ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

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女子ガイコク人列伝(第35話)マリー・アパッチェ

2009年01月15日 07時49分19秒 | 女子ガイコク人列伝
1979年10月18日生まれ、メキシコシティ出身。160cm、80kg。(得意技)みちのくドライバー2、トペ・コンヒーロ、パワーボム
 本名マリエラ・バルブエナ・トーレス。AAAで活躍するアパッチェの長女として生まれ、95年にデビュー。AAAではマスクウーマンのラヴとして活動していたが、98年1月に私がメキシコでトライアウトして日本行きを決めた。これはアパッチェの推薦もあり「私の娘を見てほしい」と頼まれたから。ちょうどアルシオンの旗揚げ目前であり、新戦力にはもってこい。ヒムナシオ(ジム)で初めて見たアパッチェ姉妹は素質も十分。リング内からトペを決めて見せたが、もちろん場外マットなんかない。妹のファビーと共にいきなり日本に行くことになった。
 98年3月に初来日してからは、アルシオンの一員として道場暮らしが始まった。非凡な才能を発揮したマリーは、がっちりした体型ながら、器用にムーンサルト・プレスやトップロープ越えのトペ・コンヒーロも難なくこなしたのには驚いた。日本の生活がよほど合ったのだろうか、マリーはそれから約4年間も滞在した。00年3月15日には後楽園ホールで、チャパリータASARIを下し第2代スカイハイ・オブ・アルシオン王者に君臨。実力者マリーがようやく開花した。ファビーとのアパッチェ姉妹はまるで女版ドクトル・ワグナーJr&シルバー・キング。パワフルでかつルチャのテクニックに溢れており、強さも十二分だった。とにかく私はアパッチェ姉妹と、浜田文子、AKINO、藤田愛が絡む試合を好んで組んだものだ。あのキャリアでスーパー・テクニック合戦は、ある意味で私の誇りでもあった。
 マリーは1度だけ長期でメキシコに帰った。妊娠してしまったから日本に来れなくなったのだ。相手は某日本人レスラーとだけ言っておこう。02年に再びやってきたマリーは一回り大きくなり動きは落ちていたが、何カ月か滞在しているうちにすっかり回復。特にAKINOとの一戦はいつ見ても素晴らしいルチャを展開した。02年7月に帰国したが、マリーは頭のケガでリタイアした形になった。「手術代がないので助けてほしい…」と電話が掛かってきたが、その当時はこちらも火の車状態。何もしてあげることは出来なかった。
 それから4年が過ぎ、06年9月に私が5年ぶりにメキシコに行ったが、そこでマリーと久しぶりに対面した。ファビーに連絡すると、マリーがホテルまで訪ねてくれた。この時、長男のタカフミ、長女のナツミを連れてきた。ナツミの顔はまさに日本人そのもの。マリーはすっかり巨漢になり、「レディ(アパッチェ)に頼んでCMLLに出たいと思っている」と言っていたが、復帰したのはそれから1年後。07年11月、AAAのビッグショー「ゲラ・デ・ティタノス」だった。いきなりAAAミックスト・タッグ王座を奪取(パートナーは父アパッチェ)してしまった。しかも妹のファビーとは髪の毛を賭けた抗争まで勃発してしまったのである。「結婚式やパーティーのプロデュース業を行っている」と言っていたマリーだが、やっぱりルチャが恋しくなったのか。頭部のケガは手術を行い、主治医にルチャ復活の許可は得ているそうだ。

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