rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

地図の話

2010-12-27 00:13:19 | 趣味たち
いつからだろう、地図が好きになったのは。
たぶん、5歳くらいからだ。

乗り物に乗って、何処かへ行くのは、物心ついたときから心が躍った。
自家用車、バス、電車、地下鉄。
でも、移動することが楽しかっただけ。

初めて、路線図や時刻表、地図に興味を持ったのは、5歳のときだ。
北の国から海を渡り、長い時間列車に揺られているとき、客車に掲示してあった地図を飽きずに眺めていた。
まだ文字を読むことができなかったけれど、そこに書かれているものがとても魅力的に見えた。
それ以来、年に一回は北の国に行く機会に恵まれ、自分の知識も増え、列車で移動する間中好奇心で満たされていた。
そうして、地図を広げては、列車が通過する駅名を確認し、地形の移り変わりを照らし合わせた。

大人になってからは、旅行で訪れる先々の地図を手に入れて観光し、自分の地図コレクションに加える。
国内では、街ごとの観光案内所とその街の地図があるところは、稀だ。
最近は、外国人観光客向けに設置しているところもできているだろうけれども。
いっぽう外国では、そういうところは充実していて、地図マニアにとってうれしいサービスがある。
なぜなら自分は、きちんとした地図は無論好きだが、こういう観光者向けの簡易地図がとりわけ好みだから。

自分にとっての地図は、旅の記憶を呼び起こすスイッチだったり、まだ見ぬ世界を想像する足がかりでもある。
そして、世界の広さを思い知らせてくれる師でもある。
コンパクトなその姿に似つかわしくない広く深いものを、地図は内包している。

これが、地図の姿。
地図の話である。

いまにして思い至ったこと「未知との遭遇」

2010-12-26 16:02:24 | 映画
「未知との遭遇」、家人がレンタルして来た。
時々家人は、小さい人たちに名画を見せる、なかば強制的に。
いまの映画は、速い展開と派手な演出、連続する刺激を与え続ける。
小さい人たちにしてはゆっくりとしたストーリー展開に、前半あきれ気味。
漸く主人公がデビルスタワーに出発する頃になって、本気で見始めた具合だ。

コンピューターによって、映像効果を得やすくなり、編集もし易くなった。
DVDにつける予告版などの広告効果を考えてみると、キャッチーな場面が必要なのは理解できる。
いくら娯楽を第一目的にしていても、映画の作り方がヒット確実マニュアル参照的に行われるだけでいいのだろうか?

自分は今まで、テレビで放映されたものしか「未知との遭遇」を見たことがなかった。
見るたびに、何かひっかっかるものがあって、そのもやもや感が今ひとつ掴めなかった。

主人公が、なぞの光源体に遭遇し、それからそのときに受けた強烈な何かに取り付かれ振り回されていく。
他にも似たような体験をし、一様に頭に湧き起こるイメージを絵や形に定着する執念を持つ。
彼らは、抑えきれない衝動で、本来持っていた環境や人間関係を破綻させてしまう。
ある日、一地域が非常事態宣言を受け封鎖されるニュースが、テレビに映し出される。
そこには、あの異常体験をした人たちのイメージ物=デビルスタワーを映していた。
より強い言い知れぬ衝動に駆られるものが、さまざまな障害を乗り越えて核心に向かっていく。
途中で諦める者は、衝動が弱かったのだ。
デビルスタワーで待ち受けていたものは、光の正体・UFOと確信を持った科学者や機密関係者だった。
主人公=導かれし者、科学者=予見する者は、同じくUFO=導く者・核心を見ている。
主人公は、躊躇なく向こう側に踏み出す。
科学者は、核心を掴みながらも留まる。

この流れと構図が、自分を苦しくさせた正体だった。
何かを極め得ようとしたら、全ての重力を振り切らなければならない。
それをするための強い衝動は、誰にでも訪れるものではないし、その先には幾重にも乗り越えなければならない障害がある。
また、時の運も関わってくる。

スピルバーグが何を意図していたのか、本人に尋ねなければ分からない。
新進気鋭の映画監督として活動をしているときだから、表現者としての意気込み・決意・苦悩を込めたのかもしれないし、最新のテクノロジーを駆使した新たなSF娯楽作品を作りたかったのかもしれない。

人は、自分の持つ関心事と力量で、物事を捉える傾向にあるのは、重々承知しているつもりだ。
勝手に作品を解釈するのもされるのも好まないが、「未知との遭遇」が、自分の気持ちを分かりやすい形で提示してくれたように、この作品を見ての今までのもやもやの正体が、すとんと腑に落ちた感じを抱いたのは、紛れもない事実である。

命の誕生は、誉むべきかな

2010-12-25 00:51:51 | 随想たち


サンドロ・ボッティチェリの「神秘の降誕」。
金色の雲を背景に歓喜に踊り、互いの肩を抱き合って祝福を分かち合う天使たちがいる。
中央には、聖家族と三方博士たちがいる。

ボッティチェリは、ルネサンスを代表する画家の一人。
しかし、この作品は、遠近法を無視して装飾的になり、ルネサンス以前の国際ゴシック様式に立ち戻っている。
あいかわらず、華麗な線と華やかな色彩は健在だが、平面的に配置された人物たちが、素朴さを演出して、親しみ易さがある。

ボッティチェリが、あの「ビーナスの誕生」や「プリマヴェーラ」の様式を捨てたのには、時代の渦に翻弄されたわけがある。
そうだとしても、時代背景や精神的変化を抜きにして絵を見ても、ボッティチェリは画家としてよい作品を描き続けた。

自分は、「マニフィカトの聖母」も「神秘の降誕」も、愛すべき作品だと思っている。
とりわけ「神秘の降誕」は、愛に満ち溢れた作品で、見ている者を清浄な心持に導いてくれる。
あの天使たちの軽やかさを見よ、命が生まれ出る喜びを表している。
だが、そこには命が免れ得ない宿命を暗示させる悲哀も描きこまれている。
生も死もともにある。
ともすると、互いの肩を抱き合っている天使は、避けようもない死を悲しんでいるのかもしれない。
生も死も、同等だと。

ボサ・ノヴァもいいけれど、ガル・コスタもね

2010-12-23 23:01:48 | 音楽たちーいろいろ
ブラジリアンミュージックのディーバ、ガル・コスタ。
ソフトだけれども張と艶のある歌声は、サンバからボサ・ノヴァ、アメリカン・スタンダードまで、見事に歌いこなす。

手持ちのアルバムは、2枚しかない。
     PLURAL (プルーラル)
     GAL    (ガル)
どちらが好きかというと、「プルーラル」。
選曲のバリエーションが豊かで、彼女の声の美しさを堪能できる。
“ビギン・ザ・ビギン”、“フォン・フォン”は、とりわけ気に入っている。
こんなに軽やかに歌を歌えるのは、ガル・コスタくらいじゃないか、と思ってしまうほど、魅せられてしまう。

現世に現れたニンフの歌声を、じっくり聴き惚れよう。



ねことの何気ない絆が、心の隙間を埋めてくれる

2010-12-22 23:19:12 | ねこ
ねこは、自分の足音を聞き分けてくれる。
ねこは、自分の運転する車の音も聞き分けてくれる。
ねこは、自分の話し声を聞き分けてくれる。

これは、何にも変え難いねことのつながりを確信させてくれる。

辛く、全てのことを自分から遠ざけようと甲殻を纏っていたとき、ねこの存在が温もりを感じさせてくれた。
ただ庭を歩いたり、寝転びまどろむその姿に、癒された。

ねこにとってみれば、エサを与えてくれ、撫でてくれるだけの人と見ているのかもしれない。
こちらの勝手な思い込みにしても、ねこが居るだけで、何かしら幸せのひとかけらを投げかけていると思えるのだ。