キャメルさんに教えてもらい神戸ブランメル倶楽部へ。ガンクラブの生地に収まったピンバッチ。このガンクラブは1970年頃のKentのスラックスの生地。
ブルンメルがどんな人物なのか興味がわいて調べてみた。生田耕作著「ダンディズム」 栄光と悲惨。金子國義さんの絵がこの「ダンディズム」にぴったりだ。
ジョージ・ブライアン・ブランメル 1778~1840 社交界に君臨するも生涯独身を貫いた。62歳の時に養老院で亡くなっている。
バイロン卿をして「ナポレオンになるよりもブランメルになりたい」と述懐せしめた。
平民の身でありながら当時の国王や大貴族と対等に付き合いしゃれ者達の模範として仰がれ後世の史家から18世紀イギリス通じて最も興味深い人物と評価される。そして一介のダンディに過ぎずそれ以上の何者でもないところにブランメルのブランメルたる所以がある。
ダンディズムの基本的心因の一つがナルシズムである。
イートン校時代に非の打ち所のない身だしなみ、冷ややかな物憂げな立居振舞によって他の級友達を圧しBeau Braummelの異名を捧げられる。
ブランメルと王位継承者プリンス・オブ・ウェールズとの出会い。ウェールズはダンディの王たらんことを念頭し、ブランメルに対し一点の非の打ち所のない身ごなしに羨望に近い憧憬を覚えていた。そしてプリンセスの付き添いにブランメルが選ばれる。
興味のある記事はスポーツに対して最大の軽蔑を抱いていたことだ。その理由として激しい動作によって衣服を乱す危険、もうひとつは賊民のように力をふりしぼり「根棒を握り締め、慌てて駆け出す」無様さに絶えられなかったとある。ここが僕と違う点だ。ランメルは流行に服従するように見せながら穏健な形でそれを選んだのである。移ろいやすい服飾の世界において彼が「趣味の審判者」として長く王座を維持できた所以はこの控え目というところに求められそうである。この控えめがトラッドに通じるのかな。
ダンディズムとは不断の意志と厳しい自己統制を通じて達成した人工的境地に他ならない。ベストドレッサーを志す男の必須条件は「清潔・禁欲」これこそがダンディズムの二大原則でありその表現媒体として「黒と白」がえらばれたことはごく自然な結びつきだとのこと。
さお後にブランメルの肖像画は故意に省いたとの事。納得できる。