松家仁之『火山のふもとで』

10代の頃に読んでさっぱり面白くなかった小説を、20代になって読み返したらじんわり心に染みてきた。そんな経験があります。
歳を取って得たものが物語の理解を深めるのでしょうか。
『火山のふもとで』は、そんな小説かもしれない。
少し歳を重ねてから読む方が、たぶんより理解できる。
この小説を美しいと感じるのは、若い頃を振り返った時に、キラキラ輝いていたかつての時間を美しいと感じるのと似ている。
当時の自分が、いかに若さであらゆることを乗り切ってきたのか気づき、懐かしく切なくなるのだ。
細かすぎる描写は、少しうるさく感じて読んでいたけれど、それは必要なことだったとわかる。細部をはっきり覚えているくらい、眩しかった頃の出来事は忘れられないのだから。
物語は、設計事務所に勤め始めた坂西徹の視点で語られる。
所員13人の事務所は夏の間、浅間山の麓にある別荘「夏の家」に事務所の機能を移し、半分ほどの所員が合宿をしながら仕事に専念する。
国立図書館のコンペが大詰めになり、設計室には緊迫した雰囲気があるものの、山のゆったりした空気、当番で丁寧に準備される食事など、心地の良い空間のように感じられる。
「台所仕事や洗濯、掃除をやらないような建築家に、少なくとも家の設計は頼めない」と語る先輩所員の言葉に、避暑だけではない「夏の家」へ来るもうひとつの理由を想像する。
最年少で新入りの坂西は、少しずつ仕事に慣れ多くのことを学んでいく。そして恋をする。
若いときの恋だけが美しいとは思わない。けれども、その後の人生で折りに触れ思い出し苦い気持ちになるのは、若い自分がいたからだ。
カバーのイラストを見ながら、この森を散歩する坂西と彼女を想像しつつ、20代の自分を思い出す。
『火山のふもとで』
松家仁之[著]
牡丹靖佳[装画] 新潮社装幀室[装丁]
新潮文庫

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