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The Stone Roses 価格:¥ 1,567(税込) 発売日:1990-10-25 |
ストーンローゼス「石と薔薇」
(US盤)
1 I Wanna Be Adored (04:52)
2 She Bangs The Drums (03:42)
3 Elephant Stone (03:01)
4 Waterfall (04:37)
5 Don't Stop (05:17)
6 Bye Bye Badman (04:00)
7 Elizabeth My Dear
8 (Song For My) Sugar Spun Sister (03:25)
9 Made Of Stone (04:10)
10 Shoot You Down (04:10)
11 This Is The One (04:58)
12 I Am The Ressurection (08:12)
13 Fool's Gold (09:53)
Ian Brown ( Vocals )
John Squire ( Guitar )
Mani ( Bass )
Reni ( Drums )
ロックの歌詞に力を吹き込んだボブ・ディラン以来、ロックが社会を映し出す鏡となり、我々の心の代弁者であり続けて来る過程で、ロックと歌詞は分かちがたく絡み合い、結びついてきた。ニール・ヤングの、ジョン・レノンの、ピストルズの、ピンクフロイドの、デヴィッド・ボウイの、スプリングスティーンの歌詞は、ロックをロックたらしめてきた。
歌詞という”言葉”は、反社会的な訴え、という図式の中で圧倒的な力をもち、やがて、社会の成熟化によりその単純な図式が崩れてゆく中で、80年代の後半にかけて、言葉に縛られ、しなやかさを失っていった。
特に、意識的観念的なロックファンの土壌であるイギリスにおいては、レーガンのアメリカに対して長年にわたるサッチャー保守政権下で高い失業率と閉塞する社会状況の中で、鬱積する思いをうけとめるだけの力を、ロックは十分に満たしてはいなかった。
細分化されたカテゴリの中で、それぞれのニーズに応えるアーティストがチャートをそれなりにうめてはいたものの、不毛感は漂っていた。特にスミスなき後のカリスマ不在感がその感じを増長していた。
一方で、イギリスは、常に異文化と異人種が狭い国土で混じり合い、異種交配と異文化の英国流の取り込み、知能的で観念的で洗練された音楽を生み出してきたのだけど、80年代の後半にかけて、力を失いかけていた言葉に代えて、黒人音楽、HIPHOP、サンプリング、レゲエの取り込み、といった新たなミクスチャーの動きが見られるようになってゆきました。
そして、シカゴ発イビサ島経由クラブ・ハシエンダ行きのアシッドハウスが、英国の若者の虚しいハートをつかむことになりました。それは、70年代以前の米国のスティービーワンダーに代表されるブラックミュージック、ファンクミュージックをベースとし、80年代から世界の音楽地図を代えてゆくサンプリング、とアシッド(薬物によるトリップ感)を想起させるDJによるハウスミュージック。レイブとよばれる新しいDIY感覚のクラブパーティーが、熱狂的なブームとなっていきました。言葉とカリスマを失った保守王国イギリスにおいて、こうした流れは必然的なものだったのでしょう。
そこから派生したアシッドジャズも相当はやりました。どっちかというと日本では洗練されたアシッドジャズがお洒落なポップス感覚ではやりましたね。一番売れてたのはブランニューヘヴィーズとか、ジャミロクワイ。僕はインコグニートが好きでした。
究極に自己の中にこもり込み、何も語らず、ドラッグと音楽とダンスに酩酊し、同じような目的で集う者同士が、集まり、熱い集団意識を共有する。ダンスミュージックという、”言葉”による意味、の無い浮遊空間の中で、それ自体が新たな意味として生まれてゆく。
社会や体制に対して、意味を歌い、若者をあおり、社会を変えようと訴えたロック。やがて社会はうつりかわり、現代社会において、我々は10年20年前と比べても、我々のロックは戦うべき相手を見失っていきました。成熟し停滞した社会で手に入れられた個人の自由と尊重。その結果、諸問題はある意味個人へ転嫁され、ロックが社会に対して訴えた意味や意義は、我々自身に降りかかってきた。我々自身に、戦いも意味も内在することになりました。
そして我々は、重く内なる意味との戦い、を誰しも自己の中にかかえることになり、同時に、そこからの逃避をも、自己の中の救済をも自己の中に求めざるを得えなかった。そして、それを、意味のない、言葉のない空間、ダンス音楽とレイヴに、人は求め、そこに意味が生まれたのではないだろうか。社会全体で見たときに、そんな流れがでてくるのも、時代の必然で、最近のオタク文化も、同じ構造なのかもしれないと思う。そしてその孤独な道ゆきを共に共感できる仲間を人は求め、ちょうど60年代後半のヒッピーが、どこかにあるあもしれない自由の国を求めて集ったように。イギリス人がそれを音楽、ダンスに求め、日本はアニメやゲームにもとめたのは、面白いと言えば面白い。
かつてヒッピーだったスティーブ・ジョブスのAppleは創設し、ipodは音楽の聴き方を変えた。インターネットは我々の生活基盤となり、個人同士をつなぐ共同社会となりました。かつてのヒッピーが、社会から逸脱して共同生活を試み、追い求めたのに対して、我々は今やインターネットという共同社会を手にしている。何でも自由に、自分たちで、自分たちの力で、Do It Yourselfで。サンプリングを駆使したDJ。
60年代とは違う社会の中で、内なる戦いを強いられることになった我々の悲鳴、手にしたDIYの自由で、個人同士が繋がり、共に歩んでゆこう、という流れ。一つ一つのキーワードをみると60年代のフラワームーブメントと共通するキーワード。しかし似て非なる我々と社会のバックグラウンド。
そして
スミスと同じ不況で停滞する地方工業都市マンチェスターから、ストーンローゼスはおずおずと、言葉という意味性をもたないダンスミュージックに、弱々しいボーカルをのせて、新しいロックを奏で始めた。
そこでは、あまりにも弱々しいボーカルこそが、必要だったはずです。際だった実力を持たない、我々一人一人と何も変わらない、等身大の、労働者階級の、新しいカリスマが必要だった。ジョン・スクワイヤの言葉を借りれば「90年代はオーディエンスが主役となる時代」だったのです。そして神がかり的なジョン・スクワイヤのギターとレニとマニの生み出すグルーブ、イアン・ブラウンのブラックミュージックのリズムが、何よりも陶酔感と高揚感をうみだし、ローゼスは、レイブ世代のロックの旗印としての、期待を背負うことになりました。
ビートルズばりのメロディーセンス、バーズからの影響を感じさせるサウンド、様々なロックの宝が散りばめられたような、それでいてバランスのとれたジョン・スクワイヤのギター。そして何よりも、ロックにブラックミュージックのダンスのリズムを持ち込んだことによって、ロックに再びダイナミズムを取り戻し、言葉とは違う角度からアプローチしつつも、本来的にロックというものが持っていたはずの説得力を獲得し、我々の思いの代弁者たり得、革命的存在となった。ダンスのリズムと、バンドのグルーブが折り重なるように陶酔感と高揚感を生み出した。
歌詞についても、不毛感から抜け出して、自分たちの力で新しい世界を手に入れよう、というポジティブでいながら、ダルでいながら、ドラッグによる高揚感を連想させるふわふわしたサイケデリア、どこか一緒に行こうぜ的な煽る感じ、新しい時代の到来を感じさせるものだった。それだけの思いを包み込んで共に行こう、というある種荘厳なまでの器のようなものを、彼らは感じさせてくれた気がします。
客観的に見れば、メロディーがかけたことと、彼ら、特にジョン・スクワイヤがプロデューサー的なバランス感覚をおそらく持っていたこと、ダンスとロックそれぞれのファンをとりこんだこと、それぞれに退屈していたファンを、再び振り向かせたこと、が大きかったのでしょう。あと2ndのようにエッジの効いたツェッペリン的ではなく、バーズ的であったことが、大きかったかもしれない。
いずれにしても、ローゼスはイギリスの新たなカリスマとして祭り上げられた。
フォロワーを含めたシーンは、拠点のマンチェスターをもじって、”マッドチェスター”と呼ばれた。
1990年5月のスパイクアイランドでの野外コンサートは3万人をあつめた。
「Live Forever」などの映像でみるこのコンサートは、まさに60年代と見間違うものだった。
わかりにくい時代に、若者のハートをつかみ、心の在りかがそこにあることを示し、これだけのムーブメントを今の時代に見せてくれた彼らの奇跡。
そして、くしくも67年のサマー・オブ・ラブと同じように、このセカンド・サマー・オブ・ラブも短い命だった。
ドラッグ問題でクラブ・ハシエンダが営業停止処分になったり、レイブが取り締まられて、商業化し、なによりもストーン・ローゼスが1st以降、5年という長い不在の後に崩壊してしまった。
しかし、ローゼスが持ち込んだダンスとブラックミュージックによって、ロックはダイナミズムを取り戻し、今という時代に必要な音としての力を取り戻した。その影響力は、ローゼス以後と以前に分けて考えることすら出来るほどだ。プライマルスクリームもオアシスも、ローゼスがいなければ、あのような形で存在したかわからないだろうと考えると、その後のブリットロックの下地は、やはりローゼスの影響が大きいと思わざるをえない。
正直、今でも聴く回数が多いのは2ndの方だし、音としてのアルバムの完成度は上のような気がする。しかし彼らはそういうことではない。
ロックのカリスマ像が、われわれを写しだす時代の鏡とするならば、やはり1stアルバムが我々に抱かせた気持ち、その気持ちを皆が持ったこと、その社会的、歴史的な意味性は、あまりにも大きく、われわれの前に現れたカリスマは彗星のように現れ、消えてしまった。その瞬間とも言える短い記憶は、ローゼスというバンドに、作為性やしたたかさがない分、歌詞以上に雄弁なそのメロディーと陶酔感とグルーブと、何かを変えてゆこう、抜けだそう、変われるんだ、という高揚感は、余計に我々の中で尾を引いて、記憶から離れない。