rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

伊藤若冲「菜蟲譜」

2011-02-05 23:42:05 | アート
「美の巨人たち」、伊藤若冲「菜蟲譜」。
伊藤若冲は、円山応挙と同世代。
時にある種の気が爆発して、時代を代表する芸術家をまとまって輩出する。
そして、孤高の、また奇想の画家を。

若冲といえば、極彩色に彩られ緻密に描かれた禽獣と植物の織り成す派手派手しい絵を思い浮かべるだろう。
しかし、「菜蟲譜」は、若冲唯一の絵巻物に、野菜や果物に始まり昆虫・植物・小動物へとモチーフが変わっていく。
その描画方法は、水墨を機軸に淡彩でアクセントと物のらしさを付け加えている。
形はデフォルメされているかと思えば、細やかに観察した特長をさらりと描く。
晩年に描かれたものだけに、力の抜けた、あるがままの生命への慈しみがにじみ出ている。

狩野派に学び、宋元画を1000点に及ぶ模写をし、ついに独自の画境にいたり、40代から堰を切ったように制作が始まる。
とにかく、世俗の欲と無縁に「絵」だけに生涯を捧げた。
絵描きにも様々なタイプがいるが、彼の住む世界は、世俗にほとんど交わるところの無い世界だったのだろう。
「画狂人」、「画聖人」といわれそうだ。
彼には何の躊躇も無く、世俗と決別する一歩を踏み出せたのだろうが、いくら恵まれた環境にあったとはいえ、なかなかできないことだ。
でも、強く憧れる世界だ。
その絵の彼岸を、我々は若冲の絵を通して垣間見よう。
花や生き物が、その命を謳歌する姿を。


リビアの古都トリポリ、黒い水の都

2011-02-05 00:07:15 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」
古代ローマより幾多の支配者を経て続く街、トリポリ。
交易に便利な地中海に面しているために、そのときどきの覇者によって統治されてきた。
街でふれあう人の別れ言葉に、「チャオ ciao」がいまだに使われている。

世界第二次大戦前、イタリアによって統治されていた新市街は、コロニアル様式の街並み。
それ以前の旧市街は、オスマン帝国により、イスラーム様式で街が作られ、古代ローマ建築の柱がアクセントに使われているのが面白い。
また、旧市街はローマ遺跡の上にあり、歴史が人口の地層を成している。

国土に、天然の川が流れていない、乾燥地帯。
石油が産出されているおかげで、街は繁栄している。
街には自動車が溢れ、街路樹を整備し、商業施設も充実している。
しかし、人が生きていくには水が必要だ。
近代化した豊かな暮らしを営むために、サハラ砂漠の深層地下水を地下に埋設した巨大パイプで国土に行き渡らせようという計画が進行中。
日本の企業が技術協力しているという。
氷河期時代、サハラが草原や森林地帯であったときに蓄えられた水だが、生活水程度なら簡単に枯渇しないだろうが、工業用水など莫大な量を使うものをはじめると、どうなるか分からない。
綿密な用途と使用計画を持って、利用して欲しい。
そして、汚水の処理にも細心の注意を払っていただきたい。
発展と経済を先行優先した経済先進国の負の遺産を、反面教師として、後世にリスクを押し付ける開発は避ける資金が、リビアにはあるかもしれないから。

それにしても、市井の人々の営みは、まだグローバリズムの波に荒らされていないようだった。
ビジネス前にお気に入りのカフェで、たっぷり時間をかけて水タバコを燻らす人。
飲酒を禁じられているモスレムに人気のシェイク店に、行列をなす人。
伝統の彫金職人が集まる界隈。
サウナで憩う人。
地域ごとの独自の習慣や文化が、どうか無くならない未来であったもらいたい。
でなければ、旅する意義が薄れてしまう。
「世界ふれあい街歩き」がなくなっては、楽しみが一つ失われてしまうから。
プルーストのように、ひたすら思い出の中の住人になりそうで、こわい。