Blaze Button down Boy Always TRAD

「楽装喜服」
服を着る、装うことは自分を表現する芸術だ。

ボタンダウンのシャツに袖を通し僕の一日が始まる。

砂の器~改めて原作に触れる

2011-09-19 10:08:14 | Book

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先週、「砂の器」二夜連続を見た。2004年、中居正弘主演の時に始めて映像を見た。そして文庫本も初めて読んだ。そして今回の放送、時代の流れなのかハンセン病が背景にあることは触れられず、年月の経過はそのことを消し去る。ここで改めて読んでみた。再び読む機会を得たことは幸せだ。

今夏の主役は若い刑事吉村を演じる玉木宏と女性記者洋子の中谷美紀、彼女がきびきびはつらつとしていた。小林薫の今西警部も吉村を引き立てていた。反面、和賀英良役の佐々木蔵之助が弱く見えた。

やはり最初に見たものの印象が強く、千住明の『宿命』も羽田健太郎のピアノで圧巻だったこともよく覚えている。

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正心誠意~本気で取組め震災復興。気概、姿勢が伝わってこない

2011-09-17 09:01:35 | 投稿

新しい内閣が動き出し、野田首相の所信表明がなされた。

会社で例えれば「今年の目標はいくらだ。社員の君たちにもノルマがある。全員一丸となって達成しよう」と思いも新たにする。そして東北の責任者に任命されればその地に家族で引っ越すか、単身赴任で現地へ乗り込む。まずは現場からというではないか。私も40歳を過ぎてから京都、大阪、東京と単身赴任を経験した。

政治家に現地に乗り込んでやろうという姿勢、気概が見えない。何か人事のようでその使命が何であるのか国民に伝わってこない。「数日でも被災地で暮らす覚悟があるのか!」という現地の人々の声が届いていないのだろうか。そこに入り込んで初めて解かることがあるのだ。

震災復興会議もそこでやり、各首長とひざを交え真剣に話を聞くことからだ。自分の家や家族、会社を元に戻さねばという思いを肌で感じながら行うことが本当の政治ではないか。所信表明で「正心誠意」と言われた。「心が誠」であることを祈る。

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ええかっこしい~石津謙介

2011-09-15 09:18:29 | TRAD

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ええかっこしい 今回の表紙は「悠貧ダンディズム」の見開きの中にあったものだ。石津さんからサイン入りでいただいた本である。

今回一番感じたことは「ニフ」ということ。村八分、村二分、こんな言い回しがあることを知らなかった。小さいころこれに似たことは誰でも経験していることなんだが。でも石津謙介のもっとも嫌いなこと。正義感の強い人であることを改めて感じた。1997年に一度しか会っていないが握手をした手はやわらかく暖かかった。

このことは大人社会でもあることで僕も大嫌いだ。何が原因で「ニフ」するのか?手のひらを返したように・・・。

それからTシャツの胸ポケット付きは上着、ポケットなしは下着。この区別は知らなかった。

ゼブラ飛行機は調布飛行場にまだあるのかな?

ダンディズム。このことは「男達への遺言」に記された事。先のブランメルも同じ事を言っていた。シャレ者は今も昔も同じ、 「自惚れやさん」 ナルシストである。私もそう思う。

自分が好きで選んだ服を着て楽しみ、見る人も喜び 「カッコいいね、お洒落だね」 と言われれば 「ありがとう」 と素直に言って別に謙遜することもない。

石津さんの 「自分のことをカッコ良いといえるか」 この言葉がすべてですね。私はもちろん 「Yes!」 と答える。そして 「ダンディー」 というより 「カッコいい」 が好きだ。

僕の言う 「楽装喜服」である。

そして、100年を迎え改めて 「石津謙介よVANをありがとう!」

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八事山・興正寺~縁日と市松模様の新しい交番

2011-09-13 12:33:51 | 八事山・興正寺

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 歩いて10分位のところにある八事山・興正寺。毎月5日、13日が縁日でもう40年以上になるらしい。訪れるきっかけはおばあちゃんが特養に入った2006年秋ごろからである。お店の人もお客さんも年配の方がほとんどだ。老若男女ならぬ、老老女女だ。女性は元気だ。野菜、果物お花、海産物、洋服などいろんなものを売っている。最近境内がきれいに整備され今日もテレビの取材が入っていた。

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整備された境内の入り口西側にできた新しいKOBAN。かわらでできた市松模様の外壁が珍しい。赤い回天灯もうまくコーナーに納められている。妻が「ダミエ」の様だといった

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ボーブランメル~18世紀末イギリスの伊達者

2011-09-10 20:31:31 | TRAD

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キャメルさんに教えてもらい神戸ブランメル倶楽部へ。ガンクラブの生地に収まったピンバッチ。このガンクラブは1970年頃のKentのスラックスの生地。

ブルンメルがどんな人物なのか興味がわいて調べてみた。生田耕作著「ダンディズム」 栄光と悲惨。金子國義さんの絵がこの「ダンディズム」にぴったりだ。

ジョージ・ブライアン・ブランメル 1778~1840 社交界に君臨するも生涯独身を貫いた。62歳の時に養老院で亡くなっている。

バイロン卿をして「ナポレオンになるよりもブランメルになりたい」と述懐せしめた。

平民の身でありながら当時の国王や大貴族と対等に付き合いしゃれ者達の模範として仰がれ後世の史家から18世紀イギリス通じて最も興味深い人物と評価される。そして一介のダンディに過ぎずそれ以上の何者でもないところにブランメルのブランメルたる所以がある。

ダンディズムの基本的心因の一つがナルシズムである。

イートン校時代に非の打ち所のない身だしなみ、冷ややかな物憂げな立居振舞によって他の級友達を圧しBeau Braummelの異名を捧げられる。

ブランメルと王位継承者プリンス・オブ・ウェールズとの出会い。ウェールズはダンディの王たらんことを念頭し、ブランメルに対し一点の非の打ち所のない身ごなしに羨望に近い憧憬を覚えていた。そしてプリンセスの付き添いにブランメルが選ばれる。

興味のある記事はスポーツに対して最大の軽蔑を抱いていたことだ。その理由として激しい動作によって衣服を乱す危険、もうひとつは賊民のように力をふりしぼり「根棒を握り締め、慌てて駆け出す」無様さに絶えられなかったとある。ここが僕と違う点だ。ランメルは流行に服従するように見せながら穏健な形でそれを選んだのである。移ろいやすい服飾の世界において彼が「趣味の審判者」として長く王座を維持できた所以はこの控え目というところに求められそうである。この控えめがトラッドに通じるのかな。

ダンディズムとは不断の意志と厳しい自己統制を通じて達成した人工的境地に他ならない。ベストドレッサーを志す男の必須条件は「清潔・禁欲」これこそがダンディズムの二大原則でありその表現媒体として「黒と白」がえらばれたことはごく自然な結びつきだとのこと。

さお後にブランメルの肖像画は故意に省いたとの事。納得できる。

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