカにおける新しい楽器であった。

・初期のブルースマンがミシシッピ・デルタから登場しはじめる。打楽器のようにギターの弦を叩き、しゃがれ声で歌うチャーリー・パットン、スライド・ギターの達人で、天性のエモーショナルな声を持ったサン・ハウス、高度なテクニックを用いたギターを聴かせ、ファルセットで不気味に歌ったスキップ・ジェイムス、シンコペーションを多用したフィンガー・スタイリストのミシシッピー・ジョン・ハートなど。

    

・チャーリー・パットンはビンの口や鉄の棒を用いてスライド・ギターの奏法を完成させた。

・サン・ハウス、マディ・ウォーターズ(戦後)、ジョン・リー・フッカー、ブッカ・ホワイト、スキップ・ジェイムス、そしてロバート・ジョンソンが現れ、デルタ・ブルースは完成の域に達する。

・シカゴやデトロイトなど北部の工業都市はアメリカの好調な経済発展に支えられて人手が不足しはじめたこと、南部の差別強化と経済の行き詰まり、第一次世界大戦にともなう兵隊としての黒人の移動、などなどの要因から、デルタ・ブルースの大物たちは仕事を求めて北東部、特にシカゴへ移動。デルタ地帯は徐々に勢いを失って行く。

   

・米南部の産業のほとんどは、綿花を中心とした単一作物に頼るモノ・カルチャーで、それを北部や海外に輸出することでかろうじて生計を立てる中南米の植民地と同じ経済構造だった。

・1900年黒人人口の90%は南部に住んでいたが、50年後の1950年には50%が北部へと移住。シカゴは農業生産物の集積地でもあり、南部の香りが残っていたり、移住を促進する雇用情報誌がデルタからシカゴなど北部への黒人の移動を促進し、それに伴い、シカゴ・ダウンホーム・ブルースが生まれる。

・シカゴにおいては、デルタ時代の素朴なギターと弾き語りだけのカントリーブルースから発展し、洗練されたバンド形式の”シティ・ブルース”が生まれ後にT・ボーン・ウォーカーらによって発展し、BB・Kingによって完成した”アーバン・ブルース”が生まれてゆく。

  

・ミシシッピー・デルタに匹敵するブルースの故郷としてレッドベリーの出たテキサスがあり、デルタと違い、それはロスを中心とする西海岸へと広がって行き、そこからT・ボーン・ウォーカー ライトニン・ホプキンス、レイボーンやジョニーウィンター辺りを生む。

・メンフィスでは、ロバート・ウィルキンス、ファリー・ルイスなどがでた。北部から南部への関門の位置にあったこの地区では貧しい黒人と白人の交流点でもあり、ジャグ・バンドなど少し芸人的なエンタテイメント的ブルースが見られる。ジョージア州や南北カロライナ州では、ラグタイム風ブルースが発達。ブラインド・ウィリー・マクテル等、明るいダンス音楽のようなサウンドをつくり出した。

   

・女性ボーカルにピアノというスタイルを基本とする”クラッシック・ブルース”が発展し、ベッシー・スミス、ビリーホリデイら人気女性歌手が登場し30年代にピークを迎え、やがてジャズへと融合されていく。

・ブルースの音楽的な定義は、AAB形式と呼ばれ、3行を一組とする歌詞を、3コード、12小節の構造に乗せたもの。Harp(ハープ)と呼ばれるハーモニカ、コークやビールの瓶を使って独特なサウンドをつくるボトルネックギター、インプロビゼーション(即興的要素)の多用も特徴。楽譜上の音よりも半音もしくは1/3音程音を下げるやり方がバックの演奏と歌の微妙なズレを生み、独特の不協和音を生み出し、黒人音楽ならではの「ブルー」な雰囲気の最大の原因としての、「ブルー・ノート」と呼ばれる。

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どうだろうか。 ブルースはもともとの黒人の音楽でもなければ、ギターさえ新天地につれてこられてからのものだ。 今回紹介するビクターによる「RCAブルースの古典」は、ビクターでレコードの録音のはじまった1926年からのものになっているが、ブルースそのものはそれよりもずっと前の1800年代後半頃から形になりミュージシャンが現れ始めたとみられる。

   

本CDは、2大レーベルであったコロンビアとビクターのビクターの方で、1920年代のデルタブルース、メンフィスブルース、カントリージャグバンド、1930年代のミシシッピブルース、ピアノブルース、初期シカゴブルースが収録されている。RCAはメンフィスから後に黒人の中からエルビス・プレスリーを輩出することになるのも偶然ではない。

   

1曲30ドルの報酬で出張録音に応じつつ、農作業の傍らデルタ地域の中でミュージシャン同士の交流もあったようだ。 かれらは禁酒法時代に高くて密造酒に手が出せず、液体の靴磨きを濾過して砂糖と水、コークで割て飲み、中毒性のある劣悪なそんなもののために、僅かの金で録音を重ね、やがて中毒で死んでゆく。 差別と生活苦から逃れた流れ者のブルースマンのたどる一つのパターンだったろう。

   

犯罪に手を染める黒人も日常茶飯事、殺人首都と呼ばれたメンフィス、ブルースの大物サンハウスを始め、殺人経験で20-30年の懲役を経て、監獄でブルースの才能を見いだされ、監獄で録音、ということも珍しくなかった。 特にギターと吠えるようなボーカルという原初の姿のうかがえるカントリーブルース、素朴なエンタテイメントの香りがむしろ切なく哀愁漂うジャグ・バンドに惹かれる。

   

奴隷解放され、新しい生き方を探す黒人たちの、つらくも楽しく、 いい加減で、なるようになれ、生まれてきたからにはつらくても楽しもうぜ、というリアルな生活の息づかいが聞こえてくるようだ。 スタイル的にもかなり奔放で、戦後、型の決まったブルースに至る前の、黒人の歴史、ブルースの誕生から北部への移動に至る社会史と、その中でもまれた名もないブルースマンの息吹が、このCDからは感じられる。

   

普通に生きてゆくことがままならなかった頃の生活と共にあった音楽、それでも運命として出会った苦難の土地で生きてゆくための音楽、そこに込められた表現しきれないほどの濃い想い。死んで生きて殺して食べて飢えて泣いて喜ぶことの起伏が途轍もなく大きな振れ幅で人を覆っていた時代の音楽。

  

彼らの苦難と闘いと泣き笑いの果てに、その生死の先に勝ち取られた現代という平穏な時代。

   

何と言えばいいのか、言葉は見つからなくなってゆく。 どんな言葉も陳腐になる。

   

この音楽を今取り入れたりすることがどういうことなのか、ブルースロックとは何なのか、ロックやジャズや音楽が何を目指すのか、音以上のものであることの本質がむき出しになっているブルースの前で、突きつけられる。今日の一流ミュージシャンが突き詰め求めて苦労するものが、ここでは無名のミュージシャンの演奏と共に50曲並んでいる。

  

ただ聞いて、感じて、圧倒される。 ここから始まったことに思いをはせることしかできない。