rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

図鑑は、駆け出しの好奇心を刺激する

2011-02-11 23:53:45 | 本たち
小さい人が、「植物図鑑」を所望する。
図書館に本を借りに行ったとき、児童書コーナーで図鑑の下見をした。
植物図鑑は、4種類あった。
そのなかで、小さい人が好みそうな1冊をピックアップして、借りた。
小さい人にそれを見せたら、なんと希望通りの本だという。
しばらくは、その借りた本を見て、本当にこれでいいのだと思えるときは、買おうと約束をした。

実際、その植物図鑑は、図版も綺麗で、いろいろなアプローチの仕方で内容を構成している。
見ていて飽きないし、植物から派生・応用した知識が書かれていて、好奇心が様々な方向に伸びる可能性を誘導している。
ちなみに、その植物図鑑は、「小学館の図鑑NEO 植物」。

自分の子供の頃、図鑑や百科事典を毎日飽きずに眺めていた。
動物、植物、昆虫、恐竜、芸術・・・
今手元にその本たちはないが、子供に買った図鑑を見ると、ついつい時間を忘れて眺めてしまう。
その延長に、自然史博物館や植物園、美術館は、機会があればいつでも行きたい場所になっている。
東京国立博物館と東京国立自然博物館は、子供に体験して欲しいトレジャーハンティングのメッカだと思う。
まったくの知識がないと、ただのつまらない展示物になってしまうが、多少学校で学んだことや、日ごろ家庭で培う雑多な知識を持てば、それが取っ掛かりとなって、博物館が宝の山、好奇心を刺激するものに溢れたところだと、ワクワクしないではいられないだろう。

ヒトの4キログラムほどの脳は、未知の可能性を秘めている。
膨大な量のメモリーを持ち、それをうまく関連付け、新たな発想を生む。
基底部となる小さな情報を提供してくれる図鑑は、特に子供にとって必要な脳の栄養源であるまいか、そう思うのである。

アンドレイ・タルコフスキー、湿った森

2011-02-11 00:29:53 | 映画
タルコフスキーを知ったのは、当時傾倒していたミュージシャンのデヴィッド・シルヴィアンのソロアルバム「ブリリアント・テュリーズ」に書かれたライナーノートからだ。
そのアルバムに収録された「ノスタルジア」は、タルコフスキーの映画「ノスタルジア」に影響された・・・とあった。
曲のイメージは、鬱蒼としなくても地衣類が地面や倒木を覆い隠し、湿った森の空気が漂う・・・そんな感じ。
絵画的な色合いを帯びた曲から、タルコフスキーの映画が観るべきものと思われ、早速レンタルしてきた。

映画は、まさしくその曲が描き出したイメージそのものだった。
水が土地の建物も人も浸食し、蝋燭の火が無常を照らし出す。
いくら夢(やすらぎ)を追い求めても救われない人の心。

「サクリファイス」も観た。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「三方博士の礼拝」が、狂言回しとして使われていた。
未完成のその絵が、不気味に事の結末を暗示する。
原罪を背負った人間を贖うために磔刑に架けられる幼子イエスと、聖母マリア。
贖罪は、たやすくできるものではない。
罪なきものが、全てを投げ打って他者のために贖うからこそ意味があるのだ。
ならば、この世に生きている人が贖罪するには、どうしたらよいのか・・・

他にロシアイコンの傑作といわれる「三位一体」を描いた画家「アンドレイ・ルブリョフ」の映画もあるが、残念なことにまだ観られずにいる。
イコンに魅せられている自分にとって、「三位一体」は垂涎の的だ。
例えフィクションの要素が強くても、ロシアの大地を感じ、あの絵の生まれた空気を味わえる期待を抱いて、是非とも観てみたい。

どうも、視覚優先で判断する傾向が強いせいか、絵画的映画に魅了される。
タルコフスキーの映画は、そんな自分にとって、一枚の名画になるといえるだろう。