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Rock Climber 洋楽レビュー

Rock、HM/HR、Alternative、Jazz、ラーメン

レモンヘッズ

2007-08-05 22:56:36 | グランジ・オルタナティブロック

It's a Shame About Ray It's a Shame About Ray
価格:¥ 1,243(税込)
発売日:1992-11-10

「It's a shame about Ray」The Lemonheads    1992 US

1 Rockin Stroll (01:47) 2 Confetti (02:44) 3 It's a Shame About Ray (03:06) 4 Rudderless (03:19) 5 My Drug Buddy (02:51) 6 Turnpike Down (02:33) 7 Bit Part (01:51) 8 Alison's Starting to Happen (01:59) 9 Hannah & Gabi (02:40) 10 Kitchen (02:55) 11 Ceiling Fan in My Spoon (01:48) 12 Frank Mills (01:44) 13 Mrs. Robinson (03:43)

音楽はそれを聴いていた頃のことを一瞬でFlash Backさせてくれるやっかいなものだが、このレモンヘッズのメジャー2作めは、自分にとってなんともいえない若気の至り的な、青い思い出が詰まった一枚だ。

REMやソニックユースやニルヴァーナの活躍でインディ系のアーティストに脚光があたった90年代初め、ボストンのレモンヘッズがこのメジャー2作目で頭角をあらわす。そしてイヴァン・ダンドゥはグランジ初の、というかXジェネレーション世代のアイドルになる。ソングライティングの才能、ルックス、声の良さ、セックスシンボルとしては十分すぎるほどの資格を備えていた。しかしラストのサイモンとガーファンクルのMrs.Robinsonのカバーがヒットするまでは、彼らの良さはなかなか日の目を見なかったが。

彼らの良さはまずメロディのよさだ。ほどよくパンキッシュで、どこかローファイで、フォーキーで、カントリーで、アコースティックでインディな香りのするプロダクション、なのにずば抜けてポップでメロディアス。さらにぶっきらぼうで中低音の淡々としたボーカルでありながら、優しさ暖かさとやるせなさを感じさせる声。このアルバムでの彼は完璧だった。

ほとんど同じような時期に、インディ的な動きとしてのパワーポップの盛り上がりがあった。ティーンエイジファンクラブにマシュースウィート、このレモンヘッズもそのひとつととらえることも出来るかもしれない。CMJ的な、グランジ的な、インディ的な、つまりDo It Yourselfの感覚。しかし彼らの切なさの本質は、その痛みを伴ったような優しさだ。優しさの精神病理、とでもいうような、繊細で、しかし弱さと隣り合わせの、どうしようもない自分。あやうくて、繊細で、優しいのに甘くなりすぎず、メジャーすぎず身近な感じのするレモンヘッズ、かれらに身近なものを感じて自分を重ねて、彼らはグランジ世代のアイコンになった。僕もそんなファンの一人だった。イヴァン・ダンドゥの中にあったそんな感覚が、ポップセンスとボーカルの上で絶妙のバランスを保っていたのが、このアルバムだったのだと、今になれば思う。 93年のピープル誌でイヴァン・ダンドゥは「最も美しい人々」の一人に選ばれている。

このアルバムの随所で聴かれる当時の彼女のジュリアナ・ハットフィールドのコーラスが良い味を出しているが、93年の3rd「Come on feel The Lemonheads」あたりからイヴァンはドラッグにはまってゆき、ジュリアナも去り、バランスは崩れてゆく。3rdも悪くはないが、2ndのような凝縮感がない。 いまでは結構知らない人も増えてしまっているほど、影響力がどうこういうタイプのバンドではなかったかもしれないが、彼ほどのメロディをかける人がどれほどいるか、イヴァンが90年代を代表するソングライターといわれるゆえんだ。彼のようなタイプのメロディーは時代の風化はあまり関係ないだろうし、実際あれから15年が経つというのに未だ僕の身近にあって聞き続けている。昨年の8月に復活のアルバムを出して同郷のダイナソーJrのJマスシスも参加、メロディーは不滅なのだ。


REM

2007-07-03 00:52:16 | グランジ・オルタナティブロック

Automatic for the People Automatic for the People
価格:¥ 1,567(税込)
発売日:1994-03-23

REM「Automatic for the people」1992年US

01. ドライヴ
02. トライ・ノット・トゥ・ブリーズ
03. サイドワインダー・スリープス・トゥナイト
04. エヴリバディ・ハーツ
05. ニュー・オリンズ・インストゥルメンタルNo.1
06. スウィートネス・フォローズ
07. モンティ・ガット・ア・ロウ・ディール
08. イグノーランド
09. スター・ミー・キトゥン
10. マン・オン・ザ・ムーン
11. ナイトスウィミング
12. ファインド・ザ・リヴァー

Michael Stipe(Vo)、Peter Buck(G)、Mike Mills(B)、Bill Berry(D)

僕の初REM体験はアルバム「Green」だった。
その頃聞いていたのは80年代はやっていたLAメタルや産業ロック、もしくはニューウェーブ系のポップス。ホワイトスネイクもボンジョビもマドンナもカルチャークラブも悪くはなかったが、非日常世界の話だったし、その頃「Born in the USA」
が大ブレイクしていたブルース・スプリングスティーンにしたって、アメリカのリアルな(労働者の)感情であって、かっこいい以上のものじゃなかった。今でいえばビッグサウンドが
全盛で、それが当たり前だった。
そんな時にたまたま聞いたのが「Green」だった。アメリカンNo.1バンド?CMJ?
一聴した印象は、なんじゃこりゃあー、とにかく新しいな!!という感じだった。

とにかく当時の全盛だったマッチョなハードロックやメタルや
ボスのような力強いボーカルとは対局の、ヒョロヒョロと弱々しい鼻が詰まったようなカエル声のくせに、やけに堂々と主張して、確信に満ちた声で政治的なことを歌って、かつNo1バンドとして受け入れられている?!なんだ、何か新しいことがはじまっているのかぁ?!!
そんな何か新しい得体の知れないわくわくするような可能性が待っているようなそんなインパクトを受けたことを覚えている。

そして一番印象に残っていた曲は「Stand」だった。
「おもえが今いる場所で立ち上がれ」なんてシンプルなこと歌ってるなあ、というそれだけのことなのに、何故かいつまでも記憶に残る、そして気がつくと「Stand in the place you live ~」と口ずさんでしまっていた。そんなことをうたっている奴なんて他にいなかったし。音もシンプルで短くて、メロディアスでポップで、どこか懐かしいほっとするような、とにかくビッグサウンドが蔓延する中でその音は、とてもとても新鮮に響いた。
  
日本にいる僕にまでREMの歌が届くまでの状況を少し振り返っておこう。

イギリスでポリスのマネージャーをしていたマイルス・コープランド(ドラムのスティーブの兄)がアメリカでのパンクの状況に業を煮やし1979年にロスで設立したレーベルがIRS(International Record Sindicate)。
マイルスの共同経営者ジェイ・ボバーグは元々メジャーレーベルのA&M社でカレッジ・ラジオ局の担当者だった。
そのほとんどが学生たちのボランティアによって運営される、アメリカの各大学の非営利のFMラジオ局が、商業主義に影響されずに音楽を流すことが可能であることを知っていた彼はそこに目をつけ、このカレッジラジオのネットワークと協力関係を結んで、メジャーの商業主義的音楽に対し、独自の音楽性をもったバンドの発掘、この場合特に反メジャー的な等身大の、パンク的なバンドの発掘を始めた。
つまりメジャーなものに対するオルタナティブ、の発掘を目指したのだ。

特にアメリカという国はイギリスと違ってニューヨークやLAなどの限られた大都市以外は広大な田舎ばかりで、知的なロックであるパンクが受け入れられにくい土壌だったが、大学生とその周辺のインテリ層の音楽マーケットをネットワーク化することで一つの市場として創出した上に、アメリカ全土に散らばる大学を擁する中規模都市のローカルな音楽市場と、ローカルで活動する各地元の音楽シーンをも飲み込んだ。このことによりカレッジラジオネットワークは、その地方ごとの多様な音楽性、多様なバンドが次々に登場してくる新鮮な土壌として機能し、そうしたボトムアップな魅力に溢れたカレッジラジオのネットワークは、その代表的なバンドREMの成長と共に、大きな音楽勢力となって、その代名詞である機関雑誌CMJ(カレッジミュージックジャーナル)とともに、オルタナティブ、という言葉自体を体現しているといってもいい存在となっていく。このことは、宝の鉱脈を探し当てた音楽界マーケティング上の一大発見であり、メジャー一辺倒で閉塞感のあった音楽界に風穴を開けただけでなかった。ローカルにあって商業主義に流されず独自の音楽性を保つこと。そのことが、現代のロックに求められる多様性にこたえうる個性として機能してゆく、という90年代から現在にいたるまでのロックの潮流がここから生まれていった、と言っても言い過ぎではないだろう。
そして当然この流れの先に辺境都市シアトルでおこった、いわゆるグランジのムーブメントも、ある。
  
REMは南部のジョージア州アトランタ近郊のアセンズという町の出身であり、今でもそこを本拠として活動している。
上で触れたIRSから6枚のアルバムを出し、IRS最後の87年の「ドキュメント」を最後に600万ドルでメジャーのワーナーに移籍、88年「Green」、91年「Out of time」、92年「Automatic for the people」となる。ここまでのアルバムはどれも劣らない傑作ばかりだが、特徴を言えば「ドキュメント」あたりは政治色が強く、「Green」ではパンク色の強いコンパクトな曲が多い印象、そして「Out of time」ではストリングスやホーン・セクション、ペダル・スティールなどが取り入れられて幅が広がり、とてもポップで、中でもピーターバック(G)がマンドリンを使ったシングル「Losing My Religion」は全米1位を記録、「Out Of Time」は1000万枚を超える大ヒットを記録した。そして「Automatic・・」では一転、静の雰囲気を醸しつつもメロディーとボーカルの伸びやかさがすばらしく、前作をこえる1500万枚を記録、世界的なバンド、現代最高のロックバンドの名をがっちりと刻み込んだ。いずれも甲乙つけがたい傑作ばからいだが、アルバム全体の総合点でいうと「Automatic・・・」がやはりベストだろうか。昔は圧倒的に「Out of time」だったし、「Automatic・・・」は暗くて嫌いでほとんど聴かなかったが、10年経った今では一番好きなアルバムだ。なぜかふいにこのアルバムのことを最近思いだし、今聴けば絶対にはまるはず、と思ったらやはりそうだった。

REMのサウンドの魅力は、フォークロックやカントリーロックの要素とパンクの影響、それにポップなメロディーセンスがマイケルスタイプの伸びのある声と絡み合う時の何とも言えない雰囲気にあると思う。特にフォークの影響は大きな魅力のポイントになっていると感じるが、それはフォークというよりももう一つ前のフォークロアのようなエスニックな雰囲気にあると思う。「You are the everything」などはツェッペリンを思い出しまった。それはピーターバックのマンドリンやバンジョーと+αの編曲によってももたらされていると思う。
またマイクミルズのコーラスもバーズの影響が感じられて良い味を出しているし、彼ら自身フォークのジョーンバエズやNYパンクのパティスミスの影響を公言している。

かれらのもう一つの魅力は、その楽観的な雰囲気にある、と思う。決して線の太くないマイケルのボーカルが伸びやかで明るいユーモアをたたえているのは、彼らの精神性に、無垢な楽観性から来る確信、荒唐無稽とすらいえる希望、そんなものが歌の背景に感じられたからではないだろうか。
決して明るいとは言えなかった80年代から90年代にかけて、かれらのそのようなオプティミズムに支えられた等身大の歌が一条の光のように、すっぽりと時代の真ん中にはまったのだと思う。彼らのパンクサイドの曲ではメッセージも曲構成もとてもシンプルで、ユーモアすら感じるところに魅力がある。
時代がそんな無垢な希望の歌を望んでいたし、彼らの精神的成長と音楽的成長がぴったりとそこにはまったことによって、かれらは巨大な存在になった。

彼らはずっと地元アセンズから活動拠点を変えていない。メジャーに移ってからも、かれらの精神的状態をそのまま映し出したアルバムを制作してきた。そのことが後に続いてきたオルタナティブのバンド達から尊敬を受ける理由なのだろうか。それはつまり、一度売れるとレコード会社からその路線を踏襲することを強いられ、自由な創造が制限されるものなのに、彼らはおもうままに曲を作り、一般的な売れ線ではないフォークやパンク路線の曲にファンがついてくるということに対する羨望なのかもしれない。だとすると彼ら自身はあまりそれは意識していないことだろう。もともと彼らの中にある豊穣な音楽的才能や要素がそのまま世間に感慨されたのだから、これほど幸せなことはない。

無垢な彼らと時代がシンクロした「Automatic・・・」までの、特に最後の4枚は、その意味でエバーグリーンに輝きを失うことはないだろう。

しかし時代と彼らの精神性の蜜月も永遠ではなかったのだろうか。
94年の「Monster」あたりから何かが変わった。
時代も変わった。カートコバーンが自殺し、グランジバブルがはじけた。オルタナティブはREM自身やソニックユースやなんといってもREMチルドレンたるグランジムーブメントで、ロック界をこえた社会現象となり、大きく社会に浸透し良い意味で当たり前の存在になった。

彼らも変わった。世の中にはうまくいかないことが多い。ドラムのビル・ベリーが去り、長年のマネージャーで5人目のメンバーといわれたジェファーソン・ホルトも去った。苦渋にみちた社会の酸いと甘いをかみしめて無垢な楽観性を土台にしたマイケルのボーカルから伸びやかさが失われた気がするのは気のせいだろうか。
べつにそれは後退だとは言わない。彼らは当然ながら精神性を一つ大人のステージに移行したということじゃないだろうか。
もともと彼らはその時々の正直な精神状態を、正直に歌にしてきたのが彼らだったのだから、彼らが変わればかれらの歌も変わる。彼らは元々アセンズで自分たちの思うままを、自分たちの尊敬するアーティストの影響を自分たちの中にあるそれらの要素を好きなように実験しながら演っていただけだったはずだ。

芸術性は商業主義に勝りうる、オルタナティブのあるべき姿を、圧倒的な芸術性の勝利で証明してきたのがかれらだった。そして時代がかれらとシンクロしなくなっても彼らのスタイルははじめから何も変わらない。
これからも変わらないだろう。


Kings of Leon

2007-06-19 01:18:11 | グランジ・オルタナティブロック

ビコーズ・オブ・ザ・タイムス ビコーズ・オブ・ザ・タイムス
価格:¥ 2,548(税込)
発売日:2007-04-25

<グランジ・オルタナティブ Vol.5>

Kings of Leon 「Because of the times」 2007年4月25日US

1 ノックト・アップ
2 チャーマー
3 オン・コール
4 マクフィアレス
5 ブラック・サムネイル
6 マイ・パーティー
7 トゥルー・ラヴ・ウェイ
8 ラグー
9 ファンズ
10 ザ・ランナー
11 トランク
12 カマロ
13 アリゾナ
14 マイ・サード・ハウス(ボーナス・トラック)

カレブ・フォロウィル(リード・シンガー、リズム・ギター)
ネイサン・フォロウィル(ドラムス)
ジェアド・フォロウィル(ベース)
マシュー・フォロウィル(リード・ギター)

ひさびさにガツンときました。最近ではThe musicの1st以来かもしれない。
王道ど真ん中でいながら、今でしか生まれ得ない現代の音。 オルタナかアメリカンロックなのか迷ったが、まあどっちでもいいです。
古今の伝統を受け継ぎながら、型にはまらない、オリジナリティがあり、まだまだ発展途上の余地、可能性の芽を感じさせる、わくわくするような期待感を抱かせるスケールの大きなバンドだと思う。
  
まず一番の特徴はVocalの声。こもったような鼻にかかったような男臭い不器用そうなハスキー声で、血管が切れそうなテンションでうたいあげる様は不器用、無骨、初期のU2かテレンスレントダービーとかを彷彿とさせる。そのプロっぽくない感じが唯一無比の世界を作ってしまう。
一聴すると一本調子・ぶっきらぼう、でもロック好きにはたまらない雰囲気にしばらく聞き続けていると尻上がりにテンションはあがってゆき、曲の最後にはもう完全にもっていかれてしまう。

ベースにあるのはスワンプなブルースロック。アーシーなロックでいながらハイテンションな所がどことなくニール・ヤング的な臭いも感じる。
だが、ザックザックと刻まれるギターが独特の緊張感を生み出し、Albumを通してテンションとエネルギーを生み出している。このあたりは特にただのスワンプロックではなく、レイジアゲインストザマシーンあたりの真のミクスチュア魂的なものの影響が感じられる。さらにはUK的ガレージロック、ポスト・パンクやアークティックモンキーズ的な歌詞など、今という時代をまっとうに吸収して正しく、自分らしく取り込んでいることが感じられる。

アルバム全体で見てもバラエティに富んだ内容で捨て曲が見あたらない。その中でもあえて言えば#3「On Call」だろうか。音声加工がまたこのバンドの魅力を引き出している。

このまま成長してビッグになれば、本作は名盤として振り返られることになると言っても言い過ぎではない、と思う。

USテネシー州出身の4人組。アレサ・フランクリン、アル・グリーンを輩出したキリスト教のペンテコスタ派という特異な宗派出身で音楽を身につけ、ナッシュビルに移住。
2004年にはNMEアワーズ最優秀新人賞、ボブディランやパールジャム、U2の前座をつとめ、いままではUKで高い人気と評価を得てきたが、この春リリースの本作でUKでは当然No.1獲得済み、USでも評価を高めることを期待したい。

まだ平均21歳。このまままっとうに、かつオリジナルなGoing My Wayな感じでやってってもらえれば問題なし。非常に楽しみだ。まだ彼らを知らない方、パールジャムが好きな方、男気あふれるUS南部的UKロック好きそうな方もおすすめです。

★★★★


ソニックユース 「Goo」

2007-06-10 03:04:23 | グランジ・オルタナティブロック

GOO GOO
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2006-05-17

  1. ダーティ・ブーツ - Dirty Boots (5:28)
  2. テュニック(ソング・フォー・カレン) - Tunic (Song for Karen) (6:22)
  3. メアリー・クライスト - Mary-Christ (3:11)
  4. クール・シング - Kool Thing (4:06)
  5. モート - Mote (7:37)
  6. マイ・フレンド・GOO - My Friend Goo (2:19)
  7. ディスアピアラ - Disappearer (5:08)
  8. ミルドレッド・ピアス - Mildred Pierce (2:13)
  9. シンデレラス・ビッグ・スコア - Cinderella's Big Score (5:54)
  10. スクーター・アンド・ジンクス - Scooter + Jinx (1:06)
  11. ティタニウム・エクスポーズ

<グランジ・オルタナティブ Vol.5>

サーストン・ムーア (Thurston Moore - guitar, vocals)
キム・ゴードン (Kim Gordon - bass, guitar, vocals)
リー・ラナルド (Lee Ranaldo - guitar, vocals)
スティーヴ・シェリー (Steve Shelley - drums)
ジム・オルーク (Jim O'rourke - etc... )現在は脱退?

オルタナティブを考える時、ソニックユースをはずすことはできない。
と同時にソニックユースを考えるときにオルタナティブ、という言葉についても考えずにはいられない。

ソニックユースのリーダー、サーストン・ムーアは1976-77年のニューヨークで、テレヴィジョンやパティ・スミス、ラモーンズetc.らいわゆるニューヨークパンク勢の活躍を目の当たりにし、少し遅れた「ノー・ウェイヴ」と呼ばれる時代(1978-79年)にそのアンダーグラウンドな活動を始めた。NYパンクの聖地CBGBのようなクラブではなく、ガレージのような場所でライブを行った。

  

イギリスなどでも活動し、80年代半ばには同じ時期に活動していたアングラのもう一方の雄ヘンリーロリンズのブラック・フラッグによるSSTというロスのレーベルなどでも活動、
この時期、後にシアトルからグランジを発信するサブ・ポップ・レーベルがその先見性に
富んだコンピレーション盤『サブ・ポップ100』にソニック・ユースの「Kill Yr Idols」を収録したりしている。

  

80年代の終わりへ向かい、社会は大きく転換しはじめる。
時代的な空気が変わり始める。それまでメジャーだったもの、主流だった価値観、それら全てに対する不信感、だけど社会はそんな経験はすでに70年代に経験済みであり、その頃ほどハングリーでもなく無邪気に反抗していても始まらないことはわかってしまっているという諦念的現実感、どうすりゃいいんだよ、という停滞感。ロンドンのリアルパンク勃発時に似たような状況が80年代という10年近い潜伏期間を経て、アメリカに訪れる。そのうねりはちょうどソニックユースのアングラ活動と曲線を共にするかのようでもある。

  

サーストン・ムーアは大学教授の息子だからというわけでは無いだろうが、他のパンク勢との共通点として、やはりインテリな部類にはいるだろう。しかし一線を画している点は、インテリというよりクレバーというべき、その在り方だろう。
バンドの核になっているのはムーアのノイズギターだ。ムーアは「エレキギターを聞くという
ことはノイズを聞くことに等しい」と言っている。つまりムーアは、あの手この手の実験の中で、色々なノイズの形を繰り出し続けている。彼にとって、我ら聞き手にとって、はたして、このノイズとは何なのだろうか。

  

ノイズとは不協な音だ。理解の範疇外の音とも言える。しかし理解の範疇の音とは、誰にとっての音なのだろうか。いつの間にか理解の幅を作ってしまっている者達にとって不協な音。ノイズ。メジャーなものに対する警笛。マイナーなものの痛みそのものの音。ムーアはそのノイズそのものを実験し続けている、しかも間違いなく確信的に。つまりメジャーな者に対するオルタナティブ(代替)でいつづけること。メジャーなものは変わり続ける。オルタナティブで居続けることは理解の範疇を超え続けること、主流に取り込まれないこと。それをムーアは肩の力の抜けた実験精神とキムゴードンというパートナー、後に続く同朋達を得て、30年ちかくに渡って継続しているのだ。
安定的にオルタナティブで在り続ける、という一見矛盾しているような、アーティスティックな活動にたいする信頼感はアングラの帝王と称されるにふさわしい。

   

80年代はまた、大学のFM局をネットワーク化したCMJが、同じく反メジャーの等身大のパンクテイストで割とポップなフォークロックで人気を得たREMを大きくのし上がらせたが、あいかわらずノイジーなソニックスはアングラ活動を続け、その活動を集大成した1988年の傑作2枚組LP『デイドリーム・ネイション』を出した10年目の終わりに彼らはようやくメジャー・レーベルのゲフィンと契約、1990年に本作『GOO』をリリースする。80年代のアングラ活動を通じて、世間的評価の低いオルタナティブ勢の地位を向上させたい、という親玉的目的が大きかったようだ。

  

それでいて自身の活動は相変わらず実験精神に富んだ作品作りを継続しており、インディーからも作品を出せる環境を整えるなど、メジャーにいながらオルタナティブで居続けられるという後続のロックバンドにとってやはり見本になるような地位を固めている。

  

90年の夏を『ラグド・グローリー』ツアーでニール・ヤング&クレイジー・ホースと一緒にアメリカ中をツアー、1992年にはニルヴァーナ『ネヴァーマインド』のプロデューサー、ブッチ・ヴィグを迎えてメジャー2作目を制作。1995年、ロラパルーザでヘッドラインを務め、REMとツアーを行っている。

  

本作はシニカルでノイジーでNYパンクらしいアバンギャルドな音と同時に、タイトなロックンロール感も併せ持つ。次作のダーティでは、プロデューサーのせいか割と聞きやすい今聞けばいわゆるグランジ的な音になっている。
  

社会は低成長時代に突入した。ロックは社会に文化として浸透し、もはや誰にとってもすぐそばにあるものになった。ロックは極めてパーソナルな、人それぞれの気分に細分化されたものになった。それでもメジャーなものは存在する。同時にそのオルタナティブなものも大きく存在するようになった。ソニックユースがあるいはその近いフォロアーが、ロンドンパンクやグランジのように社会を覆い尽くすムーブメントをおこすことはないかもしれないが、それまでアンダーグラウンドでしかなかったものをメジャーレーベルから一定の規模で、1ジャンルとして、世間の反主流なものを求める一定層に発信できるようになったことはかれらの大きな功績と言えるだろう。

  

そもそもロックとは野蛮で粗野で反抗的で、そして反主流な音楽だったはずだ。そのことをノイズという形で表現し、オルタナティブなサウンドを実験し探求し続ける彼ら。急にメジャーになってしまってオルタナティブで居続けたかった自分を見失ってしまったカートにはできなかった想いを、後輩思いの彼らは、これからも探し続けてゆくことだろう。


マーキュリーレヴ「ディザーターズ・ソング」(US)

2007-06-06 22:15:34 | グランジ・オルタナティブロック

Deserter's Songs Deserter's Songs
価格:¥ 1,461(税込)
発売日:1998-09-29

1. Holes

2. Tonite It Shows
3. Endlessly
4. I Collect Coins
5. Opus 40
6. Hudson Line
7. The Happy End(The Drunk Room)
8. Goddess On A Hiway
9. The Funny Bird
10. Pick Up If You’re There
11. Delta Sun Bottleneck Stomp
12. Rag Tag

<グランジ・オルタナティブロック vol.4>

「Deserter's Songs」1998年 US

デイヴ・フリッドマン(B)、ジョナサン・ドナヒュー(V)
グラスホッパー(G)、ジェフ・マーセル(Dr)
  
マーキュリーレヴは89年N.Y.州バッファローで結成。フレーミングリップスの初期メンバーだったジョナサン・ドナヒューと、引き続きフレーミングリップスのプロデュースも手がけるようになるデイヴ・フリッドマンを中心に活動するも紆余曲折在り、一応93年の2ndはCMJチャートでTOP10ヒットを飛ばし、ロラパルーザにも出演し97年にはケミカルの"Dig your own hole"に参加、ついに98年の4thアルバムである本作がUKを中心に欧州で大ブレイクを果たす。
  
逃亡者の歌と題された本作「Deserter's songs」では、ガレージ的なノイズギターはほとんどきかれず、テルミン、サックス、トロンボーン、ピアノ、バイオリン、シンセなどが壮麗なオーケストレーションと絡められ頼りなげな中性的なボーカルをのせて浮遊していく。
サイケデリックとはいいながら、ドラッグ系というよりもここで紡がれるのは、現実と平行して存在する夢の世界だ。テルミンの音と、イコライズされていてもいなくても膜の向こうから聞こえてくるようなユラユラした中性的なボーカルが醸し出す幽玄の世界の向こう側へ、聞くものを確実にいざなってゆく。
  
そこはただ牧歌的な夢の世界はえがかれない。悩ましい現実世界の呪縛から逃れた夢の中では、裸になった不安と孤独感と痛々しげな純粋さが浮き彫りになる。急に大きな音を出せば目をさましてしまいそうな、音や曲の合間には夢の世界の隙間の底なしの暗闇が広がっているような、暗く繊細で幻想的な、極めて個人的で意識的な世界。自分以外に誰もいない美しい幻想の世界の中をさまよいながら、むしろ自分自身と対話することになる。夢のような幻想世界、それは自分の中の闇をのぞき込み、どこまでも自分の中を彷徨う逃避行だ。これはどう考えても、というかいうまでもなくXジェネレーション、アフター・グランジの精神性であり、多分に意識的な面が本国よりもUKからブレイクしたのはよくわかる結果だ。
  
まさに、という感じで始まる1曲目も良いが、なんといっても5曲目から9曲目への流れが圧巻だ。夢の中で、不安定な僕らが曲がりなりにも一歩一歩踏み出そうとしているような無垢なポジティビティ。まるでビートルズの「アビイ・ロード」のB面を彷彿とさせるようなたたみかける展開が、後半にゆくにしたがって盛り上がり、まるでメドレーのようにたたみかけ「Funny bird」でメランコリックなシンフォニーは最高潮を迎え、そして一気に終わりを告げる。一時高ぶった感情がまさに全て夢だったと言わんばかりに、ふたたび不安定な世界へ戻ってゆく。
  
99年初頭の英NME誌年間アルバムチャートで1位、メロディメーカー誌で3位、彼らの出世作となった本作だが、彼らを一つステップに押し上げることになったきっかけについて、
ジャック・ニコルソンの「カッコーの巣の上で」の映画音楽の作曲家で、ニールヤング
やストーンズのアレンジャーとしても有名だったジャック・ニッチェとの出会いがおおきかったことを彼ら自身が語っている。
  
オーソドックスなコード進行、曲の意図を出来る限りナチュラルな音作りで丁寧に再現ゆくこと、ジャック・ニッチェという偉大なロックのDNAが、消化された形で現代へと紡がれたあまりにも美しいあり方だ。自然で奥行きのある、まるで映画音楽のようなサウンドが現出し、以降デイヴ・フリッドマンのトレードマーク的な奥義となっていく。
  
ベースであり、プロデューサーのデイブ・フリッドマンはフレーミング・リップスの他にモグワイ、ベル&セバスチャンウィーザーまで手がけるようになり、いまやグランジ後のロック界にあって存在感をじわじわ高めているネオサイケ系のスーパープロデューサーとなったが、今も地元を本拠に活動を続け、独自の地歩を見据えて、ロックの現在の一つの極地
として磁力をはなっている。