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Rock Climber 洋楽レビュー

Rock、HM/HR、Alternative、Jazz、ラーメン

POISON 

2007-04-27 00:26:28 | 80's LAメタル

Flesh & Blood Flesh & Blood
価格:¥ 1,567(税込)
発売日:2006-08-01
<80's LAメタル vol.3>

POISON 「Flesh & Blood」(1990年 US)

  • ボーカル:ブレット・マイケルズ
  • ギター:C.C.デビル
  • べース:ボビー・ダル
  • ドラム:リッキー・ロケット
  • 1.Strange Days Of Uncle Jack  2.Valley Of Lost Souls  3.Sacrifice (Flesh & Blood)  4.Swampjuice (Soul-O)  5.Unskinny Bop  6.Let It Play  7.Life Goes On  8.Come Hell Or High Water  9.Ride The Wind  10.Don't Give Up An Inch  11.Something To Believe In  12.Ball And Chain  13.Life Loves A Tragedy  14.Poor Boy Blues

    ひどい、10数年ぶりに聴いたが、まあひどい。でも昔もそんなこといいながら、たまに、というかそこそこ聴いていた気がする。これはロックとは言えない。というか言いたくもない。しかし理屈抜きにどうでもいいけどポップなのを聴きたくなるときに出しては聴いてた気がする。

    この3rdアルバムでは多少聞ける曲が増えている。まあでも聴ける曲は限られてた。(Flesh&Blood)Sacrifice、Unskynny Bop、Life goes onあたりだけを聴いてた気がする。これで全米2位、300万枚。モトリーくらいは売れているのが凄い。。

    86年のデビューで、やや遅れてきた感じだが80年代初頭のLAメタルとは全然異質。80年代初頭のLAメタルのルックスとノリのイメージだけすくい取った軽くてキャッチーで、ロックの歴史とは無縁の、ポップスロック。だが、86年はそろそろLAメタルが飽和状態で、へヴィーなものやR&Rもの、ブルースものに回帰し始めていた中で、「まだまだこういう単純なのを聞きたいんだろ」とばかりにくりださたオレンジジュースのCMでかかってそうな脳天気な、はやりのロックの体裁をとったいわばLAロック風ポップス、というところでバカ売れしたのは理解すべきだろう。

    このころは音楽シーンは過渡期だったはずだが、よく考えるとそれは供給側やアーティスト側の事情主導だった言えなくもない気がする。つまり似たようなLAメタルバンドばかりを繰り出して、代表的なバンドはそこから抜け出すために新機軸を打ち出しては、ついてこい、という感じで。それならみんなが聴きたいのは、まだまだこういうのなんじゃないの、という聞き手寄りの発想で出されて、まさにはまった、のがポイズンだったということだろう。まさにこれはポップスの発想だが。

    逆に、時代がシリアスになり始めている時に、もう一度80年代初頭のたのしさを、ととりもどして、という心理があったのかもしれない。実際の80年代初頭のLAメタルはもっとHMよりで英国チックだったはずだが、まさにひとの記憶にある軽くて楽しいイメージだけをすくいとって形にした感じだろうか。まあ当の本人たちにそんな戦略的な意図がみえていたわけではないだろうが、派手なルックスでMTVにのってやってきたおくれてきたLAキッズ、みたいな感じか。

    まあ良くも悪くもアメリカのあるイメージを体現していて、80年代後半にかけて特異な存在感でバカ売れし、LAメタルを代表するような(実際は全然違うと思うが)イメージすらもたれることになったわけで、80年代を振り返るときはある意味無視できない、記憶に残るバンドなことは確かだろう。ただしあまり続けて聞いていると耳が悪くなりそう。スマップの歌に匹敵するかも。

    ポイズンに関してはCCデビルが薬物中毒でバンドを離れた92年に加入したリッチーコッツェンがポイズンとは関係なく好きで、ソロアルバムのファンクなハードロックとテクニックと歌もかなりうまく、なぜポイズンに入ったのかがわからない。99年にはポールギルバートが抜けた後のMr.Bigに入っている。ちなみにCCデビルはGuiterWorld誌で史上最低ギタリストに選ばれている。ある意味すごい。


    モトリークルー

    2007-04-22 00:21:44 | 80's LAメタル

    Girls, Girls, Girls Girls, Girls, Girls
    価格:¥ 1,443(税込)
    発売日:2003-06-02
    <80's LAメタル vol.2>

    モトリークルー「Girls Girls Girls」1987年US

    ヴィンス・ニール(Vo)ミック・マーズ(G)

    ニッキー・シックス(B)トミー・リー(Dr)

    1 ワイルド・サイド
    2 ガールズ、ガールズ、ガールズ
    3 ダンシング・オン・グラス
    4 バッド・ボーイ・ブギー
    5 ノーナ
    6 ファイヴ・イヤーズ・デッド
    7 オール・イン・ザ・ネイム・オブ..
    8 サムシン・フォー・ナッシン
    9 オール・アイ・ニード
    10 監獄ロック(ライヴ)

    81年「Too Fast To Love」でメジャーデビュー、83年 2nd「Shout at the devil」が当時200万枚全米17位、85年 3rd「Theater of pain」が当時300万枚全米6位、自ら牽引役となって全米を席巻するムーブメントになっていたUSにおけるHMのポピュラーチャートにおける盛り上がり。そのいわばLAメタル勢の頂点を極めていた彼らだったが、シーンの常として必然的に数多くのフォロワーを生むことになる。質の悪い似たようなバンドの再生産に次ぐ再生産でシーンは飽和状態。ルックスだけはラットやモトリーもどきで溢れかえり、飽きられ始めてきたのがはやくも85年~86年頃。

    先駆者であり圧倒的な実力をもつ彼らさえ、スタイルを真似られ尽くされれば危機感も覚える。もともとドラッグ漬けの日々に、トラブルが続き、さらには86年10月頃からLAメタルとは一線を画するボンジョヴィの大ブレイク(Slippery When Wetが800万枚)でシーンはブルース色・カントリー色・R&R色をもつものに回帰し始めていた。モトリーとしては次のステージへ歩を進めなければならない状況におかれていたといえるのではないか。

    当時のアメリカはレーガン大統領の時代。84年のロサンゼルス五輪、85年はNY株価が最高値を記録しバブル真っ盛り、ソ連はペレストロイカが進みんでいたが、86年になるとチェルノブイリ事故、NY株大暴落、音楽シーン全体ではアパルトヘイト反対運動やライブエイド、We are the worldのヒット、ワールドミュージックの浸透など社会が大きく動き始めていた。

    3rdからR&R色を打ち出し始めていたモトリーは、87年のこの4thではっきりと、潔くR&R路線に舵を切り、80年代前半モトリー自ら牽引してきたLAメタルの典型的なサウンドから、一歩踏み出した、というのがこの作品。

    ルックス的にもグラム的なものから黒っぽいR&R風に変わっている。1曲目、2曲目は代表曲の一つとも言えるインパクトをもつし、全体的に結構分厚い音になってきており、古典的R&R路線が違和感なく、うまく取り込まれている気がする。なんと言ってもヴィンス・ニールのヴォーカルが圧倒的にうまい。ラットとの大きな違いはやはりここから派生する作曲上の選択肢の幅の違いだろうか。ある意味器用にいろいろな曲世界を表現力豊かに、かつワイルドに演奏できてしまうのだ。ラストの監獄ロックもその良い例だ。さらに全体的な演奏にラットとは違う種類のアグレッシブさがあり、相手を呑んでかかるような彼らのアティチュードからくるものなのか、シーンの牽引者としての自覚なのか、スキルの高さからくる余裕なのか、王者の風格のような揺るぎないものが音から聞こえてくる。かれらの演奏からは、その他のLAメタルバンドがもつはかなげな危うさはなく、ふてぶてしいほどの揺るぎなさが感じられる気がする。

    そのため、ラットがバンドイメージ的には陽、モトリーが陰、というかワルでワイルドなイメージがありつつも、ラットのヴォーカルがどこかマイナー調に終始せざるを得なかったのに対し、スキルの高いヴィンスの方が今となってみれば正攻法、陽なイメージに聞こえる。よりプロフェッショナルというか、現代的といおうか。つまり、自らがシーンを作り出し、リードしてきた彼らが、その真の実力をもって伝統的なR&Rを取り込むことに成功し、LAメタルを一つ次のステージへおし進めたということが言えるだろう。フォロワーを置き去りにして一歩も二歩も先に進んだ、といった方がいいかもしれないが。並の実力では、R&Rを取り込んで新しいモトリー色として受け入れられるところまでもってゆき、次のステージへ進むところまではいけないものだ。

    この4thは全米2位、200万枚を記録。しかしボンジョヴィは800万枚。ドラッグ摂取は止まらず、ついにツアー中にニッキー・シックス(B)が心肺停止に。さすがにやばいということでドラッグ中毒から抜け出した89年に、ついに決定打となる5thが世に出ることになる。


    RATT ラット

    2007-04-15 21:05:21 | 80's LAメタル

    Out of the Cellar Out of the Cellar
    価格:¥ 1,272(税込)
    発売日:1990-10-25
    <80's LAメタル vol.1>

    RATT 「OUT OF THE CELLAR」(’84 US)

    1. Wanted Man
    2. You're in Trouble
    3. Round and Round
    4. In Your Direction
    5. She Wants Money
    6. Lack of Communication
    7. Back for More
    8. Morning After
    9. I'm Insane
    10. Scene of the Crime

    スティーブン/パーシー(Vo)

    ウォーレン・デ・マルディーニ(g)

    ロビン・クロスビー(g)

    フォアン・クルーシェ(b)

    ボビー・ブロッツァー(Dr)

    LAメタル。80’s。少し当時の状況をふまえるところから始めると、まずこのラットにとってのメジャーデビューアルバム発表の1984年の2年前82年にMTVの放送が開始されている。マイケルジャクソンの"Beat it"にエディヴァンへイレンが参加したのがこの82年。MTVは言うまでもなくこの80年代のアメリカ、という社会を背景にして、この時代の音楽シーンの重要な舞台となってゆく。つまりツアーに代わり、PVの大量オンエアが大ヒットに繋がると共に、今までわざわざコンサートに出向かなかった層までもレコード購買層として取り込み、音楽業界のパイ拡大に一役買うことになった。

    さらに遡る1980年はIron MaidenらのN.W.O.B.H.Mに端を発した英国へヴィメタル勢が復活を果たし、アメリカへの長期ツアーを決行、米チャートへの進出を果たし確固たる地位を獲得した時期。その顔ぶれは主にジューダスプリースト、オジーオズボーン、アイアンメイデン、ブラックサバス、MSG、レインボウ、デフレパード、モーターヘッドなどの主にベテラン勢。その時期はUK以外からも、オーストラリアのAC/DC、ドイツのスコーピオンズがUS進出を果たし人気を得ている。この辺りはまた別の機会に書くとして、英国を中心とするHR/HM勢がUSで確固たる地位を築いた年代である。

    同じ時期にはMTVの流れに乗ったデュランデュラン、カルチャークラブ、ヤズー、ユーリズミックスらこれまた英国のニューロマンティックと呼ばれた中世的なルックスとソフトなボーカル、ポップなダンスミュージックが特徴の英国勢のUS進出が一大潮流となり、第二次ブリティッシュインヴェイジョンと呼ばれた時代でもある。この辺りも別の機会に触れる。

    常にアメリカの音楽シーンとイギリスのシーンは相互に影響を及ぼしあって世界の音楽界をリードしている。どちらかの国で、音楽的停滞期を打ち破るイノベーションが起こる。それはプロデューサーや特定の人物グループの仕掛けに端を発したとしても、それが社会的状況を反映させたものであれば、やがて大きなムーブメントとなり、国境を越える価値と意味と共感を得るものが、世界的な進出を果たす。それが相手国において化学反応を起こし、イノベーションが起こる、という連鎖の繰り返しが行われているのである。

    もちろんこれは米国と英国の間だけではなく、音楽ジャンル間でも又アートの領域間でも起こっており、更には常にその背景には、その国や地域における社会・時代状況が反映されて、個性を生み出してゆくわけである。

    というわけで、この時期はUKからのHM/HR進出に呼応したUS側のHMとしてLAメタルということである。UK勢のヒットが無ければ、USでHMが商売になるとは見なしていなかったというのがアメリカのレコード業界の当時の状況だったのだ。

    という訳でラットに行く前にもうひとつLAメタルに繋がるUS産HMの個性の影響をなす要素を考えてみると、当時のいわゆる産業ロックも見逃せない。70年代のAORのバックバンドメンバーらによって結成されたグループによる、アメリカらしい抜けの良さ、耳ざわりの良さ、爽やか、かつ大きな、テクニカルなサウンド。これはまさにUKのHM/HRにないLAメタルの要素であり、TOTO(ボズスキャッグスのバックバンド)、ジャーニー(サンタナのギタリスト抜擢)がその代表である。さらにはアメリカにおけるプログレであるプログレ・ハード(カンサス、ラッシュら)やプログレバンドのメンバーで構成されたフォリナーらが中心となった産業ロックが、まさに80年代初めのLAメタル勃興直前のアメリカの音楽シーンを席巻しており、間違いなくUKのメタルとは異なるLAメタルとしての個性を形成するパーツ、フレーバーとして埋め込まれているものである。

    あとは、なんと言ってもLAメタルの特徴の要素として大きいのは、UKからのグラムとパンクの影響をうけたUSロックの先人達(キッス、エアロスミス、アリスクーパー、ニューヨークドールズら)の系譜で、見た目的にも影響は大きいということは往々にして言われるが、、これについてはモトリーの音とT-Rexの音がそんなに似ているかと言われるとそんなことはないわけで、以上の各要素の配合は当然バンドによって異なり、一概にLAメタル=グラム=へアメタルとはくくれないのが実際だろう。

    この流れの中で80年US産のHR/HMとして、ロサンゼルスを拠点とするバンドを震源としてUS発のHR/HMの動きは始まった。1980年のUKからのHM/HR勢に呼応する動きであり、初期の中心となったのはヴァンへイレンとQuiet Riot。続いてモトリークルー、でラット。

    さらに続いたのがドッケン、ストライパー、ナイトレンジャー、ポイズンなどである。実はボンジョヴィもラットと同じ84年デビューだが、アメリカでブレイクするのはもっと後になり、LAメタルの先駆者、中心としてはモトリークルーとラット、というイメージがある。

    さてようやくラットのメジャーデビューアルバム「Out of the cellar」だが、あらためて聞き直してみると学生時代に聴いていた記憶のイメージよりも渋いことに驚いた。この時代のものには、当時はあんなに聴いていたのに今はもうとても聴けない、というモノも多いが、これは全然聴ける。まずスティーブン・パーシーのボーカルだろうか。音域が狭く制約のあることが後々バンドを曲作りに影響し、バンドの行き詰まりのモトになっていくのだが、このデビューアルバムに限って言えば、このマイナー調の微妙にイコライジングしたようなひしゃげた声の制約下で書けるネタを出し尽くしたかと思えるほどの圭曲揃いで、この声にも妖しげな風格さえ感じられ、メジャーデビュー作とは思えない完成度である。この声はどこかアリスインチェインズのレインステイリーにも通じる現代性すら感じられる。"round and round"とか"goes around, goes aroud"とかフレーズを繰り返すコーラスなどは、いかにも当時の古さを感じる部分もあるが、意外に渋い作りなので驚いた。また今でも聞ける要因としてウォーレン・デ・マルディーニとロビン・クロズビーのツインギターによる音の厚みと、特にウォーレンの”フラッシー”と表されるギターワークの合わせ技だろうか。ウォーレンのギターワークは、曲の勢い重視で、アグレッシブなテンションが伝わってくるような独特のタイム感があり、早弾きとは違うスピード感を醸し出していて、古さを感じさせない原因になっているかと思われる。

    ラットンロールと呼ばれたこのアルバムの音は、「抜けの良いカラッとした西海岸風」と表現されることもあったが、それにはアメリカとイギリスそれぞれの当時の歴史的影響が少しずつ加味された結果のその時期その瞬間そのロケーションに特有の無二のものであり、かつ粒ぞろいのポップな楽曲が揃ったところで生まれた一つの傑作であった。