風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

「未知の領域」で考える―日本の原子力政策の成り立ち

2011年03月29日 | 政治・時事
広島、長崎……
日本は唯一の被爆国として、誰もが広島、長崎をあげます。しかし、時代の変遷とともに忘れられがちな事件があります。第五福竜丸被爆事件です。事件という呼び方が適切かどうか悩むところです。しかしどんな呼び方をしても、善意の第三者が、エゴの塊のような核実験の犠牲者となった事実は語り継がなければなりません。私たちは「唯一の被爆国」という場合、広島、長崎に「第五福竜丸事件」を加えなければいけません。そして今、福島で起こっていることが、被曝から被爆になるのか。すでに被爆しているのか……いずれにせよ、広島、長崎、第五福竜丸、福島は、原子力がもたらした大きな不幸、あってはならない不幸と言わざるをえません。
ここでは、第五福竜丸事件を取り上げ、日本の原子力政策への道のりを書き、その背景を明らかにしながら問題点を浮き彫りにしようと思います。なぜこの事件を取り上げたかと言えば、この事件は、日本の原子力政策が生まれる直前に起った事件で、原子力政策の創生期にさまざまな波紋を投げかけたからです。

以下は、94年に放映された NHKドキュメント『原発導入のシナリオ』を基に少しばかり肉づけして書いたものです。


第二次大戦後、核戦略でソ連よりも優位に立ったアメリカは、たちまちソ連に追いつかれ、原爆よりも破壊力が大きな水素爆弾では、ソ連に追い越されました。冷戦構造の中での核兵器開発競争は熾烈で平和になるはずの大戦後は、大戦前よりも大きな危険を孕む時代になってしまったのです。
ソ連に追い越されたアメリカは、水素爆弾の実験を繰り返します。第五福竜丸が被爆したのも、マーシャル諸島ビキニ環礁で行われた「キャッスル作戦・ブラボー」という水爆実験でした。
第五福竜丸は、アメリカが引いた危険水域外で操業していたのですが、この実験は秘密裡に行われたため、気づいた時には遅く、必死で離れたのですが間に合わず、死の灰を浴びてしまった。1954年3月1日のことです。

この事件とは別に、熾烈な核兵器開発を緩める意図があったのか、当時のアメリカ大統領アイゼンハワーは(アイク)は、「原子力の平和利用計画」を唱えます。“atoms for peace”と呼ばれたこの計画は、核兵器の材料である◆ウラン235を国際機関を創設し一括管理すること◆ウラン235を平和利用すること―ウラン235の濃縮ウランを民間に転用し平和利用すること―がテーマでした。
しかし、実態は米ソの間で、それぞれの核開発の脅威を、メディアを使って煽り避難することを回避するための緩衝的な措置でした。そのことは当時のアメリカの国家安全保障会議の資料から明らかです。つまり核兵器開発のおこぼれとしての政策であり、核兵器開発という主題に添えた副題に過ぎなかったのです。ダブルスタンダードと言ってもいいかもしれません。
日本にも広報部がアメリカ大使館の別館に置かれ、“atoms for peace”の広報が行われようとし、ソ連は、“atoms for peace”に対抗するため「原水爆の世界的全面禁止」を訴えました。ソ連の訴えもまた、ダブルスタンダードとも言えると思います。自ら鉾を納めることはなかったからです。

こうした状況の中で、ひとりの日本人が、“atoms for peace”に水面下で飛びつきました。読売新聞の柴田秀利という記者です。彼はGHG担当でGHQ内部に深く浸透していて、戦後最大級の労働争議だった「読売争議」をGHQを使い、経営者側に勝利をもたらし、読売新聞社主の正力松太郎に認められ懐刀となり、やがて日本テレビ創設に深く関わり、“atoms for peace”では、アメリカとの交渉で辣腕をふるった人物です。しかし彼は表に現れることはありませんでした。
まだ政府が介入していない時期に秘密裡にアメリカ側の工作員と密会し、着々と準備を整えていたのです。アメリカ側の工作員は、けして所属を明らかにしない、ダニエル・ワトソンという人物でした。
しかしながら、柴田からもたらされた情報は、かなりレベルの高いところ――国家安全保障会議(NSC)――に上げられていました。

このような時、第五福竜丸事件が起ったのです。

大戦から10年に満たない時代、日本人の核アレルギーは強く、たちまち各地で反米・反核運動が起り、魚介類をはじめ食物に影響はないか、という放射線汚染パニックも生まれました。これに共産党、社会党などの左翼勢力が加わり一大政治運動と化したのです。
柴田とワトソンにとっては、このような展開は挫折を意味しました。ワトソンの挫折はアメリカの日本での“atoms for peace”の挫折を意味しています。しかし彼らは乗り越えることで合意しました。
柴田の後ろには正力がいました。柴田はワトソンに正力を紹介し、正力も“atoms for peace”に乗りました。
正力が何よりも怖れていたのは、日本の共産化です。資源エネルギーがないことで貧困化が進めば、必ず共産革命が起る。そう信じて疑わなかったのです。
ワトソンにすれば、大手新聞社を押さえることが重要でした。「日本人は新聞を読んで自分の意見を構築する」という認識だったので、ターゲットは正力に絞られたのです。
この頃読売新聞は、正力が経営を始める前の5万部から300万分へと大躍進を遂げていたのです。そして第五福竜丸事件の前年の8月、日本テレビが民放として初めて開設されていました。
ワトソン、柴田、正力ラインは、メディアを使い、反核世論を切り崩し、展開を図る戦略に出たのです。

こうした流れを示す資料が残っています。国務省の『第五福竜丸事件以降の対日政策』です。
「日本の核兵器に関する過剰な反応は、日米関係に好ましくない。我が国の核実験の継続はより困難になり、核の平和利用計画も困難になる。そのためには日本人に対する「心理計画」をもう一度練り直す必要がある」

ワトソンの意向は、ホワイトハウスの意向だったのです。

また柴田は、このような手記を残しています。
「現状は、米との友好関係に破局を招きかねない。『両刃の剣』の原爆の反対を抑えるには『毒には毒をもって制す』しかない。原子力の平和利用を歌い上げ希望を与えるしかない」

この二つから、読売とアメリカが、純粋に原子力の平和利用を日本にもたらそうとしたわけではなく、反共産主義と核兵器開発でソ連よりも優位に立つことが主題だったことは明らかです。
このようなアメリカの戦略に、日本政府が本格的に介入する以前から、一企業、それもマスメディアが、リードしていいのでしょうか。読売Gの政治への介入は、今に始まったことではなく、以前から体質的に行われていたんですね。
このことは、やがてアメリカの秘密文書公開で明らかになったように、正力松太郎がCIAのエージェントであったことと関係があると思います。

第五福竜丸事件から半年後、無線長の久保山さんが原爆症で亡くなり、反米・反核運動はピークに達します。ホワイトハウスから、「漁民の死因は、放射能によるものではなく、飛び散ったサンゴの化学作用であるものにせよ」とのお達しが在日アメリカ大使館に届き、外務省にも送られてきました。
このように責任を取らないアメリカを左翼勢力は「戦争勢力」と非難し、「同調する日本の保守政権は同罪である」として政治運動が激しくなりました。

こうした状況についてソ連のフルシチョフ書記長は、後にこう語っています。
「日本はアメリカに対し大きな不安があった。広島、長崎に原爆を落したのは他でもないアメリカだ。被爆者とその家族は、保守政治家に強い不満を持っていた。もしソ連大使館が東京にできれば、これらの人々が大使館に接近してくるだろう」
これは当時のソ連の対日政策を物語っています。ソ連も日本と国交回復を果たしてもいい。そんなニュアンスが読みとれます。(これから2年後の56年『日ソ共同宣言』が調印され、国交正常化)

柴田とワトソンは密会を繰り返します。このような状況を打破するには、決定的なイベントが必要であると合意します。そこで生まれたのが、民間のかたちをとった「原子力平和使節団」訪日計画で、これを広くPRし反核世論を鎮め、変換しようとするものです。
使節団の代表は、初の原子力潜水艦「ノーチラス号」を作ったGD社(ゼネラル・ダイナミクス社)のホプキンス社長を団長とする、著名科学者で構成され、中にはノーベル物理学賞のアーネスト・ローレンス博士もいました。(マンハッタン計画の中心人物のひとり)
ワトソンは、プロデュースと資金提供を柴田に申し出ますが、柴田は断ります。
このことから、読売Gが、いかに原発導入に熱心であったかが窺えます。前述したようにその裏には、反共と核兵器開発の強い肯定があります。

55年1月1日から、読売Gの報道キャンペーンが始まります。読売、日テレに「原子力特別調査班」が置かれキャンペーンの中心となり、使節団受け入れの世論形成に邁進しました。このことは、新聞、TVの二大メディアのよるキャンペーン時代の到来を告げたのでした。

この頃ソ連は、世界初の商業用原子力発電施設を完成させ、ここでもアメリカをリードします。(アメリカはようやく建設に乗り出したところ)
ソ連は諸外国に対し、原子力の平和利用のための技術力援助があることを発表します。

アイク(アイゼンハワー大統領)はこれに対し、国際機関による原子力の一括管理という“atoms for peace”の初期の理念を捨て、西側友好国に対しアメリカが個別的に2国間で協定締結することを打ち出し、協定締結国に濃縮ウランと技術を提供することで、締結国を勢力下に置くことにしたのです。
ここで「原子力の平和利用」という化けの皮が剥がれ、米ソの覇権主義による世界戦略の真の表情が明らかにされたのです。

旧原子力委員会(アメリカ)は、日本政府にも打診。前年には、原子力研究予算として2億3千5百万円を可決。これは「ウラン235」にちなんでいます。この予算案を積極的に邁進したのは、当時改進党議員だった中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二らで、ここから日本政府の本格的介入が始まります。
しかし、両国にとって第五福竜丸事件がネックでした。
これを終息させるために、アメリカは事件の補償費として200万ドルを日本政府に支払うことで免責させるという政治決着を図りますが、世論はまだ収まりません。しかし、着々と受け入れ準備が進んでいきます。
外務省は、秘密裡に濃縮ウラン受け入れをアメリカに伝えます。

さらに世界は動きます。
補償金が支払われた5日後、ソ連は中国をはじめ、東欧5カ国と(ポーランド、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ルーマニア、ハンガリー)2国間協定を結んだことを発表。「核のブロック」をアメリカと同じように作ろうとしました。

国内では、外務省が秘密裡に濃縮ウラン受け入れることをアメリカに側に伝えていたことが、3カ月後の4月に朝日新聞のスクープで明らかになり、国内世論は、受け入れの是非をめぐり、真っ二つに割れ、学術会議も二分され、反対派はアメリカの核ブロックに繰り込まれることを懸念し、自主開発を主張しました。こうした学者たちは、秘密裡に選別され(名簿の名前の上に赤丸を着けられる)、主張し続ける者は主流から外され、多くは長いものに巻かれていきました。

その間2月に、正力は突如、衆院選に富山選挙区から立候補を表明。政界に進出し、政治力と報道力を武器に邁進し続けます。原子力平和利用懇談会を作り、自ら代表世話人にとなり、財界の主要メンバーと学会の賛成派を取り込みながら、次々と政策化していきます。
当時の日本は、慢性的な電力不足で、巨大ダム建設が進められていましたが、コストが大き過ぎて、火力発電所も同様で、さらに将来化石燃料の不足も懸念されており、正力はこうした背景を巧みに使いながら、原発化の道を拡げていきました。
もちろん、報道キャンペーンも忘れません。当時の読売記事に、正力の原子力の安全性を解説したものが掲載されました。
内容は「死の灰も動力機関の燃料に活用できるし、食物や土壌殺菌に使用できる」という今では考えられないような安全性です。核の安全性の認識は、当時その程度だったのか、国民を偽りで洗脳したのか、いずれにせよ杜撰な認識が罷り通っていたのです。

こうした正力らの原発推進キャンペーンにも関わらず、原発運転の可能性はまだまだ先でした。
国家安全保障会議の当時の資料には、
「向こう10年間、競争力のある原発にすることは期待できない。しかし、ソ連は急ピッチで原発開発を進めている。このままではアメリカは冷戦においてリーダーシップを奪われる可能性が高い。電力コストの高い日本は最も有力なターゲットだ」と書かれています。

このことが何を意味しているかは明瞭です。核アレルギーが強く、しかもエネルギー不足に悩む日本が、原発を受け入れれば、安全性が担保されたのも同様、ドミノのように原発を受け入れる国が拡がっていくという期待と戦略です。しかも、さらなる核兵器開発も暗黙の認知を受けたようなものです。
このようにアメリカの戦略はどこまでもしたたかです。

その年の5月、ホプキンスを団長とする「原子力の平和利用使節団」が来日しました。国民向けに平和利用大講演会が、日比谷公会堂で開かれ、読売Gの大キャンペーンの成果なのか、長蛇の行列ができるほどの盛況で、この様子を日テレは、番組変更して生中継します。

そして6月。日本政府も受け入れ、民間(読売G)と政府の姿勢が一致。日米原子力協定が結ばれます。この年の保守合同による初の自民党政権(第3次鳩山内閣)で正力は、北海道開発庁官に就任し、翌年新設された科学技術庁長官と原子力委員会委員長を兼務しました。

このように道を切り拓いた正力は、手記にこう記しています。

「平和使節団が政府を動かすターニングポイントになった。小生がしたことは、冷戦における崇高な使命であると信じている」

やはり正力は、純粋な思いで原子力の平和利用に取り組んだのではなかった。冷戦構造の中で、共産主義化を怖れ、アメリカに与し原子力の平和利用という大義で、巧妙に政治的な思惑を隠しながら、アメリカの目論見どおりに事を運んだのでした。正力にとっての崇高な使命のテーマはここにあったのです。そして副次的に原子力産業が芽生えれば、日本は豊かになる。
日本が豊かになるには、純粋な意味では冷戦は関係ありません。どちらにも与しない選択もあったからです。同じ時期政権にあった石橋湛山は、日本の真の独立、全方位外交を模索していました。

57年東海村で日本初の臨界成功。

58年までにアメリカは39カ国と原子力協定を結ぶ。協定により核の軍事転用が禁止される。
このことは同時に、各国が米ソの核兵器ブロックに組み込まれていくことを意味していました。

57年、国家安全保障会議に提出された報告書にはこう記されています。
「過去3年間、我々の核実験に激しいプロパガンダが行われたが、米の立場は自由主義国の支持を得ることができた。“atoms for peace plan”がもたらしたものは、測り知れないものがある」

まさにアメリカの真意はここにあったわけです。“atoms for peace plan”は、あくまでも核開発の持続と発展のための手段に過ぎなかったのです。そして、“atoms for peace plan”は、アメリカに膨大な利益をもたらしました。技術援助は、無償で行われたわけではなく、巨額な金銭が動き、ここに利権構造が生まれます。アメリカの原子力産業は、軍産複合体が中心で、構成する企業から受注を有利にすすめるために日本の権力者にカネが流れる。斡旋利得が生まれ、カネの競争が活発になる。そうしたカネをひっくるめて最終的に、軍産共同体に渡り、その一部が核兵器開発に回される。もちろんそのカネは税金です。
核兵器開発と“atoms for peace plan”は、双面のヤヌスのようの性格をもって、一心同体となり、日本をはじめ各国は、双面のヤヌスの成長に寄与したのです。
さまざまな功罪をもたらしながら。


61年 IAEA(国際原子力機関)設立。
IAEAが直面したものは、平和利用を装った核兵器開発の疑惑でした。IAEAは今も大国の核兵器保有を認めたまま核査察でも課題を掲げている。

65年 電力化なる。アメリカが予測したように10年後に電力化された。

79年 アメリカのスリーマイル島の原発でメルトダウン事故が発生。周辺で放射能汚染される。
その後、現在までアメリカでは、新たな原発発注が途絶えている。

86年 ソ連(当時)――現ウクライナ――のチェルノブイリ発電所で炉心が制御を失い暴走し爆発。大量の放射能がばらまかれ甚大な被害をもたらす。


そして2011年3月11日 東日本大地震。福島第一原発で事故発生。放射能漏れが続く……






武井繁明





Desert on the Moon - Hiromi Uehara


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5 コメント

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推薦「アトミック・カフェ」 (茶所博士)
2011-04-08 15:52:07
初めまして、茶所博士と申します。
 核の時代の紆余曲折の長大な解説に経緯を表します。

 第五福竜丸については、私が焼津の隣の藤枝在住ということもあって、身近な話題でもあります。今でも、静岡新聞には第五福竜丸の乗組員たちの取材記事が載ることが時々ありますし。
 なお、久保山さんは船長ではなく、無線長です。この久保山さんも、焼津には結構多い姓なので、私の知り合いにも何人かいます。その内の一人が、久保山無線長の親類でした。

 竹書房から出ているDVDの「アトミック・カフェ」をお勧めします。冷戦時代のニュースフィルムやアメリカ政府製作の広報フィルムを編集で繋ぎ合わせ、ナレーションは一切加えず、冷戦時代の核についてのドキュメンタリーです。
 今見たら、笑えるのですが、よく考えると背筋が冷たくなる、そんな作品です。大きなレンタル店ならたぶん、見つかるはず。
 なお、この作品の監督が、マイケル・ムーアに映画の作り方を教えたそうです
返信する
茶所博士さん (武井)
2011-04-08 15:52:57
茶所博士さん♪>

こんばんは。はじめまして。
コメントありがとうございます。

放送を見ながらメモしてものをまとめただけで、覚書程度のものです。
そんなわけで、ろくに考証も推敲もしなかったものですから、早速間違いがありました。ご指摘ありがとうございます。
僕は指摘されるまで、長い間、久保山さんが船長さんだと思いこんでいました。恥ずかしいしだいです(苦笑)

早速訂正します♪

茶所博士さんは、タケセンさんへの的確で鋭いコメントで存知あげていおり、知識の豊富さと深い思考にいつも目を見張り、刺戟を受けていました。
そんな茶所博士さんから、推薦された「アトミック・カフェ」ですが、とても興味があります。アメリカの現代政治、戦後史に以前から興味を持ち、ささやかにではありますが、自分なりに学んできた経緯があります。
ぜひ、観ようと思います。

ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

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フィクサー (ムーミン)
2011-04-08 15:53:35
こんばんは。正力松太郎と原発・CIAの関係はまさに日本昭和史の闇の歴史ですね。「原発・正力・CIA」を読んだときはただ驚くばかりでした。
読売新聞は正力・渡辺ともに政界のフィクサーといったところでしょうか
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ムーミンさん (武井)
2011-04-08 15:54:13
ムーミンさん♪>

こんにちは。

この放送は、闇から生まれた異端のようなものが、正統になっていくプロセスを丁寧に検証していますね。
新しい体制になった黎明期には、さまざまな思惑が跋扈し、闇から生まれ、今は当たり前のように世の中を形成しているシステムに繰りこまれているものも多いと思います。
功罪をもたらしながら……

その功罪をしっかり把握できる力を私たちは持たないといけませんね。


NHKとしては、かなり踏み込んだ秀作だと思います。

もっとも民放は、地底人のさらに下の最底人ですから(笑)
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むなしいな…… (this boy)
2011-04-08 15:55:42
いつもながら凄い長編でその内容の深さには脱帽
致します。
日本原子力の推進は結局アメリカとその傀儡の
結託によるもの。
アメリカという国の恐ろしさに絶望感さえ漂います。
いまアメリカによって行われている「おともだち作戦」
も用意周到なんでしょうね。
常に日本を支配下におき、手なずかせる作戦を考えて
いるから迅速な対応も出来るわけですね。

フランスも商売に関わるので原発事故封じ込めに必死
ですね。

今回の原発人災事故で一時原発に対する反対運動が盛り
上がるのでしょうが、圧倒的な政府当局、東電、アメリカ
の巻き返しで、いずれは沈静化させられてしまうのでしょ
うか・・・・・。

日本は黒船来航以来、アメリカの忠実な手下であり、一時
抵抗したが、圧倒的な軍事パワーで壊滅、去勢させられて
完全に忠犬ハチ公状態。
なんか空しいなあ(虚ろな微笑み)

老後は北海道の道東の片田舎に住みたくなって来ました。
冬が寒くて大変ですが・・・・・・白鳥露天風呂で体でも
温めるか。

昨日札幌、ニセコに行って来ましたが、中国人観光客激減
で本当に観光産業も苦しいらしいです。
こんな時こそ変な自粛(委縮)などしないでパーっとお花見
やりますか!
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