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Rock Climber 洋楽レビュー

Rock、HM/HR、Alternative、Jazz、ラーメン

ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン 「ナウ・アイ・ガット・ウォーリー」

2008-02-03 20:42:49 | グランジ・オルタナティブロック
Now I Got Worry Now I Got Worry
価格:¥ 1,341(税込)
発売日:1997-05-01

THE JON SPENCER BLUES EXPLOSION「NOW I GOT WORRY」1996US
ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン
「ナウ・アイ・ガット・ウォーリー」
   
1. Skunk
2. Identity
3. Wail
4. Fuck Shit Up
5. 2 Kindsa Love
6. Love All of Me
7. Chicken Dog
8. Rocketship
9. Dynamite Lover
10. Hot Shot
11. Can't Stop
12. Firefly Child
13. Eyeballin
14. B.L. Got Soul
15. Get over Here
16. Sticky
 
 
ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンは極めて今日的で意識的なバンドだ。ニルヴァーナ、ベック、に連なる現代的な意味性を抱えたバンドだと思う。そして恐ろしいことに極めて優秀なポップセンス、メロディーのバランスを持ったバンドでもある。
  
全世界が低成長時代に突入し、誰もが悩みを抱える90年代以降において、個々人がリアリティを感じる音は、大なり小なり、挫折や悩みや苦痛から出発したものが目立つようになってきた、といえるだろう。そしてそれは社会全体がまとめてハッピー、という訳にはいかなくなった以上、個々人での感情の発露であったり、方法論の模索であったり、より個人的で手作り感のあるものが多くのリアリティを獲得するようになってきたわけだ。
  
90年代前半までは、そんなパーソナルな感触の音楽なり映画はまだマイノリティだった。
ずっといつの時代もそういう音楽に対する需要はあり続けてきたし、ロックというもの自体が元来そういうものであったかもしれない。
  
しかし80年代の後半以降、じわじわとそういうタイプの映画や音楽が一般的な共感を得るようになってきた。
マイナーで、手作り感のある、じわじわっとした挫折感と回復や希望の物語、あるいは暗黒小説。
つまり70年代以前のように、生活者の根本的な生活や人権を脅かすような大きな脅威が希薄になった代わりに(当然たくさんの問題はありますが)ひとりひとりの幸福が、社会全体や国という大きな価値観のくくりでは保証されないことが明白になった世代、において、本来マイノリティの音楽であるはずのロック、というものが地下水脈のようにじわじわと、一般的な人たちに広く広くニーズとして広がっていた、それが90年代初頭までだったのでは、と思う。
  
そうした下地の上に、REMやソニックユースやビースティーボーイズなどがじわじわと共感を集め、一気にオセロをひっくり返すように、鬱屈したネガティブな個人的な感情を、”表”に引きずり出して圧倒的な共感を獲得してしまったのがニルヴァーナという器だった。ヘヴィメタとアメリカンロックとパンクといった音楽的には新しさはないが、これ以上ないほど圧倒的な感情の爆発と鬱積した魂の叫びを、これ以上ないほどポップで優れたソングライティングによって、地下に潜っていたはずの、社会を覆い尽くしていた時代の空気や感情を、一気に地上に引きずり上げ、目の前に暴き出してしまったのだ。
  
そして、その後を受けたベックは、暴き出された僕たちの日常を、あくまでも平熱でとらえ直し、そこをスタート地点として開き直ってしまった。猥雑で雑多な色々をそのまま飲み込んでゆけばいい、という感覚。精神性や時代性を伴ったミクスチュア。
  
ジョン・スペンサーが3rdアルバム「Orange」でブレイクしたのはそんな95年というタイミングだった。本作は翌96年の4thアルバムだ。
ジョン・スぺンサーは、ベックの立ち位置をさらに一歩おしすすめ、目一杯好きにやらせてもらうぜ、という我々にとって次に来るべきステップを、自ら先んじて、その圧倒的な実力とバランス感覚で、やってしまった。ということなんだろうと思う。ニルヴァーナによって、暴き出された焼け野原に一人一人が立ちすくんでいるような情景、それを日常と捉えなおしたベック、そして思う存分好きなようにやらせてもらうぜ、俺は!、と勝手にやりはじめた、それがジョンスぺであり、その姿が痛快で、まさしく象徴的であったがために、ジョンスぺはカリスマとなったのだ。その姿はまるで戦後の闇市にのしていこうとするチンピラの親分、仁義なき戦いの世界。あるいは最近のIT長者を彷彿とさせるのは僕だけでしょうか。あくまで褒め言葉の意味で。
  
さらにジョンスぺがキているのは、ブルースを持ち出したことだ。ブルースというのは元々が、極めてパーソナルな日常の喜びや悲しみや気持ちを歌うものだ。さらに言えば、奴隷としてつれてこられた新しい土地で、逃げることは出来ない、ここで生きていこうとしたときのある意味あきらめと覚悟を込めた歌でもある。そんな個人的な覚悟の宣誓歌を精神性のベースにして、もはや我々の日常となったガレージでパンクでHIPHOPなパーツを、自由自在なバランス感覚で”配置”してみせる。ガッツリと、魂の叫びをぶちまけながら、かゆいところに手が届くように音が叫びがくりだされてゆく。全ての音は、同じ負の感情を共有しているに違いない、という信頼感に変わっていく。同じように打ちのめされ、鬱積した感情を溜め込み、それでも圧倒的な感情を爆発させ、好きにやらせてもらうぜ、と叫ぶ。その叫びと狂気とブルースは、代弁者となり、先達となり、兄貴となり、カリスマとなる。
  
Orangeではブルースを絶妙のバランス感覚と狂気で豪快かつ大胆に再構築してみせたが、本作ではOrangeよりもソリッドでパンキッシュでロックにパワーアップしている。これだけチャレンジングな音楽に手をつけながら、同じ時代の空気をつかみ取り、今の僕らのストレスを振り払い、突き破り、突き進む音として機能する。そして徹頭徹尾退屈させず、注意を喚起し、釘付けにさせてしまうセンス、これはもうメロディーメイカー、ポップスターという因果な才能をもってしまったものの運命、とさえ言ってしまいたくなる。
  
ジョン・スペンサーのブルースの爆発、これはあくまで我々の先達としてのジョン・スペンサーのブルースの爆発であり、我々への意識的な問いかけでもあるのだ。我々は、どう爆発するのか。いずれにせよジョン・スぺは好きにやったのだ。


スマッシング・パンプキンズ「サイアーミーズドリーム」

2007-11-24 02:32:51 | グランジ・オルタナティブロック

Siamese Dream Siamese Dream
価格:¥ 2,015(税込)
発売日:1993-07-27
Smashing Pumpkins「Siamese Dream」1993US
  
01. cherub rock
02. quiet
03. today
04. hummer
05. rocket
06. disarm
07. soma
08. geek u.s.a
09. mayonaise
10. spaceboy
11. silverfuck
12. sweet sweet
13. luna
  

ビリー・コーガン(Vo,G)、ジェームス・イハ(G)、ダーシー(B)、ジミー・チェンバレン(Ds)
  
3連休ということでスマパンもう一枚。
このアルバムのことは客観的に語ることが出来るか大いに疑問。
あらゆるグランジ世代のアルバムの中で一番聞いてきたかもしれないこのアルバムには、イントロが流れ出しただけでフラッシュバックする光景がいくつもつまってしまっている。
  
冒頭のcherub rockのイントロからして、。。。
そしてtodayのイントロも。。。
Disarmで雰囲気を変えて少しアコースティック、途中から弦楽の音と共にビリーのボーカルが朗々とシンフォニックに歌い上げられる。
そしてSomaでは再び静かに、子守歌のように。
  
ハードなGeek USA、そして大曲Mayonaiseではスマパンの魅力が詰め込まれ、Spaceboyでは曲の中でのアコースティック調からシンフォニックなパートへの移行がドラマティック、silverfuckでは再びハードに、1分39秒のsweet sweetでは又静かに、ラストのLunaも優しく染み渡るようだ。
この辺りのメリハリの効いた展開はニルヴァーナを売ったブッチ・ウィグの手腕もあるだろうが、やはり改めて信じられないほどのメロディーの良さを感じる。とても内面的でいながら英国ロックのような湿った、ひとりよがりな感じがない。不思議な音だ。
  
強いて言葉を探すなら、この音世界はちょうどジャケットの子のような無垢な幼児性、幼児性よりもっとさかのぼった胎内の中で鳴らされているようなくぐもり感だ。全ての音が意志を持って一つの気分に向いて塊のように鳴っているようだ。
  
ベースの音がうなりをあげても、ハードなギターが轟音を鳴らしても、ビリーのボーカルが乳児の泣き声のように、全ての音が無垢なささやきとなり、悲痛な叫びとなり、柔らかい乳児のような肌触りのようなイノセントなままの心の動きとなっておしよせてくるよう。
  
困難で複雑で難しい時代にあって、突如、救済のように鳴らされたハードでヘヴィでとてつもなくイノセントでナイーブな叫びは、その原姿の幼児性でもって、普遍性を得たのだと思う。誰にとっても、どんな時でも、立ち戻りたくなる誘惑を潜在的に湛えた、魅力に充ち満ちた、胎内を思わせる世界。
  
1作目と同じブッチ・ヴィクのプロデュース。本作は全米アルバムチャート初登場10位最高位1位、全世界で500万枚以上のセールスを記録。
  
時代を超えて、パーソナルな部分に入り込んでくる普遍性をもった一枚だ。私にとってはもはや体の一部かも。


「メロンコリー~そして終りのない悲しみ」スマッシング・パンプキンズ 1995US

2007-11-23 22:28:41 | グランジ・オルタナティブロック

Mellon Collie and the Infinite Sadness Mellon Collie and the Infinite Sadness
価格:¥ 2,769(税込)
発売日:1995-10-24
Smashing Pumpkins「Mellon Collie & The Infinite Sadness」1995US
   
■dawn to dusk
01. mellon collie and the infinite sadness
02. tonight, tonight
03. jellybelly
04. zero
05. here is no why
06. bullet with butterfly wings
07. to forgive
08. an ode to no one
09. love
10. cupid de locke
11. galapogos
12. muzzle
13. porcelina of the vast oceans
14. take me down
  
■twiright to starlight
01. where boys hear to tread
02. bodies
03. thirty-three
04. in the arms of sleep
05. 1979
06. tales of a scorched earth
07. thru the eyes of ruby
08. stumbleine
09. x.y.u.
10. we only come out at night
11. beautiful
12. lily (my one and only)
13. by starlight
14. farewell and goodnight

  
ビリー・コーガン(Vo,G)、ジェームス・イハ(G)、ダーシー(B)、ジミー・チェンバレン(Ds)

   
言わずとしれたメガヒットアルバムであり、スマパンが大きくスケールアップし、その絶対的な世界観で圧倒し、グランジという枠から一気に突き抜けた傑作。
   
2ndまでの真綿のようなナイーブさを脱ぎ捨て、自らの内にある残酷さと可憐さ、暴力性と優しさ、絶望感と希望、激しさと静寂、天使と悪魔、そんな両極端なものが同居する矛盾した複雑で繊細な気分を洗いざらいぶちまけた、そんなアルバムだ。
  
その結果、2枚組である上に、起伏も激しく、ぎっしりと中身が濃く、圧倒的なボリュームを感じさせながら、ビリーコーガンの天才的なメロディーセンスによって、全曲がシングルカットできそうなクオリティを保っている。
   

オーケストレーションと繊細なメロディ、ボーカルの対比が美しい"Tonight, Tonight"の入ったdawn to duskよりも、個人的にはtwiright to starlightが好きだ。
   
"Thirty Three"、"In the arms of sleep"、"1979"への抑えた流れ、後半の"Beautiful"から"Lily"、"By Starlight"、"Farewell & Goodnight"への流れは何とも言えない。彼らの繊細な多様な要素が、絶妙なブレンドとバランスの上でゆったりとした味わい深い世界を生み出している。"Farewell & Goodnight"では悟りのようなニールヤングのような空気を醸し出してすらいる。
  

始めてビリー・コーガンのインタビュー記事を何かで読んだときに、その冷静で客観的でかつ情熱的なバランスのとれた受け答えにとても驚いたことがある。
  
他のグランジ系バンドと違って、ビリーにはメジャー指向的なものがあるというバッシングもあった。でもそれは正確ではないと思う。そしてこのことを考えることは、このバンドの精神性のありかを知る一つのきっかけになる気がする。
  
2ndの頃のインタビューなどで、ビリーは「初めの頃は、ライブで自分のために演奏していたが、今はいかに良いショウにするか、いかに良い曲を良い曲として演奏するか、ということに腐心するようになった。エンターテインするという意味ではなくて」という意味のことを言っている。
  
また2ndのツアーの中で、ビッグになってゆくバンドと、それに伴って倍増してゆくバンドのことを余り理解していないオーディエンスとの葛藤、ツアーのフラストレーション、完璧主義・進歩主義でバンドの尻をたたかなければいけない立場で生じるメンバーとの軋轢、癒しのための曲作り。そういう状況の中で、この3rdの2枚組の曲は書かれていったようだ。

  
つまりビリー・コーガンという人は、確かに完璧主義者で、進歩主義者かもしれないが、自らの音楽的嗜好、デペッシュモードやキュアーやニューオーダー、マイブラッディバレンタインのような英国勢、ニューウェーブ系などからの影響、それでいて米国のバンドらしい大胆で豪快なハードロック、ヘビーロックな部分、という自らの資質をきちんと見つめていた、ということなのだろう。シカゴ、という場所で、シアトルともロスともNYとも離れた場所で、ナチュラルに、喧噪の外からシーンを見つめていた、という気がする。

      
そして、ガレージでパンキッシュなグランジ全盛の中にあって、あえて荘厳なオーケストレーションを伴った2枚組をぶつけてきたのだ。そうすることにより、かえってバンドの資質である繊細で危うく暴力的で優しい、という内面的な部分が際だつことになったのだ。
そういう彼らの音楽性の中に他のグランジ、パンク勢とは違う方向性があっても然るべきなのだ。批判はあたらない、と思う。

   
イハとビリーの独特のギターサウンド、ベースのダーシー、ラウドで力強いジム・チェンバレンのドラム、どれもが揃って3rdまでのスマパンサウンドはなりたっていたし、4人の愛すべきキャラの立ち方も他のグランジバンドにはあまりないことだった。
   
ドラッグでメンバーを失い、一緒にいた常習者ジムを解雇したときも、ジムを再び迎え入れてダーシーと決別したときも、イハと仲違いした後も、ビリーは音楽に対する完璧主義で向かい合ってきたはずだが、黄金の4人のメンバーが揃っていた3rdまでの初期の音にはマジックがあったことは、今となっては明らかなのだろう。
   
ビリーは別のインタビューで1stアルバムの「ギッシュ」の頃について、「あのナイーブさはとりもどせない、特に僕らのような体験をしたバンドはね」と語っている。
   
本作は全米初登場1位。全世界では1000万組以上のセールスを記録し13カ国でNo.1。このアルバムでマルチ・プラチナ及びゴールド・ディスクを21ヵ国で獲得。グラミー賞最優秀ハード・ロック・シングル、アメリカン・ミュージック・アワード、オルタナティブ・最優秀アーティスト賞を受賞。
   
極端な二面性が同居する繊細で内面的なサウンドは、同時代の内面性を最も正確に映し出し、僕らと共にあった。4人のメンバーの写真はいつも僕らと共にあるような気がしていた。そうして今に至る90年代の気分を代表する存在として、スマパンはいたと思う。


ブラインドメロン「スープ」

2007-10-27 19:17:31 | グランジ・オルタナティブロック

スープ スープ
価格:¥ 2,548(税込)
発売日:1995-07-26

Blind Meron 「SOUP」1995年US

1.Hello Good Bye~Galaxie
2.2X4
3.Vernie
4.Skinned
5.Toes Across The Floor
6.Walk
7.Dumptruck
8.Car Seat (God's Presents)
9.Wilt
10.The Duke
11.St. Andrew's Fall
12.New Life
13.Mouthful Of Cavities
14.Lemonade
15.Soup*"Bonus Track in Japan"

「No Rain」
http://<wbr></wbr>www.yo<wbr></wbr>utube.<wbr></wbr>com/wa<wbr></wbr>tch?v=<wbr></wbr>qmVn6b<wbr></wbr>7DdpA
「Toes Across the Floor」
http://<wbr></wbr>www.yo<wbr></wbr>utube.<wbr></wbr>com/wa<wbr></wbr>tch?v=<wbr></wbr>PCP0G6<wbr></wbr>z0aEo


シャノン・フーン(Vo),クリストファー・ソーン(G),ロジャース・スティーブンス(G), グレン・グレアム(Dr),ブラッド・スミス(B)

私のフェイバリットバンド、新譜が出れば即買いアーティスト、になりつづけるはずだったブラインドメロンの名作2ndアルバム「スープ」を紹介。

各地からLAに集まった彼らはメジャー各社の争奪戦の上、91年にキャピトルと契約し、ニールヤングのプロデューサーDavid Briggsのもとでレコーディングを進めるが、最後でお蔵入り、そんな時にガンズのアクセルローズに見いだされてDon't cryのレコーディングに参加、シャノン・フーンの個性的なボーカルが改めて見直され、テンプルオブザドッグ、パールジャムのプロデューサーRick Parasharによる再レコーディングを経て、グランジ全盛の92年ようやく、ガンズのアクセルローズのバックアップで、という売り文句がぎりぎり成立する位の時期にだされたデビューアルバム「Blind melon」で、シングル「No Rain」が全米2位の大ヒットになりブレイクをはたした。

1stアルバムからかなり彼らの唯一無二の個性は炸裂していた。ヒットしたNo Rainは例外的な曲であり、大半はとても多種多様な音が渾然一体となっているものだった。南部テイストの音、レイナードスキナードやオールマンブラザース、グレイトフルデッドらからの影響、エルトン・ジョンやビートルズ、トラフィック、フロイドのシド・バレットら英国勢の影響、まるで南部のビッグバンドジャズのような音、シャノンのボーカルや効果的使われるギターからかいま見られるツェッペリンテイスト、カントリーテイスト、ブルーステイスト、それでいてプロデューサ陣の影響かグランジ的なパンキッシュでガレージでまとまらない良さ。そしてなんといってもシャノンフーンのある意味アクセル並の変幻自在の高音ボーカル。

93年にはニールヤング、レニークラヴィッツらとツアー、94年にはウッドストック'94に参加、ストーンズの前座をつとめ、グラミーでは新人賞にノミネートされるなど、音楽の神に見いだされたような実力と限りない潜在力、彼らの前には歴史的なビッグアーティストへの洋々たる未来が広がっているとしか思えなかった。

94年からはニューオリンズでアンディ・ウォレスのプロデュースで録音開始。
しかしこのころにはかなりシャノンフーンのドラッグ中毒が進行、施設での治療にかかっており、後にこのレコーディングのかなりの記憶がないと認めている。このころ一児が誕生し、2ndアルバムの歌詞の中にも一部親になった気持ちととまどいと喜びがつづられており、今となってはかなり切ない。

そして95年2ndアルバム発表。タイトルが「Soup」と聞いた時点で、まさに彼らの音楽性を言い当てた確信的なそのタイトルに期待度は120%。発売日に買いに行き、封を開けて始めに聞いたときには鳥肌がたったことを覚えている。1曲目の"Hello Good Bye"からGalaxie"への展開の時点で、完全にやられる。先頭打者ホームラン。あの1stアルバムが、まだまだ未熟な状態だったのだと、その時気付かされた。その後もゆったりした1曲目の次はややハードな2曲目、またゆったりしたテイストの違う3曲目、4曲目はカントリーテイストの小品、そして5曲目は静謐で今思えば死の予感を漂わせるような名曲「Toes Across The Floor」。6曲目はアコギとハーモニカのアコースティックな曲。以下後半はやや静かなもの悲しいトーンの曲がつづく。1stから一貫して短い曲の多い彼らだが、このあたりではややどっしりした大曲傾向の名曲が続く。全く捨て曲がないばかりか、1曲ごとの曲の個性がたっており、1stアルバムがアルバム単位でみるとやや似た感じの曲がならびメリハリに欠けたのに対し、2ndは断然の飛躍である。曲ごとのテイストにバリエーションがあるだけでなく、1曲の中でのアコースティックなスタートから分厚くハードな展開への移行と多彩なボーカルの表情、といったように格段の進化がみられる。


彼らの曲に一貫してかんじられる切なさ、やるせなさ、バックの演奏は南部テイストで人間的なぬくもりをかんじさせる土臭く暖かいものなのに、なぜか感じるひんやりした印象。これは歌詞の内容からくるシャノンの心の内が、音間からにじみでるものだろうか。


「生きている甲斐がないと感じたら
 立ち上がって辺りを見渡し
 そして空を見上げることだ

 誰もが明日という日の断片を担っている。
 いろんな行き方があるさ
 俺たちみたいなやり方もな
 ずっとこのままじゃいられない
 だから今日書き留めておきたい。
 俺が描けば、続く奴らが色を付けてゆくだろう。

 そして去ってゆく俺を見てやつらは言うだろう
 『みろよ、あいついったいどこへ言ってしまうんだ。』
 つらい人生に立ち向かうには自分を変えるしかない。」
 (1st "Change")

「俺は言った。
 『神様、少しは助けてくれたって良いじゃないか。
  この俺にも救いの手をさしのべてくれよ。』
 
 今なら分かる、俺はいつだって正しいんだ。
 こんなふうにおもったのは初めてだ。

 これがおれお新しい信条だ。
 代償は小切手で払ってやる。
 そうやって生きていく中で
 俺の魂は徐々に奪われてきた。」(1st "Dear Old Dad")

「なんにもない海におでかけ。
  いるのは魚と俺だけ。
  ここで死ねたらいいと思う。
  次には高い波に打ち倒される。

  僕は波に打たれ、土色になる。
  波に強く打たれる。
  僕は生きている。
  
  たったひとりで。」(2nd "The Duke")

「僕は今までのことをあれで良かったんだと言い続けるだろう。
 やり方も知らずにひとを育てなきゃならないのか。

 どうやって生きていけばいいの。
 今自分たちの生きるこの世界で。」 (2nd "New Life")

1stでは悲しさの中に青さと優しさと希望が入り交じっていたが、2ndになるとやや絶望感とすがるように希望を求める歌詞が増えている。

彼らの魅力は、その豊かな音楽性だけではない。特にデビュー後1stアルバムの頃に見せていたあどけない、といってもいいくらいの彼らの表情、特にシャノン・フーンの童顔な無垢な印象、声にしてもハスキーながら高音で、ヒットしたNo Rainもビデオはミツバチ少女?だし、5人は共同生活を通して絆をふかめたという逸話などからかんじられるイノセントな印象と、歌詞に見られる苦悩と悲しみとよるべなさ、孤独感、とのギャップ。
さらに上で触れた偉大なロック・ジャイアンツからの遺産を見事に抱え込み、のみくだしてしまう器のでかさ、こうした意外性の組み合わせ、という魅力をかれらは持っていた。

そしてアルバム本編はコンセプトアルバムのようにカーミット・ラフィン&リトル・ラスカル・ブラスバンドのにぎやかな南部のパレードのような音でしめくくられる。

本作は華々しかった1stと異なり、評価も厳しく、チャートリアクションも28位にとどまった。内容に狂喜し感動した私には、そんなもんかという感じだった。No Rainほどのシングルヒットもなく、ツアーも厳しかった模様。まだツアーをするほど回復していないという医師の判断も大丈夫と振り切り、一時はカウンセラーを同行させて2ndアルバムのツアーを決行するも、開始後1ヶ月と少し、バスの中で1995年10月21日、コカインの過剰摂取で死亡。享年28歳。

典型的なグランジロックとは違うし、伝統的なロックをふんだんに受け継いでいると言っても、それらのどれにも似ておらず、今時のヘヴィさとも全く違う。王道中の王道を行きながら、唯一無二の音を作り上げ、表現してしまう才能、他のいつでもない「今」の時代の空気を吸ってはき出された切なく悲しく無邪気で優しいはずの世界。

ニールヤング、ストーンズ、ガンズ、レニクラら王道のロッカーに愛された時代寵児たるべき本格派、だったはずのブラインドメロンはもういない。ひんやりした秋の風は彼らの暖かくて切ない南部サウンドを音を思い出させる。


フレーミングリップス『The Soft Bulletin』

2007-09-22 17:07:36 | グランジ・オルタナティブロック

The Soft Bulletin The Soft Bulletin
価格:¥ 1,357(税込)
発売日:1999-06-22
The Flaming Lips『The Soft Bulletin /ザ・ソフト・ブレティン』(1999年US)

1.Race For The Prize - (remix) 2.A Spoonful Weighs A Ton 3.The Spark That Bled 4.The Spiderbite Song 5.Buggin' - (remix) 6.What Is The Light? 7.The Observer 8.Waitin' For A Superman 9.Suddenly Everything Has Changed 10.The Gash 11.Feeling Yourself Disintegrate 12.Sleeping On The Roof 13.Race For The Prize 14.Waitin' For A Superman - (remix)

ウェイン・コイン(Vocal,G)、マイケル・アイヴァンス(B)、スティーヴン・ドローズ(D)、デイヴ・フリッドマン(プロデューサー)

何と言えばいいのか、90年代以降の世界的な気分、世代の音を代表するようなアルバムのひとつ、といって言い過ぎじゃないと思う。仕事の帰り道で気がつけば結局一番聴いているかもしれない。僕らの名盤、と呼びたくなるような傑作です。

彼らのデビューは1985年なので、もう20年のキャリアになる本作はインディ含め9枚目のアルバム、これ以前はギターを全面に出したガレージ系の音だったが、ギターが抜けた後でそれまでのキャリアと実験的な側面をアナログシンセサイザーの音に変えて一気にポップでサイケな世界へ転換させ本作の境地に到達した訳で、本作発表当時彼らは30代後半、15年のキャリアを経ての本作。

まず1曲目にキラーチューン「Race for the prize」。幽霊でも出てきそうなシンセのリフとバタバタしたドラムに続けてヘロヘロで危ういボーカルがつづく。切なくチープなシンセのリフとコラージュのかかったへなへなボーカルとキラキラした完璧なポップメロディ。まるで、切なくはかなく刹那的で、すぐに終わってしまう夢だと分かっていて見ている夢のような。

2曲目以降もこの世界は続く。ピアノとボーカルとハープがはかない螺旋のような映像的なメロディを紡いだかと思ったら、ドカドカした歪んだ爆裂ドラムがその世界を打ち破るように割り込み踏み荒らし、そしてまた突然、静けさが戻る。 ボーカルは弱々しく危ういのによどみが無く、爽やかで無邪気さすら感じる。音響処理をほどこされて、まるで自分の力を超えて空を飛んでいるような力を得たみたいに、あくまで楽観的に響く。ひたすら幸せが続くような、そうだと信じて疑わないような。 そしてチープなドラムと歪んだノイジーなドラムは使い分けれられ、ロック的ではない楽器達やテープコラージュなどの音響処理がボーカルとハーモニーを中心とした世界観を傍から作り上げてゆくように散りばめられひとつのオーケストラとなる。

ここでは当代一のプロデューサーとなった音の魔術師デイブ・フリッドマンの力に因るところも大きいのだろう。ひとつひとつの実験的とも言える音の数々がピースとなって映像的とも言えるようなはかない夢のポップワールドが紡がれてゆく。

何と言っても彼らの音を特徴づけているものは、ボーカルや様々な音から感じられるその精神性だ。 癒されない痛み、傷、絶望、悲しみ、挫折、孤独感、失望感、そして自分も含めた全てに対する諦念、それでも感じる静かで小さな幸せ、そんなもの全てを抱えて、いや抱えてしまう性をもってしまった優しくひ弱な我々の世代の持てるとても強い力、その一歩、その希望を歌う、40手前で未だ少年のような声で歌うウェイン・コイン、そのない交ぜになった気持ちを音としてほとんど正確に表現してしまったフリッドマン。そうこの感じは確かにニール・ヤングの「ハーベスト」「ハーベスト・ムーン」あたりを聴いた時に感じたものに近い気がする。やはり70年代と90年代、狂騒の後の傷ついた世代、共通するものがあるのだろうか。 そんな精神性を感じてしまったら最後、まさに螺旋階段のような音の世界にはまってゆくしかない。そこが分からない人にはたぶんいまいちわからない、ということかもしれない。

この後のアルバム「Yoshimi Battles The Pink Robots」では、よりポップでエレクトリックなビート色が強くなり、本作で聴かれるようなサイケで幽玄な世界から、少し明るく強い音になってゆく。もちろん切ないメロディは健在だが、もっと確信的な音になっている、というか。ちなみにこの「Yoshimi・・」のアルバムに入っているボアダムスのヨシミに対するコメントからしても、ウェインがかなりバランスのとれた人物だと推察できる。その意味ではソニックユースと並び、他のオルタナバンドとは少し一線を画するバンドの確信的な作品なのだと思う。20年以上のキャリアは伊達ではない。

本作は90年代という時代が、時間を経て相対化されるにつれて、もっともっとクローズアップされ、名盤としての評価が今以上に高まってゆく傑作のような気がする。