風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

小沢問題に見る 人権軽視と権力闘争(一年の終わりに)

2011年01月01日 | 政治・時事
17日、起訴が確実となっている小沢一郎議員の主任弁護士となった弘中惇一郎弁護士が記者会見を行いました。
弁護人は、依頼人の利益を最大限に護ることを使命とする業務だから、一般的な視点からすれば、その言動は時に偏りのような違和感を覚えるものです。しかし弘中弁護士がここで語った内容にその違和感はなく、小沢さんに関わるメディアの論調やメディアが小沢ネガティブキャンペーンで形成した思考後退した世論に対して、警鐘を鳴らしているかのように感じ、必ずしも、小沢さんの利益を護るだけのための発言だけでは法律の専門家の“公正な良識”とも感じました。また、現在の政局に対しての見方を示唆したとも言える内容です。それを導いたのは、岩上安身さん(フリージャーナリスト)の小沢問題にあるいくつかの核心をついた質問です。この会見が従来のように『記者クラブ』が独占していたなら、これほど注目すべき内容になっていたかどうか。フルオープンの会見ならではの新鮮さを感じました。なおフルオープンにしたのは小沢側の意向によるようです。
ぜひ、ご覧ください。

http://iwakamiyasumi.com/archives/5226 『岩上安身オフィシャルサイト』から。

まず弘中弁護士は、刑事弁護人としての立場で、刑事被告人になることがほぼ決まっている人が、刑事裁判で調べられる起訴に関わること、相手に訊かれる可能性のある事柄について、政倫審のような公の場であれこれ質問され、答えを強いられることは、公判に重要な影響をもたらす可能性があり、裁判に差障りがあるので好ましくないと言っています。
これは、知る権利、報道の自由と人権に関わることで、人権保障という観点から尊重すべきであると言っています。

このことは、とても大切なことにもかかわらず、多くの人が見逃しているか無視しているか、感じないでいるかのいずれかのように思う。
小沢さんは、これまで、「多くのみなさんが公の場で説明しろというのであれば、拒みはしない。出ていくつもりである」という主旨の言葉を質問される度に言ってきました。しかし、これには但し書きがあったことを忘れてはなりません。小沢さんは言う。「2年近くにも及び、あの検察特捜が、多額の捜査費用と多くの人材を費やし、強制捜査まで行いました。しかし犯罪の事実はなく潔白であるという証明が不起訴によってなされました。これまでも記者会見でみなさんの質問に答えてきた。これ以上どうやって説明責任を果たせと言うのか。これ以上どうやって身の潔白を証明せよというのか判らない。それでも公の場で説明しろということであれば拒まない」

西松建設事件で名前が挙がった政治家は、小沢さんを含めて14人いる。その中で会見を開き説明したのは、小沢さんを含め二人だけです。さらに小沢さんは、党代表を辞任し、代表を辞任してから党幹事長という立場で毎週一度、すべてのジャーナリストに公開した記者会見を行い、記者の質問の度に答えてきた、もっとも説明責任を果たしている西松事件で名前が挙がった政治家であることは間違いありません。
このような小沢さんになぜこれ以上の説明責任を求め、他の13人の名前が挙がった政治家には、『政治と金』についてメディアも国民も追及しないのか不思議な現象です。
この現象は公正なのかどうか、人権保障という観点に立って考えてほしいと思います。
小沢さんや政治家に限らず、何人も動かし難い犯罪事実が明らかになってから糾弾しても遅くないと思うのですが。

さらに小沢さんは、幹事長の座からも降りて、責任を果たしてきた経緯がある。しかしこれだけではまだ足りないと思っていると思っている人が多そうです。
あるいは憲法に小沢一郎の人権保障は除く。とでも明記されているのか。それとも多くの人が小沢さんに人権を認めていないのか。そんな捻くれた見方まで生まれそうです。
そしてこれまで何度も書いてきたように小沢さんの『政治と金』に関して、どのような具体的な問題があるのか、誰も明確に示していない。検察も起訴を断念した。だいたい、西松建設、水谷建設の不正献金事件に小沢さんはは関与していない。明らかに検察の姿勢に無理があった。検察は必ずしも正義を具象化する機関ではなく、事実が示しているように、暴走し無実の罪を作り上げることが使命のひとつとして、組織体系に蔓延している危険な機関でもありますね。その検察が、フロッピー前田まで投入しても(フロッピー前田を投入するくらい無理筋の捜査だったと思う)起訴できなかったということは、関連政治団体から受けた献金は正当なものだった。という証ではないのでしょうか。
しかしながら、いまだに具体的な姿を見ない『小沢の政治と金』という亡霊を、多くの人は実態だと勘違いしている。こうなるともう病気ですね。

小沢さんは、検察審査会の議決を受け強制起訴に今向かいつつあり、刑事被告人に近いところに居る。強制起訴の議決を受け、小沢さんの公の場での説明責任への意向は変化し、一方多方面から、具体的に政治倫理審査会という具体的な場が出され出席を求められている。
小沢さんの公の場での説明の意向は、強制議決を持って変化しました。弘中弁護士が主任弁護人に就く前からです。
「検察の議決で、強制起訴となり、私が公の場で質問に答えることは裁判にも影響を受ける。私の説明の場は、司法に移ることになる。そこでありのままを申し上げる。したがって政治倫理審査会への出席は好ましいものではない」と言う主旨で述べています。正論だと思う。

しかし、野党はもちろんのこと、同じ党の菅総理をはじめとする内閣の首脳、党執行部は、政治国会での説明を強く求めている。
その理由は実に曖昧であり、その言動は権力闘争の色合いを増している。菅首相と首相を強く支持するグループは、小沢さんを排除しようとしているようにしか思えない
菅首相は代表選の前も、最中も、終わった後も、「代表選が終わったらノーサイド」「挙党態勢」「412人内閣」を約束した。しかし実際は、小沢G、鳩山G、とりわけ小沢Gを内閣と党の中枢から遠ざけていることは一目瞭然で、挙党態勢とは程遠い、約束を反故した人事になっています。
特に小沢さん個人への言い掛かりとも言えるような、排除の理由は、人間性を疑いたくなるほどです。
・『政治と金』の責任を小沢さんに求めているが、具体的にその内容を示したことは一度もない。
・菅体制になってから、民主党は地方選挙で敗北の連続だが、その責任をすべて小沢さんの『政治と金』のせいにしている。
これはかなり無理がある。小沢さんと鳩山さんが共に幹事長と首相を辞任し、菅政権となり、世論の支持はV字回復し、高い支持を得た。それにもかかわらず、菅体制で参院選にぼろ負けした。責任は誰にあるのか。これも一目瞭然でですが、菅首相も党執行部も表向きには自分たちの責任を意識していない振りをして、小沢さんの責任だとしている。
“意識していない振り“と僕は、悪意に満ちた書き方をしたが悪意ではありません。参院選後行われた民主党両議院総会のノーカット映像を見れば菅首相も執行部も、敗因はすべて自分たちにあると謝罪している。総辞職と執行部入れ替えを求められたが、「今ここで総辞職して空白を作ることは、混乱に拍車をかけ、国民に多大な迷惑をかける。ぜひ9月の代表選までは、今の体制でやらせてほしい」と菅首相が泣きを入れるような状態で懇願し、菅体制は持続したんですね。
責任は自分にあると認めながら、曖昧で根拠のない『小沢の政治と金』のせいにしている。
だから“振りをしている”と書きました。

代表選後の菅政権と執行部の凋落ぶりは、小沢さんのせいではないことは、これまた一目瞭然で、尖閣沖で起こった中国漁船の海上保安庁巡視船への衝突事件での外交の不手際と、それに関わる検察による外交処理問題(重大な外交案件に一地方検察が介入し、してはならない三権分立を揺るがす政治的処理を行った越権行為―これは政府の命令であることが明らかで、那覇検察は受け入れ難い苦渋に満ちた受諾だったことが窺える。しかし、仙谷官房長官は、那覇検察の判断と否定している。仙谷官房長官こそ国会の場で証人喚問を受け事実を明らかにすべきだ思う)とビデオ流出事件、ロシア大統領の国後島訪問、回らない臨時国会と国会での菅首相の説得性に欠けた答弁と、変わりまくる仙谷さんの答弁、失言などなど、呆れるばかりの稚拙な事柄のオンパレードで民主党と内閣は、国民の信頼を失い続けました。
誰がどう考えても小沢さんのせいではない。小沢さん排除の正当な理由が見つからない。
世論の80%が小沢さんの国会招致を求めているからいう理由では話になりません。問題は、小沢さんを招致する理由を誰も説明できないことにあると思います。

しかし、内閣と党が、国民の支持を失うほど、菅首相と執行部の小沢排除は明確になり、政倫審への出席を拒否すれば、進退問題に発展する。離党勧告も辞さないと推察できる発言が、菅首相と仙谷官房長官と岡田幹事長や首相の周辺から漏れるようになりました。まさに権力闘争の装いで、仕掛けたのは菅首相であり、小沢さんはただ受け流してきただけで、これまで実際の行動に出ることはありませんでした。

菅首相と岡田幹事長は言います。
「政倫審へ出席し、説明責任を果たすことで、通常国会が潤滑し、野党との国会審議が諮れ、次期予算案を通すことが可能となる」という主張で、党役員会での議決も辞さないと小沢さんに伝えました。

しかしこの理屈はおかしいと思う。そもそも政倫審の設立理由のひとつは、『国会審議に関係なく行われる』もので、“国会審議が止まるから出るよう強要する”のは、設置理由と矛盾する。
さらに、政倫審は、疑惑を受けた国会議員が、自ら疑惑を晴らすために、自らの申請によって開催されることと、政倫審委員の2/3以上の要請があった時に行われるもので、党の役員会で議決し強要すべきものではない。
もう、菅首相と執行部は常軌を逸している状態に陥り、前後左右どこも見えなくなり、何が何でも小沢さんを排除するという方向に向かっているように思う。
たとえば、政倫審開催については、小沢さんの出席を求めないだろうとされる委員を差し替えてまで、小沢さんを政倫審に引っ張り出そうとしていました。
僕はこの事実を知った時、そんな横暴なことが可能なのか?と思いました。

【衆議院政治倫理審査会規程】
第八条:委員に選任された者は、正当の理由がなければ、その任を辞することができない。
2 委員がその任を辞そうとするときは、理由を付し、会長を経由して、議長の許可を得なければならない。

こう規定されている以上、首相といえども強制的に促すことはできない。もし実行したら、これはもう政治的なテロであり、首相自ら民主主義に背を向けることになる。無理を通そうとしているのが、菅首相と執行部であることは、これまた一目瞭然です。

僕は権力闘争と書いた。たとえば、革命を起こそうとする勢力は、必ずしも同じ理念でひとつにまとまっているわけではなく、既存権力を倒すことを最初の最大の目標とする。だから主張の擦り合わせと、妥協を諮りながら同じ方向に向かう力を固めることが、最重要ポイントとなります。
民主党による政権交代への道のりは、同じように進んできました。こうした経過を一手にまとめたのが小沢さんであることは、今年1月の日記『変わらずに生き残るには、自ら変わらなければならない(1)~小沢問題から(6)』でふれました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1405742645&owner_id=4982969
特にこれまで一度も選挙で勝てなかった民主党を責任野党まで上昇させ、代表就任後の参院選で過半数を勝ち取り、その後2年というわずかな期間で政権交代を実現させたのは、小沢さんの手腕によるところが大きい。もちろん菅さんも鳩山さんも重要な役割を果たしている。それが『トロイカ体制』であり、『国民の生活第一』というマニフェストですね。

しかし政権を勝ち取り、前に進み出すと擦り合わせ、ひとつにまとめたはずの理念や政策が、それぞれ主張を持ち始める。内部で軋轢が生まれ、闘いが始まる。闘いは排除の論理を生み出す。
世界の政治史は、こうした傾向を教えてくれる。そして歴史は繰り返す。

弘中弁護士は、記者会見の中で岩上さんの小沢さんの政倫審招致についての質問にこう答えています。
「政倫審招致を求めるなら、小沢さんの倫理違反について具体的に示さなければならないが、その具体性に欠けているのではないか」
小沢さんの倫理違反は、具体的に何なのか、菅首相も執行部もメディアも示していません。メディアの記事は推測の域に留まっています。あとはお決まりのように、自分たちが形成した世論を盾に、世論が!世論が!と騒いでいるだけです。

菅首相と執行部が示す顕著な理由はただひとつ
『通常国会の審議を円滑に進め、予算案を通すため』という一点に尽きます。
もうひとつは、理由にはならない『潔白であるなら、政倫審で答えるべきだ。国民の多くはそれを求めている』という、前々回書いた“思考後退”した『悪魔の証明』です。
この二つは、横暴の一語に尽き、小沢さんの人権を顧みることはありません。権力闘争というものはそういうものなんでしょうか。

小沢さんは、再三「党を割るべきではない。今こそひとつになり『国民の生活第一』を進めていかなくてはなない」と愚直なまでに言い続けています。ぶれていない。仕掛けられた権力闘争も避け続けている。しなやかに対応しています。

参院で問責決議が可決された仙谷官房長官は「起訴され離党した石川議員の前例がある」と明確に小沢さんに離党を求めました。
石川議員の起訴も検察の暴走によるものだが、その検察が起訴できなかった小沢さんの検察審査会による強制起訴は、石川議員の起訴と種類が違います。ここは重要なポイントですね。
岩上さんと弘中弁護士が示しているように、検察審査会の起訴事由は、平たく言えば、「検察は起訴できなかったけれど、世間が騒いでいるようだから、司法の場で審議してみてよ」というような投げやりなもので、もう少し具体的に言えば、検察の起訴事由から逸脱した理由で議決している。本来、検察の不起訴理由を審議しそれが市民の視線で見た場合、適切であるかどうかを審議し、検察の暴走を食い止めるべきものなのに、別の事由をつけて強制起訴したという、いわば新たな刑事事件を創出してしまった特殊なケースで、初めてのケースが小沢強制起訴なのだ。と弘中弁護士は言います。
弁護士の仙谷さんなら、このことは十分承知しているはずなのに、逆に利用し小沢さんを排除しようとしている。
まさに、権力闘争の様相だと感じます。

権力闘争は、相手の墓穴を掘り、失墜させ、葬り去るという側面を持つ実に陰湿で熾烈なものです。
今、小沢さんを失墜させ小沢さんの墓穴を必死に掘っているのは菅首相だということを窺い知ることができる。
しかし、墓穴を深く大きく掘るほど、その足元は崩れやすくなることは必然で歴史も証明している。やがて相手を貶めようとして自ら掘った相手のための深く掘り続け崩れやすくなった墓穴のために身動きが取れなくなることもあります。

僕はツイッターで、「菅と執行部に政局の舵取りをする力はなく、小沢排除を進めるほど沈没の航海に向かう」と書きました。「政局を握ってるのは、むしろ小沢で小沢が政局の舵取りをするだろう。小沢が動いた時、これまでの状況が変わる」という主旨のツイートをしました。
少しその頃の僕のタイムラインを紹介します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(引用開始)
rsmoon C-moon
政倫審の委員を差し替えたり、強硬採決したりして、墓穴を掘るのは菅だと思う。証人喚問、離党勧告という言葉が菅から出たら、終わるのは菅。それは、小沢さんと菅の求心力の違い。大きな差がそうさせると思う。また、小沢さんは政局を作れるが、菅は作れず呑まれるはず。
12月20日

rsmoon C-moon
「潔白なら政倫審に出るべきだ」と思い始めた時、思考は停止するどころか後退を始める。見えるものが見えなくなってくる。
12月20日

Rsmoon C-moon
菅は今、必死に小沢さんの墓穴を掘っているが、深く掘れば掘るほど足元が崩れやすくなり、そこに堕ちるのは自分自身だということに気付いていない。そう遠くないうちに、「墓穴を掘り過ぎて死す」という諺が生まれ、やがて故事となる。憐れ!菅。
12月20日

rsmoon C-moon
だから小沢さんは狙われ、貶められますね。属国権益者たちによって。RT @shouhyou1 属国化を阻止できるのは、小沢さんだけ@rsmoon 「潔白なら政倫審に出るべきだ」と思い始めた時、思考は停止するどころか後退を始める。見えるものが見えなくなってくる。
12月20日

rsmoon C-moon
政策は誰でも作れるが、政局を作るのは並大抵ではないですね。RT @tutinoue政策を突き詰めると、政局になるからRT @jyusoukuushin 「小沢は政局を作れるが菅は呑まれる」とは言いえて妙。@rsmoon政倫審の委員を差し替えたり、強硬採決したりして~ .
12月20日

rsmoon C-moon
小沢さんの政倫審問題について郷原さん「被告になるのが確実な人を呼び出すのはおかしい。政倫審が開かれても、小沢氏は質問に答えようがない。それなのに黙っていると不利な印象を国民に与え、刑事裁判にも影響する」(東京新聞)
12月21日
(引用終わり)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

僕がこのように書いたのは、双方が墓穴を掘っているか、掘っていないかによる。
菅さんは総理に就任以来、明確に小沢さんを挑発し、小沢さんの墓穴を掘ってきました。代表選に勝ってからは、目に余るものがあります。自民党の派閥争いでも、水面下ではいずれにしても、これほど露骨だったことは、それほどなかったのではないかと思う。
一方小沢さんは、その打たれ強さと、これまで難所を走り続けた自信と実績がそうさせているのか、自然体です。菅首相の墓穴を掘っているようには思えない。少なくても表面化していません。

しかし、ついに小沢さんが動きました。自ら政倫審に出席すると28日に発言したのです。その会見のノーカット映像とテキストを岩上さんのオフィシャルサイトから転載します。
http://iwakamiyasumi.com/archives/5314

小沢さんの発言の中で重要なポイントはこの2点です。小沢さんが記者に配ったメッセージの中のその部分をそのまま転載します。

(転載開始)
“第一点目として、常会において私が政倫審に出席しなければ国会審議
が開始されないという場合、すなわち、私が出席することにより、予算
案の審議をはじめ、国会の審議が円滑に進められるということであれば、
常会の冒頭にも出席し、説明したいと思います。
第二点目は、私が政倫審に出席するかどうかということが、国会審議
を開始するための主たる条件ではないということであれば、国民の生活
に最も関連の深い予算案の審議に全力で取り組み、その一日も早い成立
を図らなければなりません。
したがって、私はこの場合には、予算成立の後に出席したいと考えて
おります。“
(転載終わり)


菅首相と岡田執行部は、まさか小沢さんの政倫審出席を想定していないほど、先が読めない無能だとは思いませんが、小沢会見後のあわてぶりと、さらなる強硬発言は、正直に言って呆れ果て、さらに人間性の欠如を感じさせました。ここでも権力闘争の様相です。
小沢さんの出席を、条件付きだと非難し、通常国会前の無条件出席を迫ったのです。そしてメディアも同調しました。メディアが書けば、多くの国民も同調する。これが日本の世論の思考停止、思考後退の現実です。小沢さんの人権はますます損なわれる。

小沢さんの発言から、強い意志と深い意味が読みとれます。
菅首相と執行部は、政倫審に出席すれば証人喚問は求めないと繰り返してきました。つまり小沢さんは、政倫審出席で、証人喚問に応じないという強い意思表示をしたのです。約束を公に取り交わしたと言ってもいいでしょう。
これで菅首相と党執行部は、政倫審での説明責任以上のものは求められなくなりました。
さらに、政倫審招致を求める理由が、国会審議の円滑化するため、次期予算案を通すためというものです。
これに小沢さんは、条件をつけるようなかたちで受け入れました。小沢さんが受け入れ政倫審に出席すれば、国会審議の円滑化と次期予算案成立の責任は、菅首相に求められます。小沢さんに求めることは、これまでの言動から不可能です。
ここで問題なのは、野党が小沢さんを政倫審出席ではなく、証人喚問を求めているということです。菅首相と党執行部は、小沢さんの政倫審出席で、小沢さんに証人喚問招致はできなくなります。公言していたわけですから、変節したらそれこそ首相と執行部の政治倫理を問われます。
菅首相も党執行部も、今身動きできない状態に陥ったばかりか、国会審議の円滑化と予算案成立が、政権の存亡の条件になりました。
しかし、野党が証人喚問を求めている以上、国会の審議はスムーズにいかない。菅首相は打つ手がなくなり、参院で問責決議が可決するのは必至の状況に追い込まれました。

相手の墓穴を深く、広く掘れば掘るほど、足元は崩れやすくなる。いずれ堕ちることがあるかもしれない……

昨日、小沢さんは、菅首相と党執行部とメディアが求めた、通常国会前に政倫審に出ることを決めたようです。

小沢さんはますます身軽になり、菅首相と党執行部は、重いものを背負うことになりました。
政局を自らの手にしようとした菅首相は、今のところ舵取りができていないばかりか、ますます身動きが取れなくなり、政局に呑まれています。それを打開するための内閣改造が注目されます。
「こんなはずではなかった」と菅首相は思っているでしょう。内閣改造も思うままにできなくなりそうです。
もし、菅首相に国民を護らなければならない、という強い気持ちがあるなら、内閣改造と党執行部刷新を図り、政権交代を果たした頃の、挙党態勢にすべきです。政治の世界は、一寸先は闇で、今後何が起こるか判りませんが、今、菅さんがすべきことは、挙党態勢を確立させ、『国民生活第一』のマニフェストに還ることだと思います。
もしできなかった場合、これまで民主党を支持していた人たちの半数以上は、菅政権を間違いなく見離すでしょう。




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4 コメント

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疎通 (すかぶら)
2011-01-01 09:59:37
狂った人達には、
(仁)と云う言葉は通じぬらしい。
返信する
欠如 (C-moon)
2011-01-01 10:00:27
すかぶらさん♪>

狂った人たちには、知も血も欠如しているみたいです。

返信する
映画『コンドル』 (リョウ)
2011-01-01 10:01:25
前回の日記で
>「ニュース・メディアは権力の監視者であるべきだが、
  彼らはむしろ、権力の番犬のように振舞っている」

これが日本のマスメデアの実態でしょうね、今回の小沢問題でそれらのことが

ネット界で露呈されようとしています、戦後から日本にジャーナリズムは

表立って存在してきたのでしょうか?日々の事件などは報道されますが

それは報道で政治や権力を監視して巨悪を暴き立ち向かう、

欧米では自由民主主義国家におて三権を監視する第四の権力と言われてるジャーナリズム

本来ジャーナリズムとはその精神に基き報道がなされるものを云ものだと思っていたのですが

この日本ではそうではなかった、この実態をC-moonさんの多くの資料に基き書かれた

日記を読み実感いたしました。


シドニー・ポラックが監督したロバート・レッドフォード主演の映画『コンドル』(1975)
CIA内部情報部で大量殺人あり偶然生き残った局員(ロバート・レッドフォード)が
CIAの陰謀を暴きラストCIAの幹部とニューヨークのストリートで
対峙します、CIA幹部はもうお前には用はなくなった、
何も言わずに去れといいます、
局員はもう遅い、今全部ニューヨークタイムズに話してきたと言います
幹部は明日の新聞に載ると思ってるいのか?と脅します、レッドフォードは載る
載らなければならないと言い、去っていくところで映画は終ります。

http://www.youtube.com/watch?v=bc2-fNj4t1M&feature=related

アメリカのジャーナリズムは健在なのか?とこの映画は問うて終ります。

私はこのような問題の時に何故かこの映画のことを一番に思い出します。

この一年C-moonさんの政治日記を読まさせていただき、大変なエネルギーが使われているな~と感じています。
なんて言ったって読む方も大変で(笑)その10倍いや
100倍のエネルギーが費やされてることを、
読みながら実感してる一人です。

今年大変お疲れ様でしたそして、社会に目を向けさせてくれた日記に感謝いたします。

ありがとうございました。

楽しいお正月をお迎えください。
返信する
事実不在 (C-moon)
2011-01-01 10:02:45
リョウさん♪>

明けましておめでとうございます。
昨年はたいへんお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。

日本のニュース・メディアの一番ダメなところは「事実を伝えないこと」だと思います。これはもう致命的ですね。一番社会から要求されていることを果たしていない現実。これでは致命的な世論しか形成しません。
個々には優れたジャーナリストが、戦後たくさん現れていますが、組織としてのメディアで考えると役立たずもいいところで、それでもベトナム戦争が終わりしばらくは、個々の優れたジャーナリストも所属するメディアが、スター記者として社も自ら囲いみたいなものを取り払って、活動を許していた気風があったのですが、冷戦崩壊の頃から、その気風も閉じてしまいました。
現在、事実を伝えているのは、写真、映像も含めてフリーランスのジャーナリストしか残っていないと思います。そして今や、ネットが、特にツイッターが事実探求の検索的な役割を果たしていると実感しています。ツイッターからどこでも行けるんですね。
嗅覚と視線さえ確かなものを持っていれば、ツイッターを起点に事実を掴むことができると思います。
たぶん、ネットから情報を得ていない人は、時事では圧倒的に遅れていると思います。つまり、事実を知らないまま政治や経済、社会を眺めているわけで、自分が所属している分野では、事実を実感できるけど、他の分野での事実は、ネットを活用しない限り、すぐさま伝わってこないと思います。

そして、こうした事実情報の乖離が進んでいることをもっとも知らしめたのは、仰るように小沢問題ですね。
小沢さんを理解している人は、ネット利用情報取得者の中にしかいないんじゃないかと思います。そのくらい乖離していると実感しています。
そして既存メディアが社会にいかに害悪を与えているかもネット上で実感できます。

ジャーナリズムを徹底的に崩壊せしめる最初のインパクトは、やはりロッキード事件の報道ではないでしょうか。
中学生でしたから、リアル感はなかったのですが、学生の頃『大宅壮一文庫』や大学の図書館で当時の報道を調べてみると酷いものばかりで、どちらかと言えば、事実に即して書いていたのは、週刊誌でした。
もちろん、ダメな週刊誌はダメでしたけど。
やはり、新聞でもテレビでも週刊誌でも、記者によるんですね。
今は期待値を満たしているメディアはなく、フリーランスが期待値を満たしているだけかもです。

それはそれとして、『コンドル』。大好きな映画なんですよ!この映画のこのシーンを見て、黒いPコートを買いました♪
先日着ていったあのPコートは、3代目です!
それにしても、ブルーのシャツがこれほど似合う人は、R・レッドフォード以外見当たりません。僕はブルーが似合わないので完全コピーできませんでしたが、憧れましたね~♪

この頃のアメリカのメディアは、実は大スクープの連続でした。
WP紙の若き記者二人が、ウォーターゲート事件を明らかにし――映画では『大統領の陰謀』76年――ニクソンを辞任に追い込み、少し前になりますが(72年)、NYタイムズが、『ペンタゴン・ペーパーズ』という題名でペンタゴンのベトナム秘密報告を暴き、アメリカの汚い戦争を内部から告発しました。
一昨年亡くなったデイビッド・ハルバースタムというNYタイムズ記者は、あまりに鋭いベトナム戦争記事を書くので、あのリベラルなケネディ大統領からNYタイムズに「何とかしろ」と苦情が来るくらいの人で、70年代、80年代も第一線で大活躍するという記者でした。

それでも、『コンドル』のような映画が生まれるのは、アメリカのジャーナリズムは、日本のジャーナリズムよりもはるかに高いところにあることを物語っているのだと思います。
何が基本的に違うかと言えば、個人主義がジャーナリストに徹底しているからだと思います。メディアという組織に属していても、扱いも待遇もその姿勢もフリーランスみたいなもので、ヒットする記事を書かなければ、存在理由をたちまち失ってしまいます。
クラーク・ケントみたいな記者はすぐ首になってしまう(笑)

また社会もそれを求めているし、良い意味でも悪い意味でもアメリカの正義感は、日本の正義感よりも強いものがあり、支持も広くされるんでしょうね。そこにヒットできない記者は、アメリカでは使い物にならないみたいです。

それから、今年からは、読んでいただいているマイミクさんたちのエネルギーを消耗させないようなるべく短く、もっと解りやすく書くよう努めたいと思います(笑)
でも、治りそうもないので(致命的ですね……)短く連載を政治記事だけではなく考えています♪

このように努力しますので、今年もよろしくお願いいたします。

返事も長いですね(苦笑)
返信する