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rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

夏の陽気に強風で花粉爆誕!

2022-03-14 22:36:57 | 日記

ミモザ


なんという暑さ!
カーエアコンの冷房を今年初使用の記念すべき日に?
そして、梅に辛夷、ミモザたちが、急な気温上昇にびっくりして、弾かれたように咲き出した。
ついにあのスギ花粉たちも濃度増し増しで飛びだし、加えて午後から北東の強い風が勢いつけてスギの木を揺さぶるからもう勘弁して欲しいところだ。
車のフロントガラスにもスギ花粉がべったりとこびりつき、ウォッシャー液とワイパーでも敵わないしぶとさ。
今日まで抵抗していたけれど、とうとうアレルギーの薬に助けを求めるしかないと観念しだしている。
ああ、鼻はむずむず、目も痒く、時々発作的にくしゃみの連発、流れる鼻水。
耳の奥、皮膚のやわらかく弱いところもなんだか痒い。
加齢で鈍くなったのと、20年以上食べ続けているヨーグルト、2年くらい続けているルイボスティーで、花粉に負けなくなったと思っていたのは思い過ごしとなった一日だ。


辛夷



2022年2月9日から11日にかけて雨から雪へと

2022-02-11 23:51:41 | 日記
酷い乾燥状態が、雨のおかげで一気に潤い解消された。
とはいえ、数日前から気象情報では、南岸低気圧接近により関東などに大雪に関する注意喚起が成されていて、交通機関はもとより皆警戒状態にあった。
寒気の流入が弱かった当地において、雪は10日の深夜からよく明け方まで降ったけれど、幸い積雪といえるほどではなく済み、日陰を残し雪は解けている。
10日の日、職場にある湿度計は70%近くまで上がっていた。
その前は、どんなに加湿器をフル稼働させても30%を越えることはなく、静電気は発生し放題だ。
自然の加湿はものすごいと実感する。
これで植物たちも一息つき、草木が春の芽吹きを加速させるのではないだろうか。
そして、例のあの現象、花粉の飛散も勢いづきそうだ。
止められないことを憂いても仕方がない。
梅の香りをはじめ、春を満喫しようではないか。


模範的な式典日和

2022-01-09 23:38:41 | 日記




おそらく多くの自治体では今日、成人式もとい成人の集いが挙行された。
関東では素晴らしく晴れて、風もなく、暖かなこの上もなくいい一日だ。
我が家にも一名、晴れ着を身に纏った成人がいて、中学や高校を卒業以来合う同級生に会い、懐かしんだようだ。
もうこれで一生顔を合わせることもない人がいるのだろうと、ぽそりと彼女がつぶやいていた。
こういう一言が、何かしら物事を俯瞰的に見るようになったのだろうと、彼女の成長をふと感じる一場面であった。
今18歳で成人となり、選挙権と保護者の承諾を得なくてもクレジットカードを作れるようになったりしている。
さすがに喫煙と飲酒は、20歳からだけれど、彼らの未来が、自由を保障され活気あるものとなるよう、すべての成人がよりよき社会へと努力を重ねていきたいものだ。

雪は物ものを蔽い、音を吸収する

2022-01-07 23:57:29 | 日記
昨夜意気込んでいた、朝の雪景色を写真に収めることをなし得なくてとても残念。
目覚めたら、なんとレッドゾーンの7時20分。
ばね仕掛けのように飛び起きて、ちらちら窓の外の景色に目を奪われながら身支度を済ませる。
もちろん外は銀世界で、道路はデンジャラスエリアと化していて、写真を撮る猶予も余裕もない。
ツルツルピカピカと、轍がでこぼこに凍った路面は、もう最高難易度を誇っている。
とにかくスピードを抑え、ブレーキングはなるだけしないように心がけながらハンドル操作は緩やかに、ゆっくりじっくり注意深く進む。
日陰は路面が見えないほどに氷と固まりかけた雪が居座り、場合によっては雪の重みで道路にしなだれ込んだ竹の葉を固定している。
雪に覆われた影のところは青みを帯びて、日の当たる白い雪とのコントラストが美しい。
枯れ枝の着雪は、まるで白い花のようで、枝の黒っぽい色がそれを引き立たせている。
普段の見慣れた風景が、雪によってこうも印象が変わるのかと、新鮮な感動をもたらす。
運転に緊張しながらも、私の目は雪景色を取り込んでいた。
さて、寝坊の件だが、あまりにも静かで、眠りを妨げる音を、すべて雪が吸収してしまったせいなのだと思う。
たとえ枕元で鳴るアラームの音であってさえもだ。

早めの餅つき

2021-12-26 21:42:22 | 日記
今年の餅つきは、例年よりも早かった。
昨日のうちに外の井戸端で、1斗3升5合のもち米米を研ぎ、浸水させる。
北西からの寒風が吹きつけるめちゃくちゃ寒いなか、もち米2升をずつ蒸かし、餅つき機でつく。
はじめはもち米5升分で鏡餅にお供え用丸もちと伸し餅を、あとの6升分では青海苔を入れたものや塩漬けした紫蘇の実を入れたもので変わり餅を作る。
また、この地域ではメジャーなもち米とうるち米を合わせた「たがね餅」も、青海苔と紫蘇の実を入れて作った。
途中お昼をはさみながら、6時間かけての餅つきだ。
もちろん、お昼にはつきたての餅を使った雑煮を食べた。
今はほぼ高齢者世帯といっていい状況なのに、この量の餅を作るのは、自家消費ではなく、親類に配る目的があるからだ。
それは、古くからの慣習で、保存食でもあり特別な食べ物の餅を振舞うことが、とても大切なのだ。
餅はいつでもどこでも買える物なのにと不思議に思っていたけれど、地域や年代により価値観が違うのは自然なことだ。
自分ももう少ししたならば、老いた体を動かして、今日のことをなぞるのであろうか。
それとも、配りたい先の価値観が変わって、それを無用とするのだろうか。
すべては流れ移り往き、縛られるものではないのかもしれない。