こもれび

悩み多き毎日。ストレス多き人生。でも、前向きに生きていきたい。だから、自然体で・・・

諏訪敦 眼窩裏の火事

2023年02月10日 | Weblog

2023年2月26日まで、府中市美術館で「諏訪敦」の展覧会が開かれている。どれもこれも精密に描きこまれている。これまで写真のような絵を見る機会はあり、その度に、なぜこれは「絵画」でなくてはいけないのだろうと思ったことが何度もあった。膨大な時間を費やして描かずとも、写真ならば一瞬で切り取れるのにと。

でも今回、諏訪敦展をみて、「描く」ということの意味が少し分かったような気がした。彼の祖母をテーマにした<棄民>シリーズは圧巻だった。祖母は太平洋戦争終結直前の1945年の春に満州に渡るも8月にはソ連兵に捕らわれ、難民収容所に送られる。そして、その冬に栄養失調と発疹チフスにより亡くなってしまう。

この祖母を描いているのだが、膨大な資料を読み込み祖母のたどった足取りを追体験し、それを「描く」のだ。まず、旧満州の雪の大地に横たわる若く美しい祖母の裸婦像を描き、それを徐々にやせ細らせ(栄養失調のため)そこにチフスの症状を描き加えていくのだ。そうして最終的には、朽ち果てた女性の姿が大地に捨てられている。なんという膨大な時間と労力を費やして描かれた絵であろうか。ただただ茫然と立ち尽くしてしまった。

他の絵もそれぞれにストーリーがあり、見ごたえのある展覧会であった。


雲ノ平と高天原温泉

2022年08月10日 | Weblog

行ってきました。念願の雲ノ平と高天原温泉。



折立--太郎平小屋--薬師沢小屋(泊)
薬師沢小屋--雲ノ平--高天原温泉--高天原山荘(泊)
高天原山荘--岩苔乗越--鷲羽岳--三俣山荘(泊)
三俣山荘--三俣蓮華岳--双六岳--双六小屋--鏡平山荘--新穂高温泉

1日目に雨に降られるも、めげずに薬師沢小屋まで。途中でキヌガサソウが雨に濡れて素晴らしくきれいに咲いていた。写真では見たことがあったが、実際に目にするのは初めて。嬉しかった。この日一番のご褒美。



2日目は晴天。憧れの雲ノ平。アラスカ庭園からは、水晶岳、黒部五郎岳、笠ヶ岳、槍ヶ岳、そして薬師岳と百名山のオンパレード。雲ノ平山荘のテラスで、素晴らしき山々を眺めながら静かにコーヒーを楽しむ。なんという贅沢!



高天原では野趣あふれる素晴らしい温泉に浸かり、しばし疲れを忘れる。



3日目は高天原からのつらい登りを経て、鷲羽岳に。さすがの百名山とあって、眺めも山容も一級品。三俣山荘の背後にどっしりと座っている。ここからの槍ヶ岳の眺めも最高。



さて、最終日。三俣蓮華岳と双六岳からの絶景を堪能した後は、長い長い下り。これまでの疲れが一度に押し寄せてきた感があったが、頑張るしかない。



新穂高温泉からタクシーで平湯温泉まで行き、ここでひと汗流し、あとは高速バスで新宿まで熟睡。夢のような4日間。今度は何時来られるだろうか。


平標山

2022年07月14日 | Weblog

高山直物を探して平標山に行ってきた。三国峠から登り、三国山、大源太山と歩いて平標山の家に宿泊。ここの小屋番さんはなかなか揮っていて、電気はない、ペットボトルの飲み物は置いていない。とても環境に優しい生活をしている。この環境で育っているので、特に不便は感じないとのこと。素晴らしいと思った。


翌朝、ガスガスの中出発。でも、だんだんガスも雲もなくなり、青空も見えてきた。さてお目当ての高山植物。あるはあるは。物知りの同行者にその名前を沢山教えてもらった。

ニッコウキスゲ、シモツケソウ、チングルマ、ゴゼンタチバナ、ハクサンフウロウ、ハクサンチドリ、ウツボクサ、コバイケイソウ、ウラジロヨウラク、カラマツソウ、ハクサンイチゲ、ダイモンジソウ、ヨウラクツツジ、タニウツギ。

一度に覚えきれないが、そんなことにはお構いなしに、可憐な命を精いっぱい謳歌していた。本当にきれいだ。温室のランより私は好きだ。



平標山は、上の方に行けばなだらかな歩きやすい山だが、下の方はなかなか手強い山だ。地獄の階段が続いている。その下山途中で山小屋で一緒だった二人を追い抜いた。下山後の温泉でまた一緒になった時に知ったのだが、女性は80歳。一緒に歩いていたのはおそらく息子さんと思われる。私が80歳になった時、あのような歩きにくい登山道を元気に歩いていられるだろうか。



こんな道ばかりだったら本当に嬉しいのだが。

ヒメサユリ

2022年07月14日 | Weblog

ヒメサユリに会いに浅草岳に行ってきました。天気予報は雨。でも、民宿での朝は曇り。時々、日が差して一同「登れそうじゃない」と思い始めました。

民宿から車で登山口まで数十分走り、皆、ヒメサユリを期待して登り始めました。ところが、1時間もするとポツポツ雨が落ちてきましたので、とりあえず雨具を身に着け歩き続けました。だんだんひどい降りになり、そのうち土砂降りになりました。もうじき小降りになるんじゃないとお互いに励ましつつ登るも、いっこうにその気配なし。相当な急こう配を登り終え、頂上近くの緩やかに道になると、現れましたヒメサユリ!


よく来たねと、励まされた気がしました。そのまま頂上まで行くと、たくさん群れて咲いていました。良かった良かった、ヒメサユリに会えたね。という間もなく、今度は雷。ドドーンとどこかに落ちた様子。でもそんなに近くはない。とはいえ、山での雷は相当怖い。急いで引き返していると、もう一度、ドドーンと落ちる。くわばらくわばら。せっせと下山開始。その下山道が川と化していて、段差の大きいところは滝になっているのです。登山靴の中にも雨が入り、這う這うのていでやっと林道までたどり着きました。ところがところが、その林道に山からの雨水が滝のように流れ込んで渡るのに一苦労。


何とか駐車場までたどり着きました。でも、たくさんのヒメサユリに会えて、満足の山旅でした。


篁牛人展 at 大倉集古館

2021年12月26日 | Weblog

今、大倉集古館で篁牛人展が開催されている。「篁牛人(たかむら ぎゅうじん)」の名前は、今回TVで紹介されるまで全く知らなかった。富山出身であり、富山市篁牛人記念美術館がある地元では知られているものの、それ以外ではほとんどその名前は知られていないようだ。どこの美術団体にも属さず、特定の師もおらず、生涯孤独と酒を愛した異色の水墨画家・牛人。生誕120年記念として、大倉集古館で展覧会が開催されていると聞き、出かけてみた。

まず度肝を抜かれる。その迫力。その熱気。「渇筆」という独特の筆使いで麻紙に擦るようにして描く。作品の大きさにも圧倒される。

富山県立工芸学校を卒業後、工芸作品の図案を制作し商工省工芸展などで受賞を重ねるも、画家になる夢を捨てきれず、戦後復員してから画業に専念する。しかし、当時の画壇には認められず、苦しい放浪の旅をし、その後パトロンを得た牛人は、再度、大作に挑戦する。篁牛人記念美術館には700点ほどの作品が残されているようだ。その中から、大倉集古館で60点近くが展示されている。

テレビで紹介されたからだろうか、かなりの人で賑わっていた。これまで注目を浴びなかったのが不思議なくらい素晴らしい作品の数々。今回の出会いに感謝したい。


小松由佳 写真展 「シリア難民 母と子の肖像」

2021年12月15日 | Weblog

銀座の富士フォトギャラリーで小松由佳さんの写真展が開かれている。

彼女の本、『人間の土地へ』 を読んで、なんてすごい人だろうと思っていたところ、写真展が開かれると聞いて、早速行ってきた。ご本人は一見、とてもかわいらしい人だが、やはり、これだけの人生を送ってきただけあって、キッパリ、ハッキリしていて、強さを感じた。写真展は次々に訪れる人たちでかなり賑わっていたので、あまりゆっくりお話しする時間がなかったが、シリア人の夫を持つ小松さんしかできない仕事を、これからも続けてほしいと思った。

難民たちの明るい面と、重く暗い苦渋に満ちた毎日とが展示されていて、心を打たれた。そして私たちに何ができるのだろうと考えさせられた。受付にシリア難民の生活支援カンパの箱があったので、気持ちだけだが、千円札を入れてきた。

思っていたより長い時間写真を見ていたので、帰り道で遅いランチを食べようと、近くのカフェに入った。どうやら行列のできる食パン専門店が経営しているカフェらしく、サンドイッチの値段が高いので驚いた。途中でやめますとも言えず、そこで昼食を済ませた。もちろんとても美味しかったが、カンパの金額の倍ほどの額を支払い、なんだか複雑な気持ちになった。住んでいる世界が違うとかたずけていいものだろうか。

小松さんのプロフィールは自身のHPで次のように紹介されている。

「ドキュメンタリーフォトグラファー。1982年秋田県生まれ。山に魅せられ、2006年、世界第二の高峰K2( 8611m / パキスタン )に日本人女性として初めて登頂。植村直己冒険賞受賞。やがて風土に生きる人間の暮らしに惹かれ、草原や沙漠を旅しながらフォトグラファーを志す。2012年からシリア内戦・難民をテーマに撮影。著書に『オリーブの丘へ続くシリアの小道で~ふるさとを失った難民たちの日々~』(河出書房新社/2016)、『人間の土地へ』(集英社インターナショナル/2020年)など。
2021年5月、第8回山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞。」

エデュケーション--大学は私の人生を変えた  by タラ・ウェストーバー

2021年12月13日 | Weblog
衝撃である。これがノンフィクションとは信じがたい。あまりの衝撃で時々本を閉じた。読み進めるのが苦しかったからだ。この話が19世紀の出来事ならば、そんなこともあったのかと読み終えたと思う。しかし、この著者は1980年生まれで、私の長女と同い年である。

著者はタラ・ウェストーバー。彼女自身の半生を描いたノンフィクションである。国家を全く信用していない極端なキリスト教徒の父(本書の中で精神的な問題があるのではと示唆されている)のもとで、7人兄弟の末っ子としてアイダホ州に生を受ける。学校にも病院にも行かせてもらえず、出生証明書さえもない。父や兄に精神的にも肉体的にも暴力を受け、それでも家族の一員でいることに多大な努力をしながら、壮絶な子供時代を送る。壮絶すぎて時々本を閉じざるを得なかった。

そんな彼女が自分で学ぶことを始め、大学入学検定試験に合格する。そこから、父がこれまで家族に押し付けていた世界観に疑問を抱くようになる。彼女にとって初めての学校である大学の授業で「ホロコースト」とは何かと質問をするほど、育ってきた環境はあまりにも普通とはかけ離れていた。大学在学中も家族との関係に悩みながら、それでもケンブリッジ大学に留学をし、ハーバード大学で学び続ける。父親から家族を取るか学びを取るかと迫られたときに、どうしても元の異常なほどに限られた世界には戻れないと判断すると、ほとんど勘当状態になる。家族を愛しているため、そのことに発狂するほど悩むタラ。せめて母親がタラを理解してあげていたら、彼女の苦悩はもっともっと少なくて済んだはずだ。

最初はある程度の常識を持ち合わせていた母親だが、とんでもない状況下で交通事故に遭った際、病院にもいかずやり過ごさざるをえず、その後、夫の狂気に巻き込まれていく。母親ならば、もっと子供を守るべきであろう、もっと分かってあげるべきであろうと思ったが、母親は自分自身を守るだけで精いっぱいだったのかもしれない。

読み終えて、タラの父親のような人たちが今も存在していることにも驚きを覚えた。日本にいるとトランプ政権がどうしてあれほど支持されるのか不思議だが、この本を読んで、その理由が垣間見えた気もする。

読むのがつらい本だが、一度は手にする価値がある。





唐松岳・五竜岳

2021年08月19日 | Weblog

7月の末に山友と唐松・五竜岳に行ってきました。八方池山荘に宿泊し、1日目は高山植物の観賞会。ニッコウキスゲ、カラマツソウ、マツムシソウ、ゴゼンタチバナ、ハクサンフウロ、シナノキンバイ、ヨツバシオガマ、ハクサンコザクラ、アズマギク、などなど。


シモツケソウも素敵なピンクで輝いていました。


翌朝は4:30の出発です。八方池に着いたのが6時ごろ。写真でしか見たことがなかった景色が広がっていました。白馬三山の姿がくっきりと池に反映されていたのです。
朝一番のゴンドラで上がってきた人たちは、八方池に着いたのが8時ごろで、その頃は山々はガスの中だったそうです。やっぱり山は早朝に限る! ここでゆっくり朝ご飯をすませて、唐松岳に向かって出発。

時々ガスがかかったけれど、雪渓を眺めながら唐松をめざしました。

唐松岳頂上山荘はコロナで宿泊は受け付けておらず、売店だけがあいていました。ザックをデポして頂上までひと登り。山荘まで下りてきてひと息ついたら、さて、いよいよ五竜岳を目指します。ここから五竜山荘までは気が抜けません。なかなかの岩場のスリル。下を見ないで前だけを見て進みました。大黒岳を過ぎたころからは普通の山道になり、五竜山荘が見えた時は思わず顔がほころびました。途中で親子の雷鳥にも出会えてラッキー。


当初、五竜岳登山は明朝にという計画でしたが、明日はどうやら雨模様。時間もまだ1時なので、昼食を済ませてからアタックすることにしました。登り1時間、下り40分。なかなか手ごわい山でした。スリル満点。片側が切れ落ちているのに鎖がついていないところを登るときに、帰りはどうやって降りるのかな?と思いつつ、ひたすら頂上を目指す。もうすぐもうすぐと言い聞かせつつ、やっと頂上にたつも、残念ながらガスガス。でも時折晴れて、はるか下の方に五竜山荘が見下ろせました。

タップリ充実感を堪能して、さあ下山。さっきの所はどうだろうかと思いつつ降りていくと、階段状の足場が思ったよりしっかりしていて、岩に寄り掛かるようにして下りればさほどの怖さを感じませんでした。それにしても五竜岳は登りがいのある山。さすがの百名山です。

夕食後、小屋から外を眺めると、夕焼け空に巨大なゴジラが浮かび上がり、山々をひと飲みにするようでした。

翌日は雨がパラパラ来るも、アルプス平まで下りるだけと気が楽です。振り返ると昨日登った五竜岳。圧倒的な存在感で晴れ間にそびえています。


下山は西遠見山、大遠見山、中遠見山、小遠見山と越えて地蔵の頭、そしてアルプス平駅。駅の周りは高山植物園になっていて、見事な花々が競い合って咲いていました。ありがとう。アルプスの山々、高山植物の花々、そして雷鳥の親子。八方池の絶景と岩場のスリルを堪能し、圧倒的な五竜岳に感銘を受けた山旅でした。


華氏451度 by レイ・ブラッドベリ

2021年08月15日 | Weblog

1953年に書かれたSF小説「華氏451度」を読んだ。華氏451度とは、この温度で書物の紙は引火し燃えるということのようである。近未来のディストピア(ユートピアの反意語)を描いていて、本を読むことだけでなく、本を持っているということだけで罰せられ、あらゆる本は密告によって燃やされる世界だ。「消防士」は火事を消すのが仕事だが、このSF物語の中では「消防士」は昔々に存在した職業で、今は「昇火士」がケロシンで家ごと本を焼いてまわる。

この物語が1953年に出版されたということが、私にとっては驚きだった。先見の明に脱帽である。

ラジオやテレビの普及で、人間は物を考えることをしなくなり、だんだんと要約、短縮、省略して、込み入った考えは遠心分離機ではじき飛ばしてしまう。その結果、本は無用の長物、いや有害にさえなる。そして、権力者に強いられるまでもなく、大衆は本を燃やすことに走るという設定である。1953年当時はインターネットもSNSもなかったのにである。

昨今では、SNSなどの発信においては、文章が短く、丁寧な説明もなく感情をそのままむき出しでぶつけることが多いような気がするし、私自身、テキストメッセージでやり取りするときは、長い文章を書くのを面倒がり、果ては絵文字でやり取りすることも多々ある。そんな今だから、「華氏451度」は真に迫る思いがする。若いころに比べて物事を短絡的にしか考えられなくなっている自分に気づき始めているからだ。これは年齢のせいではない。テクノロジーの発達が社会にもたらした負の一面であると思う。

でも、著者は1953年にこのメッセージを発している。驚きだ。この物語は出版当時より、今こそ読まれるべき本だと感じた。

北岳と小太郎山

2021年07月23日 | Weblog

山梨百名山登頂を目指している山友から、小太郎山に行かないかと誘いがありました。「いいね」と答えてから調べてみると、小太郎山のすぐ隣は日本第2の高峰、北岳です。私はまだ北岳に登ったことがありません。ここまで来て、北岳に行かない理由はないでしょう。

ということで、広河原から大樺沢、八本歯のコルを経て北岳山頂に立ち、肩ノ小屋で1泊。翌日、小太郎尾根分岐から小太郎山をピストンし、草スベリを通って広河原に下山しました。



なんといっても山小屋泊の醍醐味は夕焼けと朝焼けです。夜には天の川も綺麗に見えました。小屋からは朝焼けの富士山のシルエットだけでなく、正面に甲斐駒岳とその奥に八ヶ岳が見事に姿を現しました。仙丈ケ岳もすぐ隣に鎮座していました。大自然に囲まれて至福のひと時です。

さて、2日目。小屋から20分ほどで小太郎山分岐です。上から見下ろすと、小太郎山はすぐそこに見えています。尾根道を少しアップダウンしていけば楽勝に見えました。ところがどっこい。破線ルートだけあって道はところどころ不明瞭。歩けども歩けども次々に小ピークが現れ、なかなか小太郎山に着きません。結局、往復で3時間半以上もかかりました。侮れない小太郎山。



とはいえ、小太郎山山頂から見る北岳は別格。大変に格好良く、なかなかの眺めでした。晴天の中にどっしり構える北岳。さすが富士山に次ぐ高峰です。反対側のバットレスの眺めとはまた違った、風格のある山容です。

久しぶりの高山で足はヘロヘロになりましたが、天気に恵まれ、山の偉大さを実感した山旅でした。



「淳子のてっぺん」by 唯川恵

2021年07月01日 | Weblog

ノンフィクションにほんの少しのフィクションを加えて書かれた「淳子のてっぺん」。読み応えのある本だった。文庫本で625ページの大作だが、あっという間に読み終えた。「エベレスト? 女なんかに登れるもんか!」という時代に、女性だけの隊で世界の最高峰、エベレストを目指した田部井淳子さんの物語だ。

今から20年ほど前にどこかの里山を歩いていた時、すれ違った人から「あら! 田部井さんですか?」と声をかけられたことがある。その時は、あら、いやだ、私あんなにおばさんじゃないし。。。と思った。地球上で一番高い所、8848メートルの山頂を女性で初めて踏破した田部井さんとは知っていたが、テレビなどで見かける田部井さんは、どこにでもいるような気のいいおばさんという感じだったからだ。エベレストと七大陸最高峰への登頂に成功しているのに驕りの欠片も見当たらない。

この本を読むと田部井さんの性格の良さと高度順化の凄さがどれほどのものかよく分かる。いたるところで泣けるし、登山の描写ではハラハラドキドキ。77才で亡くなったのだから、山から生還していることは明らかなので遭難の心配はしなかったが、あの時代の海外遠征となると、山に登ること以上に、それこそ山ほどの問題が持ち上がる。それがハラハラ、ドキドキなのである。

そして、「淳子のてっぺん」はエベレストの山頂ではない。ではどこか。思い出すだけで涙が出てくる。これからしばらくは、田部井さん自身が書かれた著作を読んでみようと思う。



可睡ゆりの園と可睡斎

2021年06月21日 | Weblog
静岡県袋井市に「可睡ゆりの園」というところがあると知った。早速、訪ねてみた。色とりどりで様々な種類のユリがワーッと咲いていてそれはそれは見事だった。咲く場所や種類によってはもう花が終わりかけているものもあったが、それでも圧倒された。白、黄色、オレンジ、うす桃色、ピンク、濃いピンク、深紅、えんじ、そして白にピンクが混じったものや、黄色の花びらがピンクで縁取りされているもの、えんじ色が黄色で縁取りされているもの等、各国の原種のユリだけでなく改良を加えた園芸品種も様々に咲き誇っている。コスモスや菜の花の丘は見たことがあるが、ユリの丘は初めてだった。壮観。

その後、ゆりの園のすぐ隣に「可睡斎」という古刹があるというので、せっかく静岡まで来たのだからと寄り道することにした。折しも風鈴祭りが開催中されていた。これがまた風情溢れて、カラフルな風鈴が風に揺られてカラリコロリと涼しげな音を立てていた。

「可睡斎」とはお寺の名前にしては一寸変わったネーミングだと思っていたら、これは徳川家康に関係があるようだ。可睡斎のHPによると、
*****家康の幼少期から長い縁を育んでいた11代目の住職は、立派な殿様になった家康に呼ばれ、城への長い道を駕籠に揺られ、謁見する際に疲れからこっくりこっくりと眠ってしまいました。あろうことか、殿様である家康と面談のその時に…。「無礼である!」といきり立つ勇猛な家臣達に、家康が発した言葉があります。「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、 和尚睡る可し 睡る可し(ねむるべし)」と申されたと言われています。 *****

このお寺の境内には、武田勢に追われた家康が、その身を隠して命拾いをしたという小さな洞窟もある。

さらにここには貴重な文化遺産がある。大東司(お手洗い)である。昭和12年に水洗式トイレとして建設されたもので、現在でも現役である。私もこの文化遺産の中で用を足してきた。なかなか興味深いお寺である。

毎年1月から3月までは、3000体ものお雛様が国登録有形文化財「端龍閣」に飾られるという。来年になったら見に来てみようかと思う。ひょんなことからいろいろ面白いものが発見できた一日だった。



「人間の土地へ」

2021年06月17日 | Weblog

心揺さぶられる本。いかに自分が小さな価値観で狭い世界に住んでいるのかを教えられた本。

日本人女性で初めて世界第二の高峰K2登頂に成功し、内戦下のシリアで暮らした女性のノンフィクション。著者はなんと我が家の次女と同い年。裏表紙の作者の写真を見ると丸顔でかわいらしい女性。この写真からは、本に書かれているような人生を歩んできたとは信じがたい。

山歩きを趣味としている私は、K2登頂という言葉に惹かれてこの本を手にした。しかし、登山の話はほんの入り口、出発点に過ぎない。K2登山の際に知り合った山の麓の人たちに魅せられ、彼女の関心は山の頂から麓の風土に移っていき、今度はカメラを手にして、中国からユーラシア大陸を西に向かって旅を始めた。

その中で、シリアの遊牧民の一家と出会う。砂漠の夕日はあくまで美しく、星々は天にきらめき、あくせく働かずとも豊かで平和な日々を送る人々に魅せられて毎年のようにシリアに通う。その家族の12番目の息子ラドワンに恋をする。ラドワンはラクダをこよなく愛しラクダの放牧を天職としていた。そのラドワンと結婚を考えるようになった時、史上最悪と言われるシリアの内戦が勃発する。

ニュースで知る内戦と彼女の視線で捉えた内戦とはまるで別世界だ。シリアの人々がなぜ政府に反旗を翻しているのか、普通の若者がなぜISに加担するのか、命からがら難民キャンプにたどり着いた人々がなぜまたシリアに戻っていくのか。同じ人間としてその気持ちがとてもよく理解できる。

私にとってイスラムの文化はとても遠いものだった。でもこの本を読むと、家から自由に出られない女性たちの生活が理解できなかったのは自分の価値観でしか物事を考えられなかったからだと良く分かった。

内戦前の静かで穏やかな生活は、砂漠で暮らす人々にとって日本では経験できない至福の時間だった。だが、内戦ですべてが変わった。シリアの徴兵制で政府軍にいたラドワンが市民に銃を向けることができず脱走兵になる。紆余曲折があり、二人は結婚を決意する。

賄賂、裏切り、逃亡、逮捕。二人を取り巻く人々にも様々な困難が襲ってくる。それらの事件を一つずつ丁寧に描くことにより、シリアという国の状況が良くわかってくる。

このストーリーは過去の話でもなく未来の話でもなく、今私たちが生きているこの時代に起こっていることで、語っているのは私の娘と同い年の女性だということに衝撃を感じないではいられない。

心揺さぶられる本。いかに自分が小さな価値観で狭い世界に住んでいるのかを教えられた本。














4歳は面白い

2021年04月12日 | Weblog


4歳になったばかりの孫が熱を出したというので留守番に行きました。コロナのため、1歳半になった妹も保育園には行けません。娘は会社を休めないというので、おチビちゃん二人をまとめて面倒を見ることになりました。

朝、機嫌よくママを送り出した二人でしたが、何かちょこっとママにお話をしたくなったお兄ちゃんが、ママ~と玄関に行ったとき、娘はすでに家を出ていました。さあ大変。ママ~、ママ~、と泣き叫ぶお兄ちゃん。どうしようもないのでしばらくほっておきました。でも、なかなか収まる様子がありません。しびれを切らしたばあばは、お兄ちゃんに言いました。「そうね。ママがいいよね。ママじゃないとだめだよね。では、ばあばは帰るね。」4歳になったお兄ちゃんですから、それは困るということが理解できたのでしょう。ピタリと駄々をこねるのを止めました。

暫く機嫌よく遊び、お昼ご飯も済み夕方になりました。熱は下がり元気が出てきたお兄ちゃんは、狭いマンションの部屋の中ではエネルギーが発散できません。そろそろヤダヤダマンの登場です。

××というビデオが見たいと言い出しましたが、録画一覧を見てもお目当てのビデオが見つかりません。困ったなと思っていると、案の定、「××が見たい。××が見たい。他のじゃ嫌だ!」と大騒ぎを始めました。困ったばあばは言いました。「〇〇くん、世の中にはね、自分の思うとおりにならないことが沢山あるの。」するとどうでしょう。私の言ったことが理解できたとは思わないのですが、ピタリと静かになりました。そして、別の番組を静かに見始めました。

4歳って面白いですね。2歳や3歳だとヤダヤダマンを貫き通していたのですが、ほんの少し相手の言い分が分かるようになってきたのでしょうか。いつもは、パパやママに甘やかされていると思えるお兄ちゃんですが、少しづつ大人になっていくようです。

1歳半の妹は、いくつかの単語が話せるようになり、かわいい盛りです。熱が下がったばかりでは公園にも行けず、狭い家の中で二人を預かるとヘロヘロになりますが、孫との貴重な時間、楽しく愉快な一日でした。



八ヶ岳ブルー

2021年02月23日 | Weblog


先週、山友2人と北八ヶ岳に行ってきた。天気は快晴。ただし風が少し強かった。1日目はゴンドラで山頂駅から北横岳まで歩き、北横岳ヒュッテに宿泊。2日目は、小屋から歩いて15分ほどの北横岳山頂から朝日を仰ごうと朝6時前に出発して山頂に来たものの雲が多く風が強く、立っているだけでも大変だった。空が赤々としてきたが、寒いので小屋に戻ろうと話していたその時、太陽が雲の間から顔を出した。その赤いこと小さいこと! まるでサクランボのように美味しそうだった。今まで見たこともない景色に驚き、寒さも忘れてシャッターを切った。



朝食を済ませてから、三ッ岳、雨池山、雨池峠、縞枯山、茶臼山、五辻、山頂駅とぐるりと周回コースを歩いた。三ッ岳の一峰から雨池山の登り口までの下りがかなり急で、雪の表面が凍ってなくて本当に良かった。三ッ岳は岩がゴロゴロのピークが三つ連なっている所だが、雪がタップリあったので夏道よりもずっと歩きやすかったと思う。



厳冬期の冬山を歩く体力はないが、雪山ハイクは大好きである。雪の白さに映える八ヶ岳ブルーは、格別に素晴らしかった。そのうえ、山頂に上がれば、近くは浅間山、赤岳、編笠岳から、遠くは南アルプス、御嶽、乗鞍、中央アルプスそして北アルプスまで見渡せる。こんな贅沢な景色はそうそう見られるものではない。なんとラッキーなことだろう。浮世の憂さをすべて忘れて、雪山を満喫した2日間だった。