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Rock Climber 洋楽レビュー

Rock、HM/HR、Alternative、Jazz、ラーメン

ヨラテンゴ

2008-11-02 23:39:41 | グランジ・オルタナティブロック
I Can Hear the Heart Beating as One I Can Hear the Heart Beating as One
価格:¥ 1,211(税込)
発売日:1997-04-22

Yo La Tengo「I Can Hear the Heart Beating as One」1997年US
ヨ・ラ・テンゴ「アイ・キャン・ヒア・ザ・ハート・ビーティング・アズ・ワン」
  
1. Return to Hot Chicken
2. Moby Octopad
3. Sugercube
4. Damage
5. Deeper into Movies
6. Shadows
7. Stockholm Syndrom
8. Autumn Sweater
9. Little Honda
10.Green Arrow
11.One PM Again
12.The Lie and How We Told it
13.Center of Gravity
14.Spec Bebop
15.We're an American Band
16.My Little Corner of the World
17.Bush with My Together
 
Georgia Hubley(Vocal,Drums), Ira Kaplan(Vocal,Guiter), James Mcnew(Vocal,Bass)
 
 
奇妙な名前の3人組。アイラさんとジョージさんは夫婦。名前の由来は、スペイン語で”I got it."の意。
マイ・ブラッディ・バレンタインとかシューゲイザー系の轟音とささやきヴォーカル、ヴェルベット・アンダーグラウンドのフォロワー的な面、繊細で優しいメロディはレモンヘッズやティーンエイジファンクラブ、マシュースウィートを彷彿とさせたり、まあとらえ所のない独特の世界があります。ソフィア・コッポラの映画ヴァージン・スーサイズとかベル&セバスチャンとか好きな方にもおすすめします。
 
  
本作は8枚目。米インディ界のベテランがようやく?出した傑作です。
全体通して、メロディが優しくて美しい。
しかし、そこは長年インディでやってきた強者。そう簡単にはいきません。
 
印象に残るのは、曲ごとの対比、コントラスト、落差。
ふわふわした曲の後には轟音ギター系、疾走感のある曲の後にはゆっーーくりまっーーたりした曲、交互にきます。
 
またこの対比は1曲の中でも見られます。
ふわふわした浮遊感のあるヴォーカルやメロディーラインには、正対するようにグイングインのベースや轟音ギター、疾走感のある曲だって、簡単には歌ってきません。膜の向こう側からまるで夢の中で声を聴いているような感じです。
 
この対比性が、それ自体で批評性を帯びているようです。
夢の中なのに覚醒している、疾走しているはずなのに、水の中で走っているような感じ。
しかしこの感じ、クセになります。
 
 
イントロのゆったりした入りからの2.Moby Octopadの冒頭のベースラインは非常に印象的です。
一転して3は疾走感のあるナンバーです。米ギターポップ系のメロディーのよさとハーモニーが懐かしい。しかしそこはヨラテンゴ、後半ギターが歪みながら、あくまでもメロディーは美しい。
4.Damageなんかはもろヴェルヴェッツ・ミーツ・ヨラテンゴです。浮遊感満点のサイケなナンバーです。
5はフレーズのリピートが夢に出そうなノイズギターナンバー。
一転して6は静謐なボーカルナンバー。
 
7は、これまた一転して、ジェームスのボーカルがどこか切なく印象的なアコースティックナンバー。これだけ曲ごとに印象を変える事自体が、不思議です。夢のような曲でトリップさせたと思ったら、次にはその世界をぷっつり変えてくるわけですから。これは批評性、覚醒を帯びていると感じるでしょう。それにしても不思議です。
 
8はアイラのオルガンと加工処理されたボーカルが不思議な世界を紡ぎ出す印象的なポップナンバー。
9はまたヴェルヴェッツを感じさせる疾走感あるビーチボーイズのロックンロールナンバー。轟音ギターと共に。ヴォーカルは決してシャウトしません。
 
またまた一転して10は夜の虫の声からはじまる静謐なインスト。
11、12は穏やかで柔らかなポップナンバー。 
14はいかにもなインスト。 

15は轟音ギターがゆったりしたテンポのダイナソーJrっぽいナンバー。
16はカバー曲で60年代ポップスのような雰囲気。
ラストはボーナストラックでちょっと浮いてるけど16の延長。
 
捨て曲なし、と言われる傑作の条件をそなえた本作、曲ごとのメリハリが、曲の個性を際だたせています。ジョギングをしながら聴くと合うんです、これ。
 
アメリカン・オルタナティヴが生んだサイケ・ギターロックの金字塔、傑作です。 

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by TREview


アージ・オーバーキル「サチュレイション」1993年US

2008-08-10 00:58:20 | グランジ・オルタナティブロック
Saturation Saturation
価格:¥ 1,877(税込)
発売日:1993-06-22
Urge Overkill「Saturation」1993年US
アージ・オーヴァーキル「サチュレイション」
 
1.Sister Havana
2.Tequila Sundae
3.Positive Bleeding
4.Back On Me
5.Woman 2 Woman
6.Bottle Of Fur
7.Crackbabies
8.The Stalker
9.Dropout
10.Erica Kane
11.Nite And Grey
12.Heaven 90210

Nash Kato(Vo,G) "Eddie" King Rosser(B) Blackie O(Dr)


90年代のオルタナティヴロックの中で、異色を放っていたのが彼らアージ・オーヴァーキル、彼らはとても個性的で印象的だった。
 
3人組のシンプルでオーソドックスなロックなんだけど、ちょっとレトロな独特のセンスがとても個性的。
衣装からしてグラサンに赤と黒のスーツでイタリアン・マフィアみたい。
少しこもったVocalの声質を、うまく利用したような、ちょっと洒落たセンスが光る音作り。
 
スピード感溢れるパンキッシュで、タイトなロックンロール。全体的にファンク感が下地にあり、曲ごとにコンセプトのようなものが結構はっきりしてる。
独特の世界観が完成していつつ、それ自体がありきたりにならない。
インディーっぽいはずし感が、ピリッと効いてます。
 
当時の雑誌で、同時代の先輩アーティストに彼らのファンが結構いて、「おまえらはそのままでいい、そのままいけよ」と言われて大いに喜んでいた彼らコメントが印象的でした。アーティスト受けするアーティストでした。
 
 

シカゴ出身で、インディー時代はニルヴァーナを世に出したスティーブ・アルビニのプロデュースで評価を高め、CMJで人気を博し、このメジャーデビューもゲフィンで、ニルヴァーナと似たルート。ただし本作のプロデュース、ブッチャー・ブラザースがこのテイストを出すのにぴったりだった。
 
タランティーノの映画「パルプ・フィクション」でニール・ダイヤモンドの「悲しきプロフィール」のカヴァーがヒットしたが、現在は活動停止状態。またこの選曲のセンスが、彼ららしさを表してます。ジョン・トラボルタとユマ・サーマンのぶっとんだやりとりに効果的に使われてました。
 
ちょっと癖のあるヴォーカルと、オーソドックスな3ピースギターロック、パンキッシュでいながらパワーポップ的な面もあり、ソウル・アサイラムが好きだった人は、ちょっと似た系統と言えるかもしれない。
 
オルタナティヴ・ロックの新しい地平を切り開くような存在だったし、今となってはあまりいないタイプ。中古屋でもあまり見かけないが、相当やすくなっているだろうし、見つけたら聴いてもらえれば、損はしません。エッジの効いたこの音、新鮮だと思います。
 
90年代のインディーシーン、CMJの盛り上がりが見いだした個性、忘れられてしまうには惜しい、時代の名盤といって良いと思います。
 
Positive Bleeding
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Girl You'll Be A Woman Soon

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ダイナソー Jr.「バグ」 1988年US

2008-04-27 13:55:24 | グランジ・オルタナティブロック
Bug Bug
価格:¥ 1,691(税込)
発売日:2005-03-22

Dinosaur Jr. 「Bug」1988年US
ダイナソー Jr.「バグ」
 
1. Freak Scene
2. No Bones
3. They Always Come
4. Yeah We Know
5. Let It Ride
6. Pond Song
7. Budge
8. The Post
9. Don't
 
J・マスシス/J MASCIS(vo,g)、ルー・バーロウ/Lou Barlow(b)、マーフ/Murph(ds)
 
 
J・マスシスの生み出す音はどうやって生まれたのだろう。
1965年生まれ、マサチューセッツ州アーモスト出身、ストーンズ、サバス、ディープパープルを聴いて育ち、82年から当時のアングラの動きであったハードコアパンクのバンド活動を開始。
   
 
3rdであるこのアルバムを最後に、ルー・バーロウが脱退してしまい、4thからはメジャーデビューするので、このアルバムまでが初期といえる。そして盟友ルー・バーロウとマスシスの双頭体制が生み出すマジックなのか、轟音ギターとボーカルと美メロの割合、配分が、完璧な初期の傑作だ。
 
レノン、マッカートニーとは言わないが、轟音ギターの配分が多めで、マスシスのヘタウマボーカルが適度にまぶされていく感じ。後のアルバムよりも歌いすぎていない感じが絶妙だと思う。
 
 
ソニック・ユースのサーストン・ムーアに見いだされて、アングラ・ハードコアの最重要レーベルSSTの契約を得た彼らだが、ブームに流されず今に至るまで長く人気を保ち続けている理由はなんだろうか。おそらくは、マスシスが聴いて育ったストーンズやサバスやパープルを初めとするUKクラシックロックに通じるセンスと、独自の揺るがない世界観を確立していることが挙げられるだろう。
 
もうひとつはマスシスの声質だ。
ニール・ヤングにも比される繊細で弱々しくも高音で存在感のある声。 
諦めているような訴えているような泣いているような怒っているような声。
 
 
全ての悩ましさをハリケーンのように、なぎ倒し吹き飛ばしてしまうような轟音ギターにシューゲイザー系とも共鳴するような轟音の波の中で浮かんで流れているような、泣くような呟くようなボーカルが配されれば、それは紛れもなく我々の心そのもの。
 
自虐的な弱々しさと、居心地の悪さを振り払うようなギターと、どこか安らぎを求めたいだけなのに、とつぶやくような疲れた心を癒すようなメロディー。
 
クラシックロックに裏打ちされたメロディーにのせられた音は、いつまでもエンドレスで僕らの頭の中で鳴り続けるかのようだ。
 
 
ラストの「Don't」が覗かせるもう一つの顔。
レーベルの先輩、ヘンリー・ロリンズばりのゴリゴリ・ハードコアの否定の叫び。
やはり、ニルヴァーナとも共通するように、自虐の歌を歌いながら、そんな状況と自分を変えたい、変わりたい、という悲鳴。自虐の裏返し。同義語。
 
そんな潜在意識が、自虐の歌に潜んでいること、それがぼくらの胸に響き続ける本当の理由だろうと思う。
 
 
日常を生き続けるマスシス。
短く散ったカート。
 
自虐を通り越して、自分を痛めつけ、殺してしまったカート。
ゴルフが趣味のマスシス。
僕もゴルフは好きです。
 
でもそんなの関係ねー。 
 
 

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サウンドガーデン「バッドモーターフィンガー」

2008-04-07 18:02:15 | グランジ・オルタナティブロック
Badmotorfinger Badmotorfinger
価格:¥ 1,092(税込)
発売日:1991-10-08
Badmotorfinger
価格:¥ 1,076(税込)
発売日:1991-10-08

Soundgarden「Badmotorfinger」1991年US
サウンドガーデン「バッドモーターフィンガー」
 
1 Rusty Cage (04:26)
2 Outshined (05:11)
3 Slaves And Bulldozers (06:56)
4 Jesus Christ Pose (06:51)
5 Face Pollution (02:24)
6 Somewhere (04:21)
7 Searching With My Good Eye Closed (06:31)
8 Room A Thousand Years Wide (04:06)
9 Mind Riot (04:49)
10 Drawing Flies (02:25)
11 Holy Water (05:07)
12 New Damage (05:40)

 
Ben Shepherd (Bass), Chris Cornell (Guitar, Vocals), Ernst Long (Trumpet), Kim Thayil ( Guitar ), Matt Cameron ( Drums )
 
 
80年代後半から90年代に精神形成した年代にとって、この音は圧倒的な説得力と共感を覚えるものだと思う。
 
あらゆる大人の言葉は表面的に感じられ、自分たちの築きあげたものへの誇りとプライドで武装されていて、でもそんなものが今の現実とは離れてしまっていることを感覚的に分かっているものにとって、今を共に戦う同士としての説得力をもたない、ドロドロしたそのまっただ中にいるものにとっては、目の前の現実はもっとドロドロした黒い塊のようなもので。
 
サウンドガーデンの地元シアトルを舞台にした「ツイン・ピークス」は、平和そうに見えるシアトルの日常に潜む怖さ異常さを描いたものだった。しかし僕たちにとって、異常さやアブノーマルな暴力性は薄皮一つ向こうの紙一重だったはずだ。なんの不思議でもない。
 
そんな気分を直感的に感じながら育った世代はX世代と呼ばれた。
あらかじめ時代は悪くなっていく、と知っている世代、というわけだ。
 
グランジの草創期を作った伝説のバンド、グリーンリヴァーやスクリーミング・トゥリーズと列んでグランジ第一世代のサウンドガーデンは、ギターのキム・セイルがシアトルの重鎮メルヴィンズからチューン・ダウン法を学ぶことで、70年代の初期ブラック・サバスを持ち込むことにより音楽性を確立させた。周りで鳴っていたドゥームやパンクやハードロックと混じり合うことで、90年代ならでは、彼らのサウンドができあがっていった。
 
彼らがサバスやドゥームに接近したのは、偶然ではないはずだ。絶望的な気分に覆われていた70年代のサバスの黒魔術、悪魔の音楽に相通じる気分を感じていた、ということはあると思う。
 
このメジャー2作目で聴かれる音は、凄まじい。
パンク色が強いナンバーが多いが、現代ハード&ヘヴィロック・ボーカルの最高峰であるクリス・コーネルの鳥肌ものの圧倒的なボーカルの力により、むちゃくちゃに暴力的でいつつスケール感を感じさせる、というサウンドガーデン以外にはあり得ない世界が繰り広げられる。
  
それから切れの良いエッジの立ったハードロック的な音が、ツェッペリンを感じさせます。ちょっとファンクな要素もあり。
 
 
このアルバムの特徴は、その後の彼らの2枚のアルバムに比べると速く、性急な曲が揃っています。特に1曲目からたたみかける中盤までの流れは、ロック史上でも最高の部類にはいるもの。言葉を失います。ただ血が沸騰します。
 
 
僕が思うに、当時感じていたグランジバンドの魅力は、そのミステリアスさにありました。遠く日本から、何か地方都市シアトルで、メジャーでスポイルされていない本当の歌を歌うリアルなロックバンド、それも相当の実力を備えた、荒々しいリアルなバンドが蠢いている、的な。メタルとも違う、REMとかカレッジ系とも違う、ひげ面のかれらこそ、その象徴でした。まさにシアトル勢の黒幕、兄貴分的な。
 
 
ニルヴァーナらを輩出したシアトルのサブポップレーベル自体、サウンドガーデンを売り出すことをメインの目的に立ち上げられた、という話も、映画「Hype」でされていました。荒削りなニルヴァーナやその他のグランジ勢と違って、彼らは相当の実力を備えていて、頭一つも二つも抜けた存在でした。
 
 
このアルバムのあとのニルヴァーナ、パールジャム、スマッシング・パンプキンズらのブレイクで一気にシーンが世界レベルになり、兄貴分であるサウンドガーデンが満を持して用意したアルバム「Super unknown」の発売前夜、先行シングルだったか「Spoonman」がラジオで流されていた頃、確かに彼らがロックバンドとして世界を制圧した瞬間があったことを、なぜかとてもよく記憶しています。
 
 
このアルバムの後、彼らは「Super unknown」でもそうですが、比較的ゆったりしたスケール感のあるナンバーを出していきました。わりとドロドロした感じが薄いナンバーが増えた気がしました。
 
 
もともとニルヴァーナとかパールジャムと比べて、兄貴的な彼らは、インタビューなどでも結構受け答えも大人、な部分がありました。特に曲に政治的なものを持ち込むのを非常に嫌い、U2のことを相当けなしていました。純粋に音楽的にグランジなバンドで、そのヘンが少し違っていました。ある意味では、音楽的にプロフェッショナル、職人系の臭いが孤高の「侍」のような雰囲気、クリス・コーネルやキム・セイルの風貌もどこか古武士然としているように見えました。
 
またある時は、パールジャムやニルヴァーナら後輩が良い作品を作って売れたことによって、俺たちが妥協しないで、すきな音楽を追究することができる状況になったんだ、という意味の発言をしていたりしました。
 
 
そんな大人な部分が、「Super unknow」を比較的落ち着いた、やや作られた感のある音にさせ、さらにラストアルバム「Down on the upside」を散漫なものにしてしまった気もします。
破滅への道をたどり短く散っていったニルヴァーナやアリス・イン・チェインズ、やや大人でプロだったサウンドガーデン、どちらも長くは続かなかった。皮肉なものです。 
  
クリス・コーネルのボーカルは、ロック界の至宝、ザック以外のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンと結成したオーディオ・スレイヴでもさらに強力なボーカルを披露してくれていて、大変うれしく、ソロとなった今後の動向も気になるところです。
 
本作はそのジャケットのように、ドリルのようにうなりをあげて、目の回るような、つんのめるような演奏を聴かせるこのアルバム、ムワッとするほど男臭がこもったパンク・ハードロックアルバムであり、まぎれもなくグランジロックシーンを作った時代の爪痕、名盤なのです。圧倒的です。
 
 

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「TNT」トータス

2008-03-10 02:09:01 | グランジ・オルタナティブロック

TNT TNT
価格:¥ 1,481(税込)
発売日:1998-03-09

「TNT」トータス 1998年US
「TNT」Tortoise
 
1. TNT
2. Swung from the Gutters
3. Ten-Day Interval
4. I Set My Face to the Hillside
5. Equator
6. Simple Way to Go Faster Than Light That Does Not Work
7. Suspension Bridge at Iguaz' Falls
8. Four-Day Interval
9. In Sarah, Mencken, Christ, and Beethoven There Were Women and Men
10. Almost Always Is Nearly Enough
11. Jetty
12. Everglade
 
 
 
ジョン・マッケンタイア(ドラムス、パーカッション、キーボード)、ダグラス・マッカム(ベース)、ジョン・ヘーンドン(ドラムス、パーカッション)、ダン・ビットニー(パーカッション)、デヴィッド・パホ(ギター)
 
 
90年代以降のロックは、時代や社会の世相を反映し、”個人”の内面を等身大で描くものを中心へとシフトした、といえるだろう。激動する時代にあって、社会が個人に要求してくる価値観そのものが崩壊してしまったり、コロコロと変わってしまう世相にあって、もはや戦いも価値観も個人の内にしかありえず、それ以上のものはリアリティを失ってしまった。そのような社会的な気分、自体が90年代以降の価値観そのものに影響されているということなのかもしれないが、そうしてロックは、もはや一部の反逆児のものでも、ドロップアウトした限られた人のもの、でも当然なく、一部のスターをアイドル化したり、エンターテイメント、ポップスという枠も超え、個人としての内面の戦いを抱える全ての人のそばに、常に在るものとなっていった。かつてこれほどロックというものが、良くも悪くも一般に浸透し、身近なものとなった時代があっただろうか。
  
個人個人の内面に訴えかけ、個人の戦いを代弁するのなら、そのための音楽はそれこそ多種多様なものになってしまうことは、想像に難くあるまい。そうであるならば、”ロック”というものが、ある程度のロック的なフォーマットにはまり続けることからはずれて、より自由に個人の内面に迫ってゆこう、とする動きが進行しても全くおかしくない。
 
 
「ポストロック」という言葉は、1994年のトータスの登場により、生まれたといっていい。
 
彼らの音楽は、パンク、ジャズ、ジャーマン・プログレッシヴ・ロック(CANからの影響)、ミニマル音楽、電子音楽、ハウス、テクノ、ブラジリアン・ポップ、映画のサウンドトラック的な映像的音楽、これらの要素が入り交じっている。
  
トータスが所属するインディー・レーベル、"スリル・ジョッキー"は、シカゴを拠点とし、同じシカゴの前衛ジャズ・バンド、アート・アンサンブル・シカゴの影響を受け、「シカゴ音響派」とも呼ばれている。
 
 
前衛的でミクスチャーな音楽なら、彼ら以前にも存在した。
しかし、彼らのミクスチャーの基軸として、パンク的なニュアンス、オルタナティブなニュアンス、のようなものがアティチュードとして音と音の合間に感じられるために、彼らはしっかりと「ロックバンド」の延長上に存在する「ポストロック」として認識されたのではないだろうか。そしてその点こそが、上に述べたような時代の要請、を受け止めて前進する彼らをして、ポストロックの盟主として、我々が信頼を寄せるゆえんではないだろうか。彼らのフォロワーが多く出てきても、いまだにポストロックの盟主といえばトータス、という感じだ。レディオヘッドも、その文脈からそう離れたところにはいない。
  
彼らの特徴として、ポスト・プロダクション、つまり録音後の音響処理、に相当のこだわりと時間を費やすこと、があげられる。サンプリング、ではなく、1998年当時、直接ハードディスクに録音された音を重層的に加工を重ねて編集してゆく。これほど徹底的に意識的にこだわって、音の配置を凝らしたそのうえで、個人の内面や深層を映し出すこと、と音楽的な気持ちの良さ、までを平行してなしえてしまったところが、音響派トータスたるゆえんだろう。決して自家中毒ではなく、目的意識のあるこだわりなのだ。
 
 
中心人物のジム・マッキンタイヤ。この人の音楽には、私は「トータス」よりも先に「シー・アンド・ケイク」に出会っていた。シー・アンド・ケイクも同じシカゴ音響派、ポストロック、というくくりで語られるが、それよりもずっとポップで、お洒落なカフェ的ミュージックと、ほどよいテクノサウンドが絡み合った、洗練された未来のソフトロック、という風情で人気があったので、トータスよりも一般的なポップ・ロックのフォーマット上にあり、一般的な人気や知名度は上だろうか。そこで、流れるようなドラミングとプロダクションで一役を担っていたのがジム・マッキンタイヤであったし、同様にステレオ・ラブでも、もっとポップな、ほとんどフレンチポップのような世界を見せてくれていた。
 
なので、ジム・マッキンタイヤがトータスで取り組む音が、意識的に前衛的な音楽であるといっても、自家中毒にはなり得ないだろう、ということには納得なのだ。人に聞かせる音のなんたるか、を熟知した音。そしてそれを意図的な編集で操ろうとさえすること。コンピュータのバーチャルな編集過程という作業の中で、意図して配置する音が共鳴しあって新たに生まれる意図しない世界。それはひとつの演奏、ライブ空間なのだろうか。
 
ボーカルが入っていないことが多い、いわゆるインストゥルメンタル、が特徴の一つでもあるポストロックだが、それゆえに一つ一つの音の流れが、否が応でも敏感に耳に入り込んでくる。
 
我々の深層心理のどこかを刺激する、揺り動かす音が鳴らされる。配置された音と音が共鳴して生み出される効果が、編集の意図を離れて別の世界へ浮遊してゆく。
 
あくまでも音だけが、存在する。しかし、聞き手それぞれの、心理をゆさぶり、何かを想起させる。何か新しい所へ、止揚のステージが舞ってゆく。そして静かに自分が存在する。
  
トータスの音楽にはボーカルがない、が、べたな言い方をすれば、ボーカルは自分自身だということだ。今の世の中を生ききる我々の心象風景を切り取って、音の切れ端にして、それをちぎり絵のように、色々な音で、配置してゆきながら、流れるような風景を映し出しながら、聞くものそれぞれの内面を映し出し、眺めさせ、何かを誘発する。それは究極のロックバンドとしての在り方なのかもしれないし、極めて今という時代を映し出したロックの在り方、と言えるのかもしれない。それこそがポストロックの本質に近いものではないだろうか。
 
そして配置される音、ひとつひとつが、硬質で、冷たく、懐かしく、暖かく、緩やかで、性急で、不気味で、明るく、暗い。矛盾し、複雑化した我々の心の切れ端。まぎれもない、今という時代の音。
 
それはあくまでもロックであり、現代でもロックであり続けようとして、自由に逸脱して試みるロックの在り方、より時代に寄り添おうとするロックの在り方。それを、ロックのカリスマによる精神論や歌詞世界から、というアプローチではなく、「音」の在り方からロックの本質に迫ってゆこうとする試み。
 
そこでの主役は、まぎれもない我々自身だ、ということが思い知らされる。
 
ロックは偶像を生み出し続けてきた。しかし、もはや逃げられない。我々自身にロックは突きつけられている。トータスの音楽は、その意味でとてつもなく、おそろしいロックなのだ、と思う。

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