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カズオイシグロ”わたしを離さないで”、美しい諦め・大きな愛

2012-06-09 00:28:30 | 本たち
この本は、ゆっくりと噛み締めながら読む本だ。
淡々と静かに語られる物語の底には、驕れる人のエゴイズムとそれに翻弄される弱者の悲哀が入り混じり流れている。

人が人を搾取するのは、形を変えて有史以来続いてきたこと。
人は労働をする家畜と同じものとして、強き者に扱われてきた。
その命は、支配するものの手中に握られ、簡単に奪われもした。
強き者が、その命を永らえる道具、体の部品とみなして、弱きものから体の一部を取り上げることが、陰で行われていることを聞いたことがあるだろう。
人身売買、臓器売買がそれにあたる。
弱き者にも、それぞれの人生と心があるにもかかわらず、それは無視されて。
今日、iPS細胞から、肝臓を生成することができたとのニュースがあったばかり。
人クローンや人身・臓器売買が倫理的でないための、活路なのだろう。

この物語は、人クローンが臓器移植のために作られ飼育され、そのやりきれない哀しさを描いている。
人クローンは、存在しないもの、人格を認められない臓器の器として、社会と隔離されていた。
でもやはり、心はあるし、個人個人で個性も違う。
隔絶された施設の中でも、社会生活を営み、複雑な人間関係だってある。
生きたいと願うのだ。
体は、生きようと抵抗するのだ。
人を愛する心を持つのだ。
しかし、幼い頃よりの環境と教育で植え込まれるものは、時限装置のように発動する。
悟ったように、自らの臓器を差し出す、臓器提供が使命と。

強者の論理で、周りのものを作り変え支配するのは、驕り以外の何ものでもない。
かといって、不完全な人間が作る社会は、どうしても不完全なままだろう。
何処に折り合いをつけていけばいいのか、何を理想とすればいいのか、分かることは難しい。
物事には側面があり、それに泣く人も必ずいる。
八方丸く収まることなどできはしない。
知らなければ、それに拘泥することもなく。
知は、人生を面白くもするけれど、辛く苦しいものにもするから。
だから、人は諦めを身につけるのだ。
それこそが、過酷な人生と折り合いをつける唯一の手段として。

諦めは、究極の自己救済となりえるのか。
キャサリンは、全てを失った今、透徹な諦めを持って、彼岸へと旅立とうとしている。
静かに澄み渡った海に踏み出す。
思い出の漂着物を残して。

それは、人への大きな愛なのだろうか。



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